扉を開けると、電子音と共に聞こえてきた「いらっしゃいませ」の声。
 珍しい。店長さんがヘッドホンをしていない。
「どうしたんですか?」
「たまにはお客様をお迎えしないと」
 それ、たまにじゃなくていつもすべきことなのでは。
「はい。今日は八番です」
 ブースに入るとすぐにパソコンを立ち上げた。
 今日は時間も決めてあるので、ミキはもう来ているかもしれない。
 リクライニングチェアに座ってサイトにアクセスし、チャットルームの一覧を見る。
(あった!)
 部屋主の名前は「ミキ」、タイトルは「話の続き」になっている。
 そこへ入室して、念のため声を掛ける。
『こんばんは。カオルです』
『お疲れさま。今夜は私の方が早かったね』
『待った?』
『ううん。五分くらい前に来たところ』
『先週、お爺さんを確認してきたよ。小柄で目の大きい人だよね』
『うん、そうだよ。分かりやすいでしょ』
『囲碁教室には行きも帰りも、あの神社を通っていくんだね』
『私も部長さんのチェックしてきた。ラグビーでもやってたみたいにゴツイ人だね』
『きっと体育会系なんだろうな』
『あれで怒鳴られたら、確かに怖いね』
『この後はどうするの?』

 殺す相手のことは、お互いに調べた。
 後は実行に移すだけ。でも交換殺人の最大のメリットはアリバイのはずだ。あの男が殺されたときには、僕に確実なアリバイがなければ。
『いつ殺せるかなんて、実際にはアクシデントがあるかもしれないでしょ』
 確かにそうだ。
『曜日だけ決めておくのはどう? そうすれば、お互いにアリバイを作りやすいし』
 ミキの提案は理に適っている気がした。
『ボクの方は水曜日で決まりだけれど、ミキは?』
『私は火曜日にする。火曜の夜は毎週飲み歩いてるみたいだから』
 翌日休みのことが多いからな。
『どうするかは決めたの?』
『酔っているところをホームから突き落とすのがいいかな、と思ってる』
『それって上手くいくの?』
『大丈夫。やったことがあるし』
 えっ。
 さらっと怖いことを書いている。
『マジ?』
『実はね、前に交換殺人をやろうとしたことがあったの』
 二度目、ってこと?
 ミキの話はこうだった。

 別の闇サイトで知り合った女性から、交換殺人を持ち掛けられたらしい。
 その女性はある男に乱暴されて、その時に取られた写真や映像をネタに関係を強要されていたそうだ。似た境遇でもあり、ミキは交換殺人に同意した。
 相手の男が酔ってホームを歩いている時に、ぶつかったふりをしてホームへ落とした。目撃者もいたから警察で事情は聞かれたけれど、「急に抱きつくように近づいて来たから反射的にはねのけてしまった」と説明したら納得してもらえたそうだ。
 男と面識がなかったことも大きかったのだろう。

『でもね、相手の方は怖くなっちゃったみたいで、実行してくれなかったの』
 まだお爺さんは生きてるもんな。
『その女性とは連絡取れなかったの』
『本人とは会ってもいないし、本名だって分からないし』
『そうだよね』
 僕たちだって同じだ。
『だからね。カオルさんには逃げられないようにと思って』
 え、どういうこと?
『今までのチャットもスクショで記録してあるんだ』
 ログは残らないからって安心してたけれど、その方法があった。
『それとIDも調べてあるよ。kaoru0124でしょ』
 背筋がぞくっとした。
 第一印象で感じたように、やっぱりミキはヤバいのかも。
 でも、もう手遅れだ。
 ここまでされていたら、今さら後戻りはできない。
『怖がらないでね。念のための保険みたいなもんだから』
 黙ってしまった僕に気付いて、ミキがフォローしてる。

『そうだよね。お互いのために実行すればいいんだから』
『そうだよ。これで二人が楽になるんだもん』
『早い方が良いかな』
 決心が鈍らないうちに。
『それじゃ、期限を一ヶ月にしよう。四回チャンスがあればイケるっしょ』
 軽いなぁ、彼女は。
『わかった』
『カオルさんを疑う訳じゃないけど、私は爺さんが死んだのを確認してからにするつもり』
 そういう彼女の気持ちも分かるけれど……。仕方ないか。
 彼女は経験してるんだし、ビビりな僕にはその方が良いかもしれない。
『次は、いつ会う?』
『念のため、しばらく会わないようにしようよ。全部終わってから一か月後に』
『日にちは決めずに?』
『だって、会わなくてもここには来るでしょ。私は暇なときに来てると思うよ』
『確かにそうだね。ボクも掲示板を見に来てるだろうな』
『メモの処分も忘れずにね』
『わかった』
『次にこの部屋で会う時は、本当に会う約束が出来るといいね』
 こうして僕たちは別れた。
 お互いに安らげる日々が来ることを信じて。

      *

 ミキと最後に会った一週間後の水曜日、僕はときわ台へと向かった。
 気持ちがブレないよう早いうちにと思ったから。
 念のため、囲碁教室へ行くことも確認しようと四時前には家を出た。もう顔も分かっているから、神社へと続く階段が見える辺りでお爺さんが来るのを待つ。
 やはり六時前にはお爺さんが石段を下りてきた。後をつけて「囲碁クラブ」のビルへ入ったことも確認した。
 ここまでは予定通り。
 八時過ぎまで商店街の喫茶店で時間をつぶす。緊張しているせいか、お腹も減らない。
 店を出て、公園のトイレで着替えた。黒いトレーニングウエアの上下に黒いキャップ。夜のジョギングをしている風に見せるため、あらかじめスニーカーを履いてきている。
 準備はバッチリ、神社の境内へと向かう。
 石段を上る間も、緊張からか目が回る感じがしていた。階段を上がって左側の茂みに隠れる。
 口の中は乾いていた。
 時計を見ると八時五十分。
 もうすぐお爺さんがやって来る。
 そして……。


 ここから立ち上がることすらできなくて、茂みの陰に座ったままお爺さんが通り過ぎるのを見送った。
 背中がどんどん小さくなっていく。
 やっぱり簡単には人を殺せない。
 あのお爺さんに僕が恨みを持っているわけでもないし。
 せっかくこんなに準備したのに。大きなため息をついた。
『カオルさんを疑う訳じゃないけど――』
 彼女の言葉が重く感じた。


 翌朝、出社するとすぐに水野がやって来た。
「山瀬んちの方、大変そうじゃないか。大丈夫か?」
「え、何が?」
「お前、ニュース見てないのかよ」
 昨日はそれどころじゃなかったし、今朝も落ち込んでたからね。
「通り魔に刺されて女の人が亡くなったんだよ。連続通り魔じゃないかって話だぞ」
 あの犯人、とうとう人を殺してしまったのか。今までは怪我人だけだったから大きなニュースになっていなかったけれど、亡くなった人が出たんじゃワイドショーでも取り上げるんだろうな。
 段々と慣れていったのかな。慣れるものなのか、聞いてみたい。
「おい、聞いてるのかよ」
「あ、ごめん。前から地元では話題になっていたから驚いちゃって」
「気をつけろよ」
「ありがとう」

 僕も次は出来るのかな。
 そんなことを考えながら、仕事を始めた。