それから3日経過したんだけど、巧も遥も、産婦人科も小児科もいつも通り。



・・・・心の中では色々あると思うし、懐かしむには早過ぎるし。


私もあえてふれなかったから。





忘れる訳じゃないけれど、杏梨の事に囚われすぎて目の前の事を疎かにしたら、それこそ杏梨に怒られちゃうからね。






そーいえば、受け売りなんだけど。




何かを追い求めるほど、追いかけるほど逃げていってしまう。


けれど、もしも。


何か他のことに意識を向けていれば、いつのまにか寄ってきて静かに肩に止まっていてくれる。



まるで、蝶のように。





なんて、杏梨のことも、悲しむばかりではなくそうなればいい。



杏梨は誰かを悲しませる為に、産まれてきたんじゃないんだから。





・・・といっても私の希望なんだけど。








「さて、午後も笑顔で頑張りましょー」







鏡の中の笑顔で切り替えたリマインダーは、ちゃんと出来ていて欲しい。




私なんかのことで、みんなの日々にヒビが入らないように。

「傅雖先生の気持ちを考えてください!」



「麦傍先生、落ち着いて・・・!」








午後の小児科の診療も一段落し、産婦人科に顔をだそうと赴いてみると、何やら騒がしい。



産婦人科内で声を荒らげるなんて、緊急時以外言語道断。







「麦傍先生、どうかしました?私の名前が出てたようですけど。」







ピリピリムードが漂っていたから、努めてにこやかに、かつ冷静に話し掛けた。




見たところ、巧も遥もいない。





それと。






「傅雖先生・・・・!!それが・・・」






「私に用事のようですね。」







麦傍先生と駒枝さんの奥には稔さんがいた。







「稔さん、どうかしました?書類に不備でもありましたか?それともご質問かなにかですか?ここではなんですから、応接室へどうぞ。」





「いや、ここで。君にあの子を引き取って欲しくてね。用事で近くまで来たから、今日はその手続きの方法を聞きに。」







なるほど。






「・・分かりました。私が引き取ります。手続きや必要書類などは事務に確認してからご連絡いたします。」






一瞬間が開いたのは躊躇った訳ではなく、麦傍先生と駒枝さんに見つめられていたのが分かっていたからにすぎない。




私の言葉に驚いていたのも分かった。









「そうですか。お願いします。」








『厄介払い出来た』と言いたそうなホッとした顔でも、それが稔さんの本懐なら。

「傅雖先生、いいんですか?!いくら再婚してるからってあんな言い方しなくても!」




「どうどうどう・・」







突っかかるような麦傍先生を駒枝さんが宥めてくれる。






「だって・・!病院にも来なくて、最低限のことだけで後は傅雖先生に丸投げってゆーか、押し付けってゆーか!そんなん傅雖先生も杏梨ちゃんも」






「麦傍先生、ありがとう。でも、これでいいのよ。」






「でも・・」








まだ言いたそうな麦傍先生に、言い含めるように、落ち着かせるように。








「稔さんは、杏梨に対してどうしていいか分からないんだと思うの。だから、ああいう対応でも仕方がない部分はある。それに、紫さん・・杏梨の母親からね、温かい愛情を私は貰ったの。」






明るいライトのような、それでいて月明かりのような。



人生という長い道のりで迷った時に、その先を照らす道しるべとなるような、そんな優しい光を。





シェードツリーの様に立ち塞がった両親とは違って。








「杏梨も、母親からはもちろん、麦傍先生達からも大切に思われているのはちゃんと分かってくれてる。杏梨は独りじゃない。」







例え『父親』がいなくても。

「それに。」








思い出して、反芻する。








「それにね。泣いてくれた人がいたの、私の代わりに。その人が、涙も想いも全部持っていってくれた。だから私はこれでいいと思えた、という訳ですよ。」





「傅雖先生~・・」





「泣きそうな顔しないで。ほら、駒枝さんも。私は杏梨がそばにいてくれるからむしろ嬉しいんです。麦傍先生も駒枝さんも、みんないるし、ね。」





ナースステーションのカウンターの奥にいる看護師達にも目を向け、ありがとうの気持ちを込めて麦傍先生の肩に手を置いた。







『普通の家族』という理想を追い求めて、
『無い物ねだり』して現実に嫌われたから。




もう。




『優しさ』に裏切られて、
『雰囲気』を奪われる前に。





そして、麦傍先生の言葉を遮ったのは、可哀想と言われそうだったから。




私は、可哀想という単語が大嫌い。


確かに両親には愛されなかったが、愛情は叔母さんがくれた。






だから、私は可哀想なんかじゃない。






可哀想じゃないから、『これでいい』の。

【巧side】







「それにね。泣いてくれた人がいたの、私の代わりに。その人が、涙も想いも全部持っていってくれた。だから私はこれでいいと思えた、という訳ですよ。」









前後の会話は聞き取れなかったものの、その言葉には思い当たる節があった。










・・・・・・時分時に失礼なぐらいになってしまったと、腹が減りすぎて変な世迷言を並べながら歩く。


患者への説明が終わった遥と出くわして、頼まれていたテイクアウトのカツ丼を渡す。






「よく食えるよな、そんな量。」





「食えるよ。ってか、僕はむしろ巧の方が心配だよ。それだけって。」







袋の中身は、菓子パン数種類とミルクココアだ。







「これがベストなんだよ。」







糖分は必要不可欠だろうが。




・・・いや、甘甘な遥には不要なのか?







そんなくだらないことも考えながら、ナースステーション脇の階段を上がっていると。






麦傍のうるさい声が聞こえてきた。



揉め事でも起こしたのかと思ったら。




柚希の、杏梨ちゃんの名前を教えてくれた時みたいな、少し諦めてなだめるような、『これでいい。』なんて声が聞こえてきて。




なんとなく、なんかじゃなく、かなり出にくくかったから、柚希が小児科へ呼ばれていなくなるまで動けなかった。





それは遥も同じようで。








「巧。」





「ん?」




「後でフォローしといた方がいいよ。」




「・・なんで俺が。お前がすればいいだろ。」





前みたいに。








「僕じゃダメだよ、巧じゃないと。じゃ、頼んだよ。」







「あっ、おい・・・!」






返事というか反論する間も無く遥は行ってしまって、すぐに麦傍や駒枝さんとの会話が聞こえてきてきた。

「(来てしまった・・・!!!)」








勤務終了後、小児科外来診察室の前。



柚希が小児科の当直の時は、呼び出されていなければここにいる。









「(遥に言われたから、じゃないからな・・・)」









誰にでもなく言い訳して、ノックをするも応答がない。







「いない、か・・」








残念という感情ではなくホッとしてしまったのは、杏梨ちゃんのことに向き合えないと思ってしまっているからだ。




遥の様にフレキシブルに出来ないのも原因の一つなんだろうな。








因みに、小児科の当直はバラエティー豊かだ。




食べた氷にカビが入っていて、しかも夏場で大量に食べてしまい腹痛で搬送されてきたり。


風邪で免疫力が低下していたところに、運悪く買ってきた鉢植えの土の中にカビが付着していたことで肺炎になったり。


カビは氷になっても死滅しないから厄介だ。







他にも、予防接種後にギランバレー症候群とか、結核とか、銀杏中毒とか。


家族全員でレジオネラ症とか。




まぁ、産婦人科でも氷食症とか、肺血栓塞栓症・・いわゆるエコノミークラス症候群とかあるけれど。







「巧?」




「柚希・・!!」






「どうしたの?今日は当直じゃなかったよね?」








ドアの前に立ちっぱなしだったので、戻ってきたのだろう柚希は不思議な顔をしている。









「あ、いや、・・・ちょっといいか?」






「?いいよ、入って。」








質問に答えなかったが、招き入れてくれた。




なんでも搬送された急患は、溶連菌による扁桃腺炎だったらしい。







「容体が落ち着いたから戻ってきたんだけど。・・で、どうしたの?」







入れてもらったミルクコーヒーをもう一口飲んで切り出した。

「杏梨ちゃんのこと、話せてなかったから。」





「あー・・・そーだった。巧が対応してくれたんだってね。ありがとう。」





手術の経過観察とかで言い忘れてた。と言われたが礼を言われることはしていない。







「それはいいんだけど。杏梨ちゃん、引き取るのか?」




「・・・なんだ、聞いてたの。」







柚希の目が少し泳いだ。



遥は麦傍から聞いたという体になっているけど、俺はその後も出るに出られなくなって、結局中庭で食べながら時間を潰したからな。



知らないと思うのが当然だ。








「悪い、盗み聞きするつもりはなかった。」




「別にいいよ。隠すつもりはなかったし。長男の為に出した結論だと思うし、叔父さんの気持ちも分からなくはないからね。それに、叔母さんのお墓も実質私が管理しているから、杏梨も叔母さんと一緒がいいだろうしね。」




「それはそうだけど・・・」











俺と遥との非常階段での会話を聞かれていないようでよかった。




人気のないところとはいえ可能性が全くないとは言い切れないと、自分が聞いてしまった立場になってそう思い始めて少し焦っていたから。



蒸し返したくもない人生最大の黒歴史に値するし、遥もそのことはスルーしてくれている。











「ありがと、私は大丈夫だから。麦傍先生も駒枝さんもめちゃくちゃ心配していたけれど、それほどでもないんだよ。」








平気な顔して笑ってる。



話しぶりからして、遥にはまだ会っていないみたいだ。







「というかね、実感がまだないんだよね。声聞けなかったけど、ただいまなんて今にも帰ってきそうな気がしてさ。」








ああ、またこの顔だ。


泣けないのさえ、紫さんの時みたいに、全部無かったみたいな顔。





忘れることさえ出来ない、見たくもない笑顔。









「そ・・、うか。」










それ以上杏梨ちゃんの話をすることはなく、別の話題へ切り替える。





柚希がふれなかったから。




フォローすら出来ずに、繰り返されたそれに甘えて逃げた。









柚希の笑顔に、耐えられなかったから。




壊れてしまいそうで、怖かったから。











だから、もう。




勝手な罰さえも受けれない。











【巧side end】