花音が元の世界と決別した次の日。
朝から風夜達は昨日の一件の後始末の為に出掛け、一人残された花音は簡単に朝食を済ませると部屋でゆっくりしていた。
(そういえば昨日は光輝が力を貸してくれたから、制御出来たんだよね。でも、いつも助けてもらうわけにはいかないし、落ち着いたら誰かに力の使い方教えてもらわないと)
そう思いながら、自分の手を見つめていた花音はドアを叩く音で我に返り、慌てて返事を返した。
「どうぞ!」
「失礼します」
そう言って入ってきたメイドは、聖ではなく別のメイドだった。
「あれ?聖ちゃんは?」
訊ねた花音にメイドが困ったような顔をする。
「それがわからないんです。昨日から、姿を見た者がいなくて」
「えっ?」
それを聞いて、花音は何か嫌な予感を感じたが、すぐにそれを振り払う。
「誰も知らないの?」
「はい。辞めるという話も聞いていませんし、聖が何処に行ったのか私達もわかりません」
「そう、なんだ」
花音は寂しげにそう呟くしかなかった。
メイドが退室してから、花音は中庭に来たが、そこには飛竜達もいなかった。
(なんか、やることなくてつまらないなぁ)
そう思いながら花音は辺りを見回していたが、ふと一点で視線を止めた。
見覚えのある後ろ姿がある。
それが聖だと気付き、花音は声を掛けようとしたが、そこにもう一人いるのに気付いて、近くにあった柱に身を隠す。
聖の前には見たことのない、背の高い男がいた。
そのまま、何やら二人が話しているのを聞き取ろうと、耳をすませる。
少し離れていた為、全ては聞こえなかったが、所々で光の一族という言葉が聞こえてきた。
「そうか。光の一族が……」
「はい。どう……か?……様」
「我々の……の為、……邪魔……消せ」

ドクンッ

話している二人が浮かべた笑みに、心臓が跳ねる。
背筋に冷たいものがはしった。
見付かってはいけない気がして、気付かれないよう後退りする。
踵を返して走り出した花音は、男と聖が見ていたことに気付かなかった。
「はぁ……はぁ……、きゃあっ!?」
「うわっ!?」
中庭から逃げるように走っていた花音は角を曲がった所で、前から来た誰かとぶつかってしまった。
「いたっ……」
反動で思いっきり尻餅をついてしまった花音に手が差し出される。
「大丈夫かい?」
「大樹くん……」
手を差し出して優しく笑う大樹の後に風夜達の姿も見付け、花音はホッとした。
済まなそうにしている風夜を見て、ぶつかった相手が彼だとわかる。
「慌ててたみたいだけど、何かあったのか?」
大樹の手を借りて立ち上がった花音に火焔が聞いてくる。
それに答えようとした花音だったが、後から聞こえてきた声に肩を震わせた。
「風夜様!皆様もお戻りでしたか?」
小走りでやって来る聖に、花音は一番近くにいた大樹の背に隠れる。
風夜達がそれを不思議そうに見てきたが、今は聖と目を合わせられなかった。
「聖か。何だ?」
「王が皆様をお呼びです。至急、謁見の間に来るようにと」
「わかった」
風夜達が顔を見合わせて頷く。
謁見の間に走り出した風夜達の姿を見送っていた花音は、嫌な雰囲気を感じて聖の方を見て身体を震わせる。
真っ直ぐに花音を見ていた聖の表情は、凍りつくような冷たい笑みだった。
2
「聖、ちゃん?」
「さっき中庭にいましたよね?私達の会話、聞きました?」
近付いてくる聖に花音は後退りする。
聖の浮かべている冷たい笑みに恐怖を覚えずにはいられなかった。
「あの、さっきの人は?誰かいたよね?
「あの方は、私が本来仕えている方よ」
聖は、そう言って手を振る。
そこにはいつの間にか一本の細身の剣が現れていた。
恐怖のせいか、逃げたくても足が動かない。
助けを呼びたくても、声も出なかった。
「花音様。貴女に恨みはないけど、能力が目覚めた以上私達にとって邪魔なんです。だから、消えてもらいますよ」
「きゃあっ!?」
聖が斬りかかってきたのを、とっさに飛び退いてかわす。
それでも完全には避けられず、足首を浅くだが斬られ座り込む。
「貴女も運が悪いですね。能力さえ、目覚めなければもっと長生きできたかもしれないのに。いえ、両親と元の世界に帰っていれば、こんな目にあわなかったんですよ」
聖がそう言い、笑みを浮かべて近付いてくる。
再び剣が振り上げられ、花音は恐怖のあまり目を閉じる。
「……さよなら」
言葉と共に剣が風を斬る音がした。

キイィンッ

「?」
振り下ろされた剣を弾くような音が聞こえる。
いつまで経ってもこない痛みに花音は目を開く。
すぐ前に銀髪が見え、それが風夜だとわかった瞬間、身体から力が抜けた。
「大丈夫か?」
すぐ近くに火焔も来ていて、花音の足首の傷に布を巻いて止血してくれる。
「態々戻ってくるなんて、私からのプレゼント、気に入りませんでした?」
「ああ。時間稼ぎのように大量発生していたから、雷牙達にプレゼントしてきたんだ。あいつらも、向こうは任せろって言ってくれたしな」
「何のこと?」
御互いに目が笑っていない笑みを浮かべながら言葉を交わしている風夜と聖に花音は首を傾げた。
「さっき聖に言われて、謁見の間に行っただろ?そしたら、陰の奴等がいたんだ。お前の様子もおかしかったし、向こうは雷牙達に任せて戻ってきたんだよ」
火焔が答えて、風夜と対峙している聖を見る。
「それで、お前は何者なんだ?風の国の者ではないだろ?」
聖に剣を向けたまま、風夜が聞く。
すると、聖は突然笑い声を上げた。
「聖ちゃん?」
雰囲気の変わった聖に花音は戸惑いながら、声を掛ける。
そして、向けられた冷たい視線に身体を硬直させた。
「私が何者かだって?ふん、私達をこの世界から追放しておいて知らないの?なら、教えてあげる。私は、数百年前にこの世界から追放された陰の一族の者。追放されてから、別の世界で過ごしてきて、復讐の為に戻ってきたのよ」
その言葉に風夜と火焔が目を見開いた。

「陰の一族だって!?」
「そう。名前くらい聞いたことあるでしょ。あんた達の先祖にこの世界を追放され、私達はずっと復讐する機会を窺ってたの」
聖は何処か遠くを見ながら、そう呟くように言った。
「復讐を望みながらも結局果たせず亡くなる人もいたわ。それでも私達は陰を送り続け、機会を窺ってた。私も身分を偽って風の国に入った。そして、邪魔だった光の一族が何処かに消え、私達の準備も整ったって時に、その子が来た!それでも力が目覚めなければ、生かしておくつもりだったけど、そうもいかなくなってね。邪魔をするなら、貴方達二人も一緒に始末してあげる!」
聖はそう言うと、細身の剣を構え再び斬りかかってきた。
「はぁっ!」
素早く風の刃を作った風夜が聖に向かって放つ。
「ちっ!」
それを避けた聖に火焔が追撃を加えようとするのを見て、花音は火焔の腕にしがみつく。
「花音!?」
「駄目!聖ちゃんを攻撃しないで!」
花音の言葉に火焔が困ったような表情をする。
その時、風夜の鋭い声が聞こえた。
「火焔!!」
「っ!!」
風夜の声に弾かれたように火焔が花音を抱えこんでその場から飛び退く。
その瞬間、二人が立っていた場所が抉れた。
「わわっ!?」
「……わかっただろ?今のあいつは、お前の知ってる奴じゃない」
驚き声を上げた花音を下ろして火焔が言う。
それを聞いて、花音は顔を俯かせた。
涙が零れそうになるのを必死に耐えていると、聖の声がした。
「ふん、あまいのね。私を傷付けたくないなら、私の希望通りに貴女が死んでくれるの?」
「……それは……」
「……まあ、貴女の意見なんて関係ないか。私は、邪魔者の貴女を消すだけよ!」
聖の周囲に陰が集まる。
どのくらい集まっているのか、数は多かった。
「……この国で俺に勝てると思ってるのか、聖」
聖と花音の間に割って入った風夜の周りを風の渦が囲む。
それを見て、風夜を止めようとした花音は火焔に動けないよう押さえ付けられた。
掴まれている肩が痛い。
風夜と聖の周りの力が高まったと感じた瞬間、御互いに向け放たれる。
花音はそれを見ていられなくて、顔を俯かせ、耳を塞いだ。
少しして不意に掴まれていた肩から火焔の手が離れる。
それを合図に顔を上げると、座り込んでいる聖に風夜が剣を突き付けていた。
傷を負っている聖に、花音は複雑な気持ちだった。
「風夜」
近付いて花音が声を掛けると、風夜が溜め息をついて剣を納める。
それを確認して、花音が聖に声を掛けようとした時、聖が俯かせていた顔を上げた。
「ふふ……、あははは」
「聖ちゃん?」
「……何がおかしい?」
急に笑いだした聖に、風夜が低い声で問い掛ける。
「本当にあまいのね。私を此処で逃がすこと、後で後悔しても知らないから」
「えっ?」
ニヤリと笑った聖に風夜が再び剣を抜こうとする。
だが、それより先に聖の姿が目の前から消える。
「何っ!?」
「……あっ」
突然のことに風夜と火焔は目を見開いたが、花音は何かを感じて振り返った。
小さく声を上げる。
そこには傷付いた聖を抱き上げた男が立っていた。
上から下まで黒ずくめの男の鋭い視線に身体が凍り付いたように動かなくなる。
その時、男に気付いた風夜と火焔が花音を隠すように立ってくれたことで、花音は大きく息をはき、緊張を解く。
二人は平気のようだったが、花音は男の鋭い視線にこれ以上射ぬかれるのは耐えられなかった。
「お前も陰の一族か?」
「そうだ」
剣に手を掛けた風夜に男が答える。
そのまま無言の睨み合いになっていたが、先に視線を逸らせたのは男の方だった。
「我等の目的の為には手段を選ぶつもりはないが、今は分が悪い。今日のところは退かせてもらうぞ」
「待てっ!」
男の言葉が終わると同時に空間が歪む。一瞬後には、聖と男の姿はなかった。
「くそっ、逃がしたか」
「とにかく、雷牙達にも話したほうがいいんじゃないか?」
悔しそうに舌打ちした風夜に火焔がそう声を掛ける。
それに頷いた風夜が花音に視線を移してくる。
「花音、俺と火焔は父上達に報告に行くけど、お前はどうする?」
「……私は部屋に戻るよ」
「……わかった」
風夜と火焔が頷いたのを見て、花音は二人に背を向け歩きだした。


バタンッ

「っ……」
部屋に戻ってきて扉を閉めたところで、花音は床に座り込んだ。
今まで堪えていた涙が零れてくる。
聖の冷たい視線と声が忘れられない。
聖のことを信じたいという気持ちと、信じられない気持ちがあって自分でもどうしたらいいのかわからなかった。

トントンッ

「っ……はい!」
どのくらい泣いていたのか、扉を叩く音に我に返り、慌てて扉から離れる。
「……入るぞ」
入ってきた風夜が花音を見て、顔をしかめる。
それに花音は慌てて涙の後を拭き取ると、無理矢理笑みを浮かべた。
「あはは、私、最近泣いてばかりだね」
「花音……」
「それでどうしたの?何か話があるんでしょ?」
何か言いたげにしていた風夜は、花音を見て溜め息をつくと口を開いた。
「……父上達に聖のことは報告してきた」
「……うん」
「火焔達も明日、それぞれの国に帰るそうだ」
「そっか。……寂しくなっちゃうね」
花音がそう返すと、風夜が頷いて表情を真剣なものにした。
「花音、これが最後の選択だ」
「?」
「明日、火焔達が帰ると同時に全ての国境が封鎖される。そうすれば、他の国に行くだけでなく、国境の森への立ち入りも制限される」
花音は風夜が言おうとしていることがわからず、首を傾げる。
それに構わず、風夜は続けた。
「このまま、風の国に残るか、夜天について闇の国に行くかの二択だ」
「どういうこと?」
「夜天がお前の弟の居場所を知ってるらしい。それでお前が光輝に話をつけてくれれば、元の世界に帰ってもいいことになった」
風夜が言ったことに花音は顔を俯かせた。
帰ったところで、両親は温かく迎えてくれるとは思う。
だが、迎えに来てくれた両親に残ると言ったのは花音自身だ。
それに今帰るのは、ただ逃げているだけだ。
少しの沈黙の後、首を横に振ると風夜は目を細めた。
「……いいのか?本当にこれが最後のチャンスかもしれないんだぞ」
「いいよ。……辛くても今逃げたらいけないの。光輝に後のことを全部押し付けていったら、私、最低な姉になっちゃう」
「……わかった。なら、夜天にもそう伝えとくぞ」
「うん。光輝には、いつかちゃんと会いにいくからって言っておいて」
「ああ」
頷いて風夜が笑みを見せたのに、つられて笑みを浮かべる。
「……やっぱり、そうやって笑ってた方がいいよ。お前は」
「えっ?」
笑った花音を見て、背を向けた風夜が小さく呟く。
何て言ったのかよく聞き取れなかったが、風夜は出ていってしまった。

次の日の朝、花音が目覚めると火焔達が帰国するということでメイド達が慌ただしく動いていた。
時計を見ると、いつもより早かったが火焔達の帰国に合わせ朝食も早くなっていた為、すぐに着替えて部屋を出る。
食堂へ向かうと、風夜と軽い手荷物を持った火焔達の姿があった。
手招きしていた水蓮の隣に座り、風華がいないのに気付く。
「風華ちゃんは?」
「ああ。あいつ、聖に懐いていたから、昨日遅くまで泣いてたらしくてな。まだ寝てるんだ」
風夜が言ったことに花音は顔を曇らせた。
朝食を終え、飛竜を待機させている中庭まで来る。
それぞれの飛竜の背に乗る火焔達の姿に一段と寂しさを感じた。
「花音、辛かったらいくらでも風夜を頼っていいからね。何かあったらどんどん使いなさい。私が許すわ」
「うん。使わせてもらうよ」
「おい!」
水蓮が言ったことに花音が頷くと、目をすわらせた風夜を見て、風夜以外が吹き出した。
「よし、そろそろ行くか」
笑うのを止めて、火焔が言う。
「大丈夫だと思うけど、着いたら連絡しろよ」
「皆、気をつけてね」
そう言って、花音と風夜が少し飛竜から離れると、飛竜達は上昇していく。
花音は見えなくなるまで見送っていたが、急に孤独感に襲われ、溜め息をついた。
「……行っちゃったね」
「寂しいか?」
見えなくなっても空を見上げていた花音は風夜に聞かれ頷いた。
「うん。皆、一気にいなくなっちゃったからね」
「また会えるだろ、あいつらとは。すぐには無理かもしれないけどな」
「そうだね……」
花音はそう言ってもう一度空を見上げると、城の中に戻るため踵を返した。