◆
「放心状態だったと。調書には精神的ショックによる健忘とありました。事件のことは覚えてないの一点張りだったそうで。担当医によると打撲痕が複数あったそうで、郁榎の体にもその形跡が見られ、虐待とDVを疑った。ただ…」
「DVなら死亡の順番が逆ね。」
「そうなんです。郁榎は頭の傷以外に浅雛が揺さぶったであろう手形以外は、血は全く付着しておらず、蝓兵の方は逆に血まみれでした。」
入口付近に倒れていた蝓兵に気付き揺り起こそうとして手に血が付き、驚いて血液が付いたままの手で向かいに倒れていた郁榎も同じく揺り起こそうとした結果だ。
死亡原因がDVによるものならば、我慢の限界を越えた郁榎が蝓兵を刺した後、郁榎が死亡したと考えるのが自然だ。
しかし、事実は逆。
郁榎が刺したのならば、全身が染まる程の出血があった蝓兵の返り血を浴びていない筈はない。
司法解剖の結果、両者の死亡時間に然程違いはなく、着替えるなど不可能。
工作など外的要因も見当たらない。
死亡に至る理由が、夫婦間におけるものでもない。
従って、蝓兵と郁榎以外の第三者によって行われた殺人だということは明らかだ。
◆
「そんな状況なら殺人として捜査してるわね。工場の従業員のアリバイはどうなの?」
殺人ならば、当然その場から立ち去った犯人がいる。
「従業員のアリバイは疑いようがありません。お昼時で、蝓兵と郁榎以外は、全員近くの定食屋へ行っていたことが確認出来てます。定食屋の主人とその時たまたま巡回中の警察官がその証人です。」
定食屋の主人が受けた注文数と、店員が出した料理数は、従業員の人数と同じであると証言を得ている。
定食屋に残っていた伝票もその数と一致しており、工場の従業員の中の誰かが、その時刻その場に居なかったということはあり得無かった。
蝓兵と郁榎の死亡推定時刻からあまり間を開けずに浅雛が発見したのも、改装工事の為に偶々学校が半日で終わる日だったからだ。
そんな日に、2人の身近にいる人間が犯行を行うだろうか?
そして、2人の遺体に触れたのは、浅雛と薙晶の幼き2人の子供だけ。
事務所やその周辺からも、関係者以外の指紋や足跡は発見されていない。
強盗か怨恨か、もしくは通り魔的犯行か。
犯人の目星も殺される理由すら皆目検討がつかないまま、日は過ぎていった。
◆
「疑問だらけじゃないですか!何故それが迷宮入りではなく、事故になるんですか!」
「俺に怒らないで下さいよ。」
小鳥遊の怒りはごもっともだが、それを自分にぶつけられても困ると我黏は思う。
「もしかして、清憲が関係しているの?」
「さすが班長。」
下請けとはいえ、自身の傘下の工場。
事件となれば、マスコミが騒ぐ。
噂されている蝓兵の悪行も露呈してしまい、イメージダウンは避けられない。
そう考えた清憲は所轄に圧力をかけ、事件がマスコミに漏れる前に事故で処理させた。
「蝓兵は誤って転倒、その際果物を剥こうとしていたのか机に放置されていた包丁が刺さり死亡。郁榎は、棚にぶつかった衝撃で落ちてきた花瓶に偶然当たり死亡。そう調書にはありました。」
「無茶苦茶だ。」
我黏の言葉に、小鳥遊は頭を抱えた。
完全に圧力による捜査打ちきりの為だけに作られた、辻褄合わせの調書。
「担当刑事も、やりきれない事件だと言ってました。」
厠餉乘がその目で見た、悔しく無念に歪む担当刑事の顔。
想像に難くないその様子は、浅雛を思う小鳥遊の目にも浮かんでいた。
◆
「自責の念にでも駆られたんですかね?だから清憲は、薙晶の言う通りに浅雛を引き取って…」
「あれがか?世間へのアピールじゃねーの?よくあるだろ、同情ひいて好感度アップって。これだけのスキャンダルだ。マスコミにいくら圧力かけたって、真相を求めて張り付くしつこい聞屋もいそうだしな。」
仇夂は良い方に解釈したが、我黏は悪い方に解釈した。
しかし、乗り込んできた清憲や小鳥遊から聞く印象の薙晶はとても仇夂の言う感じでは無い。
我黏の方が筋が通る。
「それでも、拒否出来なかったのよ。まだ8歳の子供だったんだから。」
「そうですね。」
假躍の言葉に厠餉乘も同意する。
僅か8歳の少女が、大人それも権力者の言うことに逆らえる筈がない。
その時の浅雛の心中を思うと、胸が痛む。
「小中学校はどうだったんですか?同級生に話、聞いたんですよね?」
自分は知らない小中学校時代の浅雛。
小鳥遊は気になる。
◆
「小中学校もお前の言う高校時代と同じ…いや、両親が亡くなるより前かららしい。入学時、既にその関係は確立していたんだと。」
我黏から報告される薙晶の数々の横暴は、主従関係というよりはイジメに近かった。
浅雛をパシリの様に顎で使い、時には暴行をはたらくこともあった。
その様子は、浅雛の言う通り奴隷そのものだ。
「周りは勿論、蝓兵も郁榎も、それについては何も言えなかったようです。清憲の圧力が相当怖かったようで。」
いまだに口が重い浅雛の同級生や蝓兵の同僚に話を聞いた厠餉乘が感じたのは、何十年経っても続く恐怖に怯える姿だった。
「見て見ぬ振り…我が身可愛さだけど、当事者にとっては大問題ね…」
假躍も納得は到底出来るものではないが、理解は出来る。
「浅雛は今でも、薙晶に呼び出されていたみたいです。提出してもらった薙晶の携帯に履歴がかなりありましたし、呼び出す先はいつも高級ホテルだったようで、度々目撃もされていました。」
「全く、嫌な感じのお嬢様だぜ。」
完全なる恐怖による支配。
冷宝一家は、かなり裏表が激しかった。
◆
「そういえば、清憲はどうして浅雛の居場所が分かったんですか?止められてはいたようですけど、何だか迷うことなく向かって来た感じがしましたけど。」
「言われてみれば…」
我黏の疑問に、仇夂も同意見だ。
確かに疑問である。
…忘れていた訳でない。
決して忘れていた訳でない。
(大切な事なので2回言った。)
警視庁内に入るには、入口にいる受付を通さなければならない。
セキュリティの関係上、これは一般的な企業と同じだ。
テロや占拠の可能性も考慮し、一般の人が立ち入り禁止の区域も存在する。
重大な資料もある各部屋の配置を、いくら清憲でも部外者扱いになり、知ることは出来ない。
刑事部の部屋なら尚更だ。
「清憲の剣幕が凄かったらしくてね。上司を呼びに行った子が戻る前に、対応していた子が口を滑らせてしまったらしいわ。」
警察官としてはあるまじきことで勿論お叱りを受けたらしい。
しかし、それと同時に慰めもされたらしい。
誰が対応しようとあの剣幕では、お気の毒様としか言い様がないのが明白だったのだろう。
◆
「それにしても、薙晶はよっぽど四葉のクローバーが好きらしいですね。」
「ああ、この飴か?」
我黏が目で示した、先程までお気に入りだったクリスタル。
言い方が嫌そうなのは、気のせいではないだろう。
「それもそうなんですけど、携帯の待ち受けもストラップも四葉のクローバーでした。」
「四葉を押し花にした栞までありましたよ。」
転落時に持っていたと思われる鞄の中には、他にも手帳やペンなどもクローバーがあしらわれたものが多かった。
「病院にいた秘書によると、栞は特に大切にしてたようです。」
「変なとこで乙女チックだな。」
聞けば聞くほど、調べれば調べるほど、傍若無人の暴君以外の何者でもない薙晶の、そんな意外過ぎる一面が我黏には可笑しかった。
「しかも最近では、四葉型のUSBメモリまで作らせたみたいですよ。」
「筋金入りだな。」
これには馬鹿にして笑っていた我黏も、若干引きぎみである。
いつかは持ち物全てを四葉にしてしまうのではないか。
薙晶の持ち物から四葉のクローバーに対する執着が、何故だか強烈に感じてしまうのだった。
◆
馳せる
◆
「みんな、お疲れ様。明日もよろしくね。」
お疲れ様です…。なんて、假躍の激励にも覇気の無い返事をして帰っていく仇夂と我黏。
それもそのはず。
薙晶が病院に運ばれてから既に6日。
もうすぐ日を跨ぐので、7日目になる。
しかし、所轄と連携して目撃者や犯人に繋がる手掛かりを必死に捜しているものの目新しいものは見付かっていない。
薙晶の意識が戻らない苛立ちが日に日に増して、清憲はついには警視庁にまで圧力をかけたのか假躍は刑事部長にも発破をかけられていた。
それを聞いた面々は、苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
特に小鳥遊は顔は酷いもの。
刑事ドラマではトントン拍子に証拠が出てきたり容疑者が浮かんだりするが、そうはいかない。
足を棒にして駆けずり回ってもも、頭脳や科学を駆使しても見つからない。
これが現実だと突き付けられているようで、気分が落ち込むのも当然といえる。
「お疲れ様です。」
「浅雛!」
あいつらのやる気をどうにかしないと…なんて假躍へ話す厠餉乘と、そんな2人とは対照的にやる気に溢れ再度資料を読み返す小鳥遊の前に浅雛が現れた。
◆
「そっちはどう?」
「助力にはなってるみたいです。」
いまだ浅雛は絶賛他部署応援中。
指示をする假躍以外出たり入ったりしている厠餉乘達とは、あの日以来だ。
「そう。それは良かったわ。」
清憲の騒動が署内に広がっていて他部署との連携は大丈夫だろうかと思っていたが、なんとかなっているらしい。
「ただ、何故か心配されるのですが…何かありましたか?」
刑事部長への圧力のことだろう。
心配はするものの気を使い込み入った話を相手はしない上に、浅雛も聞かないので詳細が分からずじまいなのだ。
「きっと刑事部長に発破かけられたことだ。こっちは心配ない。ただ手掛かりも皆無でお手上げ状態だ。」
「そうですか……」
いつも前向きな厠餉乘まで困らせる、それほどの手掛かりの無さである。
「そんな気を落とすな!絶対証拠を見付けてお前の無実を清憲に示すから。当事者が諦めんな。」
「……分かってます。厠餉乘さん達を信じてますから。」
浅雛の声色が暗いのに気付いた厠餉乘は、努めて明るく言う。
そんな気遣いに、浅雛も少しだが笑顔で応えた。
◆
「浅雛。」
帰ろうと部屋を出て階段に差し掛かった浅雛を呼び止めたのは、假躍と厠餉乘の会話の間、全く言葉を発しなかった小鳥遊だった。
「何?」
「あ…いや…」
「?用が無いなら帰るけど?」
捜査の件かと思い話を聞こうとした瞬間しどろもどろになる小鳥遊に、呼び止められた理由が分からず浅雛は首をかしげる。
「……あの……悪かった。まだ冷宝に振り回されてたなんて知らなくて……」
「別に。あの時も言ったけど、小鳥遊が気にすることじゃない。」
あの時……2人が同級生だった高校生の時のことだ。
薙晶の横暴を見かねた小鳥遊が、止めるよう直接薙晶に言ったことがあった。
けれど、それを知った浅雛に言われたのだ。
いきなり謝罪されても動じることなく返答する。
表情を変えず、何とも思わないような今と同じセリフ・同じ顔で。
「そんなことより、犯人の手掛かり掴まないと。刑事部長にまで圧力かかってるなら、見つからないじゃ済まされないし。」
今の状態では捜査に何らかの進展が無いと假躍の責任問題になる。
浅雛はそれを危惧していた。
◆
「そんなことって……。犯人逮捕は勿論重要だ。重要、だけど…俺にとってはそれと同じくらい、いやそれ以上に……」
浅雛の言い方はまるで他人事。
渦中の中心人物で被害をモロに受けているにも関わらず、全く堪えている様子が無い。
無言を貫いて時間の経過を待ち、差し出される手さえ見えないかの様に看過し、少しの挑発で相手から離れるように仕向ける。
高校時代と変わらない。
浅雛も。
自分も。
小鳥遊の頭の中で重なるのは、過去と現在。
忘れることの出来なかった、姿と想い。
「俺はまだ、お前のことが」
「小鳥遊。その答えも変わらない。何度言われてもあの時と同じだから。」
「浅雛……」
突き放すようにそう言って階段を降りていく浅雛。
「くそっ……………」
強く握り締めた拳で真横の壁を力任せに叩くも、軽い音が鳴り単に非力さが証明されただけ。
良く知ったデジャブだった。
◆
家に帰った浅雛は夕御飯を食べ一息つく。
『あれはいくらなんでもやりすぎだろ。』
『放っておけなくて。』
『俺が守ってやるから。』
『………きなんだ。』
「はぁ……―――」
昔のことを思い出すのは、小鳥遊の顔があの時と同じだったからだろうか。
正義感が強いのか何度も薙晶に歯向かい、突き放しても傍に来る。
その行為が薙晶の怒りを買うと言っても構わずに止めなかったので、仕方なく在学中は出来る限り避け続けた。
そして小鳥遊から居場所を隠すかの様に、薙晶以外には知らせず警察の寮に入った。
持ち前の正義感の強さからか小鳥遊も警察官を目指したようで、今回移動によって出会ったのは本当に偶然だった。
再会してから何度か話をしたが、詮索されたくないこと・薙晶達に今の現状を知られたくないことを理由に2人きりの時以外は他人のフリをして欲しいと小鳥遊に頼んだ。
浅雛が寮で一人暮らしだと聞き、薙晶と一緒にいる理由の一つに生活面での金銭問題があった為、縁が切れたのだと思った小鳥遊はそれを了承したのだ。
◆
だが、今回の件で小鳥遊との関係だけでなく必要とはいえ自分の過去まで知れ渡ってしまった。
同情や哀れみなら慣れているけれど、先輩や上司を突き放したり無視したりは出来ない。
他部署の人間にも同じことが言える。
そんなことをすれば、班の評判や評価を下げてしまうからだ。
とりあえずのところ曖昧に返したりしているが、事件が解決しないことにはそれも苦しくなる。
更には圧力のせいで、上層部からの班の印象はますます悪くなるのは必須。
自分のせいで班長を始めとした班全員に、これ以上迷惑をかけたくない。
被害者である薙晶に一番近いのは自分だ。
しかしそれ故に、捜査が出来ない。
突き落とした犯人も
突き落とされた動機も
その証拠の欠片さえ見つからない。
「……………………。」
八方塞がりの思考回路と現状。
祈る様に取り出し掲げて見つめるのは、ペンダント。
少し大ぶりのペンダントは、犯人と揉み合う可能性も考え職務中は危ない為付けていない。
◆
『これあげる。』
『どう?可愛いでしょ。』
『内緒内緒。』
『逆らえない。』
『奴隷でしかない。』
『そういう運命なの。』
『逃げて!』
『これで良かったの。』
『何も悪くない。』
『決めたの。』
『素敵でしょ。』
『良くもまあ知恵が働くこと。』
『絶対。保証する。』
『良かったじゃない。』
『なんで断るの?』
『どんなことがあっても。』
『約束。』
「(約束、したじゃない。)」
手の中にあるペンダントを大事そうに撫でる。
そう。約束したのだ。
墓場まで持っていかなければならない、誰にも知られる訳にはいかない秘密を。
物心付いた時、いや産まれる前から交わされていたのかもしれない。
そんな契約じみたことを。
「(なのに、なんで……)」
何故、ほんの僅かな願いさえ叶わないのだろうか。
手に力がこもる。
「………!!」
過去を走馬灯の様に思い出していた浅雛はついに気付く。
全ての思惑に。
◆
乱す
◆
「いきなり来て何なんだ!」
厠餉乘と小鳥遊は清憲の自宅に来ていた。
玄関先でお手伝いさんに清憲を呼んでもらおうとした矢先、本人が来てしまいアポイントを取らなかった事に腹を立てていた。
「騒々しいですわ。あなた、一体何事ですの?」
「もしかして、何か手掛かりでも見つかったんですか?」
清憲の怒鳴り声に、部屋にいたであろう曝と朔渕も出てきた。
「突然すみません。犯人はまだ捕まってませんが……見つかりました。」
「本当か?!」
「一体誰ですの?!」
厠餉乘の言葉に、清憲と曝は態度を一変させる。
「朔渕酉堕猪。殺人未遂及び横領の容疑で逮捕する。」
凛とした声と共に小鳥遊が見せたのは逮捕状。
「わ、私がですか?!ご冗談を。」
「お前らは馬鹿か!朔渕が薙晶を突き落としたりするわけがないだろう!」
「それに横領もですわ。どこにそんな証拠があるのかしら?朔渕は稀にみる優秀な秘書ですわ。」
◆
犯人が見つかったことに一旦は喜びの表情を見せたが、朔渕が犯人だと告げるとそれが怒りに変わる。
「証拠ならありますよ。」
「!!」
小鳥遊が取り出した証拠である資料に、朔渕は目を見開く。
「貸せ!」
「これは………」
小鳥遊からひったくる様にして奪った資料に、目を通していた清憲と曝。
「朔渕……一体どういうことだ!貴様、俺を裏切ったのか!?」
清憲の顔色は段々怒りを帯び、ついには朔渕の胸ぐらを掴み上げた。
「裏切った……?っふはははは………」
「な、何が可笑しいっ!」
「笑い事ではありませんわ!恩を仇で返す様な真似、許しがたき裏切り行為ですわよ!」
清憲の手から落ちた資料。
怒りのあまり握り締めた為にぐちゃぐちゃになったそれは、最早原形を留めていない。
小鳥遊はそれを拾い上げた。
厠餉乘の制止も聞かずに争う3人の人間を、冷めた目で見つめながら。
◆
「会社のガサ入れ、あんまり収穫なかったんですよ。これが無かったらむちゃくちゃヤバかったです。」
厠餉乘と小鳥遊が冷宝邸にいる同時刻、假躍の指揮の下仇夂と我黏は冷宝グループ関連会社のガサ入れを行っていた。
朔渕が犯した罪が、事細かに記されているこの資料。
いくら資料という物的証拠があるとはいえ、朔渕の自白がなければ逃げられる可能性もあった。
かなり危ない綱渡りだったといえる。
そしてこの資料、我黏の手元にあるものも、小鳥遊が清憲達に見せたものもコピーである。
では、この重要すぎる証拠の出所は何処だったのか。
「浅雛、貴女を信じてガサ入れと逮捕状を請求したけど、一体どういうこと?」
「私を信じてくれたことは感謝します。けど、それは言えません。」
提供したのは浅雛だ。
事件から7日目の朝、部屋に入ってきたと思ったら資料を見せ假躍に言ったのだ。
犯人は朔渕でこれが証拠だと。
◆
假躍を始めとして、あまりにも突然で驚き動揺していた。
しかし、浅雛が物凄く真剣に資料は信頼出来ると言い切った為、假躍は信用して命を出したのだ。
結果朔渕を逮捕出来たのだが、浅雛はその資料の情報源を頑なに言おうとしなかった。
「最低な奴だ!あんなのを野放しにしていたなんて。」
「落ち着けって。」
怒りを露にしながら部屋に入ってきた小鳥遊とそれを宥める厠餉乘。
「どうかしたのか?」
「どうもこうもありませんよ!朔渕の奴、自分勝手な供述ばっかりしやがって。」
小鳥遊が怒るのも無理はない。
朔渕の供述は、それはもう自己中心的なものだった。
大手の会社の秘書になって清憲に尽くしてきたが、起伏の激しい清憲に振り回されていた。
だから、褒美を兼ねた迷惑料を貰っていただけだ。
それの何が悪い。
ただそれが世間では横領というらしいが、そんなの知ったことではない。
あの娘も告発するなどと余計なことを言わなければ落ちずにすんだものを。
◆
「確かにそれは最低ね。」
「ですがその時、朔渕には意味が分からないことを薙晶は言っていたようなんです。」
罪は消えないけどやり直せる。
堂々と笑い合いたい。
約束したから。
証拠はある。
「薙晶が言った証拠を、朔渕は探していたようです。」
「だから病院にはいなかったんだな。意識が戻らなくても、証拠が見つかったら終わりだからな。」
病院で薙晶に張り付いてもう一度殺すチャンスを窺うより、朔渕は証拠探しに躍起になっていたらしい。
とことん、自分の事しか考えていなかったようだ。
「けど、何なんでしょうね?もしかして朔渕が好きだったとか?だから自首を勧めた…?」
「いくらなんでも、それは飛躍し過ぎだろ。」
悩んで出した仇夂の見解を、我黏は軽く笑い飛ばす。
「なぁ、浅雛もそうおも……、浅雛?おい、どうした?………お前まさか……」
話しかけた我黏も、声につられ目線を向けた面々も、その光景に言葉を失った。
何故なら、あまり表情を変えない浅雛が、顔を歪め声を殺す様に口に手を当て、涙を流していたからだった………。
「放心状態だったと。調書には精神的ショックによる健忘とありました。事件のことは覚えてないの一点張りだったそうで。担当医によると打撲痕が複数あったそうで、郁榎の体にもその形跡が見られ、虐待とDVを疑った。ただ…」
「DVなら死亡の順番が逆ね。」
「そうなんです。郁榎は頭の傷以外に浅雛が揺さぶったであろう手形以外は、血は全く付着しておらず、蝓兵の方は逆に血まみれでした。」
入口付近に倒れていた蝓兵に気付き揺り起こそうとして手に血が付き、驚いて血液が付いたままの手で向かいに倒れていた郁榎も同じく揺り起こそうとした結果だ。
死亡原因がDVによるものならば、我慢の限界を越えた郁榎が蝓兵を刺した後、郁榎が死亡したと考えるのが自然だ。
しかし、事実は逆。
郁榎が刺したのならば、全身が染まる程の出血があった蝓兵の返り血を浴びていない筈はない。
司法解剖の結果、両者の死亡時間に然程違いはなく、着替えるなど不可能。
工作など外的要因も見当たらない。
死亡に至る理由が、夫婦間におけるものでもない。
従って、蝓兵と郁榎以外の第三者によって行われた殺人だということは明らかだ。
◆
「そんな状況なら殺人として捜査してるわね。工場の従業員のアリバイはどうなの?」
殺人ならば、当然その場から立ち去った犯人がいる。
「従業員のアリバイは疑いようがありません。お昼時で、蝓兵と郁榎以外は、全員近くの定食屋へ行っていたことが確認出来てます。定食屋の主人とその時たまたま巡回中の警察官がその証人です。」
定食屋の主人が受けた注文数と、店員が出した料理数は、従業員の人数と同じであると証言を得ている。
定食屋に残っていた伝票もその数と一致しており、工場の従業員の中の誰かが、その時刻その場に居なかったということはあり得無かった。
蝓兵と郁榎の死亡推定時刻からあまり間を開けずに浅雛が発見したのも、改装工事の為に偶々学校が半日で終わる日だったからだ。
そんな日に、2人の身近にいる人間が犯行を行うだろうか?
そして、2人の遺体に触れたのは、浅雛と薙晶の幼き2人の子供だけ。
事務所やその周辺からも、関係者以外の指紋や足跡は発見されていない。
強盗か怨恨か、もしくは通り魔的犯行か。
犯人の目星も殺される理由すら皆目検討がつかないまま、日は過ぎていった。
◆
「疑問だらけじゃないですか!何故それが迷宮入りではなく、事故になるんですか!」
「俺に怒らないで下さいよ。」
小鳥遊の怒りはごもっともだが、それを自分にぶつけられても困ると我黏は思う。
「もしかして、清憲が関係しているの?」
「さすが班長。」
下請けとはいえ、自身の傘下の工場。
事件となれば、マスコミが騒ぐ。
噂されている蝓兵の悪行も露呈してしまい、イメージダウンは避けられない。
そう考えた清憲は所轄に圧力をかけ、事件がマスコミに漏れる前に事故で処理させた。
「蝓兵は誤って転倒、その際果物を剥こうとしていたのか机に放置されていた包丁が刺さり死亡。郁榎は、棚にぶつかった衝撃で落ちてきた花瓶に偶然当たり死亡。そう調書にはありました。」
「無茶苦茶だ。」
我黏の言葉に、小鳥遊は頭を抱えた。
完全に圧力による捜査打ちきりの為だけに作られた、辻褄合わせの調書。
「担当刑事も、やりきれない事件だと言ってました。」
厠餉乘がその目で見た、悔しく無念に歪む担当刑事の顔。
想像に難くないその様子は、浅雛を思う小鳥遊の目にも浮かんでいた。
◆
「自責の念にでも駆られたんですかね?だから清憲は、薙晶の言う通りに浅雛を引き取って…」
「あれがか?世間へのアピールじゃねーの?よくあるだろ、同情ひいて好感度アップって。これだけのスキャンダルだ。マスコミにいくら圧力かけたって、真相を求めて張り付くしつこい聞屋もいそうだしな。」
仇夂は良い方に解釈したが、我黏は悪い方に解釈した。
しかし、乗り込んできた清憲や小鳥遊から聞く印象の薙晶はとても仇夂の言う感じでは無い。
我黏の方が筋が通る。
「それでも、拒否出来なかったのよ。まだ8歳の子供だったんだから。」
「そうですね。」
假躍の言葉に厠餉乘も同意する。
僅か8歳の少女が、大人それも権力者の言うことに逆らえる筈がない。
その時の浅雛の心中を思うと、胸が痛む。
「小中学校はどうだったんですか?同級生に話、聞いたんですよね?」
自分は知らない小中学校時代の浅雛。
小鳥遊は気になる。
◆
「小中学校もお前の言う高校時代と同じ…いや、両親が亡くなるより前かららしい。入学時、既にその関係は確立していたんだと。」
我黏から報告される薙晶の数々の横暴は、主従関係というよりはイジメに近かった。
浅雛をパシリの様に顎で使い、時には暴行をはたらくこともあった。
その様子は、浅雛の言う通り奴隷そのものだ。
「周りは勿論、蝓兵も郁榎も、それについては何も言えなかったようです。清憲の圧力が相当怖かったようで。」
いまだに口が重い浅雛の同級生や蝓兵の同僚に話を聞いた厠餉乘が感じたのは、何十年経っても続く恐怖に怯える姿だった。
「見て見ぬ振り…我が身可愛さだけど、当事者にとっては大問題ね…」
假躍も納得は到底出来るものではないが、理解は出来る。
「浅雛は今でも、薙晶に呼び出されていたみたいです。提出してもらった薙晶の携帯に履歴がかなりありましたし、呼び出す先はいつも高級ホテルだったようで、度々目撃もされていました。」
「全く、嫌な感じのお嬢様だぜ。」
完全なる恐怖による支配。
冷宝一家は、かなり裏表が激しかった。
◆
「そういえば、清憲はどうして浅雛の居場所が分かったんですか?止められてはいたようですけど、何だか迷うことなく向かって来た感じがしましたけど。」
「言われてみれば…」
我黏の疑問に、仇夂も同意見だ。
確かに疑問である。
…忘れていた訳でない。
決して忘れていた訳でない。
(大切な事なので2回言った。)
警視庁内に入るには、入口にいる受付を通さなければならない。
セキュリティの関係上、これは一般的な企業と同じだ。
テロや占拠の可能性も考慮し、一般の人が立ち入り禁止の区域も存在する。
重大な資料もある各部屋の配置を、いくら清憲でも部外者扱いになり、知ることは出来ない。
刑事部の部屋なら尚更だ。
「清憲の剣幕が凄かったらしくてね。上司を呼びに行った子が戻る前に、対応していた子が口を滑らせてしまったらしいわ。」
警察官としてはあるまじきことで勿論お叱りを受けたらしい。
しかし、それと同時に慰めもされたらしい。
誰が対応しようとあの剣幕では、お気の毒様としか言い様がないのが明白だったのだろう。
◆
「それにしても、薙晶はよっぽど四葉のクローバーが好きらしいですね。」
「ああ、この飴か?」
我黏が目で示した、先程までお気に入りだったクリスタル。
言い方が嫌そうなのは、気のせいではないだろう。
「それもそうなんですけど、携帯の待ち受けもストラップも四葉のクローバーでした。」
「四葉を押し花にした栞までありましたよ。」
転落時に持っていたと思われる鞄の中には、他にも手帳やペンなどもクローバーがあしらわれたものが多かった。
「病院にいた秘書によると、栞は特に大切にしてたようです。」
「変なとこで乙女チックだな。」
聞けば聞くほど、調べれば調べるほど、傍若無人の暴君以外の何者でもない薙晶の、そんな意外過ぎる一面が我黏には可笑しかった。
「しかも最近では、四葉型のUSBメモリまで作らせたみたいですよ。」
「筋金入りだな。」
これには馬鹿にして笑っていた我黏も、若干引きぎみである。
いつかは持ち物全てを四葉にしてしまうのではないか。
薙晶の持ち物から四葉のクローバーに対する執着が、何故だか強烈に感じてしまうのだった。
◆
馳せる
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「みんな、お疲れ様。明日もよろしくね。」
お疲れ様です…。なんて、假躍の激励にも覇気の無い返事をして帰っていく仇夂と我黏。
それもそのはず。
薙晶が病院に運ばれてから既に6日。
もうすぐ日を跨ぐので、7日目になる。
しかし、所轄と連携して目撃者や犯人に繋がる手掛かりを必死に捜しているものの目新しいものは見付かっていない。
薙晶の意識が戻らない苛立ちが日に日に増して、清憲はついには警視庁にまで圧力をかけたのか假躍は刑事部長にも発破をかけられていた。
それを聞いた面々は、苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
特に小鳥遊は顔は酷いもの。
刑事ドラマではトントン拍子に証拠が出てきたり容疑者が浮かんだりするが、そうはいかない。
足を棒にして駆けずり回ってもも、頭脳や科学を駆使しても見つからない。
これが現実だと突き付けられているようで、気分が落ち込むのも当然といえる。
「お疲れ様です。」
「浅雛!」
あいつらのやる気をどうにかしないと…なんて假躍へ話す厠餉乘と、そんな2人とは対照的にやる気に溢れ再度資料を読み返す小鳥遊の前に浅雛が現れた。
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「そっちはどう?」
「助力にはなってるみたいです。」
いまだ浅雛は絶賛他部署応援中。
指示をする假躍以外出たり入ったりしている厠餉乘達とは、あの日以来だ。
「そう。それは良かったわ。」
清憲の騒動が署内に広がっていて他部署との連携は大丈夫だろうかと思っていたが、なんとかなっているらしい。
「ただ、何故か心配されるのですが…何かありましたか?」
刑事部長への圧力のことだろう。
心配はするものの気を使い込み入った話を相手はしない上に、浅雛も聞かないので詳細が分からずじまいなのだ。
「きっと刑事部長に発破かけられたことだ。こっちは心配ない。ただ手掛かりも皆無でお手上げ状態だ。」
「そうですか……」
いつも前向きな厠餉乘まで困らせる、それほどの手掛かりの無さである。
「そんな気を落とすな!絶対証拠を見付けてお前の無実を清憲に示すから。当事者が諦めんな。」
「……分かってます。厠餉乘さん達を信じてますから。」
浅雛の声色が暗いのに気付いた厠餉乘は、努めて明るく言う。
そんな気遣いに、浅雛も少しだが笑顔で応えた。
◆
「浅雛。」
帰ろうと部屋を出て階段に差し掛かった浅雛を呼び止めたのは、假躍と厠餉乘の会話の間、全く言葉を発しなかった小鳥遊だった。
「何?」
「あ…いや…」
「?用が無いなら帰るけど?」
捜査の件かと思い話を聞こうとした瞬間しどろもどろになる小鳥遊に、呼び止められた理由が分からず浅雛は首をかしげる。
「……あの……悪かった。まだ冷宝に振り回されてたなんて知らなくて……」
「別に。あの時も言ったけど、小鳥遊が気にすることじゃない。」
あの時……2人が同級生だった高校生の時のことだ。
薙晶の横暴を見かねた小鳥遊が、止めるよう直接薙晶に言ったことがあった。
けれど、それを知った浅雛に言われたのだ。
いきなり謝罪されても動じることなく返答する。
表情を変えず、何とも思わないような今と同じセリフ・同じ顔で。
「そんなことより、犯人の手掛かり掴まないと。刑事部長にまで圧力かかってるなら、見つからないじゃ済まされないし。」
今の状態では捜査に何らかの進展が無いと假躍の責任問題になる。
浅雛はそれを危惧していた。
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「そんなことって……。犯人逮捕は勿論重要だ。重要、だけど…俺にとってはそれと同じくらい、いやそれ以上に……」
浅雛の言い方はまるで他人事。
渦中の中心人物で被害をモロに受けているにも関わらず、全く堪えている様子が無い。
無言を貫いて時間の経過を待ち、差し出される手さえ見えないかの様に看過し、少しの挑発で相手から離れるように仕向ける。
高校時代と変わらない。
浅雛も。
自分も。
小鳥遊の頭の中で重なるのは、過去と現在。
忘れることの出来なかった、姿と想い。
「俺はまだ、お前のことが」
「小鳥遊。その答えも変わらない。何度言われてもあの時と同じだから。」
「浅雛……」
突き放すようにそう言って階段を降りていく浅雛。
「くそっ……………」
強く握り締めた拳で真横の壁を力任せに叩くも、軽い音が鳴り単に非力さが証明されただけ。
良く知ったデジャブだった。
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家に帰った浅雛は夕御飯を食べ一息つく。
『あれはいくらなんでもやりすぎだろ。』
『放っておけなくて。』
『俺が守ってやるから。』
『………きなんだ。』
「はぁ……―――」
昔のことを思い出すのは、小鳥遊の顔があの時と同じだったからだろうか。
正義感が強いのか何度も薙晶に歯向かい、突き放しても傍に来る。
その行為が薙晶の怒りを買うと言っても構わずに止めなかったので、仕方なく在学中は出来る限り避け続けた。
そして小鳥遊から居場所を隠すかの様に、薙晶以外には知らせず警察の寮に入った。
持ち前の正義感の強さからか小鳥遊も警察官を目指したようで、今回移動によって出会ったのは本当に偶然だった。
再会してから何度か話をしたが、詮索されたくないこと・薙晶達に今の現状を知られたくないことを理由に2人きりの時以外は他人のフリをして欲しいと小鳥遊に頼んだ。
浅雛が寮で一人暮らしだと聞き、薙晶と一緒にいる理由の一つに生活面での金銭問題があった為、縁が切れたのだと思った小鳥遊はそれを了承したのだ。
◆
だが、今回の件で小鳥遊との関係だけでなく必要とはいえ自分の過去まで知れ渡ってしまった。
同情や哀れみなら慣れているけれど、先輩や上司を突き放したり無視したりは出来ない。
他部署の人間にも同じことが言える。
そんなことをすれば、班の評判や評価を下げてしまうからだ。
とりあえずのところ曖昧に返したりしているが、事件が解決しないことにはそれも苦しくなる。
更には圧力のせいで、上層部からの班の印象はますます悪くなるのは必須。
自分のせいで班長を始めとした班全員に、これ以上迷惑をかけたくない。
被害者である薙晶に一番近いのは自分だ。
しかしそれ故に、捜査が出来ない。
突き落とした犯人も
突き落とされた動機も
その証拠の欠片さえ見つからない。
「……………………。」
八方塞がりの思考回路と現状。
祈る様に取り出し掲げて見つめるのは、ペンダント。
少し大ぶりのペンダントは、犯人と揉み合う可能性も考え職務中は危ない為付けていない。
◆
『これあげる。』
『どう?可愛いでしょ。』
『内緒内緒。』
『逆らえない。』
『奴隷でしかない。』
『そういう運命なの。』
『逃げて!』
『これで良かったの。』
『何も悪くない。』
『決めたの。』
『素敵でしょ。』
『良くもまあ知恵が働くこと。』
『絶対。保証する。』
『良かったじゃない。』
『なんで断るの?』
『どんなことがあっても。』
『約束。』
「(約束、したじゃない。)」
手の中にあるペンダントを大事そうに撫でる。
そう。約束したのだ。
墓場まで持っていかなければならない、誰にも知られる訳にはいかない秘密を。
物心付いた時、いや産まれる前から交わされていたのかもしれない。
そんな契約じみたことを。
「(なのに、なんで……)」
何故、ほんの僅かな願いさえ叶わないのだろうか。
手に力がこもる。
「………!!」
過去を走馬灯の様に思い出していた浅雛はついに気付く。
全ての思惑に。
◆
乱す
◆
「いきなり来て何なんだ!」
厠餉乘と小鳥遊は清憲の自宅に来ていた。
玄関先でお手伝いさんに清憲を呼んでもらおうとした矢先、本人が来てしまいアポイントを取らなかった事に腹を立てていた。
「騒々しいですわ。あなた、一体何事ですの?」
「もしかして、何か手掛かりでも見つかったんですか?」
清憲の怒鳴り声に、部屋にいたであろう曝と朔渕も出てきた。
「突然すみません。犯人はまだ捕まってませんが……見つかりました。」
「本当か?!」
「一体誰ですの?!」
厠餉乘の言葉に、清憲と曝は態度を一変させる。
「朔渕酉堕猪。殺人未遂及び横領の容疑で逮捕する。」
凛とした声と共に小鳥遊が見せたのは逮捕状。
「わ、私がですか?!ご冗談を。」
「お前らは馬鹿か!朔渕が薙晶を突き落としたりするわけがないだろう!」
「それに横領もですわ。どこにそんな証拠があるのかしら?朔渕は稀にみる優秀な秘書ですわ。」
◆
犯人が見つかったことに一旦は喜びの表情を見せたが、朔渕が犯人だと告げるとそれが怒りに変わる。
「証拠ならありますよ。」
「!!」
小鳥遊が取り出した証拠である資料に、朔渕は目を見開く。
「貸せ!」
「これは………」
小鳥遊からひったくる様にして奪った資料に、目を通していた清憲と曝。
「朔渕……一体どういうことだ!貴様、俺を裏切ったのか!?」
清憲の顔色は段々怒りを帯び、ついには朔渕の胸ぐらを掴み上げた。
「裏切った……?っふはははは………」
「な、何が可笑しいっ!」
「笑い事ではありませんわ!恩を仇で返す様な真似、許しがたき裏切り行為ですわよ!」
清憲の手から落ちた資料。
怒りのあまり握り締めた為にぐちゃぐちゃになったそれは、最早原形を留めていない。
小鳥遊はそれを拾い上げた。
厠餉乘の制止も聞かずに争う3人の人間を、冷めた目で見つめながら。
◆
「会社のガサ入れ、あんまり収穫なかったんですよ。これが無かったらむちゃくちゃヤバかったです。」
厠餉乘と小鳥遊が冷宝邸にいる同時刻、假躍の指揮の下仇夂と我黏は冷宝グループ関連会社のガサ入れを行っていた。
朔渕が犯した罪が、事細かに記されているこの資料。
いくら資料という物的証拠があるとはいえ、朔渕の自白がなければ逃げられる可能性もあった。
かなり危ない綱渡りだったといえる。
そしてこの資料、我黏の手元にあるものも、小鳥遊が清憲達に見せたものもコピーである。
では、この重要すぎる証拠の出所は何処だったのか。
「浅雛、貴女を信じてガサ入れと逮捕状を請求したけど、一体どういうこと?」
「私を信じてくれたことは感謝します。けど、それは言えません。」
提供したのは浅雛だ。
事件から7日目の朝、部屋に入ってきたと思ったら資料を見せ假躍に言ったのだ。
犯人は朔渕でこれが証拠だと。
◆
假躍を始めとして、あまりにも突然で驚き動揺していた。
しかし、浅雛が物凄く真剣に資料は信頼出来ると言い切った為、假躍は信用して命を出したのだ。
結果朔渕を逮捕出来たのだが、浅雛はその資料の情報源を頑なに言おうとしなかった。
「最低な奴だ!あんなのを野放しにしていたなんて。」
「落ち着けって。」
怒りを露にしながら部屋に入ってきた小鳥遊とそれを宥める厠餉乘。
「どうかしたのか?」
「どうもこうもありませんよ!朔渕の奴、自分勝手な供述ばっかりしやがって。」
小鳥遊が怒るのも無理はない。
朔渕の供述は、それはもう自己中心的なものだった。
大手の会社の秘書になって清憲に尽くしてきたが、起伏の激しい清憲に振り回されていた。
だから、褒美を兼ねた迷惑料を貰っていただけだ。
それの何が悪い。
ただそれが世間では横領というらしいが、そんなの知ったことではない。
あの娘も告発するなどと余計なことを言わなければ落ちずにすんだものを。
◆
「確かにそれは最低ね。」
「ですがその時、朔渕には意味が分からないことを薙晶は言っていたようなんです。」
罪は消えないけどやり直せる。
堂々と笑い合いたい。
約束したから。
証拠はある。
「薙晶が言った証拠を、朔渕は探していたようです。」
「だから病院にはいなかったんだな。意識が戻らなくても、証拠が見つかったら終わりだからな。」
病院で薙晶に張り付いてもう一度殺すチャンスを窺うより、朔渕は証拠探しに躍起になっていたらしい。
とことん、自分の事しか考えていなかったようだ。
「けど、何なんでしょうね?もしかして朔渕が好きだったとか?だから自首を勧めた…?」
「いくらなんでも、それは飛躍し過ぎだろ。」
悩んで出した仇夂の見解を、我黏は軽く笑い飛ばす。
「なぁ、浅雛もそうおも……、浅雛?おい、どうした?………お前まさか……」
話しかけた我黏も、声につられ目線を向けた面々も、その光景に言葉を失った。
何故なら、あまり表情を変えない浅雛が、顔を歪め声を殺す様に口に手を当て、涙を流していたからだった………。