はくしょんっ!

思いっきりクシャミをして、鼻をすすりながらふと思い出した。

俺は猫アレルギーだ。

猫に近づくと、くしゃみが止まらなくなる。
美咲は大の猫好きだが、俺は苦手。いや、猫は嫌いじゃないんだが、体が受け付けない。
しかし、どうでも良いことは思い出す。もっと肝心な記憶を掘り起こす方法はないものか。

はあくしょんっ!

おかしい。なぜかクシャミが止まらない。
もしかすると、後ろで俺にしがみついている猫娘のせいかもしれない。

東京と横浜を結ぶ、第三京浜道路。
ハヤブサに乗り、時速200キロでかっとばしていた。
まだまだアクセルには余裕がある。なにせこのバイクの最高速度は300キロだ。

速度差がありすぎて、まるで止まっているように見える車を、左右に車体を倒しながらかわしていく。
後ろから、カナの悲鳴のような、笑い声のような叫び声がするが、風にかき消されてよく聞き取れない。

既に殺し屋に、二度襲われた。

たまたま美咲のスマホを持っていたせいで、俺が間違われて襲われたんだろうが、いつまでも「誤配」が続くとも思えない。
次の殺し屋は、美咲のところへ行くかもしれない。
運良く俺は2人の殺し屋を躱(かわ)せたが、か弱い美咲だったら、ひとたまりもないだろう。
しかも本人は、殺し屋に狙われていることすら知らないのだ。

心が焦る。

それは、俺のせいで美咲が殺されることに対する罪悪感なのか、それとも、美咲への愛情なのか。

今はまだ、どちらなのか、自分の気持ちがわからない。





「キャハハハハハハハ……」

バイクから降りたカナが、狂ったように笑い続けている。
三鷹と江ノ島の、ほぼ中間地点である保土ヶ谷インターチェンジのサービスエリア。

カナがトイレに行きたいと、後ろで暴れ始めたのでやむを得ずバイクを停めたとたん、これだ。

「いつまで笑ってんだ。早くトイレ行ってこいよ」

「……だって……速い、速すぎるよ、その乗り物……」

カナはお腹をかかえたまま、地べたに座り込んで笑い続けている。

人は想像を絶する体験をすると、恐怖を通り越して、笑いが止まらなくなるらしい。

子供連れの家族が、不審そうに目をやりながら通り過ぎていく。
その目は、カナのそばにいる俺(保護者)にも注がれる。

やれやれ、ここでも不審者扱いかよ。

俺はカナを放置して、スマホを取り出した。
幸い、次の殺し屋発送メールはまだ来ていない。

写真アプリを起動して、猫の写真をもう一度、眺める。
江ノ島は周囲4キロと小さな島ではあるが、江島神社の社殿が3箇所にあり、展望台や洞窟もある。
島に入ると以外と広く、観光スポットも多い。
当ても無く美咲を探している時間はない。

美咲がいるとすれば、猫がいる場所だ。
猫はそれぞれ縄張りを持っているから、生息している場所も各所に分かれている。

俺は猫写真の背景に目を凝らして、場所を確認しようと試みる。
だが、どれも猫のアップで、後ろの景色が殆ど見えない。
次々と写真をスワイプしているうちに、あの男のにやけた写真で手が止まる。

「誰、それ?」

いつの間にか素に戻ったカナが、スマホを覗き込んでいた。

「葉山浩介っていう、美咲の旦那。なんか、俺に似ていて気味が悪いが」

「ふうん。でも、なんか変な写真だね」

「え? どこが」

「この写真だけブレてる。他の猫の写真は綺麗なのに。それに……」

「それに、何だ」

カナは大きい目をくりくりさせながら、何事か考えている。

「いや、ちょっと気になっただけ」

「おまえな……」

「さあ、早く行こうぜ。海が待ってるぜ!」

またもや、いきなり豹変したカナは、低い声で俺の肩を叩く。

「……その前に、ホットドック食べていい?」

また食うのかよ……。





砂浜には海の家が立ち並び、色とりどりの水着を身につけた多くの海水浴客で溢れかえっていた。

遠くの海に目をやると、反射した太陽の光が水面(みなも)に無数の輝く星を造り出し、まるで女神の衣が海に漂っているような、そんな神々しさすら感じる。

海岸通りの渋滞した道を、少しスピードを落として車をすり抜けながら慎重に進んで行った。

カナは後ろのシートで、ひとり興奮して暴れまくっている。

「海だあ!!」

そりゃ、見ればわかるって。

「泳ぎたいなら、ここで降ろしてやるぞ」

降りるという返事を期待して聞いたのだが。

「いや、私カナヅチだし!」

そうですか。

稲村ケ崎を越えた先で、それは唐突に姿を現した。
陸続きの小さな島、江ノ島。

「ひゃっほう! 江ノ島来るの初めて!」

まあ、夏休みだというのに、学校の補修サボってアイス食ってるような地味な日々を送る女子高生にとって、これは非現実な光景なんだろうな。

なんとなくだが、カナを連れて来てやって良かったと思い始めている。
警察に尋問されたら「未成年者略取」とやらで言い訳立たないが。きっと。

何の因果か、こんなところまで連れて来てしまったが、つい数時間前に会ったばかりの奇妙な女の子だ。

俺は全然カナのことを知らない。

おそらくあのマンションの近所に住んでいて、数学が苦手で、食欲旺盛で。
知っているのは、その程度。
だが、そんなカナをどこか可愛いと感じている自分もいる。勿論、恋心とかそういう意味ではなく。

どこか、不思議な魅力を持った猫娘だ、こいつは。

「ねえっ!!」

いきなりヘルメット越しに、カナのがなり声が脳天を貫き、俺は飛び上がった。
弾みで車体がふらふらと蛇行し、あわててハンドルを握り直す。

「なんだよ、急に大声出すなよ。心臓停まるだろ。殺し屋か、おまえは」

「さっきから、話しかけてるのに反応がないからだよ。何、ぼうっとしてるのさ」

「それは……美咲の事が心配だからだ」

「殺されたらオジサンのせいだもんねー」

その言葉でふと、現実に引き戻される。

俺はなんで美咲を殺そうと思ったのだろう。

葉山浩介なる男に、美咲を奪われたから?
美咲が、もう自分の元に戻らないと知って、殺す気になった?
しかし愛する女性を殺す為に、あんな怪しい殺し屋派遣ネットショップなるものを使うだろうか。

うーむ。

ストーカー心理は今の自分には良くわからないが、自分を愛してくれないなら、いっそ自分の手で、とか考えたりするものじゃないのだろうか。
そう、異常な独占欲や支配欲が度を超した時に、そういう事件が起きるって聞いた事がある。

「なんかさー、気になるんだけど」

カナが俺の思考に割り込んで来る。

「なにが?」

「いや、なんで美咲さん、ひとりで江ノ島に行ったんだろうなって」

「そりゃ、夫婦だっていつも一緒に行動する訳じゃないだろうし」

「でもさあ、ストーカーに狙われていると知ってたら、もっと用心するもんじゃない? スマホのメール見るだけでも恐怖だよ。私だったらひとりで出歩きたくないなあ」

おまえなら、ひとりでも大丈夫だよ、きっと。

「なんか言ったあ?」

こいつは、人の心が読めるのか。

「……確かにな。出歩くにしても、あの葉山浩介って旦那が連れ添うはずだ。旦那にしても心配だろうしな」

いや、待てよ。
あのマンションでの葉山との会話が頭をよぎる。

「葉山は美咲がいなくなったことに慌ててた。行き先もわかってないみたいだったぞ」

「それ、変だね。なんで美咲さんは、自分がストーカーに狙われていると知りつつ、葉山に黙って家を出たんだろう?」

わからない。

美咲はおとなしいが、しっかりした性格だった。
どんなに仕事が忙しくて夜帰るのが遅くても、朝は必ず同じ時間に起きて、ちゃんとした朝メシを作っていたし。
多少体調が悪くても休まず会社に行って、しっかり仕事をこなしていた。
愚痴ひとつ言わずに。

『生きるってね、目の前のモノをしっかりと片付けていくことなの。無造作に積み上がった段ボール箱を、崩さないようにひとつずつ丁寧に降ろすみたいにね。そうしてるうちに、片付けた隙間からきっと素晴らしい何かが現れるの』

たまには会社なんてサボってのんびりしろよ、って俺が言った時の美咲のセリフだ。
今でも、はっきり覚えてる。
美咲は、いいかげんに生きている俺とは、たぶん違うセカイを見つめていた。

あれ、俺いろいろ思い出しているぞ。

やっぱり、俺は美咲と暮らしていたんだ。
そして、俺はそんな美咲が大好きだった。

「ねえ、美咲さんは葉山とうまくいってたのかな?」

「ん、なんでだ」

「うーん、なんとなくだけど」

どうにも解せない。
そんなしっかり者の美咲が、葉山と何があったにせよ、鍵も開けっ放しで家からいなくなるなんて。

気がつくと、江ノ島大橋の交差点まで来ていた。
左に曲がった先に、真っすぐ伸びた2車線の道路が江ノ島へと続いている。
横断歩道を、高校生くらいの水着姿のカップルが、楽しそうにじゃれあいながら渡って行った。
焼けた肌には水滴が煌めき、持て余す若い力を青い海にすっかり解き放っている。

カナは黙っているが、そんな同年代の彼らに対する羨望の想いを、背中からひしひしと感じた。

なんだか愛おしい奴だ。

信号が変わると同時に、俺はアクセルをいつもより多く捻り、目の前に見える江ノ島に向けて飛び出した。





立ち止まったまま、腕時計に目をやる。
13時過ぎだ。時間は容赦なく過ぎて行く。

しかし、人の列は一向に前へと進まない。

江島神社に向かう緩やかな登りの参道は、老若男女はたまた白人黒人東洋人関西人に至るまで、多くの観光客でごったがえしていた。
先を急ごうにも人の列は遅々として進まないが、江ノ島を巡るには、島の入り口から続くこの参道を抜ける必要がある。

「くんくん」

横を歩くカナの声がしたので、目を向けるといつのまにか消えている。

あたりを見渡すと、カナは土産物屋の店先に設置されたガラスケースに貼り付いていた。

しらすクレープ。

おまえ、本当にそれを食べたいのか?

江ノ島の名産と言えば生しらすだが、しらすは土産用として様々な姿に形を変えていた。
観光地名物特有のありがちな商法だ。

しらすせんべい ←まあ、わかる。
しらすクッキー ←わからない。
しらすクレープ ←!?

「ねえ……」

こいつ、オンナの眼をしてやがる。

そこから動きそうもないので、やむを得ずポケットから1万円札を取り出した。

「観光に来たんじゃないんだからな」

目をくりくりさせながら、しらすクレープを頬張るカナを睨む。

「わかってるって。戦(いくさ)の前には腹ごしらえじゃ」

別に戦をする気はないのだが……。

ふと、目の前を歩いていた女の子が、持っていたカメラを振り上げたので、俺は思わず身構えた。

が、どうやら自撮りだったらしい。
カメラのモニタを見ながら、友達らとはしゃいでいる。

「なに、びくついてるのさ」

呆れた顔をするカナに、俺は黙ってスマホの画面を見せた。

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件名:【殺し屋】再再発送のお知らせ

本文:

毎度ありがとうございます、【殺し屋】派遣ネットショップです。

【ストーカー】様よりご注文頂きました【殺し屋】を発送しましたが、またもや受け取り拒否されましたね?
繰り返しお伝えしますが、商品の性質上、受け取り拒否は断固としてお断りしております。

【殺し屋】を再再発送しましたので、お知らせします。

お届け予定時間:30分以内

お届け先:あなた

お届けする【殺し屋】:カメラ女子

返品、交換、および受け取り拒否は一切受け付けられませんのでご了承ください ←ここ重要!
ご不明な点につきましては、【ストーカー】様にお問い合わせください。

またのご利用をお待ちしております。

※このメールアドレスは配信専用です。このメッセージに返信されても回答しかねます。
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「カメラ女子?」

「そうだ、今はやりのカメラ女子だ。まわりを見てみろ」

プロが使うような高級一眼カメラを、首からストラップでぶら下げた女性がそこらじゅうにいる。
あまりに多すぎて、どれが殺し屋なのかわからないのだ。

「カメラ女子って、大した相手じゃなさそうだね。武器はカメラ? それで殴るの?」

カナが小バカにしたように鼻を鳴らす。

「いや、甘く見ない方がいいぞ。最近の一眼カメラはマグネシウム合金っていう、軽くて頑丈な金属で出来ている。充分破壊力は高いはずだ」

屈んで猫を撫でている無防備な美咲の背後にカメラ女子が忍び寄り、一眼カメラを振りかざすイメージが頭に浮かぶ。

ガッ!!

倒れた美咲の頭から流れ出た真っ赤な血が、地面に小さな溜まりを作り、それは次第に大きな広がりを形成していく……。
猫はミルクのように、その血をぴちゃぴちゃと舐めるのだろうか。
口元を真っ赤に染めながら。

ああ、なんて恐ろしい……。

「どうした!」

カナの恫喝で、はっと現実に引き戻される。

「ぼうっとしてる暇あったら、美咲さん見つけなよ」

「ずっと探してるが、こう人が多いとな」

俺は困惑しながら、あたりを見渡す。

「なんか美咲さんの特徴ないの? 髪を腰まで伸ばしてるとか、身長が2m近くあるとかさ」

「そんな極端な特徴はない、はずだ」

美咲のイメージを、断片的な記憶の欠片から繋ぎ合わせてみる。

「髪は肩までのセミロング。身長は165cmくらい。体型はスリムですらっとしている。均整の取れた顔立ちで、笑うとえくぼができて」

「ああ、そうですか!」

カナは何故かムスっとしている。

「とりあえず、痩せていて美人、オトナの女を探せばいいんだね?」

「そうだ。見つけてくれ」

「いた」

カナが指差す先には、中年のオッサンに腕をからます、いかにもケバそうなキャバ嬢らしき女の姿。

「違う。オトナの女ってそういう意味じゃない」

「まだ高校生の私に、オトナの女の定義とやらは難しいんですけど!」

なんだか機嫌が悪い。

「もういい。美咲は俺が探す。おまえはカメラ女子が襲ってこないか見張れ」

参道を抜け、漸く辺津宮神社の門口に立する、大きな赤の鳥居に辿り着いた。
江ノ島には、この他にも中津宮、奥津宮と、合計3箇所に神社が点在している。

さっそく、池の脇で寝ころんでいる数匹の猫を見つけたが、近くに美咲の姿はない。
猫の周りには、シャッターを切りまくるカメラ女子がずらりと並ぶ。

「猫いるね」

「ああ、カメラ女子もな」

「これじゃ美咲さんは、呉越同舟、とやらだね」

「学校で覚えたのか知らんが、言葉の使い方が間違ってるぞ」

時計に目をやる。
【殺し屋】再再発送メールが着信してから、15分が経っている。
お届け予定時間は30分以内。
残りあと15分で美咲を探し出さねば。

気が焦る。

「とりあえず、頂上にある展望台を目指そう。途中に何箇所か猫スポットがあったはずだ」





目の前の塀の上で、黒と白のぶち猫が俺を睨んでいる。
てめえ見てんじゃねえよ。うんざりなんだよ、観光客の相手するのは。
コイツはおそらく、そう思ってる。

俺はスマホを取り出し、改めて写真を眺めた。
最後から2枚目の写真が、この猫だ。

スワイプして最後の写真を開くと、展望台をバックにした葉山の気持ち悪いにやけ顔。

スマホから目を上げて振り返ると、そこには展望台がそびえ建っている。

美咲は、この目付きの悪い猫に会った後、ここで最後に、おそらく同行していたであろう葉山の写真を撮った。
そう、この場所で猫の見回りを終えたのだ。

俺は深くため息をつく。

あやふやな記憶を頼りに、なんとか猫スポットを巡り、写真アプリに入っていた猫は全て確認した。
だが、美咲はどこにもいなかった。

殺し屋の配達予定時間は過ぎようとしている。

美咲はもう、どこかで……。

目付きの悪いぶち猫の額を何気なく撫でながら、最悪の結果を想像して気分が落ち込む。

はくしょん!

つい撫でていたが、俺、猫アレルギーだった。

「かわいい猫ちゃんですね」

声がして目を上げると、いつの間にか、隣で見知らぬ女の子がにこにこしながら猫を眺めていた。
アースカラーのふわふわしたワンピースを着たハタチくらいの女の子。癒し系で、なかなかキュートな顔をしている。

「ああ……良かったらどうぞ。俺はもう撫で飽きたので」

「猫、お好きなんですか」

「いや、まあ、それほどでも」

「かわいいですよね! 猫ちゃん」

女の子はたすき掛けにした大きなバッグから、猫用のドライフードを取り出した。
ぶち猫の鼻先に差し出すが、奴はぷいっと横を向く。

「食わないですよ。ここら辺の野良猫は近所の食堂からたっぷり餌もらってるんで」

「そうなんですか……」

女の子は寂しそうに餌をバッグにしまうと、ポケットから小さな飴の袋を取り出した。

「飴でもいかがです?」

「ああ、どうも」

袋を破って出て来たのは、赤い猫の形をした飴玉。

よっぽどの猫マニアなんだろう。
姿見は異なれど、美咲と雰囲気が似ているな、とぼんやり思う。

「江ノ島にたくさんの猫がいるって聞いて、会いに来てみたんですよ」

「そうですか。猫が好きなんですね」

「ええ、とっても! でも、家が賃貸アパートだから猫飼えなくて……」

女の子は、寂しそうな笑顔を見せる。

なんだか、気分が落ち着く。
美咲と話しているような、どこか懐かしい感覚を覚える。

何気なく、もらった飴を口に放り込もうとしながら隣を見やると。

女の子は鞄から取り出したカメラを猫に向けていた。

……ん? カメラ?

「それ、食べちゃダメ!!」

振り返ると、みたらし団子を手にしたカナが叫んでいた。

はっと我に返って、口に入れかかった飴を投げ捨てる。

それを見た女の子は、みるみるうちに狂気を孕んだ殺し屋の顔に豹変すると、低い声で「ちっ」と呟いた。

「テトロドキシン。つまりフグの毒。経口摂取で青酸カリの850倍の毒性を持ち、少量でも体内に吸収されれば神経伝達を遮断し麻痺を起こして死に至る……はずだった」

感情の無い声を発すると、カメラを俺に向けてシャッターを連射する。

「せめて写真に撮られて、魂を抜かれるがよい!」

いつの時代の迷信だよ。
それにしてもカメラをバッグに隠し持った、カメラ女子。
それ、反則だろ……。

「じゃ、俺、先急ぐんで」

狂ったようにシャッターを切りまくるカメラ女子を無視して、カナに向き直る。

「おまえ、どこ行ってたんだよ。あやうく殺されるとこだったぞ」

「オジサンこそ、若い女殺し屋に鼻の下伸ばして。面倒見切れんわ」

みたらし団子の長男を口に入れながら、呆れた顔をするカナ。
俺もおまえの食い意地っぷりには、面倒見切れんよ。

「だが、アレが発送された殺し屋なら、美咲はまだ無事ってことだ」

「これから、どうするのさ」

「疲れた。取り敢えず、そこらの茶店で作戦会議だ」

ひゃっほーい、と歓声を上げるカナ。

そのとき、ふと何者かの強い視線を感じたような気がした。

だが、辺りを見渡しても、それらしき人影は見当たらない。
うん……気のせいか?





「白玉あんみつ!」

あちこち表面のニスが剥げ落ちた古い木製のテーブルにつくなり、カナが叫ぶ。

「わかったわかった。もう何も言わない。好きなモン、食えばいいさ」

展望台の近くにある、見るからに古い家屋の甘味処。
店内は予想に反してガラガラだった。
俺たちの他には、おそらく強い陽に当たりすぎたせいで、精も根も尽き果てて無口となった二人連れの婆さんしかいない。
普通の観光客は近隣に山ほど立ち並ぶ、しらす丼屋に集中しているのだろう。

「いらっしゃーい。暑いねー」

ダイエットなんて言葉に背を向けた、小太り体型の店のおばさんがせかせかと寄って来て、テーブルの上に水の入ったコップを並べる。

「えっと、注文は……」

「白玉あんみつ!!」

「……と、アイスコーヒー下さい」

「はいはい。あれっ?」

おばさんは首に掛けたタオルで顔の汗を拭いながら、目をまるくして俺の顔を見つめる。

「お客さん、また来てくれたんだねえ」

「えっ?」

「いつも女のひとと一緒だから、気づかなかった」

「あの、私も一応、女なんですけど」

カナが、ぶすっとした顔でおばさんを睨む。

「あれあれごめんねえ。この子は妹さんかな? いやね、いつもはすらっとした綺麗な人と一緒だから」

おそらく全く悪気は無いであろうおばさんのさり気ない発言が、カナの怒りを加速的に増幅させているに違いないが、今はそれどころではない。

「待ってください。私はよくここへ来てるんですか? その女性と」

「なによう、とぼけちゃって。おしどり夫婦のくせに」

おばさんが俺の肩を思いっきり叩く。痛い。
俺が美咲と一緒に、何度もこの甘味処に来ている?

いや、待てよ。

「それは俺じゃなく、こんな目をした俺に良く似た男じゃないですか?」

俺は目を精一杯目を細めて、葉山の顔模写を試みる。
おばさんも目を細めて、俺の作り顔をたっぷりと時間をかけて見つめた後、頭を傾げた。

「いんや、わからん。わたしゃド近眼だし」

肩をすくめて、すたすたと店の奥へ戻るおばさん。
その後ろ姿を睨み続けるカナ。

「何さ、感じ悪い」

「とにかく、美咲がここに良く来てたのは確かなようだ。おそらく葉山とな」

「でも、今日は来てないみたいだね。これだけ探しても見つからないし、やっぱり江ノ島には来なかったんじゃ」

「うーん」

俺は頭を抱える。
無駄足だったのか……。

「だが、殺し屋はここにも現れたぞ。美咲を狙っているなら、江ノ島に美咲が来ている可能性も否定できないだろ」

「ん……ちょっと、美咲さんのスマホ見せてよ」

スマホを渡すと、カナは猛烈な勢いで何やらタップし始めた。

「……ふむふむ。『スマホを探す』設定がされていて、位置情報提供機能もオンになっている。なるほどなるほど」

「なんだ、どういう事だ」

「このスマホは、今どこにあるかがわかるようになっているのさ。つまりだね、殺し屋はこのスマホの位置情報を追っている可能性が高いってこと」

「じゃあ、俺がこのスマホを持ってる限り、美咲は狙われないのか?」

「オジサンは狙われるけどね」

「コレを捨てちまったら?」

「殺し屋は追跡方法を切り替えて、別の方法でターゲットを追いかけるだろうね」

俺は頭を抱えた。
スマホを俺が持ってさえいれば、美咲は無事。
それは、ひとまず安心だ。
だが、俺のところにはこれからもずっと殺し屋が配達されるだろう。そう、俺が死ぬまで。

どうすりゃいいんだ……。

「はい、お待ちー」

店のおばさんが、テーブルの上に白玉あんみつとアイスコーヒーを並べた。
カナは満面の笑みを浮かべて、待ちきれんばかりに両手をふるふると動かしている。

ふと、おばさんの腰にぶらさがる、巫女のような格好をした猫が描かれたお守りに目がいった。
はっと気づいてポケットから、赤いお守りを取り出す。
俺のは和尚の猫が描かれているが、良く似ている。

「おばさん、コレは!?」

「ああ、これ? うちで売ってるお守りだよ。夫婦猫(めおとねこ)って言うのよ」

「夫婦猫?」

「江ノ島に3箇所ある江島神社。これは三女神といって、つまりは神話に出て来る天照大神(あまてらすおおみかみ)と須佐之男命(すさのおのみこと)の子供、三姉妹の女神様を祀ってるのさ。それにあやかって、アマテラス猫とスサノオ猫、ふたつセットで売ってるのよ。ほら、そこに並んでるでしょ」

おばさんは店の壁側にある、土産物コーナーを指差す。

「うちのオリジナルグッズ。結構人気なんだよ。これをカップルで持ってると絆が深まるってね」

「……神話では、スサノオが暴れたせいで、アマテラスは岩戸に逃げたんじゃなかったっけ?」

「細かい事は、私ゃ知らん」

いいかげんだな。

和尚と思っていたが、これはスサノオだったのか。
しかし、なぜ俺が、ここでしか売っていないお守りを持っているんだ。
美咲と葉山の後をつけて江ノ島までやって来て、自分でお守りを買ったのだろうか。

何のために?

気がつくと、カナが土産物コーナーにしゃがみこんで、なにやら物色している。
白玉あんみつの皿は、いつの間にやら空っぽだ。

相変わらず、食うのが早い。

呆れながら席を立って近寄ってみると、カナは安っぽいビニール袋に入ったアマテラス猫とスサノオ猫のお守りセットを手に取って、じっと見つめていた。

「欲しいなら、買ってやるぞ」

「ホントに!?」

カナは俺を見上げて、目をくりくりさせる。

コイツは食い気だけかと思っていたが、やっぱり普通の女の子なんだな。