「千春ちゃん、もう少し待ってください」

若い男性は、店の名前で私を呼んだ。

「そんな人、もういないよ」

私は立ち止まって、そう言った。

「えっ!」

後ろから、若い男性の驚きの声が聞こえた。

「ごめんね。もう私、千春じゃないんだ。だから、その名前で呼ばないで」

私は、きっぱりと拒絶した。

数分前まで千春というキャラを演じていたが、今は梢として生きていける。なんかもうひとりの自分が、この世界から死んだような感覚に一瞬になった。

「待ってよ、千春ちゃん」

「ごめんね、もうそんな人はいないんだ。だから、その名前で呼ばないで」

そう言って私は、走り去ろうとした。

「待って!」

そう言って走り去る、私の白い手を背後からつかんだ若い男性。

私の白い手に、やわらかい感触が伝わる。

「‥‥‥」

私は、ゆっくりと後ろを振り返った。

私の前に、新井俊の姿が映った。

新井俊は仕事で、私の悩みを相談してくれていた、スタッフの中でも一番仲のよかった人だ。

「俊‥‥‥」

私は、彼の名前を口にした。

彼の頬は赤くなっており、私を握っている手に力が伝える。