おじさんは予防線にはなりません

耳元で囁かれ、落とされた唇にぶるりと身体が震える。
首筋を這う唇にゾクゾクと寒気が背筋を襲ってくる。

……我慢、しなきゃ。
だって私は大河が好きで。
だから今日は大河と結ばれて。
それで池松さんを忘れて大河と幸せに……。

「詩乃?」

急にぴたりと動きを止め、心配そうに大河は私に呼びかけた。
閉じていた目を開けると、泣き出しそうな大河の顔が目に入ってくる。

「無理、しなくていいから」

そっと大河の手が私の顔を撫で、初めて自分が泣いているんだと気づいた。

「……無理とかしてないよ?」

大河が私から離れるから、緩んでいた浴衣の襟を掻きあわせて身体を起こす。

「うん」

「だって私は、大河が好きなんだから」

「うん」

「私は大河が、好き、だから……!」

「うん、わかってるから」

苦しそうに顔を歪ませ、大河は自分の胸に私の顔を押しつけた。
そのまま思いっきり泣きかけて……躊躇した。

私は大河の気持ちに甘えている。
そんな私が、ここで泣いていいのかな。

「……詩乃?」

私が腕の中から抜け出て、大河は怪訝そうな顔をした。

「大丈夫、だよ。
心配させてごめんね?」

無理に笑ってみせる。
大河も笑ってくれてほっとした。

「いいよ。
じゃあもう、寝ようか」

「あ、もう一回、お風呂入ってくる。
汗、かいちゃったから」

大河に嘘をついた。
ただいまはちょっとだけ、ひとりになりたい。

「わかった。
オレ、先に寝るね。
おやすみ」

「おやすみ」

私が部屋を出るとき、大河は笑っていた。
その無理な笑顔は自分がそうさせているんだという自覚はある。
「なんでちゃんとできないんだろ……」

浴場には誰もいなかった。
ピシャン、ピシャンと水滴の落ちる音だけが響いている。

「……私は大河が好き」

広い浴場に響く声は酷く虚しい。
きっと大河は私の本心を知って抱かなかった。

――私の本心?

私は池松さんを忘れると決めたのだ。
なのになんで。