小田急線を終点の新宿で降りて、JR中央線に乗り換える。
夕方の帰宅ラッシュには少し早い時間で、電車の中は空いていた。
俺はカナと並んで座席に座り、両足の激しい貧乏揺すりを抑えられずにいる。
三鷹まであと15分、そこからマンションまで5分。
間に合うだろうか。
「なあ、オジサン」
「なんだ」
「どうも、気になる事があるんだけどさ」
「なにが気になるんだ」
「……いや、やっぱり気のせいかもしれん」
「いいから、言ってみろ。こっちが気になるだろうが」
カナは観察するかのように、じっと俺の顔を見つめた。
「……なんとなく、なんとなくなんだけど、オジサンの雰囲気がいつもと違う気がする」
「違うって、どこらへんが」
「それは、わからん。だけど、なんか違和感があるっていうか」
「なんだ、そのアバウトな分析は。あいつに人生を乗っ取られてからこの3日間。ずっと追いかけ続けて、風呂にも入ってない。もう少し体力ある方だと自分でも思ってたんだが、疲労もピークだ。だから、いつもと違って見えるのは当たり前だろうが」
「そりゃそうだけどさ」
カナは、なんとなく釈然としない様子で、持っていたスマホに目を落とす。
「あっ。殺し屋派遣ネットショップに、あいつから依頼が入ったみたいだよ」
「そんなことが、わかるのか?」
「うん、殺し屋登録していれば、いつ誰が依頼したのかわかるのだ」
「ターゲットはもしや、美咲じゃないだろうな」
「いいや、オジサン」
またか。また、狙われるのか。
まあ、ターゲットが美咲じゃなくて本当に良かったが。
「派遣される殺し屋は誰だ?」
「えーっとね。『ニセ医者』だね」
「あの、最も殺し屋に向いていない奴か……相手にならんな」
おそらく、殺し屋を差し向けたのは、あいつの時間稼ぎだろう。
あいつも今、美咲の元へと向っているはずだ。
一刻も早く、マンションに行かなければならない。『ニセ医者』なんか、相手にしている暇はないのだ。
「とにかく『ニセ医者』を見掛けたら、有無を言わさず倒すからな。あいつの、まだるっこい話し方に付き合っている場合じゃない」
電車が三鷹駅に着くやいなや、ホームを全速力で走り抜け、階段を二段飛びで駆け上がった。
だが、そこで力が尽きた。
両手を膝について、ぜいぜいと肩で息をする。
「どうした、オジサン。なに、休んでるのさ」
「ちょっと、待ってくれ……息が切れた……」
「たった、これくらいで? もう、オジサンじゃなくて、ジーサンだね」
「なんとでも言え」
「ほら、早く」
駆け出したカナの後を追って、力を振り絞るように走った。
改札を抜け、南口の階段を下りてロータリーに出る。
そこで、カナの姿を見失った。
立ち止まって辺りを見渡すが、人ごみに紛れてしまいどこにも見当たらない。
まったく、あいつは体力だけはモンスター級だ。
まあ、仕方ない。とにかくマンションへ急ごう。
そう思って再び走り出そうとした時、ふいに何者かに、背後から羽交い締めにされた。
「なっ!」
声を上げようとして、赤いゴムボールが口にねじ込まれる。
もうひとりの男が現れ、俺の両足を抱え上げた。なぜか救急隊員の服装だ。
二人で俺の体を抱きかかえるように持ち上げて、近くに置いてあったストレッチャーに乗せ、腕と足をベルトで固定した。
あっと言う間の出来事だった。
救急隊員の男達は終止無言のまま、手際よく瞬時に俺を拘束したのだ。
ストレッチャーに乗せられたまま、ガラガラという音とともに何処かへと運ばれて行く。
体は全く動かす事ができない。声も発せられない。
そして、ストレッチャーが停まると同時に、男達が持ち上げて、そのまま車の中へと押し込まれた。
バタンと、車のバックドアが閉まる音がする。
首を動かして周りを見渡した。
白い室内灯に照らされた車内に窓はなく、なにやら医療用の機械が並んでいる。きついアルコール臭もする。
そう、ここは、救急車の中だ。
そして、頭上からひょっこり視界に入って来たのは、ボサボサの髪、ぎょろりと大きな目をした怪しい男。
あの、『ニセ医者』だった。
「や、や、や、やあ!」
心から楽しそうに、満面の笑みを浮かべている。
しまった。
殺し屋がニセ医者だと聞いて、完全に油断していた。
こんな手を使うとは。
力を振り絞って体を左右に捻り、ベルトを外そうと試みたが、きつく固定されていてびくともしない。
「あ、あ、あ、あ、あばれても、む、む、むだむだむだですよお!」
ニセ医者は右手に持った巨大な注射器を掲げると、プランジャを軽く押した。
針の先から、ぴゅっと液体が飛び出す。
「こ、こ、こ、これが何だかわかりますか? 塩化カリ、カリカリカリウムと言って、ワンショットの注入で、や、や、や、約1000mEq/Lのカリウムが心臓に送られ、し、し、し、しししし心停止に至るのでございます!」
ニセ医者は俺に顔を近づけ、注射針をゆっくりと首元に当てる。
やばい。
これは、かなりのピンチだ。
この窮地から逃れるには……。
あの手しかない。
俺は、とっさに口の中のゴムボールを吐き飛ばした。
ぱこんという音とともに、ゴムボールは眼前に接近していたニセ医者の額に当たり、奴はおおげさに後ろに仰け反りかえる。
「ひいい!」
「何をやってんだ!」
わざと大声で怒鳴りつけた。
今の俺にできること。それは、あいつに成り済ます事だ。
「俺は、葉山浩介を殺せと命じたはずだ。とり違えるとは、どこまで間抜けなんだ! バカ者め!」
「えええ? あなたは依頼主さま? だって、か、か、か、顔がおんなじなんだもの」
「いいから早くこのベルトを外せ。あいつはまだそこらにいるハズだ。とっとと捕まえろ!」
「す、す、す、すみませんでした!」
ニセ医者は、あわてて震える手でベルトを外しにかかる。
腕、足と、ようやく解放された俺は、むっくりと上半身を起こした。
目の前に、媚びるように無理矢理笑みを浮かべたニセ医者の顔がある。
「こ、こ、こ、今度こそは必ず……」
有無を言わず、やつの額に思いっきり頭突きを食らわせた。
ニセ医者は、白目を剥いて声もなく、その場にばたんと崩れ落ちる。
「いたた……」
自分も激しい頭痛に、両手で頭を抱えた。
慣れない事は、するもんじゃない。
突然、救急車のバックドアが開いて、外の光が車内に差し込んだ。
姿を見せたのは、カナ。路上には、先ほどのニセ救急隊員たちが転がっている。
「こんなところで、なにしてるのさ!」
「なにって、おまえ……それより、なぜここにいるとわかった?」
「救急車のそばで救急隊員がのんびりタバコ吸ってりゃ、誰だっておかしいと思うわさ」
こいつらは、やっぱりどこか抜けている。
「ぼうっとしてないで、早く行こうよ!」
◇
マンションの前に、赤いオープンのミニクーパーが停まっていた。
あいつの車だ。
だが、あいつの姿は見当たらない。
「カナ、あいつは恐らく部屋にいる」
「美咲さんを、どうするつもりだろう」
最悪の光景が頭に浮かぶ。
血に濡れたナイフを握りしめたまま、呆然と立ち尽くすあいつの姿。
床に倒れた美咲は、血溜まりの中でぴくりとも動かない。
その周りで、にゃーにゃーと鳴き叫ぶ猫たち。
「美咲!」
エレベーターは5階で止まっている。
降りて来るのを、待っている余裕はない。
迷わず非常階段を駆け上がった。
息を切らしながら5階の外廊下に出ると、下の方から大きな声が聞こえた。
「なに? どういうことか説明して!」
それは美咲の声だ。
あわてて手すりから見下ろすと、エレベーターから降りて路上に出た、美咲とあいつの姿が見えた。
あいつは美咲の腕を掴み、車の方へと無理矢理引っ張っている。
「だから、全ては俺にそっくりなストーカーが仕組んだことだったんだよ!」
「コースケ、何を言っているのかさっぱりわからない」
「詳しくは後でちゃんと説明するから! 兎に角、あいつが来る前に逃げよう!」
助手席のドアを開けて、美咲を強引に押し込む。
「おい、待て!」
思わず大声で叫んでいた。
こちらを見上げて、動きが止まる二人の姿。
美咲が悲鳴をあげた。
「コ、コースケが二人いる!?」
「あれがストーカーの正体だ! わかっただろ! ここにいたら殺される!!」
あいつは俺の方を指差すと、ドアをジャンプして運転席に滑りこんだ。
まずい、このまま美咲を連れ去られてしまう。
俺とカナは再び上って来たばかりの階段を駆け下りた。
美咲と一緒に逃げるストーカーを追いかける、ストーカー呼ばわりされてる俺。
頭の中がパニックで、もう何がなんだか訳がわからない。
ようやく1階に辿り着いて視界に入ったのは、猛烈な勢いで走り去って行くミニクーパー。
「オジサン、ハヤブサで追いかけよう!」
「カギがない。いや部屋に戻れば、合カギがあるが……」
そんな余裕はない。
辺りを見渡すと、エンジンを掛けたまま停まっている新聞屋のカブがある。
持ち主は、配達中なのか姿がない。
俺は迷わず、シートに跨がった。
カナも、新聞が積み上げられた荷台に飛び乗る。
「しっかり捕まってろ!」
スロットルを捻り、全開でミニクーパーの後を追いかける。
だが所詮は、原付50cc。1300ccのハヤブサと比べるまでもない。
ビーンという甲高いエンジン音の割に、ゆっくりと景色が流れて行く。
これで、追いつけるのか。
だが角を曲がると、ミニクーパーは前方に停止していた。
その前の横断歩道では、そろいの黄色い帽子を被った大勢の幼稚園児が、はしゃぎながらてくてくと道路を横切っている。
カブを車の横に着けると、あいつに向って叫んだ。
「おい! 停めろ!」
あいつは肩をすくめて答える。
「停まってるだろ?」
俺を見て、美咲が悲鳴を上げる。
「きゃあああああ!」
なんだ、このシチュエーション。
俺は、いったいどうすればいいんだ。
幼稚園児の列が途切れ、堰を切ったように飛び出して行くミニクーパー。
あわててハンドルを握り直し、後を追いかける。
「なあ、カナ」
「どうした」
「俺はどうやって、本当の俺だと証明すればいいんだ?」
「オジサンは、オジサンだよ」
「答えになってない」
「自分を信じるのさ。これまでやってきたこと、全てをしっかりその手に握りしめれば、人生なんとかなるもんさ!」
「そうだな……そうしてみるぜ!」
俺はアクセルを握る手に、ぐっと力を込めた。
入り組んだ狭い路地。右へ左へと小回りを効かせながら逃げるミニクーパーを必死に追いかける。
大通りに出られたら終わりだ。
カブのパワーじゃ、絶対に追いつけっこない。
「オジサン!」
カナが叫ぶ。
「もう少しだけ接近して!」
「どうするんだ」
「いいから、もっと近づいて!」
カナは荷台の上に立ち上がり、俺の肩に手を掛けた。
俺はタイトコーナーを後輪を滑らせながら曲がると、身を屈めて一気にスロットル全開にする。
ほんの一瞬、数メートルまで距離が縮まった。
ふっと、後ろが軽くなる。
見上げると、猫のように大きく跳躍したカナの姿が空に浮かんでいる。
それは、まるで時が止まったように。
次の瞬間、カナはミニクーパーの後部座席にすとんと着地した。
そして後ろから腕を回して、あいつの首を締め上げる。
あいつは思わずハンドルから手を離し、カナの腕を振り解こうと、苦しそうにもがいた。
操縦を失ったミニクーパーは、ふらふらと彷徨いながら何度か左右の塀に車体をぶつけ。
やがて前方の住宅地の隙間にぽっかりと空いた畑へと突っ込み、激しく土煙を上げながら漸く停止した。
「美咲! カナ!」
カブを乗り捨てると、急いで車へと向う。
開いたエアバッグの上に、ぐったりと突っ伏せる美咲とあいつ。そして、後部座席にちょこんと座って目をくりくりさせているカナ。
「大丈夫か!」
ピースサインを出すカナを横目に、美咲に駆け寄る。
「う、ううん……」
苦しそうな息をつきながら、美咲が頭を起こす。
そして、俺の顔に気づくや否や、ひゃっと悲鳴を上げて跳ね起きて、あいつにすがりついた。
「車から離れろ!」
いつの間にか目を覚ましたあいつが、強い口調で俺に怒鳴る。
あまりの剣幕に押され、俺は思わず後ずさった。
美咲とあいつが、よろけながら車を降り、俺たち3人はそれぞれ距離を取ってお互いを見合った。
美咲は泣きそうな表情で、俺とあいつを交互に見比べている。
「……どっちが、どっちが本物のコースケなの……」
「美咲、騙されちゃだめだ。追いかけて来たのはあいつだ。あいつが整形したストーカーなんだよ! 追いつめられて美咲を殺しに来たんだ!」
あいつは俺を指差し、唾を飛ばしながら叫び続ける。
「ほらっ。前にストーカーされてたこと、あっただろ? しつこくメールを送り続けて、江ノ島にまで追って来た。それが、あいつ、あいつなんだ!」
「なんで、その事知ってるの? 話した覚えがないのに」
「……それは、なんだ。その、美咲のスマホを見ちゃったんだよ! なにかいろいろ悩んでいるようだったから心配で。本当にごめん! だけど俺の言っている事は本当だろ。間違いないだろ!」
「間違いないけど……ストーカーなら知ってることだし……」
「じゃ、じゃあ、そうだ。そこにいる女子高生。あいつはカナって言う殺し屋なんだ。あいつと組んで俺たちを狙っていた。だからこうやって、危うく殺されそうになったじゃないか! これが何よりの証拠なんだよ!」
俺は黙って、あいつが叫び続ける声を、ただ聞いていた。
美咲が振り返って、俺に声を掛ける。
「……あなたは? あなたは何も話す事はないの? あなたが私のストーカーなの?」
何かを口に出さなきゃならないのは、わかっている。
だけど、何も言葉が浮かんで来ない。
まるで記憶が遠い空の彼方へと飛んで行ってしまったかように、何ひとつ出て来やしない。
俺は今更ながらに気がついた。
美咲との記憶。そう、数多の思い出を失ってしまっている。
おそらく、あのエレベーター事故の衝撃で。
ずっと感じていた体の違和感は、このせいだったのか。
「そうなのね。あなたが、ストーカーだったのね」
美咲は俺を険しい目で見つめながら、ゆっくりあいつの方へと後ずさって行った。
その時だった。
ブチの野良猫が歩いて来ると、鳴き声を上げながら、あいつのコーデュロイパンツに体を擦り寄せた。
あいつは猫を抱え上げると、にこやかに笑いながら顔を擦り寄せる。
「ほらっ。美咲が猫好きなのも知ってるよ。家には5匹の猫がいる。この猫も連れて帰ろう!」
言い終わらないうちに、あいつは立て続けに大きなクシャミをした。
「そうだった。俺、猫アレルギーだった。ははっ」
抱いていた猫を美咲に手渡すあいつ。
美咲は猫を抱きしめたまま、何やらじっと考え込んでいた。
そして踵を返すと今度は俺に近寄り、猫を差し出す。
俺はそのまま猫を抱き受ける。
クシャミは出なかった。
「……確かにうちには猫がいる。私が好きなせいで、猫アレルギーのコースケには本当に辛い思いをさせてしまった」
美咲はあいつに振り返ると、そう言った。
「でも、コースケも頑張ってくれたの。病院に通って、抗アレルギー薬を飲み続ける事で、猫アレルギーを克服した。だから、クシャミはもう出ない」
「は?」
あいつは、困惑したような作り笑顔を顔に貼り付けたまま、その場に固まった。
「美咲……」
ふと、頭の中にイメージが湧きあがる。
波打ち際で、俺を見つめる美咲の夕陽に染まった顔。
自然と、口から言葉が溢れ出た。
「あの日、七里ケ浜で美咲が俺に言った言葉を覚えてるか?」
俺は猫をそっと下ろすと、真っすぐ美咲に向き直った。
それは記憶からではなく、心から出た言葉。
「『最後じゃないよ、これからだよ』……そう言ったんだ」
美咲は目を潤ませて、俺の顔をじっと見つめた。
そして、俺に向かってこう呼びかける。
「コースケ……あなたなのね」
突然、背後から図太いハスキーボイスが轟いた。
「はい、そこまで!」
振り返ると、いつからそこにいたのか、あの着物姿の女がしゃんと背筋を伸ばして立っていた。
その声を合図として、道路脇に停められた黒塗りのメルセデスから、目付きの悪いスーツの男衆がわらわらと姿を現す。
女はあいつを刺すような視線で睨むと、こう言った。
「あんたの負けだね。男なら潔く観念しな」
男衆が無言で走り寄り、あいつの腕をがっしりと押さえて連れて行く。
その様子を横目で見やりながら、女は俺の方へとゆっくりと歩み寄った。
「アイツが迷惑かけたね」
「どうして、ここがわかったんですか?」
「ふん、私だってアイツに全て好き勝手させてるわけじゃないさ。車に発信器くらい付けてある」
女は俺の顔をじっと見つめると、いきなり深々と頭を下げた。
「今回のことは、全て私のせいだ。このとおり謝る」
「ど、どういうことですか?」
「何年か前に、街なかであんたと美咲さんが歩いているところを見掛けたんだよ。二人とも幸せそうで、あんたはとってもいい表情をしていた。それ見て、なぜかとても腹立たしくなっちまってね、ついアイツに言っちまったんだ。あの男と同じ顔に整形しろって。本当はあんたたちが、羨ましかったんだろうねえ」
あいつは無理矢理、偶然街で見掛けた見も知らぬ他人の顔に整形させられた……。
そう、俺の顔に……。
そうか。
そういうことだったのか。
だから俺を心底憎み、執拗にストーキングを行い、最後は『復讐』へと至ったのだ。
「……でも、この後、美咲を連れてどうするつもりだったんでしょう」
「さあね。帰ってから吐かせるけど、おそらく美咲さんと新しい人生をやり直そうとしたんじゃないかしら。こんなババアから逃げ出して、過去の自分を捨ててることでね」
あいつはずっと、これまで女の言うがままに耐え忍んで来たのだろう。
だから、俺と入れ替わることで、そこから逃げ出そうとしたのかもしれない。
「これっきりだ。アイツがあんたたちの前に現れることは二度とないさ」
女は最後にそう言うと踵を返し、メルセデスへと戻って行った。
ウインドウ越しに、拘束されたあいつの顔が見える。
だがその顔は、なぜか笑っているようにも見えた。
エンジンがかかり、メルセデスはゆっくりと視界から消え去って行く。
あたりは、ほっとしたような静けさに包まれた。
柔らかな夕陽が、この空間を淡い紫色へと染めてゆく。
「コースケ、ごめんなさい」
美咲が目に涙を浮かべながら、俺に体を預けてくる。
「疑ってしまって……」
「いいや、こっちこそごめん。しっかり守ってやれなくて」
美咲をしっかり抱きしめた。
その柔らかい感触に、心がぐっと締め付けられる。
同時に、失われていた美咲との記憶が、波のように押し寄せ、俺の体内へと吸い込まれていくのを感じる。
あれから、あまりにも長い時が経ったように感じた。
やっと、やっとのことで、美咲と自分の人生をこの手に取り戻したのだ。
今度こそ俺は一生をかけて、美咲を守り、愛し続ける。
そう決意すると、俺も自然と目から涙が溢れ出した。
「美咲……心から愛してる」
ありきたりかもしれないが、唯一無二の言葉。
「私も……愛してるよ、コースケ」
お互いに涙混じりの目で、しっかりと見つめ合う。
……そして。
美咲の肩越しに、ミニクーパーのドアを開けて降りて来た、カナの姿が目に映る。
決まり悪そうに、おずおずとこちらに近寄ってくる。
それはそれは、どうにも居心地が悪そうに。
カナなりに、気を遣っているみたいだが。
だけど俺は、胸を張ってこう言うのだ。
「美咲、紹介するよ。こいつはカナ。俺の親友であり、最高のパートナーなんだ」