おじさんは予防線にはなりません

はははっ、力なく池松さんは笑った。

前に池松さんの奥さんは美容師で、土日はもちろん仕事だし、夜も遅くまで働いていると聞いていた。
やっぱりすれ違いの生活は淋しいのかな。

――なんてこのときは思っていた。

「話は変わるけど、羽坂に頼みがあって」

言いづらそうな池松さんに背筋が伸びる。
池松さんの頼みなら、どんな無理だってききたい。

「……俺も経費の領収書、出すの忘れてて。
悪い」

ばつが悪そうに池松さんは胸ポケットから一枚の領収書を出して、私の前に滑らせた。

「……池松さんもですか」

思わず、あきれたように小さくはぁっとため息が出る。

「ほんとにすまん!
このあいだひさしぶりにスーツ着たときに、ジャケットのポケットに入れたまま忘れてた!
すまん、このとおり!」

拝まれると嫌だとは言えなくなるし、それに悪い気もしない。

「いいですよ、これくらい」

私が笑って領収書を受け取り、池松さんはぱぁーっと顔を輝かせた。

「やっぱり羽坂は優しいな。
今度、お礼に昼メシに……。
あ、いや」

言い掛けて池松さんは慌ててやめた。
彼氏持ちの女の子を食事に誘うなんて非常識なことはできないと思ったのかな。

「今度、お礼にお昼ごはん連れて行ってください。
ほら、あのハンバーグ、食べたいです」

「……いいのか?」

やめた言葉を私が言うと、池松さんは眼鏡の奥からうかがってきた。

「はい。
大丈夫ですから」

「そうか」

私が笑うと池松さんも笑ってくれて、……やはり私はこの人が好きだ。



翌日は池松さんにお昼を誘われているから、お弁当は持って行かなかった。

「詩乃」

お昼、池松さんが私のところにくるよりも早く、宗正さんがきた。

「楽しんでおいで」

宗正さんはこそっと私に耳打ちしてにこっと笑うから、なんだかデートにでも行くような気分になって、顔が一気に熱くなる。

昨日、宗正さんには池松さんとランチに行くようになったって、話していた。

「おう。
宗正も一緒に行くか」

見ていられないとでもいうのか、明後日の方角を見て池松さんはぽりぽりと頬を掻いていた。