「ほんと、なつかしいね」
母親はむかしを思い出したのか、なつかしそうに目を細めた。
「そうだね」
そう言って母親に視線を移すと、彼女の横顔から涙が頬を伝って流れていた。
「お母さん………?」
開いた口から出た僕の声は、震えていた。
「むかしは、よく家族で行ったけ?なつかしい、思い出だね」
「今も、家族だよ」
「えっ!」
「今も、家族だよ。どんなに状況が変わっても、僕たちはずっと家族だよ」
正直に自分の想いを母親に口にしたのが恥ずかしかったのか、僕の頬がかすかに赤くなった。
「そうだね、私たちはずっと家族だね」
涙を手の甲でぬぐって、母親はそう言った。
「久しぶりだなぁ、家族でこの場所にまた来られるなんて」
そのとき、後ろから父親の声が聞こえた。振り向くと、父親がゆっくりと公園に向かってくる姿が僕の瞳に映った。
「運転、おつかれさま」
母親が軽くお礼を言うと、父親は「いいよ」と、照れくさそうに言った。
近くのガレージに車を停めていた父親が、僕たちよりも数分おくれて公園の芝生に足をふみいれた。
「思ったよりも、早く着いたなぁ」
「まぁ、そんなに遠くないしね。今、午前十一時二十三分だよ」
そう言って母親が、左手にはめていた腕時計に視線を落とした。
「昼ごはん、サンドウィッチだよ」
母親が、僕と父親の顔を交互に見て訊ねた。
「いや、ちょっと待ってくれ。その前に、願と話をさせてくれ。ずっと会話をしていなかったから、話がしたいんだ」
「えっ!」
父親の口から出た言葉を聞いて、僕は驚きの声を上げた。
「昼食を食べる準備をしといてくれ。その間、俺は願としゃべってるよ」
父親は母親に視線を向けたまま、そう言った。
「お父………」
そう口にした僕の声が、かすかに震えていた。
父親と二人で会話するのは小学生以降なかったせいか、きんちょうした。それでも、久しぶりに父親と話せることはうれしかった。
「わかったわ」
「すまないな」
母親の苦笑いを見て、そう言った。
「願にとって、この場所は家族と出かけた思い出の場所か?」
「うん、そうだよ」
父親の質問に、僕はうなずいた。
母親が昼食の準備をしてくれている間、僕と父親は公園内を歩いていた。天気にも恵まれたせいか、公園には僕たち以外の人の姿も見えた。
「お父さんの思い出の場所とかあるの?」
「俺か?」
「うん」
「そうだなぁ、一番の思い出は決められないなぁ。願と一緒に行った海も俺の大切な思い出だし、この公園も大切な思い出だよ。だから、願と一緒に過ごしたことが俺の一番の思い出かな?」
笑顔を浮かべて言った父親は、少し照れくさそうだった。父親の口からそんな言葉を初めて耳にした僕は、驚いた。
今まで仕事ばかりで家族と過ごす時間が短かっただけに、父親の記憶に僕たちと過ごした思い出なんかないと思っていた。しかし、父親の記憶に僕たちと過ごした思い出が残っていたことをこのとき初めて知れてうれしかった。
「成長したな、願」
「えっ!」
後ろを歩いていた父親にそう言われて、僕は驚いた。
僕の少し後ろを歩いていた父親に視線を移すと、なつかしそうに目を細めていた。
「しばらく見ないうちにこんなに身長も高くなったし、小学生のころは、俺の胸のあたりまでしかなかったのになぁ」
父親は僕が小学生のころを思い出して話しているのか表情はどこか悲しそうだった。
「そりゃ、四年も会ってないんだよ。僕と」
口元をゆるめて、僕はそう言った。
身長は小学生のころと比べてもたしかに高くなったが、まだ父親の方が高かった。
「俺のこと、うらんでるか?」
「うらんでないよ」
「願は、俺に怒ってるか?」
「怒ってないよ」
口を開いて、僕は父親に本音を伝えた。
仕事の理由で四年間も家族のきずなをお金でつなげていた父親にうらみも怒りもそして彼を責めるつもりもなかったが、仕事よりも家族と一緒にいる時間を選んでほしかった。
「ごめんな、願。父親なのに、父親のような仕事が全然できなくて………」
「謝らないでよ、お父さん。仕事なんだから、しかたないよ」
笑顔を浮かべてそう言った僕だが、ほんとうは父親に会えなかった長い四年間、ずっとさみしい思いをしていた。
父親と話をすると同時に、家族の愛情が深まるのを感じた。しかし、これが一生続かないものだと知っているから、どうしようもなく悲しい。
「高校生活は、楽しか。願?」
「うん、楽しいよ……」
父親のなにげない質問に、僕はさらっと答えることはできなかった。
最近、一番の友人とケンカして学校があまり楽しくないことは、父親に伝えることはできなかった。それを伝えると、きっと父親は心配するだろうし、一週間しかいられないのだから、心配かけたくなかった。
「そうか、よかったなぁ」
僕が楽しい学校生活を送れていることを知って安心したのか、父親は笑顔を浮かべた。
「じゃあ、そろそろ昼食食べよっか?お母さんが、昼食の準備をしてくれているだろう」
父親がそう言ったとともに、僕たちは母親が昼食の準備している場所まで向かった。
午後十二時三十分。僕たち家族三人は、公園の芝生の上にビニールシートをひいて母親が作ったサンドウィッチを食べていた。自然に囲まれた中で、母親の作ったサンドウィッチを食べると、いつもよりおいしく感じられた。
「おいしい、願?」
「うん、おいしい」
「よかった、がんばって作って」
僕がおいしそうにサンドウィッチを食べているのを見て、母親はうれしそうな表情を浮かべた。
母親は僕のことを思って作ってくれたのか、サンドウィッチの具は、ハムと玉子がパンに挟まれていた。
「来てよかったな」
ペットボドルに入った冷たい飲料水を飲んで、父親はほほえんだ。
「うん、来てよかったね」
そう言って母親は、目を細めて遠くを見つめた。
「願も、そう思うでしょ」
「うん」
母親にそう訊ねられて、僕は首を縦に振った。
一週間しかこの幸せは続かないとわかっていたが、公園に来て、家族とこんなにもすばらしい思い出を作れたことをよかったと思った。
「いい天気ね」
額に手をかざして、母親が空を見上げて言った。それにつられて、僕も空を見上げた。
どこまでも果てしなく広がる青空には、薄い雲が流れていた。真上にある太陽からまばゆい日差しが降り注ぎ、芝生一面の緑を明るく照らしていた。暑さが残る、九月の中頃の季節は、日中は気温が二十五度近くまで上がる。涼しい風が吹くたびに、僕の黒い髪の毛がなびく。
「………私、怒ってないからね」
「え!」
「あなたがこの先、誰と幸せになろうと、私は怒ってないからね。だって私たちは、一度結ばれた、〝家族〟なんだから」
笑顔を浮かべて言った母親の瞳には、どこか哀しい色が浮かんでいた。
「家族………」
そう呟いて、父親は母親に視線を向けた。
「今まで、〝家族〟私支えてくれてありがとうね。お父さん」
母親の口から出た感謝の言葉を聞いて、僕たちが〝家族〟でいられるのは一週間しかないと思うと、悲しくなった。
*
「願、学校に行きなさいよ。私は朝から勤め先の会社の仕事をしてから、そのあと、夜からも働くのだから」
「わかってるよ」
僕は、リビングで慌ただしく仕事に行く準備をしている、母親に返事をした。
父親と過ごした日から一週間が経ち、今日は九月二十三日。母親は一週間前からお酒を一切飲んでおらず、生活していくためにまじめに働き始めた。昼は勤め先の事務の仕事をしたあと、週二日、夜から飲み屋さんでも仕事をしている。
ほんの数ヶ月前まではお酒の飲みすぎの母親の体を心配していたが、今は昼も夜も働いている母親の体を心配している。
「今日、おそくなるからね。願の通帳見たけど、残り三十万ぐらいしかないじゃないの。なにに使ったかは聞かないけど、お金はいつかは消えるのよ。使い過ぎないようにね」
そう言って母親は、早足で家を出た。
ほんの数ヶ月前までは一万円札を僕に手渡していたが、今は百円すらくれない。それどころか、僕の通帳を見て、お金の使い方を考えるように注意するようになった。
「はぁ」
僕は、ため息をひとつこぼした。
父親が新しい女性と再婚して幸せになってくれたことはうれしような悲しいような複雑な思いだが、それよりも家に送られてくるお金が前よりも少なくなったことが辛い。
壁掛け時計に目をやると、時刻は午前八時二十分を指していた。すでに、学校に行く準備をして家を出ないといけない時間だ。
「学校か………」
先ほど母親に言われた言葉を思い出して、僕の口からため息混じりな声が漏れた。
一週間も休んでいただけに、学校に行きづらい。担任の先生からも学校に来るように電話もかかっていたが、そんな気持ちにはなれなかった。
「はぁ」
口からため息をひとつこぼして、僕は父親が座っていたイスに視線を移した。視線を移した先にもちろん父親はおらず、リビングには僕しかなかった。
女神様の言ったとおり、けっきょく悲しくなっただけだった。
母親が作った朝食を食べたあと、僕は自転車で神社に向かった。