「行ってきます」
「……行ってらっしゃい」
まるで私の発した“じゃあ、分かったら連絡してね”なんて言葉がいまこの場に存在していなかったかのように“行ってきます”という定型文だけを残して玄関の扉の向こうに、グレーのスーツに包まれた彼の背中は消えていった。
昨日、彼と喧嘩をした。
いや、喧嘩と言えたならまだいいのかもしれない。言いたいことを言い合って、貶しあって、お互いが言葉と言葉を吐き出したら、吐き出しただけすっきりして。
相手を傷つけて、相手に傷つけられて。でもなんであんなに怒っていたんだろうなんて反省して、傷つけた分だけ申し訳なくなって、傷つけた分以上に優しくなれて、
“ごめんね、私が悪かった”
“ちょっと言いすぎちゃった”
“仲直りしよ”
って、全力で言えるのに。それが夫婦になることだと思っていたのに。いつからだろう、言いたいことが言えなくなったのは。
いつからだろう、変に気を使うようになって我慢をするようになったのは。