しかし、いつまでもこの状態はさすがにマズイ。


面会時間終了にはまだ時間があるが、棟郷にも食事や怪我の為に色々しなければならないこともある。



威叉奈に至っては、賭狗膳と早乙女が呼び戻されたのだ。

椒鰲のこともあるし、早く戻らないといけないのは確かなのだが。



「(どうしたらいいんだよ…)」



さっきまで言えたのに、帰る、の一言が言えない。


自分の言動によって体が熱く、きっと顔は赤くなっているに違いないと自覚できるほどだ。



それでも。



「棟郷さん…ぇっと、あの…」


「吹蜂、無理しなくていい。ゆっくりで…」


「べ、別に無理なんか……してません。」



覚悟を決めて、口を開いたはずなのに、上手く言葉にならない。



「その間が無理なんだ。まあ、俺にとっては、名前を呼んで貰えてかなり満足だがな。」


「なま……………っ!!!??」



気持ちを勘付かれない様に、役職名でと気を付けていたのに。

気が緩んだらしい。

心の中での呼び方が、無意識に口から出ていたようだ。

「(はっず……素面でも、何やってんだよ…俺…)」



無自覚ならば、素面でも酔っ払っていても結局同じらしい。



しかも、満足と言いながら呼び方が変わった理由に察しがついているのか、棟郷が小さく笑っているのが分かる。



悔しくなって、ちらりと棟郷を見ると。



「顔、赤い……」



「なっ……!下向いてるんじゃなかったのか……!」



見上げた棟郷の顔は、見たことがないぐらい赤く染まって。



「ふ、ふふ……あはははは……!」


「わ、笑うな…」



吹き出すようにして笑っている威叉奈に、油断していた棟郷は格好をつけたいのに、もうつけられない。



「す、すみま、せん…。バカに、したわけ…じゃなくて。」



そう言いながらも、笑いを堪えているのか声が震えている。

しかも、涙目だ。



棟郷は、先程とは違う意味で抱き締めたくなった。


もちろん、自分の顔を隠す目的で。



「棟郷さんも一緒なんだなと思っただけですよ。」


「い、一緒…?」



ひとしきり笑って気が済んだのか、もう声は元通りだ。

今のところ、一緒といえば、怪我をしているところと、顔が赤くなっているところぐらいか。

それの何が、そんなに笑う要素があるのか。



「だって棟郷さん、私といる時、いつも余裕な感じじゃないですか。」


「余裕って、おま……。余裕なわけあるか……」



振り回されたと言ったのを、聞いていなかったのだろうか。



「何かいつも私ばっかり余裕なくて。さっきだって、私の一世一代のをさらっと。」



切なげだったのも、不安げだったのも、もしかしたらテクニックの一つなんじゃないか。


自分には経験のないことでも、棟郷ならばあると思ってしまうから。



「大人の余裕……みたいな?棟郷さんあんま表情変わんないから。私ばっか必死で取り繕ってる感じがして。だから、何か悔しかったんです!」



拗ねたのか最後は自暴自棄気味だ。



「だけど、そんな顔見たら、そうじゃないんだなって。棟郷さんも、私と一緒なんだなと思って安心したんです。」



そう、嬉しそうに笑う威叉奈。



だが、そんな威叉奈の先程から目まぐるしく変わる表情に一喜一憂しているのはこっちの方だ。

と棟郷は言いたくなった。

「俺はロボットか何かか……」


「ロボットより酷いですよ。会議の時なんて、終始こーんな顔してたし。」



威叉奈はこれでもかというぐらい、ムスッとした表情をする。



「そんな顔はしていない。」


「しーてーまーす。」



即否定する威叉奈。



話ながら、棟郷は一つ気付く。


威叉奈の話す言葉が柔らかくなり、少しくだけていることに。



もしかしたら。



「吹蜂、無理してないか?」


「だから、無理なんか」



「あ…そうではない。言葉の方だ。」


「言葉?」


「さっきから、かなり言葉がくだけてきている。普段、敬語は使わないだろ?賭狗膳や細脇といる時も、秩浦椒鰲を止めようとした時も、そうだったしな。」



確かに、普段はかなり言葉遣いが悪い。


しかし。



「そりゃそうですけど。でも、社会人として言葉遣いぐらい直せって、トクさんもナエちゃんも言うから。」



初めは意識していても駄目だったが段々出来てきて、今ではほとんど意識しなくてもある程度の敬語は使えるようになった。

捜査中、興奮したり牽制したりする時に荒くはなってしまうのは致し方無い。


それでも、一人称は完璧だったはずだが。



「(俺、と言ってた気がする…)」



久しぶりに椒鰲と会話したせいで、戻っていたのか記憶の隅っこでそんな気がした。



そして今、棟郷と話している時はどうだったのか。


実際はちゃんと言えていたのだが、威叉奈にとっては自然過ぎて思い出せない。



「まぁ、仕事中は丁寧に越したことはないが、俺といる時ぐらいは構わん。」



「棟郷さん…」


「賭狗膳の前じゃないなら問題ないだろ?」



棟郷は、賭狗膳を気にしているらしい。



「…棟郷さん、もしかして、トクさんにヤキモチ妬いてます?」


「は、はぁ?何で俺が!そんな訳ないだろ。」


「そうですか?やたらトクさんの名前が出てきたから、そうかと思ったんですけど。」



違うならすいません。



なんて、あっけらかんと威叉奈言う。


しかし、当の棟郷は。


何故そこに気が付くのに、その他については気付かないのか。



やっぱり振り回されているのは自分だと、棟郷は嫉妬を全力で否定しながら思うのだった。

すれ違ってもメビウス

「あ゛ぁ~半年間の減給かよ~ちっくしょー、少ねぇ給料が更に少なくなったじゃねぇか。」


「減給で済んで良かったじゃないですか。最悪、解雇ですよ。」



刑事部長に呼び出された帰り、悪態を付く賭狗膳に早乙女は慰めるが、きっとフォローにはなっていない。


「それに、棟郷管理官は減給の上に謹慎ですよ。」


「入院期間だけだろ。つかよ、俺だってお前と同じく連れ出されたのに、なんでお前はお咎め無しなんだ!」



私に言われても…。と憤る賭狗膳に早乙女は思う。



早乙女の処分が無かったのは、課長の賭狗膳の付き添いみたいなもの、という進言のお陰。



賭狗膳は不服みたいだが、犯人逮捕とその経緯の為に、この処分はかなり甘い方。


因みに、威叉奈には早乙女と同じく処分は無かった。

監禁されていただけで、完全なる被害者なのだから当然といえば当然なのだが。



「お疲れー…って、あれ?威叉奈は?先に戻ってるはずなんだけど?」



悪態をつきまくっていた賭狗膳とは違い、迷惑をかけたと珍しく謝る威叉奈に刑事部長は、威叉奈だけあっさり帰したのだ。


しかし、賭狗膳が部屋を見回すがいない。

「あいつ、どこ行ったんだ?闇ルート潰すって張り切ってたのによ。」



闇ルートを軽く調べたところ、根は深く入り組んではいるものの、大元はかなりの組織のようで、威叉奈は捜査に燃えていた。



「賭狗膳。」


「棟郷!復帰そうそう何だよ。こっちはお前のせいで、減給くらったんだぞ。」


「賭狗膳さん、八つ当たりはみっともないです!」



怒りの度合いが子供染みている、と早乙女は呆れる。



「否定はせん。…話がある、ちょっと出れるか?」



賭狗膳の嫌味にも乗らず、賭狗膳を外に誘った。



「なんだ、話って。こんなとこにまで、連れてきやがって。」



外って言ったのに、警視庁内じゃねーかよ。



と、文句タラタラな賭狗膳がついた場所は屋上。

人が寄り付かないここは、棟郷のお気に入りらしい。



「今日、秩浦椒鰲が送検される。殺人未遂と監禁罪でな。」


「そうか。」



凶悪事案の為、担当は一課だった。



「それで、秩浦椒鰲の身柄が地検に行く前に、吹蜂が会いたいと言うから、時間作って今会っている。」

「…はぁ!?どこでだよ!?いくら警官ついてたって、秩浦椒鰲が何するか分かんねぇんだぞ?それに、威叉奈だって…」



護送させる時、手は拘束しても、足はしない。


威叉奈の希望で、会う時だけは警官の人数も減らしている。


隙を見付けてしまえば、何か出来てしまう。



威叉奈だって、自分を貶めた張本人である椒鰲に会えば、手を出さないとは限らない。


今はあの時とは違い、健康そのものだ。



「そうかもしれんな。」


「そうかもってお前…」



「話をつけてくる、吹蜂はそう言った。俺はそれを信じる。」



一人で大丈夫だと、威叉奈は言った。



「それに、過去にあれだけのことをして決別したのに、吹蜂の中でケジメはまだついてないと俺は感じた。今回逃すと、俺の権限から外れてしまうからな。」



消せない過去でも、消していい未来はない。


突き放した過去に覚悟を決めて、今ある未来を受け入れる勇気を持とうとしている。


棟郷は、それを邪魔したくはなかった。


たとえ、威叉奈が暴挙に出てたとしても責任は自分が取ると決めていた。

「威叉奈…」


「よう。」



護送される途中の廊下に、威叉奈がいた。



「なんでここ」



ペチッ―――……



軽い音が響き、椒鰲の言葉は遮られた。



「本当は殴りてぇけど、そうしちまうと、大事な人が勝手に責任とっちまうからな。」



棟郷の思いに、威叉奈は気付いていた。



「今回お前のしたことは、法律で裁かれる。俺が判断することじゃねぇ。けどな、無関係の人間巻き込むな。昔っから言ってんだろ。」



駁兜に入った直後から、椒鰲はかなり見境なく暴れていた。


総長や威叉奈は注意していたが、一度スイッチが入った椒鰲は歯止めが効かなかったらしい。


その度に、威叉奈が止めていた。



「威叉奈………俺はっ!」


「悪ぃ。俺はお前のことは族連中の一人としか思ったことがねぇ。昔も今もな。それに、俺には好きな人がいる。その人も好きだと言ってくれた。だから、お前の想いには答えられない。」



すみません、もう大丈夫です。と威叉奈は付き添いの警官に言ってその場を去った。


威叉奈から言われた言葉と表情が堪えたのか、その後の椒鰲は見る影もない程大人しかったという。

「はぁ……。もういい。威叉奈が部屋に居なかったから、今更止めに行ったって遅いんだろ?」


「察しが良くて助かる。」



棟郷の覚悟が伝わったのか、賭狗膳は諦めた。



「それとな、お前に言っておきたいことがあったんだ。」


「ん?」



賭狗膳が目を向けると、いつになく真剣な表情の棟郷。



「吹蜂と話した、色々と。」



管理官室でした約束のことらしい。



退院するまでの間、威叉奈は時間を見付けては病室を訪れ、棟郷と話をした。


両親のこと、駁兜のこと、昔のこと、賭狗膳と苗込のこと、仕事のこと。



賭狗膳と苗込は、族にいた時のことはあまり聞かなかったし、威叉奈も話そうとはしなかった。



しかし、棟郷には隠し事…というより全てを知っていてもらいたいと威叉奈が言うものだから、棟郷も止めずに聞いた。



「過去に何があろうと、それでも、俺は吹蜂を好きなことに変わりはない。今、俺は吹蜂と付き合っている。吹蜂にはまだ言っていないが、ゆくゆくは、結婚したいと思っている。」

「なんで、今ここで、俺に言う必要があんだよ…」



真顔で交際宣言とプロポーズ予約をされてしまい、心の準備が出来ていなかった賭狗膳はかなりの衝撃だ。



「細脇にも言うつもりだが、先にお前に言っておきたかったんだ。この間のことといい、今回のことといい、お前には吹蜂のことで色々あったしな。一応、俺なりのケジメだ。」



こっちに対する配慮の仕方を間違っている気がする。


賭狗膳は、どこかずれている同期に悩みの種が増えたと思わざるを得ない。



「因みにな、吹蜂は俺とのこと、まだお前には言うなと言われてる。」


「はぁ?」



「闇ルートの件や秩浦椒鰲のこと片付いたら、と言っていた。繕っていても、気持ちの整理がつかないのだろう。」


「知った風な口きくな…。」



自分の知らない威叉奈が増えていくことに、若干……いや、かなり寂しい思いに賭狗膳は駆られる。



「落ち込むのは早すぎるぞ…。」



だから、子離れしろと言ったんだ。



賭狗膳の落ち込みぶりに、棟郷は呆れる。

「まあだから、吹蜂には知らないふりをしてくれないか?吹蜂の気持ちが固まるまで。頼む。」



苦笑いをしつつ、賭狗膳に言う。



「やっぱりここにいた。つか、何でトクさんがここに?」



椒鰲のことを報告したくて、棟郷を探しに屋上へ来た威叉奈が目にしたのは、目的の人物と何故か一緒にいる賭狗膳だった。



「い、威叉奈…!」



動揺が治まっていない賭狗膳に、威叉奈は不思議な表情を浮かべる。



「吹蜂が殴り込みに言ったと、伝えたところだ。」


「なっ…!な、殴ってはないですよ!殴っては……」



殴っては、ということは、それ以外の何かをしたのだろうか。



と、平手打ち紛いでもつい手が出てしまったのを悟られまいとして、微妙な挙動不審さを醸し出している威叉奈に、賭狗膳と棟郷は思う。



「まっ、吹蜂がそれで納得出来たのなら、別に構わん。」


「だ、だから殴ってません…!」



目を細め愛おしそうな棟郷に、威叉奈は恥ずかしさを隠すように拗ねた感じで誤魔化した。



「そ、そんなことより、トクさん、刑事部長との話終わったんだよね。闇ルートの捜査、行きますよっ!」

「お、おい!引っ張るな…」



誤魔化すついでに、この場からも立ち去ろうと賭狗膳を引っ張る。



「…あ!」



ドア付近で、何か思い出したように声をあげる威叉奈。


不思議な顔をする賭狗膳から手を離し、棟郷に駆け寄る。



「なんだ、忘れ物か?」



ただ来ただけの屋上に忘れ物などありはしないのだが、急に踵を返して近付いてきた威叉奈に動揺を隠すように言う。



「忘れ物なんてありませんよ。…棟郷さん、椒鰲のこと、ありがとうございました。ちゃんと言えました。」



本来の目的を忘れていたと、どこかすっきりした様子で言う。



「そうか、それは良かった。……事務処理も終わったし、今夜どっか行くか?」


「うん!」



「…………。ほ、ほら、賭狗膳が待ってる。早く行ってやれ。」



感情の表れ方がかなり素直になった威叉奈に、赤くなったであろう顔を隠すように賭狗膳の元へと促す。



仕事頑張るぞー!



などと言いながら、賭狗膳と屋上を後にした威叉奈。



「はぁ…心臓に悪い……。」



煩くなった鼓動を鎮めるように、棟郷は一人深い深い深呼吸を繰り返すのだった。

「本当に、ここで良いのか?」



大丈夫かと問う棟郷の目の前には、この間来たバー。


屋上で約束した後、行きたいところはあるかと聞いたら、ここがいいと威叉奈は言った。



退院もしてそれから数日経っており、棟郷にとってはお酒を飲んでも全く問題は無いのだが。



「ノンアルコールも作ってくれるって言ったの、棟郷さんじゃないですか。」


「そりゃそうだが…。」



この間は告白をしようと思っていたので、人の邪魔が入らない静かなここを選んだ。



ただ、威叉奈の性格上、小洒落た堅苦しいバーより居酒屋の方が落ち着くと棟郷は思っていた。


賭狗膳としている会話にも、そういう単語が聞こえてきていたからだ。



だから、ここがいいと言われた時は驚いたのだ。


今も疑問に思っているほどに。



「だって、この間は……、緊張し過ぎて味なんて分からなかったし、酔っ払っちゃって全然覚えてないし。ノンアルコールなら、酔わないから大丈夫だし。」



拗ねたように言う威叉奈は、何故か幼く見えた。

「ちゃんと、棟郷さんと飲みたかったんです。ちゃんと、覚えていたいんです。」



棟郷さんとのことは。



「吹蜂……。」


「で、でも……!棟郷さんが嫌なら、ここじゃなくてもいいです。無理にとは言いませんから。」



よほど棟郷と来たかったようで、迷っている棟郷に威叉奈の言動はどんどんネガティブになっていく。



「い、嫌ではない。ただ、吹蜂はどちらかというと居酒屋の方が良いのかと思っただけだ。」



急降下していく威叉奈のテンションに、棟郷は慌てて弁解する。



「本当に?」


「本当だ。」



疑うというより不安げに見つめてくる威叉奈に、安心させるように答える。


あれだけ話をしても、不安が拭えないらしい。

それだけ威叉奈の心が閉じ込んでいた、ということだろう。



「ほら。行くぞ?」



優しく微笑み、棟郷は手を差し出した。


バーまでは数メートルも無いが、手を繋ぐ為に。



「……うん!」



嬉しそうに返事をし、威叉奈はその手に自分の手を重ねた。





温もりのあるその手を離さないと、誓うように握り合う。


手だけじゃない、見えないその心さえも。