目の前に、空のパフェグラスが2個並んでいる。
そして、今女の子がスプーンを口に運んでいる3個目も、そろそろグラスの底が見えそうだ。

マンションにほど近い住宅街の中に佇む、昔ながらの渋い喫茶店。
経年変化ですっかり煤けた木調の内装は、古き昭和の香りが漂う。

客は俺たちと、奥の席でスポーツ新聞を手で開いたまま、微動にだにしない爺さんがひとり。
喉にたんが絡むのか、たまに、かあっ、と発する声で生きている事を確認する。

無口で無愛想なマスターは、白髪まじりの後ろで縛ったロン毛に長い髭を生やし、その佇まいは、これまた『ザ・純喫茶』の主人にふさわしくも見事な調和を醸し出している。

大きな壁時計を見やると、11時前。

俺は何をやっているのだ。見知らぬ女子高生と寂れた喫茶店で。

しかし小柄なのに良く食う。何なんだこの生き物は。

「……カナ」

パフェカップの底に残ったクリームを掬って口に運びながら、彼女はぼそっと言う。

「え?」

「私、カナって言うんだ。よろしくね、オジサン」

空になった3個目のパフェカップを脇に置くと、満足そうに微笑んだ。

「さてさて。それでは、不審者オジサンの身の上話を聞いて進ぜよう」

「いや、話すことなんかないし」

「記憶なくしたんでしょ。話しているうちに思い出す事あるかもよ?」

それはそうかもしれない。
正直混乱して、自分だけじゃどうにもならなくなっている。

「それとも警察に相談する? やぶ蛇だと思うけど」

そう、現時点での相談相手の選択肢は、警察か、目の前にいる謎の女子高生。
だが警察は、マズイ予感がする。
さっきの男が、俺の事を通報した可能性が高い。
もし、あの男の話が正しければ、俺はやっかいな事態になりそうだ。

となると、消去法で目の前の女子高生しか残らない。
まあ誰でもいい。彼女の言う通り、話しているうちに記憶が蘇るかもしれないし。

俺はため息をついて仕方なく、バイクで転んでからの一部始終を、カナなる女子高生に話した。





「ほうほう」

カナは俺の話を聞き終わると、腕組みをして天井を見上げた。

「現時点で判明した事がふたつ」

「なんだ」

「ひとつは、オジサンが美咲さんのストーカーである可能性が非常に高いこと」

女子高生に冷静に宣告されると、酷く落ち込む。

「もうひとつは、なんかの刺激がキッカケで、部分的に記憶が戻ること」

ふむ。

確かに、エレベーターが動くがこんという音で、ベランダからの風景が頭に浮かんだし、スクランブルエッグを食べたら、美咲のことを思い出した。
テーブルに置かれたスマホを見た瞬間、それがすぐに美咲のだとわかったし。

しかし、それは俺が美咲という女性の情報を、執拗かつ入念に調べ上げていたストーカーであるという事実に他ならない。
美咲の家に侵入して、勝手にスクランブルエッグを食ったり、部屋を覗いたりもしていたのか。
ああ、我ながらなんておぞましい。

「ただ気になるのは、美咲さんに関する記憶がリアルすぎることだね。オジサン、もしかして昔、美咲さんと付き合っていたんじゃない?」

「えっ?」

「美咲さんの記憶ばかり思い出してる。よっぽど好きだったんだ。でも美咲さんはオジサンと別れて葉山という男と結婚した。で、オジサンは今でも美咲さんのことが忘れられずにストーカーになった」

ほう。

なるほど、理にかなっている。
あの部屋に美咲と住んでいた可能性もあるわけだ。
それならば記憶が残っていても不思議はない。
全く期待していなかったが、カナの分析は、なかなか侮れない。

「そして、わからないことがひとつ」

カナが眉間に皺を寄せながら、身を乗り出す。

「美咲さんは、どこへ消えたのか」

ぴろろん。

突然、ポケットから音がした。

美咲のスマホが鳴っている。
あわててて取り出すと、画面にメール着信の文字が表示されていた。

恐る恐るメールを開くと、目に飛び込んで来たのはこんな文面。

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件名:【殺し屋】発送のお知らせ

本文:

毎度ありがとうございます、【殺し屋】派遣ネットショップです。

【ストーカー】様よりご注文頂きました【殺し屋】を本日発送しましたので、お知らせします。

お届け予定時間:30分以内

お届け先:あなた

お届けする【殺し屋】:日傘おばさん

返品、交換は一切受け付けられませんのでご了承ください。
ご不明な点につきましては、【ストーカー】様にお問い合わせください。

またのご利用をお待ちしております。

※このメールアドレスは配信専用です。このメッセージに返信されても回答しかねます。

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な、なんだこれは。

迷惑メールか何かか?

「何固まってるの、オジサン。美咲さんからメールでも来た?」

カナの声で我に返る。

「いや、訳のわからんメールだ」

スマホの画面を見せると、カナは黄色い声で叫んだ。

「あー! これ来ちゃったんだ!!」

奥の席に陣取る爺さんが、耳をほじりながら不愉快そうにわざとらしく「かあっ」「かあっ」を連発する。

「なんだよ、来ちゃったってどういうことだよ」

カナは辺りを見やり、声を潜めた。
と言っても店内には、かあっ爺さんと昭和のマスターしかいないが。

「オジサン知らないの? これ最近話題の『殺し屋派遣ネットショップ』だよ。この殺し屋発送メールを受け取った人は、必ず殺される。ここに書いてあるお届け予定時間までにね」

カナが真面目そうな顔で話すので、俺は吹き出した。
所詮はオカルトや都市伝説好きの女子高生か。

「くだらない。そういうのマンガとかで散々見たよ。このメールが届いたら死にます。このアプリを起動したら死にます。なにがなんでも死にます」

「バカにしてるね? いいこと、このメールは本物。オジサン本当に死ぬよ」

「はいはい。でも、これ注文者は【ストーカー】って書いてあるぞ。ストーカーって俺のことじゃないのか?」

カナは、はっとしたように大きい目をさらに見開く。

「で、そのスマホは美咲さん、のだよね?」

からんころん。

涼しげなドアベルの音色とともに扉が開き、髪の毛を紫に染め、花柄のワンピースを着た60歳くらいのおばさんが店に入って来た。
手には白い日傘。

「あらあら、今日も暑いわねえ」

おばさんは誰に話しかけるでもなく、そう口にする。
顔の汗を手に持ったハンカチで拭いながら、よたよたと隣りのテーブルの椅子に腰掛けた。

俺はスマホを手に取り、改めてメールの文面に目を通した。

お届け予定時間:30分以内
お届け先:あなた
お届けする【殺し屋】:日傘おばさん

日傘おばさん?

いや、まさかな。

おばさんはマスターに、アイスミルクティーね、と言うと、取り出した扇子で顔を扇ぎながら、窓の外を眺めている。

どこからどう見ても、そこら辺にいる普通のおばさんだ。
だが、カナは緊張した面持ちで、目配せする。

いやいやいや。

おばさんが、ふとこちらを見やり、話しかけて来た。

「暑いわね、本当に。あなた達、兄妹?」

「……いえ、違います」

「あらそう、どうりで顔がそっくりね」

話が噛み合っていない。
なんとなく嫌な予感がした。

「そのスマホ、あなたの?」

「ええ、いや、その」

「あなたのよねえ。かわいらしいスマホだこと、猫ちゃんのストラップ付いてて」

「はあ」

カナの言う事を信じる訳ではないが、背筋に寒気を感じるのは、冷房が効きすぎた店内の影響だけではないようだ。

長居は無用、と急かすは心の声。

カナに出ようか、と言って、ライダーズジャケットを羽織り、スマホをポケットにしまいながら立ち上がる。

その瞬間、視野の片隅で、おばさんの手が信じられないスピードで動くのが見えた。

ハッと気がつくと、俺の胸のちょうど心臓部あたりに、白い日傘の先端が突き刺さっている。
おばさんが、にやりと口元を歪ませた。

えっ……!?

「ごめんなさいねえ。まだお若いのに」

おばさんは日傘を俺に突き刺したまま、哀れみの視線を投げかける。

きゃああああああああっ!!

店内にカナの悲鳴が響き渡った。

いや、しかし。
痛みは無い。

俺が体を軽く捻ると、日傘の先端は根元からぽっきりと折れた。

「えっ、何故!?」

おばさんの表情が、瞬時に驚愕へと変貌する。

おそるおそるライダーズジャケットの胸元を開くと、針のように尖った日傘の先端が、胸部に装着された樹脂製のプロテクタに突き刺さっていた。
(ライダーズジャケットには、事故の衝撃を抑える為に、各所にプロテクタが装備されている)

『着けよう、命を守るプロテクタ』

ふと頭に浮かんだのは、交通安全の標語。

「な、何するんだ! 死ぬとこだったぞ!」

「いや、オジサンそれ違うから。殺す為に刺したんだから!」

「こ、殺すって、なぜ?」

「理由はわからない。誰かが殺し屋を送ったの!」

これはリアルなのか。
気が動転して、何がなんだかわからない。

日傘おばさんは、いつの間にかガラケーを耳に当て、どこぞに電話をしている。

「はい私です。いえね、受け取り拒否でしたの。ほほほ。こんなこと、初めてですわ。本当にすみませんでした。では」

のんびりした口調で通話を終えると、俺を見てにっこりと微笑んだ。

「それでは、お気をつけて」

「は、はあ」

深々と丁寧に頭を下げるので、俺もつられてなんとなく会釈する。

「何してるの! ほら、早く出よう! マスター、コレつけといて!」

カナに無理やり腕を引っ張られ、俺は茫然自失のまま店の外へ出た。

なんだ。
いったい、これは何なんだ。

カナは俺の手を引きながら、骨までをも焦がすような陽の光が煌々と照りつける住宅街の路地を、ひたすら走り続けた。

女子高生と手を繋ぎながら全力で走る、25歳(くらい)の男。

端から見れば、こんな奇妙で怪しい光景はない。
敢えて深読みするならば、痴漢男が女子高生に扮したロリ婦人警官に連行されている、といったところか。

「ちょっと待て、どこへ行くんだ」

俺は息を切らして、足を止めた。
両手を膝に付いて、肩で息をする。
長袖のジャケットを着ているせいで、全身汗だくだ。

もう走れない。

「殺しは失敗したんだろ? 逃げる必要なんてないんじゃないか」

カナが眉間に皺を寄せて、俺を睨む。

「オジサン、わかってない。一度殺し屋発送メールが届くと、ターゲットは必ず殺されるの。どんな手段を使ってでもね」

「いやでも、あのおばさんがここまで付いて来れるとは思えないし」

「配達される殺し屋が、ひとりだけだと思う?」

マジかよ。

俺は、あわてて辺りを見渡したが、路地に人影は見当たらない。
野良猫があくびをしながらゆっくりと、目の前を横切って行った。

ちょっと整理しよう、と言いながらカナが額に手を当てて考え込む。

「殺し屋派遣ネットショップに注文を出したのは、【ストーカー】だよね。で、襲われたのはオジサン」

「という事は、俺はストーカーじゃなかったと言う事か」

「いや、殺し屋配送メールが届いたのは、美咲さんのスマホ。日傘おばさんは、スマホがオジサンのかどうか確認していた。つまり殺し屋のターゲットは、スマホの持ち主である美咲さんという事になる」

「えっ、美咲が狙われてるのか?」

「そして、殺し屋を注文した【ストーカー】なる人物は……」

カナは顔を上げると、俺に向かって真っすぐ指差した。

「記憶をなくす前のオジサン、あなたよ」

頭の中を、某少年探偵アニメのテーマソングが鳴り響く。

「お、俺が美咲を殺すだと? なぜだ」

「さあ、愛情と憎しみは表裏一体ってこと? 生憎、ストーカーの心理には詳しくないんだよね」

愛していた美咲が自分のものにならないから、殺すしかないと判断したってことか?
俺って異常なまでに執着心が強い性格だったの?

いや、そんなまさか。
記憶がない俺は、いたってニュートラルな思考で動いている。
極端に何かを思い詰めるような、そう、ストーカーのような性格とは、自分自身とても思えない。

だが、ともあれこの状況をなんとかせねば。

「とにかく、美咲は俺のせいで殺し屋に狙われているんだな」

「うん。奴らは必ず美咲さんを見つけ出す」

「殺し屋の注文をキャンセルする方法はないのか?」

「あるけど」

微かな希望が芽生える。

「殺し屋派遣ネットショップのサイトにアクセスして、注文した時のパスワードを入れればキャンセルできるはず」

俺は頭を抱えた。
自分に関する記憶が一切ないのに、得体の知れないサイトのパスワードなんて覚えているわけが……。

待てよ。
これまでのパターンからすると、カナが言う通り、なんらかの刺激によって記憶が戻る可能性がある。
殺し屋派遣ネットショップのサイトを見れば、パスワードも思い出すかもしれない。

俺は美咲のスマホを取り出した。

「そのサイト、どうやったらアクセスできるんだ」

だが、カナは顔を曇らせる。

「わからない。ネットや学校でも散々噂になってるけど、誰も見つけたものはいない。伝説のサイトなんだ」

ぷるるるるる。

手に持ったスマホの着信音が唐突に鳴り始めたので、俺は飛び上がった。

もしかして、美咲か?

あわてて通話ボタンを押すと、耳に飛び込んでしたのは、葉山のがなり声。

「あんた! 美咲のスマホを持ち逃げしただろう!」

「いや、それより大変なんだ。美咲は帰って来たか?」

「おい、ストーカー風情が人の妻を呼び捨てにするな。どこにいるかわかったとしても、あんたなんかに教えるものか!」

「その言い方からすると、まだ帰ってないんだな」

唇を噛み締める。

「いいか、よく聞け。美咲は殺し屋に狙われている。早く見つけ出さないと大変なことになる。戻って来たらすぐに警察で保護してもらえ。わかったか!」

「なに寝言を言ってるんだ。あんたこそ警察に確保されちまえ。バカ!」

いきなり通話が切れた。
苛立ちながらスマホの画面を見ると、メール着信1件の表示。

「おまえが、受取人か?」

低く野太い声に、はっとして目を上げる。

道路の真ん中に、毛むくじゃらの巨大な着ぐるみが腕を組んで立っていた。

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件名:【殺し屋】再発送のお知らせ

本文:

毎度ありがとうございます、【殺し屋】派遣ネットショップです。

【ストーカー】様よりご注文頂きました【殺し屋】を発送しましたが、受け取り拒否されましたね?
商品の性質上、受け取り拒否はお断りしております。

【殺し屋】を再発送しましたので、お知らせします。

お届け予定時間:10分以内

お届け先:あなた

お届けする【殺し屋】:ゆるキャラ

返品、交換は一切受け付けられませんのでご了承ください。
注)勿論、受け取り拒否もです!

ご不明な点につきましては、【ストーカー】様にお問い合わせください。

またのご利用をお待ちしております。
※このメールアドレスは配信専用です。このメッセージに返信されても回答しかねます。

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ゆるキャラ、だと?

この着ぐるみが?

2mはあるかという長身。

顔はペンギンだが、体はふさふさの毛に覆われている。全身渋い紫色だ。
大きな頭部に対して、胴体はウエットスーツのように細身の体にぴったりとフィットしており、見るからにアンバランスで異様な姿。
星が描かれた大きな目と、緑色の大きい長靴だけが、ゆるキャラらしさを辛うじてアピールしている。

「再配達に伺いましたー」

そう言って肩をすくめながら、だるそうに羽根を腰のポケットに突っ込む。
まるで、ペンギンのお面を被った厳冬地のヤンキー兄ちゃんだ。

「カナ、こいつは、ゆるキャラという殺し屋らしい」

「カワイイ」

カナは目をキラキラさせている。
女子高生の特異な感性は理解できない。

「とっとと済ませましょうや。こちとら死ぬほど暑いんでね」

ゆるキャラらしくないドスの効いた声を発する、ゆるキャラ。

ポケットからゆっくりと取り出したのは、魚?
いや魚の形をした鈍器か何かだ。

ゆるキャラが魚を振ると、びゅっと言う、重厚な風切り音が聞こえた。

だが、カナは「カワイイ」を連発しながら、ゆるキャラに突進する。
そのまま、怯んだゆるキャラに思いっきり体当たりすると、ゆるキャラはもんどり打って後ろに倒れた。

いくらスリムな身体とは言え、かぶり物を被っていれば俊敏には動けない。
そのまま、ごろごろと地面を転げ回る。

「今のうちよ! 逃げよう!」

ふたたびカナに手を引っ張られて、全力で走り始める。

また走るのか。

だが後ろを振り返ると、起き上がったゆるキャラは、驚異的な脚力で俺たちに接近していた。

「まずいぞ、カナ」

あっと言う間に俺の背後に迫るやいなや、両羽根で突き飛ばされた。
前につんのめった俺は、カナと一緒にアスファルトに叩き付けられる。

すかさずゆるキャラは、地面を蹴って大きく跳躍すると、俺に向かって魚を振り下ろす。

その姿はまさに、空飛ぶペンギン。

ビシッ!

とっさに避けた頭をかすめて地面に魚が叩き付けられ、砕け散ったアスファルトの破片が顔に振りかかる。

こいつ、日傘おばさんとはレベルが違う……。

ふたたび魚を振り上げたゆるキャラの、数多の星が描かれた大きな目の奥に、狂気の笑みが垣間見える。

次の瞬間、ゆるキャラの側頭部にカナのドロップキックが食い込んだ。
その躍動する太ももは、夏の太陽に白く輝き、無意識に俺の脳裏へと焼き付けられる。

そう、ゆるキャラは前しか見えていないから、横から攻めたカナは死角となったのだ。

カナの不意打ちは成功し、ゆるキャラは再び地面を転がる。

「てめえ、ただモンじゃねえな」

ゆらりと立ち上がったゆるキャラは、腰を低く構えたカナと向かい合う。

ペンギン vs. 女子高生(猫娘)。

後にも先にも、まず目にすることはない、不条理な光景。

俺は様子を伺いながら、そっとゆるキャラの背後に回った。

前しか見えないゆるキャラは、俺の動きに気がついていない。

ゆるキャラとカナは、睨み合いを続けている。

お互いの動きを探り、間合いを計るその様子は、異様な殺気に満ちていた。

カナが注意を引いたおかげで、俺は難なくゆるキャラの背後に接近する。

頭の被り物を両手で掴むと、一気に反対側に回転させた。

「うおっ!!」

いきなり視界を奪われ、悲鳴を上げるゆるキャラ。

背中を押すと、簡単にうつぶせに倒れた。
と言っても、ペンギンの顔はこちらを向いているのがホラーだが。

ふと、閃いた。

俺はゆるキャラの背中に馬乗りになると、胸のジャケットに突き刺さったままの、針のような日傘の先端を引っこ抜いた。
ペンギンの両羽根を後ろ手にくっつけると、針を通し折り曲げて固定する。

視覚を奪われ、後ろ手(いや羽根か)を繋がれたゆるキャラは、うなり声を上げながらその場をごろごろと転がった。

もう、こいつは起き上がれない。

「やるじゃん、オジサン」

カナが感心したように、手を叩く。

と、背後で女の子の泣き声がする。

振り返ると、5才くらいの小さな女の子が、俺を睨んで号泣していた。

「ぺんぺんをいじめないれ!」

そのぺんぺんは路上で悶えながら、とても子供に聞かせられない汚い言葉を吐き続けている。

俺は女の子に近づくと、しゃがんで優しく声を掛けた。

「ぺんぺんをたすけるほうほうがひとつある。いまからいうじゅもんをおかあさんにつたえるんだ。いい?」

女の子は涙を零しながら、深く頷く。

「じゅもんはこうだ。『ふしんしゃがいるからけいさつをよんで』」

「ふひんひゃがいるからけーさつをよんれ!」

「そう、いいこだ。はやくおかあさんにつたえないと、ぺんぺんはみずがなくなってしんでしまう。いそいで」

女の子は踵を返すと、全力で走り去っていった。





「不審者が不審者をやっつけるなんて、笑える!」

カナはひとりでウケている。

「笑うな。殺し屋はもうたくさんだ」

早足で歩きながら、来た道を戻る。

「どこ行くの、オジサン」

「美咲を探す。殺し屋に狙われているのが俺のせいだとすれば、なんとしても助けなきゃ」

「ほうほう、ストーカー愛ってやつですかい」

確かに美咲のことは愛している、ような気がする。

「でも、どうやって探す気? 美咲さんがどこ行ったかもわからないのに」

「ひとつだけ心当たりがある。付き合ってた頃の記憶かもしれないが、美咲は休日になると、よくひとりで江ノ島へ行っていたんだ。野良猫に会うために」

「江ノ島? 海行くの!?」

カナの表情が、ぱあっと明るくなる。

「おまえを連れて行くわけないだろうが」

ふたたび、マンションの前まで戻ってきた。
美咲とあの男が住むマンション。
だが、なぜか俺を引き寄せる。

マンションの前に停めたハヤブサにキーを差し込み、エンジンをかける。
夏のねっとりした空気を、1300ccの排気音が切り裂いた。

腕時計を見ると11時半。かっとばして、江ノ島まで1時間半くらいか。

美咲が見つかるかどうかは分からないが、少しでも可能性があるなら行ってみる価値はある。

ふと横を見ると、暴走族御用達の半キャップヘルメットを手にしたカナがいた。

「……それ、どこから持って来た」

カナが指差した先には、完全ヤンキー仕様の改造バイク。

ちょっと、待て。

カナはひょいと、タンデムシートに飛び乗る。

「おい」

「連れてかないと、ナンバー、警察に通報するからね。殺し屋を雇ったストーカーが江ノ島に向かってますってさ」

……マジかよ。

俺は深くため息をついた。