店の外へ出ると、とたんに真夏の強烈な陽光が降り注ぎ、軽く目眩を覚える。
観光客の姿はさっきより増えて、路上は多くの人でごったがえしていた。
容赦なく耳に飛び込んでくる雑多な話し声と人いきれで、暑苦しさが倍増する。

カナが小さな手で、俺のジャケットの裾を握りしめた。
はぐれたら、おそらく二度と会う事はないだろう。

ただ、こんな真夏に長袖のライダーズジャケットを着た男と制服姿の女子高生の二人連れは、観光地には似合わないようで、通りすがりの人々の奇異な目に晒されている、ような気がする。

「さて、どうするのさ」

周囲の雑音に負けないように、カナが大声を出す。

「そうだな、もう一度美咲のマンションへ戻ってみるか。何か思い出すかもし……」

言い終わらぬうちに、激しく誰かとぶつかってよろけた。
相手は若い女性だ。謝りもせず、そのまま通り過ぎる。
酷いな、こっちは人ごみを避けて歩いてるのに。

……ん?

ぶつかった時に感じた、微かな香水の香り。

この香りは覚えている。なんだか、ふわっとした懐かしい香り。

美咲だ。

今、感じたのは美咲だ。

あわてて後ろを振り返る。

しかしその姿は、既に人海の彼方に消えていた。

「どうした?」

「今、美咲がいた……」

俺は伸び上がって、懸命に美咲の姿を探す。
だが、それらしき人影は見当たらない。

「気のせいじゃないの?」

「いや、あれは確かに美咲だった」

間違いない。美咲の感触が、記憶としてふっと蘇ったのだ。

美咲はやはり、江ノ島に来ていた。

無意識にポケットに手を突っ込むと、スマホがない事に気がついた。

「カナ、スマホがない」

「私、持ってないよ。店出る時にオジサン、ポケットに入れてるの見たし」

すられた?
もしや、今ぶつかってきた美咲に?

「ぶつかったのが本当に美咲さんだとすれば、わざとだね。どこかでオジサンの姿を見掛けて、スマホを取り返す機会を狙ってたのかもしれん」

美咲は俺たちが江ノ島に来た事に気づいた。
おそらく、たまたま姿を見掛けたんだろう。
ストーカーが自分の後をつけて来たと思って、逆に俺たちを見張っていた。

そして、俺たちがさっきまでいた茶店を影から覗き見し、スマホを俺に盗まれた事を知って、取り返した。

「まずいぞカナ。殺し屋はあのスマホの持ち主を狙ってるんだろ」

「そうね。今度こそ、本来のターゲットである美咲さんが殺される」

逡巡してる場合ではない。なんとかしないと。

「おそらく美咲は、すぐに家に帰るはずだ。俺から逃げるために。……カナ、おまえのスマホで、次の小田急ロマンスカーの出発時刻を調べてくれ」

カナはスマホを取り出し、猛烈な勢いでタップする。

「次の片瀬江ノ島発新宿行きは……15時31分だね」

時計を見ると、15時をまわったところだ。
急いで、人ごみを掻き分けながら来た道を戻り始める。

「あと、悪いお知らせがあるよ、オジサン」

歩きながら、カナはスマホの画面を俺に差し出した。

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件名:【殺し屋】再再再発送のお知らせ

本文:

毎度ありがとうございます、【殺し屋】派遣ネットショップです。
【ストーカー】様よりご注文頂きました【殺し屋】を、なぜ受け取り拒否なさるのですか?
これ以上受け取り拒否を続けられる場合は、弊社としましても断固とした対応を取らざるを得ません。
いいかげんにしてください!

【殺し屋】を再再再発送しましたので、お知らせします。

お届け予定時間:1時間以内

お届け先:あなた

お届けする【殺し屋】:ジェイソン

返品、交換、および受け取り拒否は一切受け付けられませんのでご了承ください。
いいですか? 「一切」ですよ!!
ご不明な点につきましては、【ストーカー】様にお問い合わせください。

またのご利用をお待ちしております。

※このメールアドレスは配信専用です。このメッセージに返信されても回答しかねます。

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「カナ、なぜおまえのスマホにこのメールが来てる?」

「さっきスマホを借りたとき、こっそりメールの転送設定をしたの。だってさあ、伝説の殺し屋派遣ネットショップからのメールだよ。友達に自慢できるじゃん」

こいつは……。

「まあいい、許す。ある意味でかした。しかし、ジェイソンって何モノだ」

今までは、名前通りのわかりやすい殺し屋だった。
そのため、ある程度予測する事ができた。

しかし、今度の殺し屋は「ジェイソン」。さっぱり見当がつかない。
殺し屋派遣ネットショップの連中も、このままでは埒があかないと、情報提供の方針を変えたのかもしれない。

スマホをタップして検索していたカナが答える。

「ジェイソン。スプラッタームービー『13日の金曜日』に出て来る殺人鬼。アイスホッケーのマスクを被った巨体の男。不死の怪物」

「なんだと」

「倒しがいがありそうだねえ」

カナがポキポキと指を鳴らす。

冗談じゃない。
今や俺じゃなくて、美咲が狙われている。
そんな化け物に襲われたら、ひとたまりもないだろう。

「ちょっとすみません、通して下さい!!」

俺は大声を張り上げて人を避けながら、先を急いだ。





片瀬江ノ島駅に辿り着いたのは、ロマンスカーの発車時刻ちょうどだった。
発車のベルが鳴り響いている。

俺は迷わず改札ゲートを飛び越えた。
カナも小柄とは思えない驚くべき跳躍力で、軽々とゲートを通過する。

「ちょっと! お客さんっ!」

駅員が叫んでいるが、構わず停車しているロマンスカーに駆け寄った。

が、無情にも目の前でドアが閉まる。

間に合わなかったか……。

俺はホームを走りながら、車窓から車内を覗き込んで美咲を探す。
ロマンスカーは隣駅の藤沢でスイッチバックするため、片瀬江ノ島駅には後ろ向きで停車する。
そのため、縦に並んだクロスシートの乗客はこちら側を向いており、その顔をつぶさに確認することができた。
血相変えて車内を覗き込む俺を、皆怪訝な目で見ている。

電車がゆっくりと動き出した。

そのとき、ふと、見覚えのある顔と目が合った。

美咲。

美咲は固い表情のまま、冷たい目で俺の顔を見つめていた。
そこには、何の感情も読み取れない。

あえて表現するなら、敵意。

俺は思わず、その場に固まってしまった。

そのまま電車は動き出し、遠ざかって行く。

俺は肩で息をしながら両膝に手をついて、去り行く電車を上目で追った。

「オジサン、いい顔してるねえ。まさにそれは、ストーカーの目つきだよ」

追いついたカナが、俺の顔を覗き込んで、心から感心したように頷く。

確かに俺は、獲物を逃したオオカミのような鋭く暗い視線を、遠く去りゆく電車に向けて浴びせ続けていた。

美咲のあの表情。

驚きや、恐れや、怒りですらなく。
もちろん、愛情のかけらもなく。

俺はやはり、美咲に完全に拒絶されたストーカーだったのだ。

走ったせいで体は熱いのに、背中にだけ、ひんやりとした冷たさを感じる。

気がつくと、憤懣(ふんまん)に満ちた駅員たちに取り囲まれていた。
おとなしく連行されて、改札の外へと放り出される。

「カナ……今の電車、何時に新宿駅に着く?」

ちょっと待て、と言いながらスマホを叩くカナ。

「新宿着16時39分だね。どうする気さ?」

美咲が新宿駅に到着するまで……残り65分。
不可能に近いが、やってみるしかない。

「バイクで追いかけるぞ」

「……ほう」

「ここからだと外環道路通って八王子から中央道に乗るのが近いが、この時間は酷く混んでいるだろう。とすれば、遠回りだが横浜横須賀道路から湾岸道路、大井ジャンクションから首都高速C2山手トンネルで都心を突っ切るルートしかない」

「よくわからんが、バイクで電車に追いつく気?」

俺は駅前に停めたハヤブサに跨がり、ヘルメットを手にする。

「距離にしておよそ80キロくらいか。高速に乗れば早いが、乗るまでの渋滞を考えるとギリ間に合うかどうかだ」

おそらくこれから、ハヤブサの性能を最大限まで引き出す事になるだろう。
俺はポケットから千円札を取り出して、カナに差し出す。

「かなり危険だからおまえは乗せられない。これで帰れ」

「イヤだ。殺し屋発送メールが届くスマホは、私が持っているんだよ?」

うっ、そう来たか。
おそるおそる、今度は5千円札を出してみる。

「コレでスマホを借してくれないか?」

「お金には釣られないよ。ここまで来たんだから、最後まで見届けるんだ」

「……」

「ほら、3分経過。あと62分しかないよ!」

「……乗れ」





横浜を過ぎて、湾岸道路に入る。
メーターは300キロを優に振り切っていた。
タコメーターもレッドゾーンから動かない。

道路を走行している全ての車は止まって見えて、まるで次元の異なる世界に迷い込んだようだ。
俺の腰をぎゅっと握りしめたカナの手から、必死さが伝わってくる。

予想通り、江ノ島から最寄りの逗子インターチェンジまでは道路が酷く混んでおり、無駄な時間を食ってしまった。
ロマンスカーが新宿駅に到着するまで、あと20分ほどしかない。
だが、間に合わせる。必ず。

俺は美咲を、何故必死に追っているのだろう。

これこそ、まさにストーカーの行動そのものじゃないか。

勿論、正当な理由はある。
俺が注文したであろう殺し屋から、美咲を守るためだ。
それは、自分が殺人教唆罪に問われたくないから?

いや、違う。

美咲に死んで欲しくない。
俺は美咲を愛しているから。

自分勝手なストーカー愛だ、と言われようが構わない。
警察に捕まろうが、殺し屋に殺られようが、今となってはどうでもいい。

俺は全力で、美咲を守ってみせる。

あっという間に大井ジャンクションを通過し、山手トンネルに入った。
全長18キロメートルの都心の地下を横断するトンネルで、その長さは日本最長だ。
片側2車線の道路だが、地上に乱立する建物の地下基礎部分を避けるため、タイトなカーブが連続している。
走行車両もそこそこ多いため、少しスピードを落とさざるを得なかった。

とは言え、スピードメーターは軽く200キロを指している。
後ろのカナを振り落とさないように細心の注意を払いながら、左右に素早くハヤブサを傾けて次々と車をパスしていく。

ふと気がつくと、横に一台の車が並走していた。

黒塗りのBMW。
ハイスペックな高級車だ。

この速度で並んでいる?

と、BMWはこちらに向きを変え、幅寄せをしてきた。
衝突する、と思った瞬間、また少し離れる。

俺はスピードを上げた。
だが、BMWはぴったりと横につけて追走する。

ドライバーに目をやると、白人だ。
スーツ姿に細いネクタイ。頭は禿げ上がっていて……。

これって、ハリウッドアクション俳優の、ジェイソン・ステイサムか?
あの、高級車を使ったプロの運び屋役の映画で有名な。

俺を見て、口角を歪めクールにニヤリと笑う。

ジェイソンって……おい。
そっくりさんかよ。

ジェイソンは再びハンドルを切って、フェンダーをハヤブサにぶつけてきた。
衝突によってハヤブサは反対側にはじき飛ばされ、トンネルの壁にミラーが接触し、細かい火花が散る。

必死にハンドルをコントロールし、なんとか車体を立て直した。

やつは、本気だ。

俺はギアを一段落とすと、スロットルを全開にした。
ひょいと一瞬ハヤブサのフロントが浮き上がり、爆発的な加速でBMWを引き離す。

だが、コーナーに入るとBMWは瞬く間に追いつき、俺の後ろにぴたりと付ける。
相当、手を入れて改造された車のようだ。

狭いトンネルで逃げ場が無い。

後方から衝撃を感じる。
フロントをハヤブサのリアに、ぶつけてきているのだ。
この速度で転倒したら、俺もカナも命は無いだろう。

このままじゃ、圧倒的に分が悪い。
考えろ、俺。

前方に大型トレーラーが見えてきた。

これは……。
イチかバチか、やってみるしかない。

スピードを一旦100キロまで落とし、後ろのジェイソンを挑発するように蛇行する。
ミラー越しに見える奴の顔に、一瞬当惑の表情が浮かんだ。

今だ!

いきなりフルスロットルで加速し、トレーラーを追い越すと、その前に出る。

不意を突かれ遅れを取ったBMWも、続いてトレーラーを追い越しにかかる。

頼む!

俺は、心の中で必死に神に祈りを捧げながら、思いっきりブレーキを握りしめた。
ちょっとでもタイミングがずれて、このままトレーラーに追突されたら、一巻の終わりだ。

だが祈りが通じたのか、衝突する寸前にトレーラーは急ブレーキをかけ、その反動で車体はつんざくようなスキール音とともに、大きく横へとスライドした。
貨物部分が、横に並んでいたジェイソンのBMWに激突する。

トンネルの壁面とトレーラーに挟まれ、ひしゃげたBMWはまるでダンスをするように上へと跳ね上がり、そして爆発した。

バックミラーに映る派手な爆炎は、すぐに小さく遠ざかっていった。