そして翌日、クリスマスイブになった。去年は悠真と過ごしていたことを思い出し、私は少しだけ悲しくなってきた。
だけど、どこかに出かける気にもならず、家でごろごろ過ごそうと思っていたときだ。
「橙子ちゃん。お友達が来てるわよ」
康樹君の母の言葉に玄関まで行くと、そこには竹山奈美の姿があった。
この間の一件以来まともに会話していなかった。
「ごめんね。突然来ちゃって……市川先生に住所教えてもらったの」
「そ、そうなんだ。どうしたの?」
奈美はすごく言いにくそうにしている。できるならそのまま何も言ってほしくなかった。
「明日もしよかったら一緒に遊びに行かない?」
さすがに迷った。頭の中でいろいろなものと格闘し、ようやく答えは決まった。
「うん。いいよ」
「ほんとっ?やったぁ!嬉しい」
こんなに嬉しそうにされたら断ることなんてできない。
どこで待ち合わせるか簡単に話し合ったところで奈美は帰っていった。わざわざ住所まで聞いてここまで来てくれたことから本気で康樹君のことが好きなのだろう。
そういうのは悪くない。好きになってもらえるのは嬉しいことだ。
まずい……なんか流されてる自分がいるなぁ。
「橙子さん、どこに行くんですか?」
奈美とのさっきのやり取りを聞いていたらしい。さっきから康樹君はしつこく私にいろいろと訊ねてくる。
「だーかーら、倉田の家だって言ってるじゃん」
「俺も行きます」
今日の倉田のバイトは夕方だから、午前中に会いに行こうと思っていた。彼に昨日のことを訊いてくれたかどうか確かめるためだ。
今さらになって、倉田の電話番号を聞いておけばよかったと後悔していた。
「来てもいいけど、ちゃんと変装してよ」
「わかってます」
私達2人は倉田の家に行ったが、インターホンを押しても応答がなかった。
「おっかしーなぁ……まだ寝てんのかな」
「どっかに出かけてるのかも」
スマホがあったら便利だなと私が思っているとき、好奇心でなんとなく玄関の扉を開けようとしてみた。すると、
「開いてる」
無用心な家だ。私は康樹君に目配せをした。
「えっ!勝手に入ったらいくらなんでもまずくないですか?」
「倉田――いないの?」
返答はない。ただ静まり返った部屋があるだけだ。
「―――橙子……」
そんな声が聞こえてきたのは暗い倉田の部屋からではなく、私と康樹君の背後から聞こえてきた。
振り返るとそこに立っていたのは―――悠真だ。
彼はまっすぐに康樹君を見ている。
バレないように帽子と眼鏡で変装して顔がわかりにくいにも関わらず、悠真は正確に橙子だと判断した。
とうとうバレてしまった。
出会いは高校2年生のときだった。
たまたま席替えをしたら、悠真の隣の席になり、彼の前が倉田の席になった。それまでお互いにあまり話したことがなかったため、最初はぎくしゃくしていたが、倉田のおかげで悠真とすごく仲良くなることができた。
彼らはとてもモテた。スポーツ万能で、勉強ができて、そのうえルックスもいい。まるで漫画に出てくる男の子のようだ。
だけど、2人は親友でありながら正反対だった。
ちゃらい倉田は、当時いろいろな女とつきあっているという噂が絶えなかった。だけど、悠真は告白されても誰ともつきあわないことで有名だった。
「なんでつきあわないの?」
試しに訊いたみたことがある。
「ずっと片想い中だから」
はっきりと答えた悠真。その一途さに私は惹かれた。心から彼の好きな人が羨ましく思えた。
悠真の好きな人は上級生だとか大学生だとか噂が広がったが、どれに対しても悠真は曖昧にしか答えなかった。
私も訊いてみたくてたまらなかったけど。その瞬間自分の恋が終わることを知っていたから絶対にそれはしなかった。
だらだらと片想いが続き、気がついたら高校生活最後の日、卒業式を迎えていた。
最初は長いと思っていた高校生活は、過ぎ去ってみるとあっという間だった。
卒業式が終わってみんなが帰っていく中、私は最後まで帰ろうとはしなかった。
最後の1人になったとき、私はチョークを握って黒板に落書きをし始めた。すでに『みんなありがとう』と書かれた黒板にはそれほどスペースはない。
どれくらいたっただろうか。突然教室のドアが開いて、びくっとして振り返る。そこには、走ってきたのか息が荒い悠真がいた。
私は悠真を見たまま固まってしまった。黒板に『悠真のバカ アホ ボケ 大好き』と書いてある。
「バカ、アホ、ボケで悪かったね」
「い、いや。これは……」
慌てて黒板消しで消そうとすると、それを悠真によって止められる。そして代わりに彼は『悠真』の部分だけ消し、そこに『橙子』と書いた。
「あっ!そっちだってやってるじゃん!」
「読んでみて」
私の言葉を無視して、悠真はチョークを置いて手を払う。
「……橙子のバカ、アホ、ボケ…………」
“大好き”
決まりの悪そうな顔で、頷く悠真。
信じられなかった。もしかして、もしかして?
「えええぇぇっ……」
変な叫び声をあげて私は後ずさったが、やがて壁にぶつかってしまった。
「なんで?片想いだって言ってたのに」
「まさか両想いだとは思わないだろ」
「い、言ってよ……」
情けない声が教室に響く。
「今言った」
けろりと悠真は言い放った。
これが2人がつきあいだした瞬間だった。
この後、下駄箱というなんだかむさくるしい場所で初めてのキスをした。
お互いの大学は違ったが、2人は週末のたびにデートした。
キスだってうまくなった、と私が思いながら唇を合わせていたときに、突然悠真の手が私の腰にまで下りてきた。
「―――っ!?」
さすがに驚いて悠真を見上げると、彼はとまどったようにごめんと謝ってきた。
気がつけば悠真の部屋に2人きりで、しかも今はベッドに腰掛けている状態。シチュエーション的にはばっちりかもしれない。
「も、もうちょっとだけ待ってて……」
小さな声でそう言ったが、怒るかどうか心配だった。
「うん。待ってる」
悠真は優しく微笑んでそう言ってくれた。
本当に待ってくれた。
私の決心がついたのはそれから半年後だったというのに、彼は文句1つ言わないでくれた。
旅行先のベッドに私は横になり、その上に悠真が覆いかぶさる。
「優しくしてね?」
私が頼むと、悠真は私の額に自分の額をこつんと当ててきた。
「うん」
優しい瞳が頷いた。そして、ゆっくりと顔が動きキスが始まった。
悠真の手はまるで割れ物を扱うかのような手つきで優しかった。
**悠真 side**
学生の間に結婚という言葉を意識したことはなかったが、社会人になって初めて考えるようになった。
23歳新米教師の俺は、友人の結婚式に参加していた。中学のときは最も色恋に興味のなかった男が1番最初に結婚したのだ。
「俺は倉田が最初だと思ったんだけどな」
新郎の坂口が正直にそう言った。俺は、倉田が中学のときに何人かの女の子とつきあっていたことを思い出した。
「ありえねぇだろ。自分じゃぜってー結婚できないって思うし」
「そうでもないだろ。市川は?今彼女いるの?」
「えっ?」
別のことを考えていた俺は驚いて顔を上げた。
「あ……ごめん。聞いてなかった」
「悠真はー、最近彼女と濃厚な夜を過ごしてるのでそれどころじゃないんだよ」
倉田が冗談でそんなことを言い、坂口がへ〜っとのってくる。
「やるじゃん、市川!」
「ちがっ!倉田が本当のこと言うわけないだろ!」
親友だからこそ言える言葉だ。
「照れんな照れんな。この間俺が電話したとき最中だったなんて誰にも言わねぇから安心しな?」
「倉田、お前もう帰れ!」
その1週間後、俺は橙子とデートした。正確には、彼女に買い物につきあってほしいと頼まれたのだ。
橙子が行きたかった所は書店らしい。正確にはCDを買いたかったらしい。
「リアンのCDが昨日発売日だったんだ」
リアンというのは最近顔を出し始めた4人組のグループで、橙子は彼らの大ファンなのだ。
橙子がCDを見ている間、ふと俺は結婚情報誌を見つけた。今まで開いたこともないものだったが、周りに誰もいないことを確認して読んでみた。
それには、式場の情報や婚約指輪、様々なドレスなど、結婚に関わることが多く書かれている。
俺はいつのまにか真剣に見てしまっていた。
「何読んでるの?」
そんな声が聞こえてきても、俺は特に考えることなく答えてしまった。