「俺も、友梨と二人になれるときをずっと待ってたんだよ。
裕也が頬を赤らめながら、友梨を見つめる。
ーーーーーーなに言ってんだ、こいつら。うれしい?このときをずっと待ってた?美希さんの死に、悲しんで泣いてるんじゃなかったのか?
僕はかすかに開いてる教室のドアから、二人の姿を見た。その二人の様子はまるでカップルのように見え、とても悲しんでいるようには見えなかった。あの友梨の涙も、うれしくて泣いているように見える。
ーーーーーーどういうことだ?
僕の額から、冷たい汗が流れた。
「しかし、未来もバカだよね。美希の悪口を匿名掲示板サイトに書き込んだ犯人を未だに必死で探しているようだけど、その犯人、私なんだから」
「えっ!」
僕は、友梨が言った言葉が理解できなかった。ただただ、冷たい汗が流れる。
「しかし、友梨もよく気づいたな。いつから、気づいたんだ?」
首をかしげながら訊く、裕也。
「気がついたのは、夏ぐらいかな?誘っても私たちと全然一緒に帰らないから、美希の後をこっそりつけて見たんだ。そしたら、風俗で働いていることがわかったの。まぁ、ずっと怪しいとは思っていたけどね」
友梨は、口の端を吊り上げて笑った。
ーーーーーー仕方ないだろ。美希さんには、色々な事情があったんだ。後をつけて、美希さんの秘密をネットに晒すなんて………。
僕の視界は、いつの間にか滲んでいた。悔しくて悔しくて、涙があふれだす。
「友梨、ずっとお前のことが好きだった。美希よりも、お前のことが好きだ」
とつぜん、裕也がそんなことを言って友梨のことを抱きしめた。まるで、告白のようだ。
「うれしい。私、その言葉をずっと待ってたんだよ」
友梨の瞳から、一気にうれし涙がこぼれた。
「友梨、ずっと好きだった。ほんとうはもっと早く告白したかったけれど、美希がいたから告白できなかったんだ。ごめんな」
「私も、裕也のことが好き。ずっと、好きだった。同じ気持ちだった。こうなれて、うれしい」
友梨は顔を赤くして、潤んだ瞳で裕也を見つめる。
「じゃ、この恋は二人だけの秘密だな」
「うん」
そう言って裕也は、また友梨を抱きしめた。
「………」
僕は信じていた友だちに裏切られ、ショックのまま家に帰った。
*
『3月23日《土》午前2時13分』
「彼女のいないこんな人生、どうでもいい。生きていても、楽しくない。死にたい………」
今の僕は、ほんとうにそう思っていた。
彼女とデートした思い出を頭の中で思い浮かべるが、もう一生美希さんとデートも会話もできないと思ったら生きることに希望が持てない。
「ここから飛び降りたら、そっちでまた美希さんとも会えるよね」
そう言いながら、僕は二階建ての屋根から地面を見下ろした。
高さは八メートルから十メートルぐらいあったが、生きる気力を失った今の自分は、死ぬ恐怖を感じなかった。
「美希さん、今から僕もそっちに逝くよ」
大好きだった彼女の名前を最後に口にして、僕は足がすくむ高さから飛び降りた。
ーーーーーードスンーーーーーー。
*
「未来さん」
かすかになつかしい声が、僕の耳に聞こえる。聞いたことがある、とてもきれいでなめらかな女性の声。
「………」
僕は、うっすらと目を開ける。僕のぼやけた視界の先に、見覚えのある、女性の姿が見えた。
濁りのない若干潤った黒目がちの瞳に、見とれるほど美しい繊細な雪のような真っ白な肌。胸まで伸びた黒髪のロングヘアーに、すらりとしたモデルのようなスタイル。整った薄いピンク色の唇に、白くてきれいな細い指。
「み、みきさん!」
僕のぼやけた視界に映っていたのは、美希さんだった。久しぶりに彼女の顔を見て、僕は泣きそうになった。
「こんなところまで私に会いに来るなんて、未来さんには驚きです」
美希さんは、目をすーっと細めて言った。
美希さんにそう言われて僕は、辺りを見回した。辺りは琥珀色の世界がどこまでも広がっており、美希さんと会えたということは、同時に僕は現世とは違うあの世にいるっていうことがわかる。
「死んだのか………?」
僕の瞳から、一筋の涙が頬を伝って流れた。それは、悲しくて流した涙ではなかった。うれしくて流した涙だった。
この世界でやっと美希さんと二人きりになれたよろこびと、嫌な人生から解放された幸せ。不思議と、僕は死んだことに後悔はなかった。
「約束したからね。美希さんが死んだら、僕も死ぬって」
笑みを浮かべながら答えた僕だが、夢で見たとおりの結果になってしまった。結局、美希さんの死の運命から救うことはできなかった。
「ごめん」
僕は手の甲で涙を拭って、涙声で謝った。
「未来さんはちゃんと約束守ってくれたし、私に謝る必要なんかないよ」
美希さんは首を左右に振って、やさしい口調でそう言った。
「匿名掲示板サイトに書き込んだ犯人、知ってるの?」
僕は、しんみりした声で訊いた。
「知ってるよ。死んでからずっとこっちの世界のことを見てたから」
できるだけ明るい口調で言った美希さんだったが、やはり表情は悲しそうだった。
裕也と友梨のことを思い出したのだろう。
「友梨にうらみはないの?」
僕は、小さな声で訊いた。
「そんな黒い感情はないよ。裕ちゃんが友梨のことが好きだっただけで、私のことは好きじゃなかった。これが、答え。仕方がないこと」
美希さんは小さく笑いながら、目のふちの涙を白い手で拭った。
「美希さん」
久しぶりに見た美希さんの悲しそうな顔が、僕の胸を苦しめる。
「でも、未来さんには感謝しています。私の秘密がネット上に書かれなくても、裕ちゃんにフラれて多分、私はショックで自殺してると思います。未来が見えていても、私を救うことなんて最初からできなかったんだよ。だから、謝るのは私です。疑って、ごめんなさい」
美希さんは、頭を深く下げて僕に謝った。
「美希さん、謝らないで。僕が君を救えなかったのは、変わりはないんだから。それに、僕は美希さんにもうひとつ謝らないといけないことがあるんだ」
「もうひとつ?」
「うん」
不思議そうな表情を浮かた彼女を見て、僕はうなずいた。
「なに?」
「僕が親なんかいてもいなくても一緒さぁって言ったこと覚えてる?」
「覚えてるよ」
美希さんは、短く答えた。
「美希さんの家庭環境もあったのに、親を大切にしてない発言をしてごめん」
僕は、頭を下げて謝った。
全部彼女に謝りたかったことを謝ると、僕の心の中にあったモヤモヤが解消されていく。
死んでから気づいたのは、僕と美希さんの家庭環境が真逆だったこと。それだから、彼女のことをこんなにも好きになったのかもしれない。
「それも仕方がないことで、謝るのは私じゃなかったよ」
笑みを浮かべながら、美希さんは首を左右に振った。
「それにそこに気づいたのなら、未来さんはもうだいじょうぶ」
そう言って頬にえくぼを作る、美希さん。
「でも、気づくのが遅かった。美希さんが言ってくれていたのに………」
今さら自分に両親のことを思い出し、目頭が熱くなった。
僕に文句ばっかり言っていた両親だが、もう会えないとわかるとさみしい気持ちもある。
「もし、生きていたら、両親のことを今度は大切にする?未来さん」
僕の顔を見つめて言う、美希さん。瞳の奥に溜まった彼女の涙が、儚く揺れている。
「そりゃ、もちろん」
僕は首を縦に振って、はっきりと言った。その言葉を聞いた、美希さんは、うれしそうに微笑んだ。
「もし、生きていたら、もう自殺なんかしないって約束してくれる?」
「美希さん、僕はもう死んだんだよ。〝もし〟とかもうないよ」
「もし、生きていたら、私の分まで幸せになってくれる?」
「美希さん……」
とつぜん、彼女と会話が噛み合わなくなった。
美希さんは今の表情を見られたくないのか、横を向いて同じ質問を繰り返している。僕の瞳に、彼女の横顔が映る。
「もし、生きていたら………」
「美希さん!」
辛そうに同じ質問を続ける美希さんを、僕は手を伸ばして止めようとした。
「えっ」
しかし、驚くことに伸ばした右手が、彼女の体をすり抜けた。
ーーーーーーどういうこと?
僕は目を丸くしたまま、しばらく固まった。そして、自分の両手に視線を落とした。動かしても特に変わった様子はなく、見慣れた自分の焼けた手だ。