私の両親の話をしよう。
私の母は、ベスフルという王国の王族だった。
そして、父は魔王の息子だった。
"魔王"と言っても、別に異界の悪魔というわけではない。
北方に住む、青い肌を持つ一族の王様のことである。
私が生まれるより前、ベスフルと魔王軍の戦争の時、父は魔王軍を指揮する将軍の1人だったそうだ。
その時の戦争は、父の寝返りによって魔王軍が大きな損害を被り、撤退していったという。
父の寝返りがなければ、ベスフルは敗北していたと言われている。
母は、ベスフル軍に帰属した父と惹かれ合ったのだという。
しかし、父の功績をもってしても、2人の婚姻をベスフルの王族たちは認めなかったそうだ。
母はそれに反発し、王宮を出て暮らすことを選んだのだという。
そして数年後、2人は魔王軍の報復に遭い、殺されてしまったのだ。
その時、私と兄は襲撃をいち早く察知した両親に先に逃がされ、何とか生き延びた。
もし、ベスフルの王族が2人を受け入れ、王宮に守られていれば、2人は死なずに済んだかもしれない。
両親が殺された時、私の心にあったのは、深い悲しみと魔王軍への恐怖だった。
だが、兄は違っていたようだ。
兄は両親が亡くなったその日から、復讐を考えていたのかもしれない。魔王軍とベスフルへの復讐を。
それは、4人での生活が始まり、1年ほどの時が流れたある日。
仕事を探して隣の街へ向かうべく、私達4人は街道を歩いていた。
度々、遅れがちになる体力がない私と、それを励ましながら手を引くスキルド、呆れ顔のシルフィ、黙って睨む兄。いつもの光景だった。
数日の道のりになるため、暗くなるまで歩いた後、夜は簡易宿場に泊まり、日の出を待って出発することを繰り返す。
出発して2日目の昼頃のこと、街道の先に怪しい一団を見つけ、4人は立ち止まった。
剣を抜いた男達に2人組が囲まれている。そういう風に見えた。
今いる場所から、その一団のいる場所はちょうど下り坂になっていて、様子がよくわかった。
「野盗か?」
「まっ昼間から、こんな目立つ場所で?」
スキルドとシルフィが言った。
街道を行く人々を襲い、金品を奪う集団が出ることがあると、私は話には聞いたことがあったが、実際に出会ったことはなかった。
もし野盗だとしたら、私達にも危険が及ぶかもしれない。私は不安げな顔でスキルドの手を握った。
「俺が様子を見てくる。お前たちは待ってろ」
兄は恐れることもなく、1人でその一団の元へと速足で向かっていった。
「ヴィレントに任せておけば、大丈夫さ」
不安がる私を見て、スキルドが言った。
見送るスキルドの顔にもわずかに緊張が見えたが、私のようにこちらに危害が及ぶ心配などはしていないようだった。
シルフィに至っては安心しきった顔で、むしろどこか得意げな表情まで浮かべて、兄を見守っていた。
兄が一団と接触。この場所からは話の内容までは聞き取れなかったが、相手が険悪に何かを叫んでいることはわかった。
そして遂に、兄が剣を抜いた。
いつも兄は腰に剣を下げていたが、実際に抜いたところを私が見たのは、これが初めてだった。
私は、思わずスキルドにしがみ付き、服を掴んだ。
一団は、囲まれていた2人組を無視して一斉に兄に襲い掛かった。その数は10人以上はいたはずだ。
兄は襲い掛かる相手を次々と斬り伏せていった。
素人同然の私にも、兄が只者ではないことがわかった。
私は、スキルドにしがみ付きながらも目を背けることはなく、むしろ食い入るように見つめていた。
これが、兄さん……?
兄と相手の数人が剣を振り合いすれ違うと、相手だけが倒れ、兄は何事もなく続けて剣を振るう。
何人が襲い掛かっても、兄の動きが鈍ることはない。相手の数だけがどんどん減っていった。
男達は遂に残り2人になると、かなわないとみて逃げ出した。
兄はそれらも逃がさない。1人を背中から斬りつけ、躓いて命乞いするもう1人も、あっさり斬り捨てた。
あっという間だった。
その時の兄は、まるで本当の悪魔のような、強さ、恐ろしさだった。
「……終わったみたいね」
得意げだったはずのシルフィまで、若干ぽかんとした表情になっていた。
以前にスキルド達が言っていた、兄に助けられたという話、スキルドが兄に憧れているという話など、この時、私は初めて実感できた気がした。
こんな人に助けられたら、こんな強さに魅せられたら。
私も、あの地獄の5年間がなければ、素直に感嘆し、あるいは自慢の兄だと誇っていたかもしれない。
兄さんを本気で怒らせたら、私など、きっと一瞬で殺される……。
兄を敵視していた私には、そんな恐怖の感情しか浮かんでいなかった。
「敵わないな。やっぱり凄いよヴィレントは」
呟くスキルドも、驚きとも呆れともいえない表情をしていた。
「この2人を護衛する仕事を受けた。お前らは街で待っていろ」
合流した直後、兄からそんな言葉が出た。
その姿は、髪が少々乱れているだけで、かすり傷一つ負っていない。
兄は、始めから謝礼が目当てだったのだろう。ついでに仕事まで受けられて、ちょうど良かったと思っているようだ。
兄に助けられた2人は、どちらもフードとマントで風貌を隠していた。
そのうちの1人、背の高い方は、そのシルエットから中に鎧を着込んでいることがわかる。
彼はベスフル王国の近衛騎士、ヴェイズと名乗った。
もう1人は、背丈が私と同じくらい小柄な少女だった。
彼女は自分では名乗らず、ヴェイズが紹介した。
フェアルス・クローティス。現在のベスフル国王の娘であり、お姫様だった。
その言葉にスキルドとシルフィは驚いたようだったが、私の中の驚きはそれ以上だったと思う。
クローティス。私達と同じ姓。
現ベスフル国王は、私達の叔父にあたる人だと聞いていた。
つまり目の前の彼女は、私達と従姉妹の関係にあった。
兄に特に動揺は見えない。事前に聞いていただけなのかもしれないが、ベスフル王宮の人間を助けようとする兄を、私は意外に思った。
兄が両親のことで、王宮の人間を残らず恨んでいると思っていたからだ。
「ベスフルの本城が敵の襲撃を受けたんだと。姫様を砦まで逃がすために、脱出してきたそうだ」
兄がそう説明した。
「姫を無事に砦に送り届けられたら、できる限りの報酬はお支払する」
よろしく頼む、とヴェイズが頭を下げた。
「姫様とは他人じゃないんだ。任せてくれ」
兄のそのセリフは、既に彼らに身分を明かしていることを示していた。
兄の考えがよくわからなかった。
私には、母の母国を助けたいなどという動機で兄が動いているとは思えず、真意は別にあるのだろうと考えてしまった。
「わかったわ、出発しましょ」
シルフィが兄の手を取った。
「……街で待っていろと言ったはずだが?」
「やだ、私も付いてく! この先の街だって、いつ戦火が及ぶかわかんないし、ヴィレントが守ってくれなきゃ、安心できない!」
シルフィが兄に腕を絡めながら、唇を尖らせた。
この人のこういうところが、私は嫌だった。
兄の方も、それを怒鳴るでも振りほどくでもなく、ただ迷惑そうにため息をつくだけだった。
私が口答えした時は、殴り飛ばしてたくせに……
私は2人から目をそらした。
「ヴィレント殿、時間が惜しい。すぐにでも出発したいのだが」
ヴェイズが急かした。
兄は軽く舌打ちすると、シルフィに向かって、
「わかった、好きにしろ。危なくなっても知らないからな」
「平気よ。ヴィレントが守ってくれるでしょ?」
兄は再度大きなため息をつくと、諦めて歩き出した。
「すまん、ヴィレント。本当にヤバくなったら、俺がシルフィを街まで引っ張っていくから」
「えー、スキルドは来なくていいのに」
私もスキルドに手を引かれて歩き出す。
私達は結局6人全員で、ベスフルの砦に向けて出発した。
この出会いが、私達の運命を大きく動かしたことを、この時はまだ誰も知らなかった。
私の母は、ベスフルという王国の王族だった。
そして、父は魔王の息子だった。
"魔王"と言っても、別に異界の悪魔というわけではない。
北方に住む、青い肌を持つ一族の王様のことである。
私が生まれるより前、ベスフルと魔王軍の戦争の時、父は魔王軍を指揮する将軍の1人だったそうだ。
その時の戦争は、父の寝返りによって魔王軍が大きな損害を被り、撤退していったという。
父の寝返りがなければ、ベスフルは敗北していたと言われている。
母は、ベスフル軍に帰属した父と惹かれ合ったのだという。
しかし、父の功績をもってしても、2人の婚姻をベスフルの王族たちは認めなかったそうだ。
母はそれに反発し、王宮を出て暮らすことを選んだのだという。
そして数年後、2人は魔王軍の報復に遭い、殺されてしまったのだ。
その時、私と兄は襲撃をいち早く察知した両親に先に逃がされ、何とか生き延びた。
もし、ベスフルの王族が2人を受け入れ、王宮に守られていれば、2人は死なずに済んだかもしれない。
両親が殺された時、私の心にあったのは、深い悲しみと魔王軍への恐怖だった。
だが、兄は違っていたようだ。
兄は両親が亡くなったその日から、復讐を考えていたのかもしれない。魔王軍とベスフルへの復讐を。
それは、4人での生活が始まり、1年ほどの時が流れたある日。
仕事を探して隣の街へ向かうべく、私達4人は街道を歩いていた。
度々、遅れがちになる体力がない私と、それを励ましながら手を引くスキルド、呆れ顔のシルフィ、黙って睨む兄。いつもの光景だった。
数日の道のりになるため、暗くなるまで歩いた後、夜は簡易宿場に泊まり、日の出を待って出発することを繰り返す。
出発して2日目の昼頃のこと、街道の先に怪しい一団を見つけ、4人は立ち止まった。
剣を抜いた男達に2人組が囲まれている。そういう風に見えた。
今いる場所から、その一団のいる場所はちょうど下り坂になっていて、様子がよくわかった。
「野盗か?」
「まっ昼間から、こんな目立つ場所で?」
スキルドとシルフィが言った。
街道を行く人々を襲い、金品を奪う集団が出ることがあると、私は話には聞いたことがあったが、実際に出会ったことはなかった。
もし野盗だとしたら、私達にも危険が及ぶかもしれない。私は不安げな顔でスキルドの手を握った。
「俺が様子を見てくる。お前たちは待ってろ」
兄は恐れることもなく、1人でその一団の元へと速足で向かっていった。
「ヴィレントに任せておけば、大丈夫さ」
不安がる私を見て、スキルドが言った。
見送るスキルドの顔にもわずかに緊張が見えたが、私のようにこちらに危害が及ぶ心配などはしていないようだった。
シルフィに至っては安心しきった顔で、むしろどこか得意げな表情まで浮かべて、兄を見守っていた。
兄が一団と接触。この場所からは話の内容までは聞き取れなかったが、相手が険悪に何かを叫んでいることはわかった。
そして遂に、兄が剣を抜いた。
いつも兄は腰に剣を下げていたが、実際に抜いたところを私が見たのは、これが初めてだった。
私は、思わずスキルドにしがみ付き、服を掴んだ。
一団は、囲まれていた2人組を無視して一斉に兄に襲い掛かった。その数は10人以上はいたはずだ。
兄は襲い掛かる相手を次々と斬り伏せていった。
素人同然の私にも、兄が只者ではないことがわかった。
私は、スキルドにしがみ付きながらも目を背けることはなく、むしろ食い入るように見つめていた。
これが、兄さん……?
兄と相手の数人が剣を振り合いすれ違うと、相手だけが倒れ、兄は何事もなく続けて剣を振るう。
何人が襲い掛かっても、兄の動きが鈍ることはない。相手の数だけがどんどん減っていった。
男達は遂に残り2人になると、かなわないとみて逃げ出した。
兄はそれらも逃がさない。1人を背中から斬りつけ、躓いて命乞いするもう1人も、あっさり斬り捨てた。
あっという間だった。
その時の兄は、まるで本当の悪魔のような、強さ、恐ろしさだった。
「……終わったみたいね」
得意げだったはずのシルフィまで、若干ぽかんとした表情になっていた。
以前にスキルド達が言っていた、兄に助けられたという話、スキルドが兄に憧れているという話など、この時、私は初めて実感できた気がした。
こんな人に助けられたら、こんな強さに魅せられたら。
私も、あの地獄の5年間がなければ、素直に感嘆し、あるいは自慢の兄だと誇っていたかもしれない。
兄さんを本気で怒らせたら、私など、きっと一瞬で殺される……。
兄を敵視していた私には、そんな恐怖の感情しか浮かんでいなかった。
「敵わないな。やっぱり凄いよヴィレントは」
呟くスキルドも、驚きとも呆れともいえない表情をしていた。
「この2人を護衛する仕事を受けた。お前らは街で待っていろ」
合流した直後、兄からそんな言葉が出た。
その姿は、髪が少々乱れているだけで、かすり傷一つ負っていない。
兄は、始めから謝礼が目当てだったのだろう。ついでに仕事まで受けられて、ちょうど良かったと思っているようだ。
兄に助けられた2人は、どちらもフードとマントで風貌を隠していた。
そのうちの1人、背の高い方は、そのシルエットから中に鎧を着込んでいることがわかる。
彼はベスフル王国の近衛騎士、ヴェイズと名乗った。
もう1人は、背丈が私と同じくらい小柄な少女だった。
彼女は自分では名乗らず、ヴェイズが紹介した。
フェアルス・クローティス。現在のベスフル国王の娘であり、お姫様だった。
その言葉にスキルドとシルフィは驚いたようだったが、私の中の驚きはそれ以上だったと思う。
クローティス。私達と同じ姓。
現ベスフル国王は、私達の叔父にあたる人だと聞いていた。
つまり目の前の彼女は、私達と従姉妹の関係にあった。
兄に特に動揺は見えない。事前に聞いていただけなのかもしれないが、ベスフル王宮の人間を助けようとする兄を、私は意外に思った。
兄が両親のことで、王宮の人間を残らず恨んでいると思っていたからだ。
「ベスフルの本城が敵の襲撃を受けたんだと。姫様を砦まで逃がすために、脱出してきたそうだ」
兄がそう説明した。
「姫を無事に砦に送り届けられたら、できる限りの報酬はお支払する」
よろしく頼む、とヴェイズが頭を下げた。
「姫様とは他人じゃないんだ。任せてくれ」
兄のそのセリフは、既に彼らに身分を明かしていることを示していた。
兄の考えがよくわからなかった。
私には、母の母国を助けたいなどという動機で兄が動いているとは思えず、真意は別にあるのだろうと考えてしまった。
「わかったわ、出発しましょ」
シルフィが兄の手を取った。
「……街で待っていろと言ったはずだが?」
「やだ、私も付いてく! この先の街だって、いつ戦火が及ぶかわかんないし、ヴィレントが守ってくれなきゃ、安心できない!」
シルフィが兄に腕を絡めながら、唇を尖らせた。
この人のこういうところが、私は嫌だった。
兄の方も、それを怒鳴るでも振りほどくでもなく、ただ迷惑そうにため息をつくだけだった。
私が口答えした時は、殴り飛ばしてたくせに……
私は2人から目をそらした。
「ヴィレント殿、時間が惜しい。すぐにでも出発したいのだが」
ヴェイズが急かした。
兄は軽く舌打ちすると、シルフィに向かって、
「わかった、好きにしろ。危なくなっても知らないからな」
「平気よ。ヴィレントが守ってくれるでしょ?」
兄は再度大きなため息をつくと、諦めて歩き出した。
「すまん、ヴィレント。本当にヤバくなったら、俺がシルフィを街まで引っ張っていくから」
「えー、スキルドは来なくていいのに」
私もスキルドに手を引かれて歩き出す。
私達は結局6人全員で、ベスフルの砦に向けて出発した。
この出会いが、私達の運命を大きく動かしたことを、この時はまだ誰も知らなかった。