「じゃあねー」

ひらひらと手を振って世理さんは去っていったけど……いったい、何者?
あの、日本最大級のファッションイベント、東京コレクションでヘアメイクの仕事とか。

「俺はその辺で少し時間を潰してから出社するから、羽坂は先に行ってろ」

「えっと……」

「一緒に出社したら、世理みたいな奴がいるだろ」

「あ……」

池松さんが苦笑いし、ようやくマズい状況にあるのだと理解した。

「じゃあ、お先に」

「ああ」

裏口から入る私と違い、池松さんは近くのコンビニへ向かったようだった。
こういう、小さな気遣いがいちいち嬉しい。

「おはようございます」

まだ、大河は出社していないようでほっとした。
自分の席でパソコンを立ち上げ、仕事の準備をはじめようとした、が。

「詩乃」

すぐ私のあとから出社してきた大河が、迫ってくる。

「ちょっと来て」

「えっ、あっ」

いいともなんとも言っていないのに、大河は私の腕を掴んで歩きだした。

「ねえ、昨日の夜、どこにいたの?」

連れてこられたバックヤードで、大河は私を逃がさないかのように壁ドンの姿勢を取った。

「ど、どこって……。
自分の、アパート」

真っ直ぐに私を見つめる、大河の瞳が怖い。
ついつい、視線を逸らしていた。

「……嘘つき」

耳元で囁かれ、背筋が粟立つ。
おそるおそる見上げた大河の顔からは一切の感情が消えていた。

「さっき、池松係長と一緒に出勤してきたの、見たよ。
……寝たの、池松係長と」

「……」

池松さんとはそういう関係にはなっていない。
ベッドすら、別だった。
だけどキスをした事実が後ろめたく、大河へ上手く説明ができない。

「わかってる?
あの人はそういう関係になっちゃいけない人だって」

「……」

酔っていたとはいえ、好きだとキスした。
これはもう、大河に責められても仕方がない。

「ねえ、なんでさっきから黙ってるの?」

するり、大河の壁についていない方の手が、私の頬を撫でる。