それでも僕らはここにいた

混乱する私は、さらに混乱する光景を目の当たりにすることになる。

なんと自分自身が目の前に困惑した表情で立っていたのだ。


「わっ……私!?」

「うん。中身は俺だけどね」


自分の声で、誰か知らない人が喋った。


話をまとめるとこうだ。

どうやら私、吉井橙子の精神と湯澤康樹の精神が何かのきっかけで入れ替わったということだった。


「何がきっかけかは俺にもわからないんだ」


男口調で私の体をした康樹君が呟く。


「ただクッキーの散歩に行ったところまでは覚えてる。気がついたら家の庭で寝てたのを母さんに起こされたんだよ」


クッキーというのは飼っている犬の名前らしい。


「お姉さんは今仕事してるんですか?」

「ううん。してないけど」


結婚するので退職したのだ。そう思いながら、私は悠真のことを思い出していた。
「よかった。俺はもうすぐ学校があるんです」


その言葉に私はなんとなく嫌な予感がしてきた。

そんな私を察したのか、代弁するかのように倉田が話し出す。



「要は、代わりに学校に行けって話だろ?」

「はい。初日から不登校なんて嫌ですから」

「えええぇぇぇぇーーーー……」


「決定だな。それが嫌なら早くきっかけを思い出せよ。そうすりゃ元の体に戻れるかもしんないな」


強引に倉田が話をまとめてしまう。




11月9日、この日から私、吉井橙子(女)は14歳の中学2年生(男)として生活することになった。




*****


最初は全然ついていけなかった中学生の男の子の体は、何日寝てもそのままだった。

私は朝起きて元の体に戻っているという期待をだんだん持てなくなってきていた。


そして、今日も……やっぱりそのままだった。今日から学校だというのに……


それにしても親の仕事の都合とはいえ、ずいぶん変な時期の転校だ。

私は手際よく制服に着替えると、1階の居間へと降りていった。



「おはようございます」

「おはよう。ちょっと待っててね」


今こうして康樹君の家にお世話になっている。

結局倉田はあれから姿を現さないし、このまま一生この生活が続いたらどうしようかと半ば本気で考えていた。


「今日から学校だけど…………くれぐれも気をつけてね」


先に顔を洗ってきたらしい康樹君が念を押してくる。この言葉は前日までに耳にタコができるほど聞かされていた。


「大丈夫。とにかくあんまり目立たないようにしてくるから」


自信のない言葉しか出てこなかった。






康樹君の通う中学校は、私にとっても母校だった。

だけど、当時いた先生はほとんどがいなくなっていて、私の苦手としていた体育の女の先生だけは一目見ただけでわかった。



「こっちだよ、湯澤康樹くん」


悠真に呼ばれて着いていく。


「緊張しなくても大丈夫だよ。みんな面白い人ばかりだから」

「あ、あの……」

「ん?」


私は悠真の左手薬指を見ていたけど、やっぱり何も言えなくて首を振るしかなかった。


「じゃあ行こうか」


何も知ることのない悠真は、私を自分のクラスへと案内していった。


2年5組。今日からそこが私の新しいクラスだ。


「湯澤康樹です。よろしくお願いします」


自分の体じゃないと思うと、人前で挨拶しても全然緊張しなかった。むしろ悠真が担任のクラスに入るということのほうが緊張をもたらしてくる。


とにかく目立たないように過ごそう……


窓際1番後ろの空いた席に腰掛けると、そこから教室全体を見渡すことができた。



「ねぇねぇ、湯澤君ってどこから来たの?」


いきなりそんな突拍子のないことを訊かれ、気がつくと隣に座っていた女の子から声をかけられていたことがわかった。


「えーっと……、東京」


かわいい子だなぁと重いながら返答する。


「東京?いいなぁ……私1度でいいから渋谷とかに行ってみたいんだよね。やっぱ人多いの?」


私は東京出身ではないので少しだけ戸惑う。


「あ、うん。でもいつもあんなカンジだよ」

「へー!じゃぁ今度東京行ったら案内してね」
私が頷くと、その子は満足そうににっこりと微笑んだ。


「私、竹山奈美。よろしくね」

「うん。こちらこそよろしく」


私にとっては同性だが、康樹君にとってここで初めての異性の友達ができた。


―――と、そのときは思っていた。




事態が急変したのはその日の放課後だった。帰ろうとバッグに用具をつめているとき、奈美が現れた。


「湯澤君、今ちょっといい?」

「あ、どうかした?」


手を休めて、奈美に向き直る。


「湯澤君って彼女とかいるの?」


…………?いきなり何を言い出すんだ、この子は。


「いないけど(たぶん)」

「じゃぁ、私を彼女にしてくれないかな!?」


はぁ!?私

私はどこぞのマニアック映画でも見ているような気分になった。
「え……いや、だって今日会ったばかりだよ?」

「そんなのカンケーないじゃん。好きになっちゃったもんはしょうがないの」


ひるむことなく彼女はにっこりと笑って言い放つ。だが、その表情に少し照れも見られるのがわかった。


「だから……考えといてね!」


そう言って、奈美は教室を飛び出していく。


いや……ちょっとマテ。そんなことできるわけない。

だって、だって…………私女の子なんだからー!!!!

*****


勢いよく職員室の扉を開けると、何人かの先生が不思議そうな表情でこっちを見てきた。特に、私の苦手な体育の先生は怪訝そうだった。

そんなことにも構わず、一直線に悠真の机へと向かっていく。



「どうしたの、湯澤くん」


悠真も何事か驚いている。


「あ……いえ、あの……なんでもないです」


今さっき女の子に告白されましたなんて恥ずかしくて言えるわけがない。

悠真を前にすることによって、私はようやく落ち着いていくのを感じた。



「2年5組はどう?」

「みんないい人たちです。すぐに友達ができました」

「そっか、よかったな」


そのときの悠真のはにかんだように笑う表情が、私が以前見た光景と重なった。

あれは確か、去年のクリスマス。悠真からもらったクリスマスプレゼントに私が大喜びしたときに見せた表情だ。


だめだ……思い出したら悲しくなってきた。



「そうだ。簡単に学校案内しとこうか」


悠真はすくっと立ち上がって、私を職員室の外へと連れていった。


一通りの教室を案内してもらい、大体の位置を覚えたところに、知らない女子生徒が現れた。彼女はまっすぐに悠真に向かってくる。


「市川先生!私と結婚してください!」


私は鼻から牛乳が出るような錯覚を覚えた。

はぁぁ!?なに今の……錯覚?


対する悠真は困ったように笑っているだけだ。


「先生優しいからまた騙されちゃうよ!私が守ってあげる!」


騙されるってひょっとして私が?そんなことするかぁぁぁ!!


「私本気なんだから!」

「ありがとう」


悠真の出した言葉に私は唖然とし、女子生徒は嬉しそうに微笑んだ。


そして、

「約束ね!」と言い残して、足取り軽やかに去っていった。