総ては愛の仕業

「何なんだ、何回もかけてきて。つか、一体どこから番号を……」



威叉奈は人気のない非常階段のある通路で、会議前にかかってきた番号へリダイアルしていた。


苛ついた声を隠すこともなく、ただ警視庁内なので怒鳴りたいのは抑えて。



何度もかかってきていた知らない番号。

しかし今回は、留守電が入っていた為、相手は分かっている。


分かっているからこそ、威叉奈はかけるしかなかった。



「あ?話だと?俺にはねぇよ。もう俺は警察の人間なんだ。お前らとは縁を切ったんだ。あん時、そう言っただろうが。」



縁を切ったぐらいでは、無かったことになんてならないが。


それでも威叉奈は、賭狗膳と苗込に救われたから。


それに見合うだけの、未来の価値を作ろうと思った。



愛されたい人に愛されなくても。



せめて、賭狗膳と苗込のそばに。


自分は2人の子供なんだから。



「お前と話すことなんてねぇ。二度とかけてくるな。」



拒絶の言葉を吐き捨て、無理矢理会話を終わらせる。


ボタンを無意味に強めに押して、通話を切った。

「吹蜂?」


「!………管理官。」



しばらく携帯を睨み付けていた威叉奈が呼ばれて振り返ると、棟郷がいた。



「な、何なんですか。どいて下さい。」



棟郷の脇をすり抜けて、威叉奈はさっさと立ち去りたかった。

こんな居心地の悪い空間から。


しかし、威叉奈が動いた方向に棟郷も動き、行き道を塞ぐ。



「……この間はすまん。強引だった。」


「っ……別に、気にしてませんから。」



威叉奈の態度を見れば、そんな風には全く見えないことは明らかだった。



「…そうか。だが、俺の気持ちに嘘はない。」



強がっている威叉奈も愛おしい。


そんな風に思える日が来るなんて、自分も末期だな。なんて棟郷は自分の気持ちに内心苦笑する。



「細脇とのことは本当に誤解だ。細脇を誘ったのは、お前と食事をしたかったからだ。賭狗膳よりは言いやすかったからな。」



そんな下心を女の勘で見抜いた苗込はいつも断った。



私よりも誘う人がいるんじゃないか、と。

「直接言えれば、こんなことにはならなかったのにな。俺が臆病だったんだ。」



20も年上のこんなおっさん、相手される訳がない。と棟郷は言えなかった。


部署が違う棟郷と威叉奈が会うのは合同捜査ぐらい。


元々口数が少ない上に、賭狗膳にべったりな威叉奈を特別視しては一課の部下に示しがつかないなどと変なプライドが邪魔をして。



威叉奈が言った通り、会話といえば業務連絡か嫌味ぐらいだ。



それが、余計に2人の溝を深くした。



「好きになってくれとは言わない。ただ、俺が吹蜂のことを好きなことは信じてくれ。」



ゆっくりと威叉奈に近付き、棟郷は右手を伸ばす。



「お前のこんな顔、見たくないからな。」



壊れ物を扱う様に、優しく威叉奈の頬を撫でる。


緊張で強ばった筋肉を解してやるかのように。



「これから捜査なんだろ?気を付けてな。」



諦めたような、それでも嬉しそうな顔で。

棟郷はそう言って立ち去った。



「………。」



頬に触れたのは、賭狗膳とは違う温もり。


欲しくて、欲しくて堪らなくて、忘れようと必死だったものによく似ていた。

「よう。久しぶりだな。」


「何でお前がここにいる?」



威叉奈の家であるマンションの前には、ニヤリと笑う椒鰲がいた。



「電話切っちまうからよ、来たんじゃねぇか。」


「何で知ってんだ。どこで調べた?」


「んなことどうでもいいだろ。それより飯まだか?食いに行こうぜ。」



10年ぶりに現れた椒鰲は、見た目は歳を取ったようだが、雰囲気はあの時のまま。


威叉奈が駁兜を抜けてからも、椒鰲は連れ戻そうと会いに来た。

しかし、威叉奈が警察学校に入校して以来会ってはいない。



その椒鰲が自分の自宅を何故知っているのかと、威叉奈は警戒した。



しかし、椒鰲の示した行き先が人のいるファミレスだった為、食べ損ねていた遅い夜ご飯を食べについていくことにした。



「あ~食った食った!」


「だから、何でついてくんだ?さっさと帰れ。」



ファミレスを出た後も、威叉奈の後ろをついてくる椒鰲。


話があると言っていたにも関わらず、食事中特に話はしなかった。


椒鰲の目的は分からないが、威叉奈には用がない。

「椒鰲、俺は……ぅ…っ!?」



急に、強烈な目眩が威叉奈を襲う。


ガシャンと音を立て、すぐ横のフェンスに倒れ込むように身体を預ける。



「っ…は、……お、まえ……なに、を…」



「今の時代は便利になったぜ。色んなもんが、簡単に手に入るんだからよぉ。」



荒い息を繰り返し、フェンスを掴んで威叉奈は意識を保とうとするが、椒鰲の姿は歪んでいる。



「心配するな。ただの睡眠薬だ。まあ、量は多めだけど、死にゃしねーよ。」


「な…にが、目的、だ…?」



「目的、ねぇ?何だろうなぁ~?」



ニヤリと含み笑いを浮かべながら、椒鰲は近付いてくる。

逃げようにも足の力が入らず、後退りも意味をなさない。



「っ……」



小石に躓き、崩れ落ちるように尻餅を付いてしまう。

フェンスを掴む手にも、力が入らない。



「結構な量入れたのになぁ。さすが威叉奈ってか。」



ファミレスでは人目があるからと油断していた。


家まで調べあげたからには何かしてくるとは思っていたが、まさか薬を盛ってくるなどとは。


椒鰲の不審な行動に、威叉奈は気付けなかった。

「そうだ…。威叉奈は威叉奈なんだよ。昔っから変わらねぇ。変わる訳ねぇんだ。」



椒鰲はしゃがみ込み、威叉奈と目線を合わせる。



「その目も、話し方も、雰囲気も。何もかも。ぜんぶ、ゼンブ、全部。」



「っ……!!」



椒鰲は、威叉奈の頬を撫でる。


愛おしそうに。



しかし、威叉奈は身体を強ばらせるだけ。


そこにある感情を、何故か受け入れることが出来ない。



「俺の知ってる威叉奈だ。俺だけが威叉奈を知ってる。威叉奈を理解出来るのは、俺だけなんだよ。」



朦朧とする意識の中で、鬼気迫る口振りで話す椒鰲に殺気に似た何かを感じた。


しかし、口を開けど声が出ず反論すら言えない。



「お前は、俺がいねぇと、な……。」



弱い力でも抱き寄せられた威叉奈に、もう抵抗する力など残っていなかった。



力を振り絞り引き剥がそうと一旦上げた手は、意識と共に力なく落ちてしまった。



「ずいぶん長くかかっちまったが、これで……」



椒鰲は乗ってきたバイクに威叉奈を乗せる。


威叉奈の意識を失った顔を見て満足そうに微笑むと、椒鰲は走り去っていった。

「威叉奈はどうした?」


「そーいえばまだ来てませんね。」



賭狗膳が朝、威叉奈の姿を探すがいない。

携帯にかけても電源が切られていた。


課長に聞いても、仲間に聞いても、他の仕事を頼んでいないという。



「まさか…!」


「賭狗膳さん?」



思い当たったことに怒りに顔を歪ませ、賭狗膳はある部屋に向かう。



バンッ



「!!ノックぐらいしろ、賭狗膳。」



大きな音を立て、突然開いた扉に驚き声をあげた部屋の主。


それは事件も片付き、事務処理に追われている棟郷だった。



「威叉奈をどこへやった?!」



「は?何だいきなり。吹蜂がどうかしたのか?」


「惚けるな!姿が見えん。またお前が何かしたんだろ!」



「何かって………」



まさか昨日のあれか?いや、でも、あれぐらいでも、もしかしたら吹蜂にとっては……。


思い出す棟郷は、自然に目線がそれる。



「何か、したんだな?」



「っ…。待て、賭狗膳。話を…」



机越しに胸ぐらを掴まれる。


普段管理官の権力を盾に振る舞っている棟郷も、威叉奈のことになると賭狗膳に対して弱くなる。

「な、泣かせた覚えはない。泣いてもいなかった。ただ、捜査だと聞いたから、気を付けてと言っただけだ…。」



多少省略してしまったが、間違ってはいない。


あんな自分の告白を、賭狗膳に言える訳もないのだが。



「ならいいがな。」



あまり納得していないようだったが、手は離してくれた。



「吹蜂、いないのか?だが、子供じゃあるまいし、お前にいちいち報告しないだろ。」



「朝から姿が見えないんだ。課長達も知らねぇって言うし。携帯出ねぇから、念のために苗込に部屋を見に行ってもらったがいなかった。」



家出人の捜索か。


乱れたスーツを直しながら棟郷は思う。



「仕事以外でどっか行く時は、いつも言ってくし。あいつが俺に黙っていなくなる筈がねぇ。ましてや苗込にまで。」



珍しく狼狽している賭狗膳。



いつも。


どこかで聞いたフレーズに、そんなことはないと思っていても棟郷の顔が少し歪む。



「単に言うのを忘れてただけだろ。少しは子離れしろ。」



気持ちを誤魔化す様に、書類にペンを走らせる。

「子離れだぁ?しなくていいだろ、んなもん。」


「お前がよくても、吹蜂は迷惑だろ。」



「威叉奈はそんなことは絶対言わん。そこら辺の親子と一緒にするな。」



どっからそんな自信が…と棟郷は一瞬思ったが、威叉奈の過去から見ればそれぐらいの絆はあるのだろうと腑に落ちる。



「お前、ほんと威叉奈に何したんだ?あいつが、あんな避け方すんの初めてだぞ。」



「………、お前には、関係ない…」


「ある。前に苗込が言ってた。お前は威叉奈に気があるってな。」


「!!」



ふいに言った賭狗膳の言葉に、棟郷の手が止まる。



「別に、お前が威叉奈に気があろうがなかろうが、どうでもいい。ただ、威叉奈を泣かせる奴は誰だろうと俺が許さねぇ。」



低く呟く。


泣いていないと分かったからか、この間よりはいくらかマシだが。



「やっと人並みに過ごせるようになってきたんだ。それを邪魔しなきゃいい。そういう色恋沙汰は、俺が口を挟む問題じゃねぇからな。」



その辺の線引きぐらいしている。と賭狗膳は言う。

「……………。」



自分の気持ちを知ってて、今まで何も言わなかったのか。


と、賭狗膳を盗み見ながら棟郷は考える。



賭狗膳は、引き離したい訳ではないらしい。


ただ、中途半端なこの状態が気に入らないようだ。



威叉奈にとっても、棟郷にとっても、辛いこの状況が。



「……分かった。今度会ったらちゃんと話す。」


「ああ、そうしてくれ。同期のよしみとして、この間のは見逃してやる。」



そう言って賭狗膳は、悪戯っ子のように笑う。



「それは助かった。」



棟郷も合わせたかのように、珍しくおどける様に笑った。



いがみ合っていても、大切な威叉奈のこと。


何だかんだ言っても、同期として切磋琢磨した時間は無駄にはならなかった。







しかし、賭狗膳との約束は果たせなかった。


威叉奈は次の日も、その次の日も姿を現さなかったからだ。



職場には顔を見たものはいない。



当然家にも帰っていない。



携帯の電源は切られたまま。



威叉奈は、あの日を境に姿を消した。

追って捕まり、鬼ごっこ

「捜索願い、出してやる!」


「ちょっと、賭狗膳さん!待って下さい!」



成人して、警察官にもなった威叉奈を心配する者は課長以下賭狗膳以外にもいる。


いるにはいるが、職業柄そのうち帰ってくるだろうと、騒いでいるのは賭狗膳だけで誰も探そうとしない。



だから、奥の手で捜索願いを出そうと賭狗膳は向かおうとする。



「そんな理由で、受理されるわけないだろうが。」


「管理官!」



部屋の出入口に立っていたのは、捜査中も滅多に顔を出さない棟郷だった。



「あ゛?ほっとけ。あれから3日も連絡取れねぇんだぞ?!何かあったに決まってんだろっ!」


「賭狗膳さんっ。落ち着いて下さい。」


この前みたいにならないようにと、今にも掴みかからんとする賭狗膳を、早乙女は必死に抑える。



「………。賭狗膳ちょっと来い。課長、賭狗膳借りますよ。」


「え?おいっ、棟郷!」



呆れたような羨ましいような感じでそう言うと、誰の返事も聞かず棟郷はさっさと行ってしまう。



「…え?私も?」



棟郷管理官に失礼のないように賭狗膳を見張れと、早乙女は課長に命じられてしまった。

「ここって…」



棟郷について行って辿り着いた先は、賭狗膳と早乙女も捜査でお世話になっている情報分析室。



「今、Nシステムと監視カメラとで捜してる最中だ。」



「え?それって…」



職権乱用じゃ…。

しかし、管理官である棟郷に向かって、早乙女は言葉に出来なかった。


……………が、



「職権乱用じゃねぇか。いいのかよ?」


「(賭狗膳さんっ……!)」



賭狗膳が言ってしまった。



「………よくはない。」


「………そうかよ。仕事は?」


「終わらせた。今日は非番にした。」



「ならいい。」



「(何、この2人!?何があったの!!?)」



検索中の捜査員の後ろで、画面を見つめながら話す賭狗膳と棟郷。



刺々しい口調は変わらないが、何だか2人の雰囲気はこの間と違っていて。



賭狗膳と棟郷が、威叉奈のことで話したことを全く知らない早乙女にとって、この光景はとんでもなくあり得なくて。


内心動揺しまくっていた。

「管理官!発見しました。」


「どこだ?!」



「駅から少しのところにあるファミレスですね。」



3日前に遡り、警視庁から威叉奈の自宅までを調べていた。


そうしたら、見知らぬ男とファミレスへ向かう威叉奈がいた。



「誰かと一緒ですね。」


「こいつは…」



「知ってる奴か?」



「秩浦椒鰲だ。元駁兜の総長。威叉奈の昔の仲間だ。」



あの電話はこいつか…!


賭狗膳は思わず舌打ちをする。



「でも、昔の仲間なら会うのは当然では?」



「威叉奈は俺と暮らす時に族とは縁を切ったんだ。こいつは威叉奈が警察学校に入るまで追いかけてたが、威叉奈は会うのを拒んでた。ケジメだってな。」



実際の理由はケジメだけではないようだが、それでも威叉奈が自分から昔の仲間と会うことは絶対にない。



「でも、時間からいっても食事してますよね。なんで…」


「まあ、理由はこの際どうでもいい。ファミレスから出た後は、どこへ行った?自宅には戻った様子がなかったんだよな。」


「ああ。」



それは、苗込が確かめたので、戻っていないことは確実だ。

「ファミレスから後は……、裏路地に入ってしまいましたね。この辺には監視カメラはありません。」


「近道なんだよ。大通りは混み合ってるから…」



通るな、と言ったことはない。

キャッチや仕事が仕事だけに絡まれる心配のない裏路地の方が、何かと都合がいいからだ。



しかし、こういう危険が潜んでいたことを、見落としていたなんて今更気付くとは。



「威叉奈のマンション、住宅街だから、外に向けてのはないだろうな。」


「ええ…。エントランスなどはありましたが、写す範囲は出入口付近で、道路までは…。」



「あっ!」



見つけた手掛かりがすぐに意味をなさないものに変わって落ち込んでいた時、裏路地の入口を写したカメラ映像を見ていた早乙女が声をあげる。



「どうした?」


「今のところ戻して下さい!バイクが出てきました。2人乗りで。」


「なに?!」



威叉奈と椒鰲が入っていった裏路地から、大型のバイクが出てきた。



「画像が不鮮明過ぎるな。」



その上ヘルメットをしていて、服装だけでは判別出来ない。

「ちょっと待って下さい。この裏路地、確か反対側にも監視カメラが……ありました。写っています!しかし、時間が…」


「2時間も前じゃないか。」



大型バイクが裏路地に入ったのは、出ていった時間の2時間前。



「住人ということも考えられるだろ。ナンバー照会出来るか?」


「はい、こっちの画像ならなんとか……」



入口付近よりは、まだ鮮明だった。



「出ました。……これは…!」


「出かした、早乙女!」



ナンバー照会の結果、バイクの持ち主は椒鰲だった。



「これで、Nシステムで追えますね!」


「あ、いえ……。バイクは、Nシステムでは……」



「え?」



ガッツポーズをして嬉しそうに話す早乙女に、捜査員は凄く言いにくそうだ。



「Nシステムでは追えん。二輪のバイクは、四輪の車と違ってナンバープレートが後ろにしかない。Nシステムが対応しているのは、前からだけだ。」


「そんな……」



言葉は知っていた早乙女も、実状までは把握出来ていなかったようだ。



「道路上の監視カメラを当たるしかないですね。」



しかしそれは、膨大な量だった。

「っ………!ど、こだ……。」



睡眠薬を飲まされ気を失った威叉奈が目を覚また場所は、寂れたロッジのようだ。



見回すと、何年も人の出入りがないようで、空気は埃っぽかった。

割れた窓からは、うっそうと茂る木々が見える。


陽の光が差し込んでいるので、拉致されてから少なくとも数時間は経っていると威叉奈は考えた。



「起きたか。」


「椒鰲………!」



人の気配と声に目線を向けると、椒鰲がいた。



「いい格好だな。」



見下ろす威叉奈は、縄で手は後ろに、足も縛られ、横に倒れている状態だ。



「な、にが…目的だ?」



椒鰲が盛った薬の量が多すぎたのか、まだ効いているようで、視界と意識が少しぐらつく。



「…………………。」


「答え、ろ…!復讐か?俺が族と、縁を、切ったからか?けど、裏…切った訳じゃねぇこ、とぐらい…理解出来てんだろ?総長だって、納得したんだ。情報、流さねぇならって。」



総長の決断には従う。


それが族のルールだ。



「つか、お前、あの後、総長になったんだろ?総長になりたかったからだろ?」



俺をリンチした理由は―――。

「飯。食べろ。」



威叉奈の言葉に一瞬反応したが無言を貫き、椒鰲が持ってきたのはコンビニのお弁当だった。



「い、らね…。」



ファミレスでのことがある為、威叉奈は拒否した。



「食え。」


「い、らねぇ、って………ぐっ、ゲホッゲホッ…」



後ろ手に縛った為、威叉奈自身では食べれない。


なので、椒鰲はご飯を口に持っていくが拒否され、それが気に食わなかったのか威叉奈の口を無理矢理開けてねじ込んだ。



そして案の定、威叉奈は咳き込んでしまった。



「ゲホッ……お前、一体、何を…」



威叉奈の言葉を無視し、椒鰲は威叉奈の口にねじ込み続けた。



拒否しても咳き込むだけなので、仕方なく威叉奈は食べた。


だが、思った通り薬が入っていたのか食べ終わる頃には再び意識が遠退いていった。




それが数回気まぐれに繰り返され、威叉奈にはもうあれから何日経過したか分からなくなっている。


薬の量が範囲を超えているのか、目覚めても体勢を変えるのがやっとだ。





椒鰲は何を問い掛けても黙りで、威叉奈は椒鰲の行動の意味を計りかねていた。

「管理官!山の方面に向かったようですね。」



見せられた画面には、都心から離れた地域への道路を走る椒鰲のバイクがいた。



「もう少し絞り込めるな。映像はあるか?」


「はい、こちらに。」



手分けして威叉奈の乗った椒鰲のバイクを、監視カメラの映像で追っていた。



量は多いが、公共交通機関でなかったのが唯一の救いだ。


電車やバスなどを使われると、監視カメラでは追えなくなる。


その点、バイクなら必ず道路を通る。


ほぼ脇道にも逸れず、主要道路を走ってくれたおかげで、途切れることなく追えていた。



「これだな。棟郷、いたぞ。」


「ここは昔、別荘地として一世を風靡したところだな。」



夏には隠れた避暑地として人気だった。


しかし、景気が悪くなり今では噂も聞かないまでに落ち込んでいる。



「隠れ家にするには、もってこいの場所ですね。」


「監視カメラはここまでのようです。」


「そうか。助かった。賭狗膳、早乙女、行くぞ。」


「ああ。」


「はい!」


「お気を付けて。」



無事を祈る捜査員に見送られ、3人は別荘地へと向かった。

「っ、くっそ……」



ここ何日、経過したかは分からないが、威叉奈は意識がある時にロッジの中を見回していた。



椒鰲がいるのは食事の時だけで、後はどこにいるか不明だ。


バイクで走る音が聞こえてくるので、近くにはいないようだが。



その中で見付けた。

倒れている場所から、わりと近くに落ちている硝子の破片に。


近く、といっても手の届くまでにかなりの時間を要した。


食事など生理的欲求は満たされているものの、食事の中に薬が含まれている為、朦朧とする意識と体のダルさは抜けることはなかったからだ。



やっと届いた硝子の破片を握り締め、手の縄を切ろうとするがなかなか上手くいかない。


椒鰲が戻ってくる前にと、気持ちだけが焦っていた。



「…………!!」



いつものように、椒鰲はお弁当を持ってロッジを訪れた。



しかし、目の前の状況に思わずドサッとコンビニ袋が手から落ちる。



「しくったっ………!」



そう吐き捨てると、椒鰲はロッジから飛び出した。


ロッジには、切られた縄の残骸と窓に向かって歩いた時に付いた血の跡だけが残され、そこには誰もいなかった。

「監視カメラがねぇのは、ここからだな。」



警視庁から数時間、監視カメラで追えるギリギリまで3人は来た。



車を降りた賭狗膳が見渡す景色は、山や森、田んぼが広がっていて、とても東京とは思えなかった。



「ああ。別荘地に行く道はいくつかある。しかし、バイクで通れる道は限られる。早乙女、何本ある?」



棟郷の運転する車中で、賭狗膳と早乙女は手分けして別荘地周辺を調べていた。



「えぇっと…、3本です!南に向かうこの正面と、西と東ですね。」



「じゃ、俺は正面行くわ!」


「おい、賭狗膳!……はぁ、捜査じゃなくても勝手だな。あいつは。」


「すみません……。」



「早乙女が謝ることじゃない。早乙女は西を捜してくれ。」


「分かりました。」



勝手に行ってしまった賭狗膳は、主要な道である南。


早乙女は、車道と共に歩道も整備されている西。


棟郷は、山登りも兼ねた車道さえほとんど整備がされていない東。



手分けして、威叉奈の捜索を開始した。

「はあ、はあ……どっちだ……」



ロッジから逃げ出した威叉奈は、森の中で彷徨っている。


どの方向を見ても木々ばかりで、高低差も少なく下っているのか登っているのかさえ、威叉奈は判断出来なくなっていた。



胸ポケットに入ったままの携帯は辛うじて電池は残っていたものの、圏外でその意味をなさない。


待ち受けに表示された日付は、拉致されてから4日経っていた。



「お、早乙女!いたか?」


「賭狗膳さん!いません。ロッジの中も人気が全く…」


「こっちもだ。棟郷は東か?」


「はい。」



早乙女が捜した西は、整備はされているものの、何年も人の出入りがないように見えた。


賭狗膳が捜した南も同じようだったが正面の道にあるので、幾分かは使った形跡があった。



「とりあえず棟郷と合流だ。東は入口見ても出入りが少なそうだったしな。かなり荒れてそうだから、棟郷一人じゃ時間くいそうだ。」


「そうですね。」



隠れるならロッジだろうと、ロッジも道もない入口とは反対側は捜索範囲から省いて、棟郷と合流しようと賭狗膳と早乙女は東に向かった。

「あれは……!」



棟郷は、目の前に現れたロッジの前に、見覚えのあるバイクを見付けた。



「ここか…?」



気配を消し、窺うように入口横の割れた窓から覗き見るが、人がいる気配はしなかった。



…………が。



「これは……っくそ!」



目の端に捉えた部屋の奥には、切れた縄の残骸とその周辺に点々とする血の跡。



棟郷は思わず走り出した。



「はぁ、はぁ……は…ぁ…」



生い茂る木々に手を付き、途中で見付けた太い枝を杖がわりにしながら、威叉奈はとにかくロッジから離れようと足を動かしていた。



椒鰲がいつ戻ってくるかも、ロッジの状況に気付くかも分からない。


薬が効いている状態では、椒鰲の相手どころか麓まで辿り着けるかも不明だ。



しかし、体を動かしたせいで薬が良く回り、威叉奈の状態はロッジにいた時より悪化している。



「いぃーさぁーなぁあぁぁっ!!!」


「!!」



後ろで響いた、聞き慣れた声の怒号。



「見付けた。」



振り向いた威叉奈の目に映る椒鰲。


無表情で、しかし口は弧を描いていた。

捜して見付けて、隠れんぼ

「!賭狗膳さん!」


「ああ!あっちだ。」



棟郷の元へ向かっていた賭狗膳と早乙女にも、椒鰲の怒号は届いていた。


叫んでいたのは、威叉奈の名前。

威叉奈もそこにいるはず、早く向かわねば。

2人は、声の聞こえた方向へ急いだ。



「しょ、ご……」



「何で、逃げた?何で、俺から逃げる?」



「ったりめー…だろ、うが。薬盛ら、れて、拉致…られて、…監禁…されて。逃げねぇほ、がおかし、だろ…が。」



ゆっくり近付いてくる椒鰲。

威叉奈は後退りするも、距離は縮まる一方だ。



「威叉奈には俺が必要だろ?だから。」


「ざ、けんな。意味…分か、んねぇ。」



必要としてたのは喧嘩に勝ちたかった椒鰲の方、延いては駁兜に箔を付けたい総長の方だ。


威叉奈は賭狗膳に出会うまで、他人には何一つ求めることを諦めていた。



「俺を…追い出そうとしたのは……てめぇの方だろうがよぉ!」


「ああ、リンチん時か?あれは、威叉奈が悪いんだ。」


「………っ!」



迫った椒鰲に、渾身の力で振り上げた杖がわりの枝はあっさりと受け止められ、奪い取られてしまった。

「お、れが…?族、の不利になるよ、うなこと、した覚えはねぇ。総長だって、継ぐ気はなかった。そ…、言っただろ…」


「俺は総長なんて興味なかった。威叉奈がなりゃいいと思ってたからな。」



「じゃ、なん、なんだよ…」



奪い取られた瞬間、反動でよろめいて体勢を崩す。


左横にあった木の幹に手を付いて転ぶことは免れるが、立て直すことが出来ずに片膝をついてしまった。



「威叉奈が総長になりゃよかったんだ。なのに、あんなサツに騙されやがって!」


「サツ……?トクさんか?」



当時で関わり合いがある警察関係者といえば、賭狗膳しか思い当たらない。



「トク…さんは、関係ねぇよ。トクさんがいなく、たって、俺はっ…総長を継ぐ気なんて……つか、俺、を総長にしたくねぇから、リンチ、したんだろ?」



椒鰲の言っていることと、やっていることが矛盾している。



「威叉奈には俺が必要なんだよ……威叉奈には俺だけでいいんだよ……なのに………」


「しょ、ご……?」


「なんで、視界に入らねぇんだよっ!!」



椒鰲は奪った枝を、威叉奈目掛けて降り下ろした。

「なっ……!」


「か、管理官……」



ゴンッ、という音と共に現れたのは棟郷だった。



右腕で威叉奈を抱き締めるように引き寄せ、後ろから目の前の脅威から庇う。



「な、で…ここ、に…」


「しゃべるな。後ろにいろ。」



降り下ろされた枝を投げ捨て、威叉奈を自分の後ろへと追いやる。



「邪魔するな!サツごときがぁ!」



「っ……!」


「管理官っ!」



邪魔されたことでキレた椒鰲は、隠し持っていたバタフライナイフで棟郷を襲う。



「くっ………」



ギリギリ椒鰲の攻撃を避ける棟郷の顔の左側は、血に濡れていた。


威叉奈を見付けたのは、枝が降り下ろされる寸前。

考える余裕もなく突っ込んでしまって、避ける余裕がなかった。



「お…い、椒鰲っ!やめ、ろっ!殺りたいなら、お、れを殺りゃいい…だろうが!その人は関係ねぇ!」



椒鰲を止めようにも、棟郷を助けようにも、足に力が入らず引きずるように近付くことしか出来ない。


助けられた棟郷を助けようとするなど、元々無茶な話ではあるが。

「来るな、吹蜂…!」


「管理、官は関係ねぇ…!昔の、ケジメぐらい自分でっ……。あい、つの目的は……俺なはずだ。だから、管理官は…すっこんで、ろ……。………おい、こら、椒鰲っ!」



口ではそう言う棟郷もかなり追い詰められているのが見てとれて、威叉奈は注意を自分に向けさせようと叫ぶ。



「殺人、なんて外道…なんだろぉが!てめ…ぇ、自分で言ったこと、忘れてんじゃねぇ!」



「サツのせいだ……サツが威叉奈を、威叉奈を変えちまったんだ。だから、戻さなきゃいけねぇ。威叉奈は駁兜の総長で、俺は副総長になるはずだったんだよ!」



「……ちっ、聞いちゃ、いねぇ。おい、椒鰲っ!!」



威叉奈の言葉など届いていないかのように、椒鰲はブツブツと呟いている。



「威叉奈は………、威叉奈は………、俺のものだぁああぁぁ!!!」




「椒鰲、やめろぉぉーっ!!」



少しの間、動きが止まっていた椒鰲。


だが、突然爆発したような絶叫と共に棟郷に向かってナイフを振り翳す。



威叉奈は、叫ぶことしか出来なかった。

ドンッ



「ぃ゛っ――……」



椒鰲の手からナイフが飛び、地面に刺さった。



「こんっの、ガキ!ちょーしこいてんじゃないよっ!」



「早乙女!それぐらいにしておけ。関節が………」



「トクさん……、アオちゃん……」



振り翳した腕を蹴り上げ、椒鰲に見事な関節技を決めているのは怒り心頭の早乙女だった。



痛そうだな、などと他人事に思いながらも自業自得だと、止める賭狗膳はあまり可哀想には思わない。



「威叉奈っ!良かった、怪我は?……血まみれじゃねーか!」


「手、だけだ。つか、俺より……管理官が……」



「あ?棟郷…!…お前……」



威叉奈につられ賭狗膳が目線を向けると、木に体を預け、左手で頭を押さえながら肩で息をする棟郷がいた。



「問題ない。吹蜂の方が酷い…だ、ろ……」



「管理官!」


「ちっ。管理職が無茶しやがって。」



力なく座り込んだ棟郷は、それから動かなくなった。



「管理官!…管理官!…………棟郷さんっ!」



威叉奈は忘れかけていた睡眠薬で意識が途切れるまで、賭狗膳が止めるのも聞かず棟郷の名を叫び続けていた。