お父さん、おかあさん、おじいちゃん、いままでありがとう。短い間だったけどありがとう。
きっと、嘆くと思うけど、誰かが死ぬことは、問題が解決することでもあるから、私が約束をまもります。
いままで、育ててくれてありがとう。
お母さん、お母さんのことが世界で一番好きです。他の誰よりも好きです。きっと私が死んだら自分を責めるかと思いますが、そんなことはせず、大好きだった声楽の勉強を続けてくださいね。きっと、ホール全体に響く歌声が出るようになりますよ。
きっと、私がこれだけ謝っても、今の私はお母さんにとって、ただの疫病神にしか見えてないんだね。
今日のもめ事で、よくわかりました。
私は、別に悪気があったわけでもありません。
お母さんに、暴れようとしたわけでもありません。
単に、迷惑なら迷惑だよと言ってくれればいいのです。私は、それについて変に怒ることも、食って掛かることもしません。だから、テレビや本を見ながらの生返事はやめてください。私は、お母さんに聞いてほしいから質問しただけのことで、決して暴れようとは思わないんです。いま、忙しいからあとでといわれたら、じゃあいつ頃、など聞き返すことは、今の私はできます。たしかに、聞いてくれないとか、怒鳴ったことはいままでありましたけど、それは、世間体とか、見てくれなどをすぐに気にして雨戸を閉めたりするのをやめてほしいだけのこと。そういう余分なことをやるから、私は怒りが増大してしまいます。世間体ではなく、こちらを見てほしいなと思うのに。
それほど、おかしいですか?
たしかに、自己主張が苦手であるから、理論的に物事を口にするのができなくて、うまく伝わらなかったのはよくありましたが、そういう余分なことをしないで、簡潔にいってくだされば、私も暴れないで済んだ例はいくつもあります。だから、余分なことはしないでください。本当にしないでください。肝心の私の言いたいことがどこかにいってしまう、怒りだけになってしまう。自分では愛情があると思っているようですが、私にはそう見えないのは、余分なことをしようとするからでしょう。世間体とか、そんなことはいいから、私が話していることをしっかり聞いてほしいなと心より思っています。
私が、大学を出て、病気になってから、そういう人になってしまったね。
かつては、そうではありませんでした。
悲しいです。お母さん。
たったひとつだけ、覚えていることがあります。
どうしても怒ることがあります。
あのとき、なぜ?
あのとき、なぜ私が自殺未遂をするほど、怒鳴り付けたのですか?
勉強しない私はそんなに憎いですか?
点がとれない私はそんなに悪い子ですか?
勉強ができないと、もう愛してはくれないのですか?
勉強ができないということは、地獄へ落ちたのと同じくらい悪事ですか?
それまでは、ほんとに、お母さんは素敵な人でした。
何でも誉めてくれて、私を慰めてくれて、いじめっ子から守ってくれました。
どんなに下手な作品であっても、上手だと誉めてくれたし、どんなに不器用であっても大丈夫だといって励ましてくれました。
でも、中学校に入ってから、お母さんは鬼になりました。
点がとれない、勉強ができない、足が遅い、私の悪いところをほじくりかえすように罵りました。
なんで、貴女が鬼になったのか、私はわかりません。
そんなに私はダメな娘ですか?
そんなに私は、頭が悪かったのですか?
そんなに私は、運動ができないですか?
通信簿を見る度に、そればかり口にして、もう私のことは、信じてくれなくなりました。
それまでにしてくれたあの優しさは作り物で、まるで本物ではなかったかのように。
友達を持つこともできなくなりました。
普通に、テレビを見ることもできなくなりました。
だから、クラスのみんなともしゃべることもできなくなりました。余計に私は、学校というところで、より晒し者になりました。
私は、そんなところまで、ダメな娘だったのかと、毎日毎日怒鳴られる毎日。
だから、私は自殺未遂しました。はじめての自殺未遂。
幸い、お祖父ちゃんとお祖母ちゃんが、見つけてくれたから、何もならなかったけど、貴女は何も言わなかったね。
もう忘れてるよね。
でも、テレビをみながら、貴女が虐待する親の批判をする度に、私にしでかしたこの事を思い出してしまいます。
なら、あのときの態度はなんだった、なぜ鬼のように辛く当たったのか、と。
もう忘れていると思うけど、私にはまだ、納得いかない辛い出来事でした。
私は、お母さんに愛された娘ではなかったんだ。と、知った瞬間でした。
確かに、勉強ができない、ダメな子でしたが、こんな風にしか私を見てくれなかった、愛してくれなかった、ほんとに、悲しかったよ。お母さん。
でもね、高校時代は、本当によく二人三脚で歩いてくれたなと思っています。
確かにちょっと喧嘩もありましたけど、私のために、命懸けで仕事をしてくれました。
本当に、命懸けでやってくれました。
一度倒れたりしたこともあったね。貧血で。
それはお前が生まれてきたからだ、お前が生きているから悪いんだ、音楽大学なんて目指しているお前が親を死に追いやっている、だから、お前ができる親孝行は親より先に死ぬことだ、今すぐ死んでしまえ!と毎日担任教師に怒鳴られた高校時代でしたが、本当にお母さんもよく戦ってくれたと思います。私はどうしても大学へいこうと考えていたので、無理して高校へ通い続けましたが、いまは、戦わないほうが、偉くなれたなと思います。
いまは、高校をやめて、他の手段を考えるべきだったと思います。
だって、あそこへいても、何もメリットはなかったと思います。
ただ、教師には怒鳴られるし、友達も一人もいないもの。誰も、私のことを覚えている人はいません。
部活で魅力的だったとか、進学実績があり、いるだけで奉られる高校でもありません。
だったら、早く逃げればよかったんです。
その方が、大学生活も充実していたのではないかと思います。
ああいう、終わりかたをすることもなかったと思います。
もう、なんで、先生に負けないと思ってしまったんだろう。なんで、もっと、偉くなって見返してやると言ってしまったんだろう。
思えば、家族も関係なく思いっきり音楽を勉強したい。そんな発言を、入学時にしてしまったのが、間違いでした。きっと、家族に反抗する不良と教師が思ってしまったのでしょう。
人生は、時おり逃げるが勝ちになるときもあります。
立ち向かうことがすべて美しい事ではない時もあります。でも、私は愚鈍すぎて、そういう処置をとりませんでした。明るい生徒、真面目な優等生を演じてしまいました。そして、お母さんは、体を壊してまで仕事をしてくれました。あのときは全て地獄でしたが、本当にありがとう。そして、ごめんなさい。お母さん。
地獄そのものであった高校が終わって、本当に心から学びたかった音楽が学べる、と楽しみにしていた大学生活でしたが、待っていたのは、苦しい闘病生活でした。
指は変形して、足は悪くなりました。
毎日毎日が、激痛でした。
歩くのもままならなくなり、ピアノどころではなくなりました。
なぜ、私には大学生活ができなかったのか。
なぜ、恋愛もできないほど、醜い体になったのか。
なぜ、私には当たり前のことが与えられなかったのか。
こればかり叫んで、まわりに当たり散らしていた生活でした。
でも、お母さんは一緒に公園で歩く練習をしてくれました。
リハビリの送り迎えもしてくれました。
入院したときは、食べ物を持ってきてくれて、洗濯物を持ち帰ってくれて、何よりも毎日欠かさず来てくれたのが、ありがたかったです。
公園で、食べさせてくれたおむすびの味は忘れられません。あれは、誰にも負けない味だったなと思います。
20代は、口をついで出るのは痛いの三文字ばかりで、なんのよい話も出来なかったので、本当に辛い時代でしたけど、一緒にいてくれてありがたかったです。
時に喧嘩もありましたが、それもよき想い出です。
本当にありがとう。
でもね、本当に申し訳ないというか、勝手なことかもしれないけど、私は、やっぱりいない方がいいんだなって何となく感じています。
どんなにお母さんは、いてほしいと言うかもしれないけど、それはやっぱり難しい。
其のためには、膨大なお金が必要であるのはもちろんだし、私は、娘として、お母さんに、一番嬉しいと思われる幸せを提供してあげることができません。
やっぱり次の世代を作っていけるほど、嬉しくて、安心していけることはないからです。
それがあるのとないのでは、幸せになる基準が全然違います。
勿論、それがなくたって幸せだと言える人はいますが、私たちがすんでいるこのまちでは、そういう幸せは、変だと思われることが多いし、妬まれる理由にもなるからです。
それに、私は、お金を作って、お母さんを安心させてやれること、これをできないのが、娘として恥じるべきことだと思います。
あれだけ、お世話になっておきながら、御礼のひとつもできないダメな子だ、近所の人たちが、そういっているのを知っています。
その人たちが、親もバカだねといっているのを知っています。
だから、私が泣き出すと、雨戸を閉めて、隠そうとするのでしょう。そう言われるのがいやだから。
きっと、そうだよね。
この世には、病気の本人のための制度はありますが、お母さんのための制度はありません。だから、私のなん十倍も苦しんだと思います。私も、これから逃れるには、私が消えるしかないのを知っています。
私に、死んでほしいと思ったこともあったでしょう。
だから、
そうします。
どちらかが死ぬしか、解決することはできないと思います。
ごめんなさい。
ダメな娘で。
もう少し、自分の人生と、自分の環境をしっかり把握するべきでした。
こういう結論になってしまうことを許してください。他になにも見つからないのです。
ごめんなさい。
ごめんなさい。
ダメな娘でした。
あの、中学校の時にあったことなんて、これまでにしてくれたことを考えれば、なんかの間違いだとわかります。
だから、恩返しというか、罪滅ぼしをさせて。
これ以上、苦労しなくてすむように。
これ以上、心ない人間と戦わなくてもすむように。
そして、幸せになれることを、心から願って。
以上が、私が死んだ理由です。
短い間だったけど、ありがとうございました。
きっと、嘆くと思うけど、誰かが死ぬことは、問題が解決することでもあるから、私が約束をまもります。
いままで、育ててくれてありがとう。
お母さん、お母さんのことが世界で一番好きです。他の誰よりも好きです。きっと私が死んだら自分を責めるかと思いますが、そんなことはせず、大好きだった声楽の勉強を続けてくださいね。きっと、ホール全体に響く歌声が出るようになりますよ。
きっと、私がこれだけ謝っても、今の私はお母さんにとって、ただの疫病神にしか見えてないんだね。
今日のもめ事で、よくわかりました。
私は、別に悪気があったわけでもありません。
お母さんに、暴れようとしたわけでもありません。
単に、迷惑なら迷惑だよと言ってくれればいいのです。私は、それについて変に怒ることも、食って掛かることもしません。だから、テレビや本を見ながらの生返事はやめてください。私は、お母さんに聞いてほしいから質問しただけのことで、決して暴れようとは思わないんです。いま、忙しいからあとでといわれたら、じゃあいつ頃、など聞き返すことは、今の私はできます。たしかに、聞いてくれないとか、怒鳴ったことはいままでありましたけど、それは、世間体とか、見てくれなどをすぐに気にして雨戸を閉めたりするのをやめてほしいだけのこと。そういう余分なことをやるから、私は怒りが増大してしまいます。世間体ではなく、こちらを見てほしいなと思うのに。
それほど、おかしいですか?
たしかに、自己主張が苦手であるから、理論的に物事を口にするのができなくて、うまく伝わらなかったのはよくありましたが、そういう余分なことをしないで、簡潔にいってくだされば、私も暴れないで済んだ例はいくつもあります。だから、余分なことはしないでください。本当にしないでください。肝心の私の言いたいことがどこかにいってしまう、怒りだけになってしまう。自分では愛情があると思っているようですが、私にはそう見えないのは、余分なことをしようとするからでしょう。世間体とか、そんなことはいいから、私が話していることをしっかり聞いてほしいなと心より思っています。
私が、大学を出て、病気になってから、そういう人になってしまったね。
かつては、そうではありませんでした。
悲しいです。お母さん。
たったひとつだけ、覚えていることがあります。
どうしても怒ることがあります。
あのとき、なぜ?
あのとき、なぜ私が自殺未遂をするほど、怒鳴り付けたのですか?
勉強しない私はそんなに憎いですか?
点がとれない私はそんなに悪い子ですか?
勉強ができないと、もう愛してはくれないのですか?
勉強ができないということは、地獄へ落ちたのと同じくらい悪事ですか?
それまでは、ほんとに、お母さんは素敵な人でした。
何でも誉めてくれて、私を慰めてくれて、いじめっ子から守ってくれました。
どんなに下手な作品であっても、上手だと誉めてくれたし、どんなに不器用であっても大丈夫だといって励ましてくれました。
でも、中学校に入ってから、お母さんは鬼になりました。
点がとれない、勉強ができない、足が遅い、私の悪いところをほじくりかえすように罵りました。
なんで、貴女が鬼になったのか、私はわかりません。
そんなに私はダメな娘ですか?
そんなに私は、頭が悪かったのですか?
そんなに私は、運動ができないですか?
通信簿を見る度に、そればかり口にして、もう私のことは、信じてくれなくなりました。
それまでにしてくれたあの優しさは作り物で、まるで本物ではなかったかのように。
友達を持つこともできなくなりました。
普通に、テレビを見ることもできなくなりました。
だから、クラスのみんなともしゃべることもできなくなりました。余計に私は、学校というところで、より晒し者になりました。
私は、そんなところまで、ダメな娘だったのかと、毎日毎日怒鳴られる毎日。
だから、私は自殺未遂しました。はじめての自殺未遂。
幸い、お祖父ちゃんとお祖母ちゃんが、見つけてくれたから、何もならなかったけど、貴女は何も言わなかったね。
もう忘れてるよね。
でも、テレビをみながら、貴女が虐待する親の批判をする度に、私にしでかしたこの事を思い出してしまいます。
なら、あのときの態度はなんだった、なぜ鬼のように辛く当たったのか、と。
もう忘れていると思うけど、私にはまだ、納得いかない辛い出来事でした。
私は、お母さんに愛された娘ではなかったんだ。と、知った瞬間でした。
確かに、勉強ができない、ダメな子でしたが、こんな風にしか私を見てくれなかった、愛してくれなかった、ほんとに、悲しかったよ。お母さん。
でもね、高校時代は、本当によく二人三脚で歩いてくれたなと思っています。
確かにちょっと喧嘩もありましたけど、私のために、命懸けで仕事をしてくれました。
本当に、命懸けでやってくれました。
一度倒れたりしたこともあったね。貧血で。
それはお前が生まれてきたからだ、お前が生きているから悪いんだ、音楽大学なんて目指しているお前が親を死に追いやっている、だから、お前ができる親孝行は親より先に死ぬことだ、今すぐ死んでしまえ!と毎日担任教師に怒鳴られた高校時代でしたが、本当にお母さんもよく戦ってくれたと思います。私はどうしても大学へいこうと考えていたので、無理して高校へ通い続けましたが、いまは、戦わないほうが、偉くなれたなと思います。
いまは、高校をやめて、他の手段を考えるべきだったと思います。
だって、あそこへいても、何もメリットはなかったと思います。
ただ、教師には怒鳴られるし、友達も一人もいないもの。誰も、私のことを覚えている人はいません。
部活で魅力的だったとか、進学実績があり、いるだけで奉られる高校でもありません。
だったら、早く逃げればよかったんです。
その方が、大学生活も充実していたのではないかと思います。
ああいう、終わりかたをすることもなかったと思います。
もう、なんで、先生に負けないと思ってしまったんだろう。なんで、もっと、偉くなって見返してやると言ってしまったんだろう。
思えば、家族も関係なく思いっきり音楽を勉強したい。そんな発言を、入学時にしてしまったのが、間違いでした。きっと、家族に反抗する不良と教師が思ってしまったのでしょう。
人生は、時おり逃げるが勝ちになるときもあります。
立ち向かうことがすべて美しい事ではない時もあります。でも、私は愚鈍すぎて、そういう処置をとりませんでした。明るい生徒、真面目な優等生を演じてしまいました。そして、お母さんは、体を壊してまで仕事をしてくれました。あのときは全て地獄でしたが、本当にありがとう。そして、ごめんなさい。お母さん。
地獄そのものであった高校が終わって、本当に心から学びたかった音楽が学べる、と楽しみにしていた大学生活でしたが、待っていたのは、苦しい闘病生活でした。
指は変形して、足は悪くなりました。
毎日毎日が、激痛でした。
歩くのもままならなくなり、ピアノどころではなくなりました。
なぜ、私には大学生活ができなかったのか。
なぜ、恋愛もできないほど、醜い体になったのか。
なぜ、私には当たり前のことが与えられなかったのか。
こればかり叫んで、まわりに当たり散らしていた生活でした。
でも、お母さんは一緒に公園で歩く練習をしてくれました。
リハビリの送り迎えもしてくれました。
入院したときは、食べ物を持ってきてくれて、洗濯物を持ち帰ってくれて、何よりも毎日欠かさず来てくれたのが、ありがたかったです。
公園で、食べさせてくれたおむすびの味は忘れられません。あれは、誰にも負けない味だったなと思います。
20代は、口をついで出るのは痛いの三文字ばかりで、なんのよい話も出来なかったので、本当に辛い時代でしたけど、一緒にいてくれてありがたかったです。
時に喧嘩もありましたが、それもよき想い出です。
本当にありがとう。
でもね、本当に申し訳ないというか、勝手なことかもしれないけど、私は、やっぱりいない方がいいんだなって何となく感じています。
どんなにお母さんは、いてほしいと言うかもしれないけど、それはやっぱり難しい。
其のためには、膨大なお金が必要であるのはもちろんだし、私は、娘として、お母さんに、一番嬉しいと思われる幸せを提供してあげることができません。
やっぱり次の世代を作っていけるほど、嬉しくて、安心していけることはないからです。
それがあるのとないのでは、幸せになる基準が全然違います。
勿論、それがなくたって幸せだと言える人はいますが、私たちがすんでいるこのまちでは、そういう幸せは、変だと思われることが多いし、妬まれる理由にもなるからです。
それに、私は、お金を作って、お母さんを安心させてやれること、これをできないのが、娘として恥じるべきことだと思います。
あれだけ、お世話になっておきながら、御礼のひとつもできないダメな子だ、近所の人たちが、そういっているのを知っています。
その人たちが、親もバカだねといっているのを知っています。
だから、私が泣き出すと、雨戸を閉めて、隠そうとするのでしょう。そう言われるのがいやだから。
きっと、そうだよね。
この世には、病気の本人のための制度はありますが、お母さんのための制度はありません。だから、私のなん十倍も苦しんだと思います。私も、これから逃れるには、私が消えるしかないのを知っています。
私に、死んでほしいと思ったこともあったでしょう。
だから、
そうします。
どちらかが死ぬしか、解決することはできないと思います。
ごめんなさい。
ダメな娘で。
もう少し、自分の人生と、自分の環境をしっかり把握するべきでした。
こういう結論になってしまうことを許してください。他になにも見つからないのです。
ごめんなさい。
ごめんなさい。
ダメな娘でした。
あの、中学校の時にあったことなんて、これまでにしてくれたことを考えれば、なんかの間違いだとわかります。
だから、恩返しというか、罪滅ぼしをさせて。
これ以上、苦労しなくてすむように。
これ以上、心ない人間と戦わなくてもすむように。
そして、幸せになれることを、心から願って。
以上が、私が死んだ理由です。
短い間だったけど、ありがとうございました。