永遠に続く夏の恋の泡沫

免許を取って間もないというのに、バイトで日々社用車を転がしているせいか、響はお父さんから借りたらしい大きめの車を難なく運転した。

舗装のされていないがたがたの道を下れば、神社の石段のふもとに出る。

小さな祠の前では、今日も腰の曲がったおばあさんが両手を合わせて何かをしきりに祈っていた。

その姿を見つめながら、隣にいる響に訊いてみる。

「前に日方に訊いたんだけど、知ってる? 湖を守ってる龍神の言い伝え」

「知ってるよ。大昔、池に落ちていなくなった女の子が、神様になったってやつだろ?」

「女の子? 男の子かと思ってた」

「どっちかは、はっきりは伝わってないみたいだけど」

ハンドルを切りながら、ちらりとだけ響が窓の外に目を向ける。

「あの祠にお供えしてるものが、お手玉とか女の子のものばかりでさ。そう思っただけだよ」

「ふうん」

ガタン。

大きな石に引っかかったのか、車が激しく揺れた。
響がもう一度大きくハンドルを切れば、目の前は広大な湖だった。
エメラルドグリーンの水面が、太陽の光を受けて淡く輝いている。

夏の初めの、漲るような輝き方とは違う。

まるで夏が過ぎ去るのを名残惜しむかのような、儚い輝き方だった。

「綺麗だね、ここはいつまでも変わらないね」

湖のきらめきに吸い込まれるように、目が離せなくなる。

風に吹かれて、水面には円状の波紋が出来ていた。
じわじわと広がり、やがて風化するように溶けてなくなってしまう。

それを人知れず、音もなく繰り返している。

「変わらないよ。変わってたまるか。前に湖畔にリゾート施設建設の話が持ち上がってたんだけどさ、全力で阻止してやった。町の人の署名を集めてさ」

「響が率先してやったの?」

「そうだよ」

言いながら、響は一瞬だけ窓の向こうの湖に目を向ける。

「どうしてかは分からないけど。あの湖だけは、命に代えても守らなくちゃいけないって思ってるんだ」
水辺の景色が終わり、林道に入った。

その時、誰かに呼ばれた気がして、私は後ろを振り返る。
リアウインドウの向こうには、林道の先で輝くエメラルドグリーンの水面が僅かに見えるだけだった。

それでも私は、そのまましばらく後ろを見つめていた。

「どうかしたか?」

後ろを振り返ったままの私に、響が聞いてくる。

「うん、なんか……」

ゆっくりと前に向き直りながら、私は呟いた。

「誰かの声が聞こえた気がして……」

すると、ポン、と頭に優しい感触がした。運転席から手を伸ばし、響がよしよしと私の頭を撫でている。

「来年も、必ず来いよ」

「うん。でも、来年は響、東京にいるんでしょ?」

「そうだよ。だから、今度は一緒に帰ろう」

「うん」

「年をとっても、どこに住んでても、毎年絶対帰ろうな。俺たちの故郷に」

「うん、約束だよ」

夏の終わりの空を見上げながら、私は微笑んだ。

高校を出て、大学に行って、社会人になって。

この先楽しいことも辛いこともあるだろうけど、それでもこの町がここにあるなら。

それだけできっと、私はいろいろなことを乗り越えられると思った。

湖の美しい、この町が私を待っていてくれるなら――。
あの夏の宵に、僕は生まれて初めての恋をした。

日の光に当たれない虚弱体質の僕は、いつも夜な夜な泳ぎの練習をしていた。

ある時出会ったのが、おかっぱ頭のかわいい君だった。

もう何年もこの湖に住んでいるという彼女は、夏の間だけ人に姿を見せることが出来るのだという。

大きな目をした、綺麗な女の子。

彼女が笑えば、湖がさざめき夏の風が彼女を取り巻いた。

僕だけの大切な彼女を、ある時親友の響に紹介した。

湖で優雅に泳ぐ彼女を見るうちに、響の頬は夜でもはっきりわかるほど赤くなっていった。

響も、すぐに恋に堕ちたのが分かった。

夏の終わり、何年も湖に住んでいる彼女は、自由が欲しいと言って泣いた。

彼女が自由を得るには、人間に戻らなければならない。そのためには、代わりの人間がいるのだと言う。

でもそんな酷なことは誰にも頼めなくて、彼女は気が遠くなるほど長い時間、その湖にいるのだった。

自分の寿命の短さを知っていた僕は、喜んで彼女に手を差し出した。

驚いと戸惑いの入り混じった、彼女の瞳。

何かをいいかけた、響の口もと。

迷いなんてなかった。

たとえ一夏でも彼女に会えるなら、彼女の特別になれるなら。

これ以上の幸せなどないだろう。

戸惑う彼女の小さな手を、僕の貧弱な白い手が、しっかりと握り締めた。

そしてその瞬間に、僕の存在は永遠になった。

永遠に、なれたんだ。
何十年何百年が過ぎようと、僕はあの湖畔で、永遠に君を想い続けるだろう。

そして夏がくるたびに、僕らは終わらない恋のはじまりを繰り返す――。



タイヤが大きめの石を踏んだのか、車がガタンと揺れた。

山奥の田舎町のことだから、道路の舗装が行き届いていないのだろう。

林道を抜ければ、そこは懐かしい湖だった。

エメラルドグリーンの湖は、日の光を受けて宝石のように輝いている。
水面にはまるで鏡のように、夏の空と白い入道雲が映っていた。

澄んだ空気と夏の風、全てを吸い込む青い空。

きっとこの時期のここは、世界で一番美しい場所だと思う。

「よかった。去年と、ちっとも変わってないな」

運転席にいる響が、嬉しそうに言った。

大学進学のために春から東京に出て来た響は、服装が前よりちょっとあか抜けた。
もともと背が高く顔も整っているのもあって、大学ではわりとモテてるみたい。

「そういえば、響って彼女できた?」

「いないから、こうやって幼なじみと寂しく里帰りしてるんだろ」

ふてくされたように響は答えると「あ」と声を上げた。

湖を過ぎれば、竹林に囲まれた道に入る。
神社へと続く階段のふもとに、小さな祠がある。

その手前に人影が見えた。
「あれ、皐月じゃね?」

ダークグレーのTシャツに黒のハーフパンツという出で立ち。

風に揺れる黒髪と、猫の目に似た切れ長の瞳。
皐月の見た目は、去年とあまり変わっていない。

「本当だ、皐月だ」

私は急いで助手席の窓を開けると、皐月に向けて大きく手を振った。

「ただいま、皐月」

「おかえり、優芽」

綺麗な瞳を細めて、皐月が嬉しそうに微笑む。

そんな皐月に笑顔を返すと、私は窓を閉めた。

振り返れば皐月はまだ祠の前にいて、過ぎ去る私たちの車をじっと見つめていた。

頬が、熱い。

そんな私を響はちらりと横目で見て、「皐月、全然変わってなかったな」と言う。

「うん……」

「優芽は、皐月が好きだもんな」

私は、慌てて伏せていた顔を上げた。

「どうして、それを知ってるのよ」

「見てたら分かるよ」

ははっ、と爽快に笑い飛ばしたあとで、響はどこか寂しげに「日方と彼方は元気かなあ」と呟いた。

「釣りして、ボート小屋で遊んで、祭りに行って。今年の夏も、忙しくなりそうだな」

「そうだね」

林道が終われば、もうすぐ私の夏の家に辿り着く。

今年の夏も、たくさんいい思い出が出来そうだ。

そんなことを考えながら自然と頬を緩めた私は、いつしかまた、今見たばかりの皐月の顔を思い出して赤くなっていた。



<完>

一年ぶりに、湖のある田舎町に帰省した高三の優芽。その町には、湖の守り神である龍神信仰が密かに根づいていた。

幼馴染たちと夏の日々を過ごすうちに、優芽は初恋の相手である皐月への想いを募らせていく。

夏祭りの夜、優芽と皐月は両想いに。だが「明日、もしも何か辛いことがあっても慌てないで」と皐月は意味深な台詞を言い残す。

翌日、皐月の存在はこの世から消えていた。子供の頃余命いくばくもないと言われていた皐月は、龍神と入れ替わり新たな龍神となることで、永遠に湖を見守る存在となっていたのだった。龍神は、夏の間だけ人の前に姿を現すことが出来る。

夏祭りの数日後、優芽は皐月のことを忘れてしまう。そして一年後、優芽は皐月と再会し、再び恋が動き出したのだった。

皐月の回想で、かつての龍神の正体は優芽だったことが明らかになる。小五の夏、優芽に恋をした皐月は、人間になりたがっていた優芽と自分の立場を交換した。優芽を幸せにし永遠に見守ることが、皐月の望みだったのだ。

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