おじさんは予防線にはなりません

「じゃあ、また明日」

きょろきょろと周囲を見渡し、大河はちゅっと私の額に口づけを落とした。

「……また、明日」

ぶんぶんと手を振る大河に見送られて改札をくぐる。
電車に乗るとどうにか確保できたドア端に寄りかかった。


大河は不意打ちのあの一回以降、唇にキスしてくることはない。
いつもだいたい、額にキスしてくる。

でもそれはそこまでしか手を出す気がないんじゃなくて、私を試している。
その証拠に唇が離れると大河は毎回、私をじっと見つめている。

――キスして。

その言葉を待つように。

きっと言ってしまえば私は楽になれるのだろう。
大河に愛され、大河を愛して。
わかっているのだけれど、口にしようとすると池松さんがちらつく。

いまだに私は池松さんが諦められないでいた。
ピコン、通知音が鳴り、携帯をバッグの中から取り出す。

【帰り道、気をつけなよ】

【なにかあったら即電話】

【防犯ブザーは握っとくこと】

猫のスタンプと共に送られてきた言葉の数々に、思わずくすりと笑いが漏れる。

【わかった。
気をつけるよ】

画面に指を走らせて送るとすぐに既読になった。

【詩乃は危機感薄いから心配】

【やっぱり送ればよかったかな】

バッグの内側に下がる、赤いハート型の防犯ブザーが目に入ってくる。
私が持っていないって言ったら速攻で大河から買い与えられた。
そのうえ、遅くなった日はときどき送ってくれる。
そうなると高確率でうちに泊まりになって翌日一緒に出社し、布浦さんたちから睨まれるんだけど。

【大丈夫だよ。
暗い道は通らないし】

【帰り着いたら連絡する】

文字を打ち込むと一瞬おいて新しい文字が表示される。

【連絡無かったらオレ、速攻で行くからね】

【ほんっっっっっとに気をつけること】

心配性な大河に苦笑いしかできない。
いつものうさぎさんの、了解しましたスタンプを送って画面を閉じる。
降りる駅のホームが迫っていた。



翌日、本多課長に休みの申請を出した。

「……旅行ですか……。
……若い人は……いいですね……。
……ほんと……お気楽で……」

許可をくれるのはいいけど、陰気にねちねちと言われるのは堪える。