決行
今回も暗いこと必読です。申し訳ありません。
二日前についに決行してしまいました。漂白剤をガブ飲みして。でも、すぐに吐き出してしまって、改めて人間の強さに気が付いた日でもありました。今でも、のどがただれてしまったらしく、時折せき込んでしまうようになっています。
そんなこともあり、父と母にこれまで一生懸命訴えてきたことを伝えました。怒りや悲しみを、どうやって気にしないでいられることができるか、そのやり方を教えてくれ、と、自分なりのやり方で表現しました。多少怒鳴ったりもしましたが、初めて、これを成文化することには成功し、反対に怒鳴られることもなかったので、よかったのではないかと思います。具体的にどうしたらよいかは、また考えればいい話なので、まずは、この感情を飾らずに伝えることができたということをほめたいと思います。
今までを振り返ってみると、怒りを感じたときに、気にするなという言葉は多数与えられましたが、具体的にどうしたらよかったのかは得られませんでした。文献を読んでも薬を飲んでもコントロールできず、どうしても自分でできないから質問したのに、こちらの方が悪いしか返ってこなかった。できないお前がだめ、しかなかったので、いつの間にやら、苦しみから、怒りに変貌していたのだと思います。さらにそれを通り越すと、どうなるかと言いますと、相模原であったああいう事件に発展してしまうのではないかな。あの事件の犯人は、一部の人の間では英雄視されたようですが、おそらく、そうした人は、何かしら強い怒りを持っている人なんだと思います。
思うのですが、手のかからないよい子と言いますのは、この時代には危険因子になるのかもしれません。学校では、大いに尊重されますが、問題が公開されていたほうが、かえって将来的には、安定を得られるのかもしれないです。問題児とされていた人が、大人になってすごくいいお父さんになっていたケースは多いみたいですね。だから、若いうちは、隠し事は一切しないほうがいい。そうしないと、大事なものまでなくす可能性もあるのです。確かに倫理的な問題はあるのかもしれませんが、多少暴れん坊のほうが、自己を表現することができるということにつながります。それに、そうやったほうが、直に体で学べる機会も増えますので、より倫理性に富んだ人間となるでしょう。世の中はそういうほうがうまくいくのです。