ファインダーから覗いた先に、西内美咲の笑顔が夏の光で輝いていた。
その表情は、スタジオでストロボを浴びている時と比べて全然自然で。
笑うとできる、形の良いえくぼにも初めて気がついた。

ロケ地に選んだ、横浜みなとみらいの海側からは心地よい潮風が吹き、彼女の長くふわりとした髪や、長身に似合ったワンピースを柔らかく棚引かせる。
動きのないマネキンのような顔切りモデルとは全く異なった、生命力溢れた感情が全身から解き放たれていた。

夢中でシャッターを切りながら、俺はすっかり美咲に心を奪われていた。

「今日は、ありがとう」

撮影が終了した後、海が見えるテラスカフェで、俺は何を話せば良いのか困惑する。

「ううん、楽しかったです。こんな体験、初めてだし。良い写真撮れたでしょうか」

「それはもう、ばっちりだよ。モデルが素晴らしいから」

「そんな、お世辞は辞めてください」

「いや、本当だよ。こんな素敵な写真撮れたの、俺初めてかもしれない」

写真専門学校を卒業して以来、ずっと暗い倉庫の片隅で、表情を切り取られたモデルしか撮影してこなかったのだ。
いや、モデルというより、モデルが着た服か。
何万回もシャッターを切ったが、その写真には一切血が通っていなかった。

高校生の頃は写真を撮るのが楽しくて楽しくて。
下手くそだったけど、いつもカメラを持ち歩いて、学校の同級生や、道端に咲く花、古い建物や真っ青に輝く空。
目に見えるあらゆるものに向けて、ひたすらシャッターを切りまくっていたのに。
あの頃のわくわくした思いを、すっかり忘れていた。

でも今日、久しぶりに心から撮影を楽しんだような気がする。
それは美咲に対して、特別な感情が生まれたせいかもしれない。

「またモデル、お願いできるかな」

「はい、ぜひ」

もっと話したいのに、大して会話も弾まないまま、その日は解散となってしまった。

家に帰り、撮影した美咲の画像を何度も眺めた。
写真の出来がどうこうではなく。

俺はすっかり、美咲の虜になっていたのだ。

仕事中も、休みの日も、彼女の事が頭から離れず。
まるまる1ヶ月間、ひとりで悶々と悩んで。

意を決して呼び出した彼女に、やっとこさ想いを伝えた。

だが。

「……ごめんなさい、今、付き合っている人いるんです」

わかってるさ。

今はちょっとのショックでも、堪え難き辛さが後からやってくることは。





ストーカー張り込みが失敗に終わった翌日。

コミック雑誌グラビア撮影、2連チャンのハードな仕事が待っていた。
スタジオからロケ地へと、場所を移動してひたすらシャッターを切りまくる一日。
さすがに疲れ果てて帰りはタクシーに乗り、窓からぼうっと夜の空を見上げているとスマホが鳴った。

カナからだ。

やれやれ、さすがに今日は付き合えないぞ。

しぶしぶスマホを耳に当てるが、荒い息づかいしか聞こえない。

「おい、からかってるのか」

小娘のイタ電なんぞに構っていられるほど、暇じゃない。
これから家に帰ってすぐ、写真のセレクト作業もしなくちゃならない。
そこそこ売れてるカメラマンなのだ、俺は。

「もう切るぞ。悶えてないで、スポーツで発散するか早く寝ろ」

「……やられた」

「え、なんだって?」

「奴らに不意打ちくらった……今、あずさの家の前にいる……」

「なんだ、どういう事だ!?」

電話は切れていた。

心臓の鼓動が、高なり始める。
やられたって、何があったんだ。
俺はあせりながら、運転手に行き先の変更を告げた。

俺のマンションから、あずさの家はさほど離れてはいない。
同じ町内の住宅街にあるのだ。
おそらくカナの家も近所のはずだが、未だに所在はわからない。

既にマンションの近くまで来ていたので、あずさの家には5分程で辿り着いた。

タクシーを降りて、辺りを見渡す。
あずさの家の前に、例の不審者の姿は見当たらなかった。
2階を見上げると、あずさの部屋の電気がついている。

路上に人の気配はない。

どこだ、どこにいる。

俺はポケットからスマホを出すと、カナに電話をかけて耳をすました。

かすかに『それいけ! アン○ンマン』のテーマソングが聞こえる。
カナのスマホの着メロだ。

鳴っているのは、昨日見張っていた路地角のあたりだ。

目を凝らすと、暗闇に倒れている人影が見えた。

「カナ!」

俺は思わず叫んで、走り寄った。

カナは制服姿で、冷たい路上に体を丸めるようにして倒れていた。
頭から血が流れており、素足には固いモノで殴られたような打撲の跡がある。
おそらく、全身を痛めつけられている。
目を瞑り、ぴくりとも動かない。

「どうした! 大丈夫か!」

カナの肩をゆすると、うっすらと目を開けた。

「……おお浩介さん、来てくれたか」

『オジサン』ではなく、俺の名前で呼ぶ。かつてなかったことだ。
いつものカナじゃない。
これは、マジでヤバい状況なのか。

カナはゆっくりと上体を起こすが、頭がぐらぐらとふらついている。
頭からの出血は、今はもう止まっているようだが、額をべっとりと濡らしていた。

「おい、頭打ってるんだから、動くな」

俺はカナを背後から抱きかかえた。

「ここで見張ってたら、後ろから襲われた。迂闊だった」

「いいからしゃべるな。今、救急車呼ぶから」

持っていたスマホで、119にコールする。

「……相手は5人いた。皆こん棒のようなモノを持ってた。奴らプロじゃった」

「知ってるやつか?」

「いいや、わからん。黒い服を着た見た事もないやつら」

「おまえの仲間の、殺し屋連中じゃないのか?」

「たぶん、違うと思う」

確かに、殺し屋派遣ネットショップ専属の殺し屋が襲ったとしても、最強であるカナが、奴らにそうやすやすと倒されるとは思えない。

背後からとは言え、ここまでカナにダメージを与える連中とは。

いったい何者なんだ?





救急病院の廊下で、俺は医者から説明を受けていた。

「全身に打撲の跡があります。ですがレントゲンの結果、骨折はありませんし脳にも特に異常は見られないのでおそらく大丈夫でしょう。2,3日入院して頂き、様子を見ます」

医者は、そう話すと興味深げに俺の顔を覗き込む。

「……で、あなたは、どういったご関係の方でしょうか?」

うっと詰まる。

見ず知らずの他人と言う訳にはいかず、友達、もなんか怪しく聞こえる。
なにせカナは、俺と10歳近く離れた未成年者なのだ。

「ス、ストーカー……」

「えっ!?」

「……を、二人で追っていたんです……」

医者の顔が曇る。
しまった。あせって余計な事を言ってしまった。

「というのは冗談です……妻の友達なんです」

とっさに口からでまかせを言う。
美咲、すまない。

医者は怪訝な顔をしていたが、俺は頭を下げるとカナの病室へと入って行った。

頭に包帯を巻き、ベットに沈み込んでいるカナが痛々しかった。

「……どうだ、具合は」

「ハラ減った」

「退院したら何でも奢ってやる。それまで病院食で我慢しろ」

露骨に顔をしかめるカナ。

「お母さんと連絡が取れないそうなんだが」

「……ママは夜、いないんだ」

「そうか」

考えてみれば、俺はカナの事、ましてや家族について何も知らない。
殺し屋だったことと言い、カナを取り巻く環境には何か複雑な事情があると、うすうす感じてはいたが、あえてこれまで聞かなかった。

こんな酷い目に遭ったのに、ひとりぼっちかよ。

「じゃあ、今晩は俺がここにいてやる」

「ホントに!?」

「ああ、後でこっそり肉まん買って来てやるからな」

カナは目をくりくりさせながら、無表情で内なる喜びを表現する。

「なんで、今日ひとりで行ったりしたんだ」

「だって、オジサン仕事で忙しいし、それに……」

「それに、なんだ」

「……あずさは、たったひとりの親友なのさ。どうしても守ってあげたかったんだ」

俺は胸が熱くなった。
と、同時に怒りがふつふつと沸き上がる。

カナをこんな目に遭わした奴は、絶対に許さない。
必ず探し出し、償わせてやる。





翌日の夜、22時少し前。

俺は大通りの歩道に立って、通り行く車を何気なく眺めていた。

カナはまだ病院だ。
だが、今日の朝には驚異的な回復を見せていた。
病院食のおかわりを頼んで断られ、じゃあ退院すると暴れたが、屈強な男の看護師3人掛かりでやっと取り押さえられた。

あれほどの怪我を負ったのに、どれだけ元気なんだ。

昨日の晩、カナの寝顔を見ながら、俺はいろいろ考えを巡らした。

カナが襲われたのは、俺たちがストーカーを追っている事に気づかれたからだろう。

ストーカーが、カナとあずさの同級生、ユータだとする。
彼が、誰かに頼んでカナを襲わせたのだろうか。

いやいや、カナを倒すなんて相当な手練れだ。
そこらの普通の高校生が、頼める相手じゃない。

じゃあ、襲ったのは何者で目的は何か。

何か、深い裏があるような気がする。

腕時計を見やると、22時を少し回っていた。

俺の予想が正しければ……。

来た。

あずさの家へと続く路地から、パーカーのフードを頭からすっぽり被った例の男が現れる。

俯き加減にポケットに手を入れたまま早足で歩くその男は、路地を曲がってすぐの道路脇に停車していた白いバンの後部座席に乗り込んだ。

やはりな。車を用意してたんだ。
だから、おととい、こつ然と消え失せたように見えたのだ。

俺は道路脇に停めておいたハヤブサに跨がると、エンジンをかける。

白いバンは男を乗せるや否や、急発進した。
俺もハヤブサのクラッチを繋ぐと、軽くアクセルを吹かして発車し、後を追う。

バンはかなりのスピードで走って行くが、少し距離を置いて気づかれぬよう後ろに付ける。

井の頭通りを、武蔵境方向に曲がった。

いったい、どこへ行くんだ。

白いバンの運転手が、ストーカーの協力者であることは間違いない。
カナを襲った奴らと、同じ仲間である可能性も高い。

高校生の単なるこじらせた片想い、と軽く考えていたがとんでもない。
何か組織的な作為を感じる。

前方の信号が赤に変わり、バンはスピードを緩めた。
と、次の瞬間、急加速して赤信号を突っ切る。
横断歩道を歩いていた人々が、蜘蛛の子を散らすように、あわてて逃げ惑う。

気づかれたか。

歩行者に頭をぺこぺこ下げながら、ゆっくり赤信号に進入して、交差点を抜けると同時に、アクセルを全開にしてバンの後を追う。

こっちは、驚異的な加速を誇るハヤブサだ。

あっという間に追いつくと、バンの後ろにぴったりと付けパッシング(ライトの点滅)をした。

どうせ、もうバレている。
こうなれば、何としても奴らをバンから引きずり出してその正体を暴いてやる。

俺はバンの右側に出ると、スピードを上げて横に並んだ。
運転席を覗き込むが、窓にスモークスクリーンが貼られていて、車内がよく見えない。

いきなり幅寄せしてきたので、すばやくハンドルを切って避ける。

黒い窓の向こう側にいる、見えない何者かを睨み付けた。
奴も、こちらを見ている気配が確かにある。

こいつだ。
こいつが、おそらく全ての鍵を握っている。
ヘルメットのバイザーを開けて、叫んだ。

「誰だ、おまえ! 顔を見せろ!」

ふたたびバンは急ハンドルを切って幅寄せしてくる。いや、これは体当たりだ。
殺意を持って車体をハヤブサにぶつけて来ている。

反対車線に大きく飛び出して攻撃を避けると、俺は思いっきりアクセルを捻ってバンの前に出た。

そのまま全開で、ひたすら直線の道路を突っ走る。

あたりに他の車の気配はない。
前方には開けた道路と、点々と並ぶ信号機の明かり。

俺は、数百メートルほど走ってバンを引き離したのを確認すると、スピードを落とす。
前ブレーキをコントロールしながら後輪を滑らせ、車体を180度スライドターンさせる。
ハヤブサは反対方向に向きを変えると、ストンと停止した。

遠くに、こちらに向かって猛然と接近してくる二つの丸目ライトが見える。

ふと、路上で血を流しながら、力なく横たわるカナの無残な姿が脳裏に浮かんだ。

許せない。

俺の怒りは最高潮に達していた。
そしてそれは、無意識にアクセルをふかして生まれる図太いエンジンの咆哮へとリンクする。

行くぜ、ハヤブサ。

左手のクラッチを離すと、前輪が浮いた。
そのまま、猛然と加速する。

バンも真っ直ぐこっちへ突っ込んでくる。

みるみるうちに、急接近した。

我慢比べ。ハンドルを切った方が負けだ。

全身に緊張が走り、汗が噴き出す。

と、その時。不思議な感覚が俺を包み込んだ。

ハヤブサの両側から、大きな白い羽が横へと広がっていく。
まるで獲物を威嚇し、攻撃するかのごとく。

顔の見えない運転手が、大きく口を開けて悲鳴を吐き出している様子が手に取るように感じとれる。

バンと正面衝突する、ほんのゼロコンマ数秒前。

甲高いタイヤのスリップ音。

急ハンドルを切ったバンは、道路脇の街路柵を兼ねた植え込みに突っ込むと、そのまま数十メートル木の葉を散らし続け。
そしてフロントを酷くひしゃげて、いくつかのタイヤをパンクさせ、車体を斜めに傾けた状態で、漸く停止した。

俺はハヤブサを止めてヘルメットを脱ぐと、大きく息を吐いた。

体の震えが止まらない。

いや怖かった。マジで。
もう、二度とゴメンだ。

だけど、やったぞ、俺は。
命を賭けたバトルに勝利したのだ。

暫く、呼吸を整えたのち。
ハヤブサを降りて、破壊されたバンに歩み寄る。

運転席のドアが開いていた。あわてて中を覗き込むが、姿が見当たらない。
辺りを見渡しても、運転手は暗い闇の彼方へと消え去った後だった。

くそっ、逃げられた。
ついつい、勝利の余韻に浸ってしまっていた。

自分に腹を立てながら、後部のスライドドアを思いっきり開ける。

そこには、青白い顔をしたイケメン少年がひとり、怯えた表情でシートにへたり込んでいた。





いつもの喫茶店。
深夜にも拘わらず、相変わらず奥の席で「かあっ」爺さんがスポーツ新聞を開いたまま固まっている。

あの爺さんは、実はこの店の置物なんじゃないか。
生きてるのか、本当に。

店には「かあっ」爺さんの他には、昭和のマスターだけ。
いつも通りだが、唯一違うのは俺の前に座っているのがカナではなく、おどおどした男子高校生であることだ。

「おまえ、ユータだな」

大きな体を小さく折り曲げたまま、こくりと頷く。

「どう言うことか、説明してもらおうか」

「……てか、オジサン何者スか?」

小刻みに体を震わせながら、ちらりと上目遣いで俺を見る。

どいつもこいつも俺をオジサンって言いやがって! 俺はまだ25才だあ!!

……という心の叫びを呑み込んで。

「カナに頼まれて、あずさのストーカー、つまりおまえを追っていた。カナがどうなったか知ってるよな?」

「……はい」

「おまえは誰かに指示されて、あずさをストーキングしてたんだろ?」

ユータは、はっとして俺の顔を見る。

「毎日、きっかり20時から22時まであずさの家の前に立ち、22時からは無言電話の繰り返し。それも命令されてやったことなんだな?」

「わ、わかってたんスか!?」

「わかりやすいんだよ、パターンが。ストーカーって、そんな淡泊なもんじゃないだろうが!」

「オジサンも、ストーカーなんスか!?」

やれやれ。

「そんなことはどうでもいいんだよ。なぜこんなことをする? 命令してるのは誰なんだ!」

ユータは俯いて目をきょろきょろと激しく動かし、額に汗を滲ませる。

「……話したら、オレ、殺されます」

「俺に捕まった時点で、おまえの立場は相当マズい状況だ。話そうが話すまいが、おまえを操っていた奴は容赦しないぞ」

ユータは顔面蒼白となり、怯えた表情で俺の顔を見つめる。

「助かりたいなら、洗いざらい残らず話せ」

--------------------------------

午後の始業のチャイムが鳴る。

だが、沙也加(さやか)はオレの服を掴んで離さない。
誰もいない音楽室、目の前には逆壁ドン状態の沙也加。

「ねえ、今ここではっきりさせて。私と葵(あおい)とどっちを選ぶか」

「……いや、そう言われても。オレ、玲奈(れな)と付き合ってるの知ってるだろ」

「ふん、あんなブス」

いや、玲奈は文化祭のミスコンで優勝したんだけど。

「性格もブスなんだよ、あいつは」

ミスコン準優勝の沙也加が、長い髪をかき上げながらオレを鋭い目で見つめる。

「知ってるんだからね、玲奈に隠れて葵と遊んでるの」

「葵とはもう遊んでない。優美(ゆみ)となら、たまにカラオケとか行くけど」

「優美だって!」

沙也加は大きく目を見開いて、大きな声で笑う。

「読者モデルだかなんだか知らないけど、あんなヤンデレ。どこがいいのさ」

オレのスマホが鳴る。
ポケットから取り出したとたん、沙也加に奪われた。

LIMEを開くと、オレの目の前にかざす。

『どこ行ったのー(^o^) 授業始まったよー(*^_^*) いないとさみしーよー(>_<) 美音(みおん)より』

--------------------------------

「……ちょっと、待て」

俺はユータの話をストップさせた。

「いったい何の話をしてる?」

「いや、洗いざらい話せって言うから……」

「いきなり登場人物が多いんだが、全て覚えないとダメなのか?」

「彼女たちは、今回のことに関係ないです。たぶん」

じゃあ、端折れよ!
おまえのモテ話なんて、今はどうでもいいんだよ!

「……なんか、怒ってます?」

ユータは悲しそうな目で俺を見つめる。

ああこれか。
イケメンの裏に、それとなく見え隠れする子供っぽさ。
これが、女性の母性本能ってやつをくすぐるんだな。

「とにかく、疲れちゃったんです」

肩を落としてため息をつくモテ男。

「確かにオレの周りには、いつも美人の女の子がいました。最初は楽しかったけど、そのうち面倒になってきて」

「それは、自慢か」

「いえ、本当に疲れ果てたんです。付き合ってみると、嫉妬深かくて1時間おきにメールをチェックされたり、友達同士だとばかり思っていた子の悪口を延々と聞かされたり、道端にぺっと唾を吐いたり」

失恋ばかり経験してきた俺には、イケメン君の悩みなど知るよしもない。

「ある日、情報の授業があって、ふたり一組でパソコンを使うことになったんですけど、ペアになったのが同じクラスでも今まで一度も話したことのない子で。見た目は暗い感じなんすけど、パソコンの使い方を優しく教えてくれて。オレがわからないと思ったことを、先回りして分かりやすく教えてくれるし」

「さりげなく、気が利くってことか」

「そう、それっス。よく見ると昔飼っていたハムスターに似てて、なんか可愛いなと思って。オレが知ってる他の女の子とは全然逆のタイプで、とっても心が安らぐと言うか」

「それが、あずさだったんだな」

「他の女に見つかるとうるさいんで、誰もいない放課後の教室で待ち伏せて告ったんスけど、逃げられました」

苦笑するユータ。

「初めてでした、振られたの。ショックでした……」

「それで、ストーカーになったのか?」

「違います、違います!」

ユータはスマホを取り出すと、画面にメールを表示させて俺に見せる。

「翌日、家で朝飯を食べてたら、こんなメールが来て……」

メールを見るなり、俺の心臓はどくんと跳ね上がった。

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件名:【殺し屋】発送のお知らせ

本文:

毎度ありがとうございます、【殺し屋】派遣ネットショップです。
【ISA】様よりご注文頂きました【殺し屋】を本日発送しましたので、お知らせします。

お届け予定時間:10分以内

お届け先:あなた

お届けする【殺し屋】:ゆるキャラ

返品、交換は一切受け付けられませんのでご了承ください。
ご不明な点につきましては、【ISA】様にお問い合わせください。

またのご利用をお待ちしております。

※このメールアドレスは配信専用です。このメッセージに返信されても回答しかねます。

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「これ、来たのか」

「ええ、てっきり誰かのイタズラだと思って、気にも留めずに家を出たとたん、目の前に大きなペンギンが現れて」

「魚で襲われたんだな」

「何で知ってるんスか! オジサン何者なんですか!」

「そんなことより、どうやってその場を逃れたんだ」

「ペンギンがオレを押さえ込んで、魚を振り上げたとたん、またメールが来たんです」

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件名:【殺し屋】発送キャンセルのお知らせ

本文:

毎度ありがとうございます、【殺し屋】派遣ネットショップです。

【ISA】様よりご注文頂きました【殺し屋】ですが、【ISA】様の都合によりキャンセルされた事をお知らせします。

またのご利用をお待ちしております。

※このメールアドレスは配信専用です。このメッセージに返信されても回答しかねます。

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「その瞬間、ペンギンは舌打ちしてどこかに消えてしまいました。直後に電話がかかってきたんです。ボイスチェンジャーかなんかで変えられた声でこう言われました」

ーー

『いいか、よく聞け。今のは脅しだ。いつだってオマエを殺せるんだ』

『だ、誰だ?』

『これから私が言うふたつの命令に従ってもらう。心配するな、ごく簡単なことだ。だが、もし命令に従わない場合は、わかるな?』

ーー

「なるほど、わかったぞ。命令というのは、ひとつは学校へは行くな。もうひとつは、指示された時間にあずさにストーカー行為をしろ。そのふたつだったんだな」

ユータが激しく首を縦に振る。

「毎日、20時から22時まではあずさの家の前に立てと。誰かに追われた場合を想定して、逃走用の車も用意されていた」

「ええ、22時からは車の中で監視されながら、ひたすら無言電話を掛け続けました」

周到な奴らだ。
いったい、何者なんだ。

「ところで、殺し屋の注文をした『ISA』って奴に心当たりはあるのか」

「ないです」

「車を運転してた男は?」

「……わからないです。ただ……」

ただ、なんだ?

「いつも大きなマスクをしてたので顔は良くわからなかったんですが、さっき車がぶつかった瞬間マスクが外れて。オレ、見ちゃったんです。その男の顔」

「どんな奴だ?」

「それが……」

ユータはいったん言葉を飲み込むと、怯えた表情で俺の顔を見つめた。

「なぜか、オジサンにそっくりだったんです。その男」