どうしようもない時がある
先日、また家族と喧嘩しました。もういきている価値はない、殺して!とも叫びました。また感情のコントロールを失い、暴れました。そうするしかできなかったし、そうするしかできなかったのです。
変な言い方ですが、他に手段はありませんでした。
いきさつは、親戚でお葬式ができ、また先日のように、誰々はどこの大学に行って偉い、などの話で盛り上がるのが、怖かったというだけのことでした。もう、そうなったら、とても同じ場所にいることはできません。死ぬほど辛いです。なので、どこかに避難させてくれと伝えたかっただけなんですが、先にこわいという感情が現れてしまい、混乱状態になり、自分でも制止できませんでした。
多分、これが私なんだと、はっきりわかりました。もう私は、社会に出ることは、二度とできないなとおもいます。
病院でどうのといっても、家族が理解してくれず、薬を飲むのは間違いだと主張するので、薬には頼れないとおもいます。
まあ、そう言うわけですから、私はいきる価値など到底ありません。
早く死にたいと祈るばかりです。
親が死んだら真っ先に自殺ができるのがいまの喜びのようなもの。
ただ、刑務所にいかないで生きているばかりなのです。
楽しくいきるなんて、できやしないんです。自分すらコントロールをできないのですから。
早く死にたい。
それが一番の望みなんでしょう。
以前、陰陽道というものを習ったことがありました。よいことには悪いことを、悪いことにはよいことを含んでいるという考え方だそうです。こんなだめな人間に何がよいことだと言えるのでしょう?
もうこんなだめな人間、死んでしまいたい。
そればかり考えている日々でした。
10月、11月は死ぬことばかり考えていたような。
なんだか悪いときには悪いことしか起こらないのですね。
そういうときは、じっとこらえるしかないようです。