彼を初めて見かけたのは、春の光が暖かく差し込む大学の図書館。
窓際にある6人がけの机に座っていた。
私はあの時の白く輝くようなときめきを、生涯忘れることはないと思う。
*・゜゜・*:.。..。.:*・'*'・*:.。. .。.:*・゜゜・*
図書館のいつもの場所へ。
本棚の影からチラリと覗き込むと、大学ノートと参考書を広げる彼の姿。
やっぱり私の彼氏は世界一カッコいい!
ニヤけちゃう顔をぎゅーっと覆って、顔を引き締める。
何気なさを装(よそお)って本棚の影から出ると、そっと彼の座る6人がけの机のお向かいに腰を下ろす。
顔を上げ、眩(まぶ)しそうに私のことを見た彼に、小さく微笑んであげる。
いいよ。
終わるまで待ってる。
彼は再び視線をノートに移した。
こういうの、何気ない幸せっていうんだよね。
再びニヤけそうになる顔を、借りてきた本を立てて隠す。
彼の顔をジィッと見ていてもバレないように借りてきた一冊。
だって、いっっっぱい見つめたいけど、バレたらやっぱり恥ずかしいじゃない?
そんな理由で、全く読む気のなかった本を元の位置に返した。
えっと。
本棚の間から顔を出し、待ってくれている彼の姿を探し辺りを見回す。
いた。
入り口の近く、スマホの画面を覗く彼に向かって小走りに近づこうとして
「あっ。
ごめんなさい。」
入ってきた数人の女の子のうちの1人が彼にぶつかり、その手からスマホが落ちた。
むっ。
肩にかかるほどの髪に柔らかなパーマをかけた、今時女子。
私からしたら、お化粧がキツすぎるわ。
彼女はすぐに腰を落とすと、彼のスマホを拾い上げてその手に返す。
「あぁ、ありがとう。」
スマホを落とされた被害者なのに!
ちょっと照れたように笑って、彼は会釈をして図書館へと入っていく彼女を目で追っていった。
その視界に私の姿が入ったはず。
彼はゆっくりと身体を外に向けて、図書館から出て行こうとする。
ああっ。逃げたな。
他の女の子に鼻の下伸ばしてたところ、しっかり見ちゃったんだからねっ。
*・゜゜・*:.。..。.:*・'*'・*:.。. .。.:*・゜゜・*
今日は暑いなぁ。
キャンパス内を1号館の建物に向かって歩く。
夏も後半だというのに、真っ青な空から注ぐ日差しはアスファルトに照り返り、容赦なく私たち学生の肌を焼こうとする。
1号館の1階は学食。
校内で1番大きなこの学食も、この時間は人で溢れかえっている。
えっと。
冷房の効いた室内は、外から入ってきた熱い身体に心地いい。
キョロキョロと見回す私の目が、彼の姿を捉えた。
やっぱり1番カッコいい彼を、この私が見逃すはずがないんです。
数人の男友達と談笑する姿にちょっと考える。
んー。
楽しそうに話しているのに、邪魔するのは良くないかな?
彼にも彼の時間が必要だろうし。
ふと見ると、彼の真後ろから2つ離れた席が1つだけ空いている。
ラッキー。
こっそり座って、タイミングを見て声かけよう。
「そう言えばさ、あの件まだ継続中?」
席に着こうとする私の背後で、彼の友達が身を乗り出す。
「ああ、あれな。
まだ継続中。」
げんなりとした口調で彼が呟いた。
あの件?
「彼女には話したのかよ?」
え? 何、聞いてない。
「まだ。心配かけたくないし……。」
ええっ。
内緒話?
なんか、盗み聞きみたいになってるし。
焦る気持ちに、冷房対策に持っていた薄手のパーカーを頭から被ると机に伏せて寝たふりをする。
「あれ?
まだご飯中?」
女の子の声が割り込んできた。
「次の講義5号館でしょ?」
「ヤベェ。」
バタバタと身支度を整える音、食器類を重ねる音がせわしなく響く。
完全にタイミング逃しちゃった。
立ち去る物音にチラリと視線を上げると、男の子5人と、女の子2人の後ろ姿。
1人は、長いストレート。
1人は、肩にかかるほどの髪に柔らかいパーマ。
私に言ってないことって、なんなんだろう……。
*・゜゜・*:.。..。.:*・'*'・*:.。. .。.:*・゜゜・*
んー。
最近は夏の暑さもひと段落。
白い雲が筋を描く、秋を感じる高い空を見上げてぐーっと伸びをする。
土手沿いを歩きながら午後の優しい空気をいっぱい吸い込んで、目指すは彼のアパート。
カバンの中には愛情たっぷりのお弁当。
今日はバイトで遅くなるから、お夕飯に食べてもらうんだ。
じゃん。
彼の部屋の前でカバンの中から鍵を取り出す。
犬のマスコットが付いた合鍵。
彼女を実感する幸せ瞬間だよね。
ちょっとドキドキしながら鍵を回して、お邪魔します。
なんだぁ。
お弁当置くついでに、ちょっとお掃除してあげようと思ってたのに。そこそこ綺麗にしてるじゃない。
ドアの鍵をかけて室内に上がる。
お弁当は冷蔵庫。
テーブルの上にメモを残す。
『バイトお疲れ様。
冷蔵庫にお弁当入れておいたよ。』
んー。
ちょっと迷ってもう一言。
『大好き。』
メールで送ってもいいんだけど、サプライズ的な感じがいいよね。
彼のビックリした顔を想像して、私の顔もにやけちゃう。
スッキリとした、っていうか物の少ない部屋。
彼の部屋の空気を胸いっぱいに吸い込む。
あはは。私ちょっと変な人?
急に感じた恥ずかしさに、玄関に向かう。
サンダルを履こうと、手を伸ばした時。
ガチャ。
鍵の刺さる音に顔を上げる。
え……。
彼はバイトのはず。
誰?
直感的に感じた恐怖に、サンダルを掴んですぐ近くの洗面所に逃げ込んだ。
その瞬間。
鍵の開いたドアから人の気配が入って来る。
何々?
怖いっ!
助けて。
全身がガタガタと音を立てそうなくらい震えた。
扉側の壁に張り付いて、自分の口を塞(ふさ)ぎ、気配が消えるようにジッと耐える。
洗面所の扉の前を、人の気配が通り過ぎた。
洗面台の鏡に映る、肩にかかるほどの柔らかいパーマをかけた髪。
その後ろ姿。
あの、子。
図書館の入り口。
1号館の食堂。
彼の周りにいつのまにか、いる。
パタパタと歩く足音が止まり、洗面台の鏡に目をやると何かをジッと見つめる後ろ姿。
意を決して廊下に顔を出す。
クシャ。
私のメモ。
握りつぶしたその手が、メモをゴミ箱に叩きつけた。
その姿がキッチンのある奥へと向かう。
お弁当!
とは言え、立ち向かう勇気はない。
しかも逃げ出すには絶好のチャンス。
ごめん。
音を立てないように、それでも大急ぎで玄関に向かい、裸足のまま外に出た。
ドアを閉める小さな音が、あの子がゴミ箱にお弁当を投げ込んだらしい音に重なった。
*・゜゜・*:.。..。.:*・'*'・*:.。. .。.:*・゜゜・*
「黙ってて悪かった。
実は、夏前頃からストーカーにつけられてて……。
お前を巻き込みたくなかったんだ。
頼むから、危ないことはしないでくれ。」
講義室の一角。
ズラリと並んだ席に座る私の真後ろで、彼は苦しそうに告白してくれた。
前に聞いちゃった『私に言ってないこと』って、これだったんだね。
なんだか悲しくて、悔しくて、彼の顔がまともに見られない。
あの時、スマホで写真の1枚、動画の1つでも撮っておけば、色々追い詰められかもしれないのに。
徐々に学生が増えてきて、教室のざわめきが増していく。
顔を上げた私の目に、窓の外の防犯カメラが映った。
あ……。
そうだ、防犯カメラ。
学生や単身者用の安アパートに防犯カメラは期待できない。
なら、設置しちゃいばいいんだ。
彼の部屋に。
前方の扉から講師の先生が入ってきたにもかかわらず、私は講義室を飛び出した。
*・゜゜・*:.。..。.:*・'*'・*:.。. .。.:*・゜゜・*
ホームセンターで買い込んだ監視カメラと延長コード。
取り付け方もお店のお兄さんにしっかりと教えてもらったし。
ホームセンターのロゴが入った白いビニール袋の中を覗き込む。
小さく喉(のど)がなる。
私はビニール袋の中のカバー付きの果物ナイフを取り出すと、ポケットの中に押し込んだ。
形だけ。
あくまでも、相手のストーカーを怯(ひる)ませるだけの道具よ。
犬のマスコットがついた合鍵を差し込んで、彼の部屋に入る。
玄関に靴はない。
私は室内から鍵をかけ、内鍵もしっかりとかけた。
相手はどういうわけか合鍵を持っている。
これで最悪開けられても室内には入ってこられない。
ふぅ。
小さく深呼吸。
ゆっくりと室内に振り返る……。
「やっぱり。
あんただったのね。」
目の前に立っていたのは、肩までの髪に柔らかなパーマをかけたあの子。
びっくりして後ろに下がった拍子に、私の身体がドアにぶつかった。
彼を付け回すストーカー。
一歩前に出たあの子が私の肩を掴み、怒鳴りつけてきた。
「いい加減にしなさいよっ!
このストーカー!」
え。
その瞬間。
頭の中にフラッシュバックする。
初めて彼を見かけた、図書館。
あの席はいつも柔らかな光が差し込んでいた。
眩しそうな彼の顔。
向かいに座る私の顔は、きっと逆光で真っ黒だったはず。
図書館の入り口で私に背を向けた彼は、私がつけてきたのに気づいていたのかも。
学食の内緒話。
私は彼女側じゃない。
あの件。側。
犬のマスコットがついた合鍵。
彼がバイト前に立ち寄るファーストフード店で、席を立った隙に私がカバンから抜き取った。
さっきの講義室。
背中を向けた私に話していたんじゃない。
彼の手に握られたスマホは、あの子と通話中だった。
「あはは。
あはははははは。」
笑いが止まらない。
鮮やかな輝きに満ちていた私の全てが、今はっきりとくすんで汚らしいドブのように見えた。
酷い悪臭を放ち、醜く淀んで、取り込んだもの全てをヘドロの底深くに引きずり込む。
ポケットの中に入れた手が、硬く冷たい柄を握る。
きっと次は私の番。
彼は私の愛の深さを分かってくれる。
あの子がいなくなれば、きっと次は私の番。
【終わり】
窓際にある6人がけの机に座っていた。
私はあの時の白く輝くようなときめきを、生涯忘れることはないと思う。
*・゜゜・*:.。..。.:*・'*'・*:.。. .。.:*・゜゜・*
図書館のいつもの場所へ。
本棚の影からチラリと覗き込むと、大学ノートと参考書を広げる彼の姿。
やっぱり私の彼氏は世界一カッコいい!
ニヤけちゃう顔をぎゅーっと覆って、顔を引き締める。
何気なさを装(よそお)って本棚の影から出ると、そっと彼の座る6人がけの机のお向かいに腰を下ろす。
顔を上げ、眩(まぶ)しそうに私のことを見た彼に、小さく微笑んであげる。
いいよ。
終わるまで待ってる。
彼は再び視線をノートに移した。
こういうの、何気ない幸せっていうんだよね。
再びニヤけそうになる顔を、借りてきた本を立てて隠す。
彼の顔をジィッと見ていてもバレないように借りてきた一冊。
だって、いっっっぱい見つめたいけど、バレたらやっぱり恥ずかしいじゃない?
そんな理由で、全く読む気のなかった本を元の位置に返した。
えっと。
本棚の間から顔を出し、待ってくれている彼の姿を探し辺りを見回す。
いた。
入り口の近く、スマホの画面を覗く彼に向かって小走りに近づこうとして
「あっ。
ごめんなさい。」
入ってきた数人の女の子のうちの1人が彼にぶつかり、その手からスマホが落ちた。
むっ。
肩にかかるほどの髪に柔らかなパーマをかけた、今時女子。
私からしたら、お化粧がキツすぎるわ。
彼女はすぐに腰を落とすと、彼のスマホを拾い上げてその手に返す。
「あぁ、ありがとう。」
スマホを落とされた被害者なのに!
ちょっと照れたように笑って、彼は会釈をして図書館へと入っていく彼女を目で追っていった。
その視界に私の姿が入ったはず。
彼はゆっくりと身体を外に向けて、図書館から出て行こうとする。
ああっ。逃げたな。
他の女の子に鼻の下伸ばしてたところ、しっかり見ちゃったんだからねっ。
*・゜゜・*:.。..。.:*・'*'・*:.。. .。.:*・゜゜・*
今日は暑いなぁ。
キャンパス内を1号館の建物に向かって歩く。
夏も後半だというのに、真っ青な空から注ぐ日差しはアスファルトに照り返り、容赦なく私たち学生の肌を焼こうとする。
1号館の1階は学食。
校内で1番大きなこの学食も、この時間は人で溢れかえっている。
えっと。
冷房の効いた室内は、外から入ってきた熱い身体に心地いい。
キョロキョロと見回す私の目が、彼の姿を捉えた。
やっぱり1番カッコいい彼を、この私が見逃すはずがないんです。
数人の男友達と談笑する姿にちょっと考える。
んー。
楽しそうに話しているのに、邪魔するのは良くないかな?
彼にも彼の時間が必要だろうし。
ふと見ると、彼の真後ろから2つ離れた席が1つだけ空いている。
ラッキー。
こっそり座って、タイミングを見て声かけよう。
「そう言えばさ、あの件まだ継続中?」
席に着こうとする私の背後で、彼の友達が身を乗り出す。
「ああ、あれな。
まだ継続中。」
げんなりとした口調で彼が呟いた。
あの件?
「彼女には話したのかよ?」
え? 何、聞いてない。
「まだ。心配かけたくないし……。」
ええっ。
内緒話?
なんか、盗み聞きみたいになってるし。
焦る気持ちに、冷房対策に持っていた薄手のパーカーを頭から被ると机に伏せて寝たふりをする。
「あれ?
まだご飯中?」
女の子の声が割り込んできた。
「次の講義5号館でしょ?」
「ヤベェ。」
バタバタと身支度を整える音、食器類を重ねる音がせわしなく響く。
完全にタイミング逃しちゃった。
立ち去る物音にチラリと視線を上げると、男の子5人と、女の子2人の後ろ姿。
1人は、長いストレート。
1人は、肩にかかるほどの髪に柔らかいパーマ。
私に言ってないことって、なんなんだろう……。
*・゜゜・*:.。..。.:*・'*'・*:.。. .。.:*・゜゜・*
んー。
最近は夏の暑さもひと段落。
白い雲が筋を描く、秋を感じる高い空を見上げてぐーっと伸びをする。
土手沿いを歩きながら午後の優しい空気をいっぱい吸い込んで、目指すは彼のアパート。
カバンの中には愛情たっぷりのお弁当。
今日はバイトで遅くなるから、お夕飯に食べてもらうんだ。
じゃん。
彼の部屋の前でカバンの中から鍵を取り出す。
犬のマスコットが付いた合鍵。
彼女を実感する幸せ瞬間だよね。
ちょっとドキドキしながら鍵を回して、お邪魔します。
なんだぁ。
お弁当置くついでに、ちょっとお掃除してあげようと思ってたのに。そこそこ綺麗にしてるじゃない。
ドアの鍵をかけて室内に上がる。
お弁当は冷蔵庫。
テーブルの上にメモを残す。
『バイトお疲れ様。
冷蔵庫にお弁当入れておいたよ。』
んー。
ちょっと迷ってもう一言。
『大好き。』
メールで送ってもいいんだけど、サプライズ的な感じがいいよね。
彼のビックリした顔を想像して、私の顔もにやけちゃう。
スッキリとした、っていうか物の少ない部屋。
彼の部屋の空気を胸いっぱいに吸い込む。
あはは。私ちょっと変な人?
急に感じた恥ずかしさに、玄関に向かう。
サンダルを履こうと、手を伸ばした時。
ガチャ。
鍵の刺さる音に顔を上げる。
え……。
彼はバイトのはず。
誰?
直感的に感じた恐怖に、サンダルを掴んですぐ近くの洗面所に逃げ込んだ。
その瞬間。
鍵の開いたドアから人の気配が入って来る。
何々?
怖いっ!
助けて。
全身がガタガタと音を立てそうなくらい震えた。
扉側の壁に張り付いて、自分の口を塞(ふさ)ぎ、気配が消えるようにジッと耐える。
洗面所の扉の前を、人の気配が通り過ぎた。
洗面台の鏡に映る、肩にかかるほどの柔らかいパーマをかけた髪。
その後ろ姿。
あの、子。
図書館の入り口。
1号館の食堂。
彼の周りにいつのまにか、いる。
パタパタと歩く足音が止まり、洗面台の鏡に目をやると何かをジッと見つめる後ろ姿。
意を決して廊下に顔を出す。
クシャ。
私のメモ。
握りつぶしたその手が、メモをゴミ箱に叩きつけた。
その姿がキッチンのある奥へと向かう。
お弁当!
とは言え、立ち向かう勇気はない。
しかも逃げ出すには絶好のチャンス。
ごめん。
音を立てないように、それでも大急ぎで玄関に向かい、裸足のまま外に出た。
ドアを閉める小さな音が、あの子がゴミ箱にお弁当を投げ込んだらしい音に重なった。
*・゜゜・*:.。..。.:*・'*'・*:.。. .。.:*・゜゜・*
「黙ってて悪かった。
実は、夏前頃からストーカーにつけられてて……。
お前を巻き込みたくなかったんだ。
頼むから、危ないことはしないでくれ。」
講義室の一角。
ズラリと並んだ席に座る私の真後ろで、彼は苦しそうに告白してくれた。
前に聞いちゃった『私に言ってないこと』って、これだったんだね。
なんだか悲しくて、悔しくて、彼の顔がまともに見られない。
あの時、スマホで写真の1枚、動画の1つでも撮っておけば、色々追い詰められかもしれないのに。
徐々に学生が増えてきて、教室のざわめきが増していく。
顔を上げた私の目に、窓の外の防犯カメラが映った。
あ……。
そうだ、防犯カメラ。
学生や単身者用の安アパートに防犯カメラは期待できない。
なら、設置しちゃいばいいんだ。
彼の部屋に。
前方の扉から講師の先生が入ってきたにもかかわらず、私は講義室を飛び出した。
*・゜゜・*:.。..。.:*・'*'・*:.。. .。.:*・゜゜・*
ホームセンターで買い込んだ監視カメラと延長コード。
取り付け方もお店のお兄さんにしっかりと教えてもらったし。
ホームセンターのロゴが入った白いビニール袋の中を覗き込む。
小さく喉(のど)がなる。
私はビニール袋の中のカバー付きの果物ナイフを取り出すと、ポケットの中に押し込んだ。
形だけ。
あくまでも、相手のストーカーを怯(ひる)ませるだけの道具よ。
犬のマスコットがついた合鍵を差し込んで、彼の部屋に入る。
玄関に靴はない。
私は室内から鍵をかけ、内鍵もしっかりとかけた。
相手はどういうわけか合鍵を持っている。
これで最悪開けられても室内には入ってこられない。
ふぅ。
小さく深呼吸。
ゆっくりと室内に振り返る……。
「やっぱり。
あんただったのね。」
目の前に立っていたのは、肩までの髪に柔らかなパーマをかけたあの子。
びっくりして後ろに下がった拍子に、私の身体がドアにぶつかった。
彼を付け回すストーカー。
一歩前に出たあの子が私の肩を掴み、怒鳴りつけてきた。
「いい加減にしなさいよっ!
このストーカー!」
え。
その瞬間。
頭の中にフラッシュバックする。
初めて彼を見かけた、図書館。
あの席はいつも柔らかな光が差し込んでいた。
眩しそうな彼の顔。
向かいに座る私の顔は、きっと逆光で真っ黒だったはず。
図書館の入り口で私に背を向けた彼は、私がつけてきたのに気づいていたのかも。
学食の内緒話。
私は彼女側じゃない。
あの件。側。
犬のマスコットがついた合鍵。
彼がバイト前に立ち寄るファーストフード店で、席を立った隙に私がカバンから抜き取った。
さっきの講義室。
背中を向けた私に話していたんじゃない。
彼の手に握られたスマホは、あの子と通話中だった。
「あはは。
あはははははは。」
笑いが止まらない。
鮮やかな輝きに満ちていた私の全てが、今はっきりとくすんで汚らしいドブのように見えた。
酷い悪臭を放ち、醜く淀んで、取り込んだもの全てをヘドロの底深くに引きずり込む。
ポケットの中に入れた手が、硬く冷たい柄を握る。
きっと次は私の番。
彼は私の愛の深さを分かってくれる。
あの子がいなくなれば、きっと次は私の番。
【終わり】