酒は飲んでも呑まれるな

警視庁、組織犯罪対策課。


通称、組対(ソタイ)と呼ばれる部署に所属する3人が言い合いながら廊下を歩いていた。



「早乙女、お前、ありゃーやり過ぎだ。乙女って付いてんだからそれらしくしろよ。」



最近来た部下をたしなめる、賭狗膳梅夫(トクゼン ウメオ)巡査部長。



「それは申し訳ございませんでしたね、梅夫さん!」


「てめっ!下の名前で呼ぶなっつたろーが!」


教育係&上司である賭狗膳の嫌味をガッチリ受け止め、嫌がらせで返す早乙女碧粉(サオトメ アオコ)警部補。



「トクさん、それらしくはセクハラですよー」



そんな年上2人を見ながら、軽ーく突っ込む吹蜂威叉奈(スイホウ イサナ)巡査部長。



賭狗膳は48歳、早乙女は43歳なのに、29歳の威叉奈の方が大人に見えるのは、いかがなものか。


課長の尽きない悩みの種である。



「ピーチクパーチク煩いな。もう少し静かに出来ないもんかね、ソタイさんはよう。」


「ムチャ言うなよ。そんな気遣い、ハードルが高いって。」



そばの捜査一課の部屋から、小馬鹿にしたような声が聞こえる。


実際小馬鹿にしているようだが。

「一課って、よっぽど暇みたいで、羨ましいですね。」


「みたいだな。まあ無視だ、無視。いちいち気にしてたら、やってらんねーよ。」



「関わるだけ、時間の無駄ですよねー」



事件の手柄を奪い合う立場の一課とは、基本的に仲が悪い。


従って、小競り合いは日常茶飯事である為、威叉奈達は張り合うこともなく足早に立ち去ろう………



「吹蜂。ちょっと来い。」



と思ったら、一課の管理官で賭狗膳の同期である棟郷誠人(トウゴウ マコト)が、威叉奈を呼び止める。



「えーなんですか。私、何もしてませんけど?」


「いいから来い。」



「えっ…ちょ…!引っ張んないで下さいよー」



賭狗膳と早乙女が止める間も無く、棟郷は嫌がる威叉奈の腕を掴み連れ去った。



「なんなんだ、あいつ。」


「さあ?なんなんでしょうね。」



嫌味を言い合う賭狗膳でもなく、新入りの早乙女をなじるでもなく。


威叉奈が目的の如く連れ去った棟郷の行動の意味が分からず、2人は首を傾げるのだった。

「なんなんですか?こんなとこまで。」



棟郷に引っ張られ威叉奈がたどり着いたのは、人気のない屋上だった。


連れて来られた意味が分からない威叉奈は、ムスッとした表情と態度を隠すこともなく尋ねる。



「今夜……時間あるか?」


「はい?」



「…相談があるんだ。」



棟郷が言いにくそうに切り出したのは、威叉奈の今夜の予定の有無のようだ。



「…………、別に何もないですけど。」



何故自分に?と一瞬思ったが、思い当たる節があったので、威叉奈はややあって答える。



「そうか。じゃあ、後で迎えに行く。こんなとこまで悪かったな、話はそれだけだ。」



棟郷はそう言うと、足早に屋上を去っていった。



「(トクさんに聞かれたくなくても、屋上にまで来なくったって……)」



5分ほどかけて来た屋上で、話した時間は2,3分。



同期だが、仲の良くない賭狗膳に聞かれたくないにしても、屋上は来すぎなんじゃないかと威叉奈は不思議に思うのだった。

「…………………。」


「…………………。」



棟郷に連れられて、威叉奈はとあるバーにいた。


相談があると言ったにも関わらず、棟郷は一向に切り出さず来店してから一時間はとうに過ぎている。



「…………同じもの。」



「…吹蜂、ペースが早くみえるが、大丈夫か?」


「別に平気です。」



いくら飲んでも酔う気配がなく、水を飲むかのように渇く喉を潤おしていた。



「……それで、相談なんだが……」


ゴンッ



「吹蜂!?おい、大丈夫………ではないな。」



ようやく切り出そうとした矢先に隣で大きな音がしたと思ったら、威叉奈がカウンターの机におでこを強打したようでうつ伏せのまま微動だにしない。


慌てて揺すってみるが反応はなく、微かに寝息が聞こえてきて単に酔い潰れただけのようだ。



「確か、こっちだったな。」



威叉奈を背負い、棟郷は緊張で固まった全身を解すようにゆっくりと歩きながら思い出す。



合同捜査で、暴力団相手でも殴っての地取りが強引だったとして、謹慎を言い渡した時のことを。


自宅謹慎だからと、住所を確認しておいたのが役に立った。

「吹蜂、着いたぞ。鍵はどこだ?」



無事ドアの前まで辿り着いたはいいが、鍵がないと入れない。



「ぅーん……かぎってかばんじゃん。いつものとこー」



ムニャムニャ言いながらも、背中で威叉奈は答える。


しかし、



「(いつもって……。俺は賭狗膳じゃないんだがな。)」



一番間違えて欲しくない人間に間違えられた。


賭狗膳は、不良であった威叉奈を警察へと引き上げ、更には親がわりだということは、棟郷も承知しているのだが。



なんだか、釈然としない。



「吹蜂、とりあえず降ろすぞ。」



なんとか鞄の中から鍵を探しだして、威叉奈を布団の上に寝かせる。


一件落着と、帰ろうと立ち上がる………



「ぅわっ――………」



何故か強い力で腕を引っ張られ、倒れ込んだ。



「いって……おい、吹蜂……なにを………」


「えへへっ。とーごーさんだぁー」



痛みで瞑った目を開けると、すぐそばにいた威叉奈が、にこーっと楽しそうに笑う。



「っ………。よ、酔っ払いは大人しく寝てろ。」



その顔に鼓動が早くなるのを感じ、棟郷は掴まれている腕を離そうとする。

「ええーよっぱらってませんよー。せいじつなーひととかいてぇーま・こ・と・しゃん!」



確かに棟郷の名前は、誠実の誠に人で誠人だが……



「それは今関係ないだろう……。」



酔っ払いの言動は支離滅裂だ。



「かんけいありますよーだってーわたし、まことしゃんのことすきだもーん。」



「………………は?」



棟郷は耳を疑った。


今、自分のことを好きと言わなかったか、と。



「な、何を言っている。冗談はよせ。これだから酔っ払いは……」


「むぅー。じょーだんじゃないですよー」



子供の様に両頬をプクッと膨らませ、威叉奈はむくれる。



「ずっと、ずっと、ずぅーとすきだもん。さいしょは、こわいなぁとおもったけどさぁ―。でも、とーごーさん、ほんとはやさしーって、しってるも―ん。」



「お、おい……ちょ……吹蜂っ……」



言いながら這うようにして馬乗りになった威叉奈は、にいっと笑う。



「何してんだ。吹蜂、降りろ。」



意味が分からない行動に狼狽えながらも、とにかく退いてもらおうとするがこういう時の酔っ払いの力は強くびくともしない。

「おーりーまーせーんー!しょーこ、みせてあげるんだから。」



「証拠って、おま…………」



お前、何をする気だ。


棟郷は、そう言いたかった。




でも、言えなかった。


いや、言うことが出来なかった。



何故なら、威叉奈にキスされていたから。



「ばっ…………何を………」



「えへへ―、ちゅーしちゃったぁ―。とーごーさんと、ちゅーしちゃったぁー」



そう言って、ニッコリ嬉しそうに笑う威叉奈。



「とーごーさん、だぁ―いすき。」



「吹蜂……!………はぁ。」



言うだけ言って、キスまでして。


なのに、コテンと力尽きた様に、威叉奈は眠ってしまった。



棟郷の気持ちを置き去りにして。



「ったく………勘弁してくれ………」



酔っぱらってやられては、こっちの身が持たない。



しかも、普段とは180度違う威叉奈の態度。


調子が狂うどころか、振り回されてしまった。



それでも、威叉奈に対して嫌な気持ちは一つも起きず、とりあえず風邪をひかないようにと、きちんと布団に寝かすのだった。

痛むのは、頭か胸か

「頭いったぁー」


「大丈夫?頭痛薬貰って来ようか?」


「へーき。ただの二日酔いだから。」



朝から覇気のない声を出す威叉奈に、珍しいと早乙女は心配する。



「お前、コップ2,3杯で酔うほど酒弱えーのに、なんで二日酔いになるんだよ。」



「そん時は、酔ってなかったんですよ。」



大体自分でもなんであんなに飲めたか分からないし、目が覚めたら自分の家で記憶ないし。


なんて。


賭狗膳の質問を軽く躱しながら思う。



何杯飲んでも酔わなかったのに、記憶はポッカリ抜けている。


飲み始める前から棟郷と何を話していたか、会話の内容さえ緊張であまり覚えていない。



それでも妙に心地好い、あの時の空気だけは覚えていて。



「やっぱ、薬貰ってきます。殴り込みとかなったらヤバイし。」


「ああ、そうしとけ。つーか、殴り込みじゃなくて、ガサ入れ、な。」



「………知ってますよ。わざとですよーだ。」



威叉奈の拗ねた様な声に、妙な間があったことは突っ込まないでやろうと、賭狗膳は親心に思った。

「いない。」



医務室へ行き薬を貰った帰り、一課を覗くも棟郷の姿はなかった。



もしかしたら……、

何となくの勘で思いついた場所へ向かう。



「いた。」



見事勘は的中し、棟郷は屋上にいた。



「管理官がサボっちゃ、マズくないんですか?」


「っ……吹蜂。」



いつもみたいにふざけて話しかけたのに、返ってきたのは嫌味でもなく怒鳴り声でもなく。


驚いた表情でこちらを見る棟郷だった。



「なんですか、人をオバケみたいに。一課にいないから、こんなとこまで来ちゃったじゃないですか。」


「………じゃあ、こんなところまで何の用だ?」



棟郷に問われ、威叉奈はここに来た目的を思い出す。



「昨日、管理官が運んでくれたんですか?朝起きたら家だったんで。トクさん知らなかったし。」



「あ、ああ。」



「そうですか。それはご迷惑をおかけしました。昨日のこと、飲み始めた辺りで既に記憶なくて。私2,3杯ぐらいしか飲めないのに、今日二日酔いになるぐらいだいぶ飲んだみたいで。」

「記憶にない…?」


「はい。だから、変なこと言ってないかと思って。ああ、でも、相談の内容は何となく分かってました。ナエちゃんのことですよね。」



ナエちゃんとは、細脇苗込(ササワキ ナエコ)のことだ。


賭狗膳の元妻で、同期の棟郷とも面識がある。



「相談されてたとしても覚えてないんで、今度、素面の時にと。」



苗込が賭狗膳と別れる前から、棟郷に何かしら誘われているのを見ていた。


だから威叉奈は、棟郷が苗込に恋心を抱いている、自分に相談事があるならそれしかないと思ったのだ。



「すいません、私といるのも嫌なのは知ってますけど、そういうのに私情を挟むつもりはないんで心配しなくてもちゃんと考えますから。まぁ、思い付くのは食事とかのセッティングぐらいですけど。」



今までの棟郷の言動から、威叉奈は嫌われていると感じ取っていた。


だが、それとこれとは別問題。


何より、父親代わりの賭狗膳と同じく、2人が別れても母親代わりの大切な苗込が関係しているのだ。



だから、苗込が幸せになるならと思った。


それに、棟郷に不幸になって欲しいとも思っていないから。

「ちょっと待て。なんで細脇が出てくるんだ?俺は一言も…」



ツラツラと威叉奈が話す言葉を聞いていた棟郷だったが、何故相談の内容が苗込だと思い込んでいるのかが分からない。



「だって管理官、ナエちゃんとよく話してたじゃないですか。それにナエちゃん、なんか断ってた雰囲気だったし。」


「それは……」



見られていたのか。と棟郷は動揺し目が泳ぐ。



「管理官、ナエちゃんのこと、好きですよね。」



威叉奈の言い方は、かなり確信的だった。



「な、なんでそうなる……?」


「なんでって……。食事にでも誘おうとしてたんじゃないんですか?でも、断られ続けて。だから最終手段で嫌いな私に相談を…」



「相談は……その…。というかだな、なんで俺がお前を嫌いな設定なんだ?」


「設定っていうか、管理官含めて一課の人、こっちのこと嫌いですよね。まぁ、お互いみたいですけど。風習みたいなもんだってトクさんが言ってたんで、従ってますけど。」



私は嫌いなんて、一言も言ってませんけどね。



なんて。

目線を反らして、最後の方は小声になりながら威叉奈は言う。

「そんな風習はない。……が、仲が良くないことは認める。だからといって、俺がお前を嫌いとは……」




「嫌いですよ。私に対する管理官の態度見てれば分かりますから。口数少ないし、業務連絡は命令だけだし、昔のこと持ち出すし。そりゃ族やってた私が悪いんだから、嫌われるのは仕方がないですけど。」



「そ、それは違う…!」



諦めたように吐き捨てる威叉奈に、棟郷は慌てて否定する。



「違うってなんなんですか?良いですよ、今更繕わなくても。さっきも言いましたけど、心配しなくてもナエちゃんの件は」



「それも違う!細脇のことは違うんだ。あれは、お前のことで…」


「私の?」



「いや、だから、その…」


「私の、なんなんですか?」


否定したのに棟郷は歯切れが悪くなり、言葉を濁す。



「お前の………俺は、細脇じゃなくて、お前のことが好きなんだ!」


「!!!」



威叉奈は、これでもかというぐらい目を見開く。



「か、からかわないで下さい…。いくらなんでも、悪ふざけが過ぎます。」



棟郷の言葉は威叉奈の心を抉り、やっと絞り出した声は震えていた。

「からかってなどいない。俺は本気だ。だから」


「寝言なら寝てから言って下さい!いくら管理官でも、そんな命令には従えませんからっ!」



「……!おい、待て。吹蜂!」



必死で否定する棟郷の言葉を遮って威叉奈は声を荒げ、これ以上話すことはないとばかりに出入口に向かう。


しかし、棟郷は威叉奈の腕を掴んでそれを阻止した。



「離して下さい!管理官の冗談には付き合ってられませんから!」


「だから、冗談では……」



「冗談じゃなかったら、なんなんですか?!嫌がらせですか?!私のことが嫌いなら嫌いって、言ってくれていいですから。極力視界に入らないようにしますから…!」



「だから、違うんだ!」



「…っつ……!!」



切羽つまったように、今までにない強い口調で棟郷は否定した。


掴んでいる腕を引き、後ろから思わず抱き締めるほどに。



「は、離し、て、下さい………」



ついさっきまでの勢いはどこへやら。


弱く消え入りそうな声で言いながら、棟郷から逃れようと威叉奈はもがく。

「離さない。お前は覚えていないと言ったが、昨日俺に大好きと言ったんだぞ。」


「そ、そんなもの、酔っ払いの戯れ言じゃないですか。本気にしないで下さいよ…」



身長と体格に差がある為、威叉奈の体は棟郷にすっぽりと抱きすくめられてしまっていて、棟郷に敵意があるわけでもないのでろくに抵抗が出来ない。



「戯れ言でも俺は嬉しかったんだ。お前の口から聞けたから。それに、それにだ。好きだということを証明するって、俺にキスしたんだぞ?」



思い出してしまい、抱き締める腕に力がこもる。



「きっ………!!す、するわけないじゃないですか!」


「だが、ほんとの」



「か、管理官が酔っ払って変な夢でも見たんですよ!私がするなんてあり得ない!」


「あり得ないって……」



あり得ないと言われたことがショックで、抱き締める力が緩んでしまった。



「わ、私は管理官のことなんて、き……………、好きなんかじゃありませんからっ!!」



「吹蜂っ!」



隙をついて棟郷の腕を振り払い離れた威叉奈は、脇目も振らずに走り出した。

「威叉奈の奴、どこに行ったんだ?医務室にはいなかったし。」

「入れ違いですかね?にしては、遅いですもんね。」



威叉奈が出ていってから数十分。


賭狗膳と早乙女は、戻りが遅い威叉奈を心配して探していた。



「一回部屋に戻るか。」


「そうですね………っきゃ!」



別ルートで威叉奈は戻っているかもしれない。

そう思って踵を返そうとした時、早乙女に物凄い速さで何かがぶつかって通り過ぎた。



「威叉奈?!あいつどうして」



「賭狗膳さん、追っかけて!」


「なんで?」


「涙!吹蜂さん、泣いてた!」


「はっ?」



急いで走っていた意味も、泣いてる意味も、賭狗膳と早乙女には分からないが、とりあえず尋常ではない事態のようだ。



「吹蜂…!」



「管理官?」


「賭狗膳……っ!?」



賭狗膳の顔を見た途端、棟郷の顔色が変わった。



屋上から威叉奈を追い掛けてきた棟郷は、見失わないように必死で2人に気付かなかった。


早乙女の声に我に返り、賭狗膳の存在を認識したのだ。

「威叉奈に何した?」


怒りを込めた低い声で、賭狗膳は問う。


理由は分からないが、棟郷が威叉奈に何かしたと直感したからだ。



「いや、俺は……」


「何したかって聞いてんだよ!棟郷っ!!」



「…っ……!」



怒りに任せ棟郷の胸ぐらを掴んで、そのまま壁に押し付ける。



「賭狗膳さんっ!マズいですから!手を離して下さい!」



今までとは怒り方が違うと、賭狗膳の行動に危険を感じた早乙女は止めに入る。



「………。威叉奈を泣かせる奴はどこの誰だろうと、俺が許さねぇ。」



低くそう呟くと、賭狗膳は手を離し、威叉奈の走って行った方向へ足を向ける。


早乙女も一礼して賭狗膳に続き、2人はいなくなった。



「……っ…はぁー……」



棟郷はズルズルと力が抜けたように、その場に座り込む。



賭狗膳があんなに怒ったのを見たのは初めてだ。


犯人や暴力団と対峙している時でさえ感じない強い怒り。


賭狗膳がどれだけ威叉奈のことを大切にしているか身を持って痛感した。



そしてあんなに近くにいたにも関わらず、威叉奈が泣いてたことに気付けなかった自分がとても情けなかった。