おじさんは予防線にはなりません

「ふふふっ、だって私じゃなくて、ふふっ、宗正さんが真剣に、ふふふっ、怒ってくれるから」

笑っている私に宗正さんははぁーっと大きなため息を落とした。

「詩乃が元気になったんならいいけど。
あと宗正さん禁止、大河。
敬語も禁止」

この、頬を膨らませてぶーって唇を尖らせるの、癖なんだろうか。

「えー、でもいまは仕事中ですし」

「いまは昼休みだろ。
あ、でも、仕事中とプライベートのギャップも捨てがたい……」

真面目に悩んでいる宗正さんがおかしくてくすくす笑ってしまう。
おかげで会社を出るときの沈んだ気持ちは完全に浮上していた。



「ごめん、経費の領収書、出すの忘れてた。
これ、どうにかならないかな」

朝から井村さんに拝み倒された。
井村さんはほかの女性社員とは違い、常識派だと私は思っている。
もう結婚して、子供もいるからなのかな。

とにかくそういう人に頼まれると、どうにかしてあげたいなってなる。

「大丈夫ですよ、まだ締め日を二日過ぎただけですから」

「ほんと!?
ありがとう!
次から気をつけるから!」

ぱっと井村さんが顔を輝かせた。
こういう人のためならほんと、力になりたい。
一週間も過ぎて平気で押しつけてくる人とは違って。

「おー、珍しく井村がなんかミスか」

自分の机に戻っていく井村さんを目で追いながら池松さんはいつものように、隣の椅子に後ろ向きに座った。

「経費の領収書、出すの忘れていたそうです。
仕方ないですよね、井村さんは子育てとの両立で忙しいんですし」

もし私が結婚したとして。
そして子供が産まれたとして。
井村さんのように働けるだろうか。

派遣に育休がないのは不利だが、時間は社員に比べて融通が利く。
そういう面ではできそうな気がしたが、それ以前に既婚男性を好きになるという不毛な恋をしている私には、結婚なんて縁がない。

そんなことを考えて、ちょっと虚しくなってきた。

「そーだよなー。
旦那の理解もないと大変だよな」

池松さんの声がどこか他人事なのは気のせいかな。

「池松さんのところはどうなんですか?
奥様も働いてますよね」

「あー、うちは……」

池松さんの視線がどこでもない宙を見る。
なにかまずいことでも聞いちゃった?

「互いに好きなことしてるからな。
メシはほとんど別々だし、掃除や洗濯は気が向いた方が、というかほとんど俺がしてる。もっとも妻と俺は生活時間がほとんど合わないから」