朝方に爽平は夢を見る。
目隠しをされ、視界が真っ暗だった。
公園の回転遊具に乗った時のように、自分の意志とは別に強制的に回転していく感覚。
気分が悪くなって無理矢理目隠しを外す。視界に映るのは海水浴客で賑わう砂浜だ。
この景色に彼は見覚えがある。
ふいに誰かが視界に入ってきた。それは七、八才くらいの長い黒髪の少女。黒いワンピースを着ている。
この少女の事も彼は知っていた。
『痛っ!』
だけど、それは『痛さ』だった。
その記憶を焼き払って灰にさせてしまうくらいの強い痛みを伴っていた。
目覚めは最悪だ。
時計を見ると五時前である。外はうっすらと明るくなりつつあった。
夢の中で爽平は、何かを思い出しかけていた。だが、同時にそれを拒もうとする自分もいた。
『キケン』
そう本能が告げているような気がする。
「あなたは人を殺したことがある?」
あの女性の言葉が響いていく。
それはどんな状況なのだ?
(自分は本当に記憶を失っているのか?)
爽平は起きあがって出かける支度をする。だが、それは会社に行くためではない。こんな気分のまま仕事など出来るわけがない。
失った記憶は思い出そうとしても簡単には取り戻せない。ならば別の媒体に記憶されたものを確認するのが手っ取り早いだろう。
そう考え、実家へ行くことにした。
電話で直接両親に聞いてみようかとも考えた。だが、今まで黙っていたのだ。そう簡単に教えてくれるわけがない。
電車に揺れられながら再び彼女の言葉を思い出す。
「ただいま」
予め実家には電話を入れておいた。もちろん、会社にも休むということは伝えた。
家は両親とも出かけてしまっていたが祖母がいるので鍵は開いている。
居間まで上がっていくと、祖母はテレビを見ていた。
「ただいま、ばあちゃん。ひさしぶり」
数秒遅れて祖母が反応する。
「ああ、爽平かい。ひさしぶりだね」
完全にボケてはいないが、耄碌しているのは確かだった。答えたその目は再びテレビへと注がれる。
気にせず爽平は捜し物に専念することにした。
押入や物置を探し回ってようやく数冊のアルバムを見つける。
何冊か開いて見たが、アルバムには海水浴で撮ったと思われる写真が一枚もなく、爽平が『知っている』と思った少女の姿も確認できなかった。
ただ、八才くらいの頃だろうか、どこか少年野球チームのユニフォームを着て西瓜にかぶりついている幼い爽平の姿に、彼は一瞬唖然とした。
それは何度見ても自分の幼い頃の姿だ。
なぜかまったく記憶にない。
いつの間にか身体が震えていた。これは本当に自分なのだろうか? それともここに映っている爽平という子はもう亡くなっていて、自分は別の誰かではないのか?
無意識にジーンズの前ポケットに手を突っ込む。すると、何か紙のような感触にあたる。
取り出してみるとその紙は、麻衣夏の家で段ボールから剥がした送り状だった。
これだけ近くの町に住んでいたのであれば、幼い頃に見かけたのかもしれない。あのカレンという子を。
麻衣夏にだって会っているの可能性はあった。
爽平は一度、頭の中を整理する。
カレンはたしか実家に住んでいると言っていた。
彼も今実家にいる。彼女に会うのに、それほど苦労はないだろう。
もう一度会えないか? 彼はそう願う。
思い出さなければならないことはまだわからない。だが、その方向はわかってきた。
幼い頃に何かがあったことだけは確かなのだから。
「こんにちは」
「失礼ですけど、どちら様で?」
呼び鈴を押して玄関から出てきたのは二十代くらいの女性だった。麻衣夏よりもずっと大人っぽく、口元だけがうっすらと彼女に似ているかもしれない。まさか母親ということはないのだから、二、三才くらい年上の姉だろうか。
心証を良くするために、彼は爽やかな笑顔を演出する。
「あ、私はその麻衣夏さんとお付き合いをさせていただいております嘉島崎と申します」
「ああ、麻衣夏のカレシさんね。話はよく聞きますよ」
人懐っこい笑顔をこちらへ向けてくれる。
「ええ、それで麻衣夏さんの双子のお姉さんであるカレンさんともちょっとした知り合いでして、実家にお住まいと聞いて近くに来たので顔を出そうと思いまして……もしご在宅でないのならまた改めて参ります。たいした用事ではありませんから」
「あ、あの……どういう事でしょうか?」
女性の顔が訝しげに曇る。それは予想外のことだった。
「いらっしゃいませんか?」
爽平はなんとか笑顔を崩さないように、もう一度聞き直した。
「えっとですね。何か勘違いをなさっているようですけど」
「はい?」
なにか嫌な予感。そして鼓動がは高まる。
「麻衣夏の双子の姉というのは私のことなんですが」
「え?」
目の前の女性は、確かに麻衣夏に似ている箇所もある。だが、それは部分的なものであって、全体的にはそっくりとは言い難い。
でも、双子だと麻衣夏の友達は言った。
「私が麻衣夏の双子の姉のレイカと申します。双子なのに似てないとはよく言われます。なにしろ二卵性ですから」
そう聞いてはっとする。
「レイカ……って、まさか、カレー」
「あらら、そんな事まであの子は教えたんだ。いやいや、お恥ずかしい」
「そんな……」
カレン=カレー、と結びつけていたのは爽平自身の先入観からだ。だから、麻衣夏の友人は嘘を言っていたわけではない。
「それでカレンとお会いになったことがあるというのはどういう事でしょうか? もし嘉島崎さんの仰るカレンが麻衣夏や私の姉であるならば、それはあり得ないことなのです」
「どうして?」
「姉のカレンは十三年前に亡くなりました」
ハンマーで殴られたような衝撃だった。
目眩がする。自分の中で、それは有り得ないことだ。
「だいじょうぶですか?」
自分が見たカレンは何者なのだろうか。麻衣夏でないことは確かだった。それは爽平が一番よくわかっている。
「あの、他に姉妹はおられますか?」
最後の可能性を考え、倒れそうになりながらも言葉を絞り出す。
「いえ、二人だけの姉妹です」
「……」
決定的だった。積み上げたものがすべて崩されていく。
「あの、だいじょうぶですか? 顔色悪いですよ」
レイカは爽平を気遣ったように声をかけてくる。
「いえ、おかまいなく。ありがとうございました。ちょっとした勘違いだと思います。ご迷惑をおかけしました」
目隠しをされ、視界が真っ暗だった。
公園の回転遊具に乗った時のように、自分の意志とは別に強制的に回転していく感覚。
気分が悪くなって無理矢理目隠しを外す。視界に映るのは海水浴客で賑わう砂浜だ。
この景色に彼は見覚えがある。
ふいに誰かが視界に入ってきた。それは七、八才くらいの長い黒髪の少女。黒いワンピースを着ている。
この少女の事も彼は知っていた。
『痛っ!』
だけど、それは『痛さ』だった。
その記憶を焼き払って灰にさせてしまうくらいの強い痛みを伴っていた。
目覚めは最悪だ。
時計を見ると五時前である。外はうっすらと明るくなりつつあった。
夢の中で爽平は、何かを思い出しかけていた。だが、同時にそれを拒もうとする自分もいた。
『キケン』
そう本能が告げているような気がする。
「あなたは人を殺したことがある?」
あの女性の言葉が響いていく。
それはどんな状況なのだ?
(自分は本当に記憶を失っているのか?)
爽平は起きあがって出かける支度をする。だが、それは会社に行くためではない。こんな気分のまま仕事など出来るわけがない。
失った記憶は思い出そうとしても簡単には取り戻せない。ならば別の媒体に記憶されたものを確認するのが手っ取り早いだろう。
そう考え、実家へ行くことにした。
電話で直接両親に聞いてみようかとも考えた。だが、今まで黙っていたのだ。そう簡単に教えてくれるわけがない。
電車に揺れられながら再び彼女の言葉を思い出す。
「ただいま」
予め実家には電話を入れておいた。もちろん、会社にも休むということは伝えた。
家は両親とも出かけてしまっていたが祖母がいるので鍵は開いている。
居間まで上がっていくと、祖母はテレビを見ていた。
「ただいま、ばあちゃん。ひさしぶり」
数秒遅れて祖母が反応する。
「ああ、爽平かい。ひさしぶりだね」
完全にボケてはいないが、耄碌しているのは確かだった。答えたその目は再びテレビへと注がれる。
気にせず爽平は捜し物に専念することにした。
押入や物置を探し回ってようやく数冊のアルバムを見つける。
何冊か開いて見たが、アルバムには海水浴で撮ったと思われる写真が一枚もなく、爽平が『知っている』と思った少女の姿も確認できなかった。
ただ、八才くらいの頃だろうか、どこか少年野球チームのユニフォームを着て西瓜にかぶりついている幼い爽平の姿に、彼は一瞬唖然とした。
それは何度見ても自分の幼い頃の姿だ。
なぜかまったく記憶にない。
いつの間にか身体が震えていた。これは本当に自分なのだろうか? それともここに映っている爽平という子はもう亡くなっていて、自分は別の誰かではないのか?
無意識にジーンズの前ポケットに手を突っ込む。すると、何か紙のような感触にあたる。
取り出してみるとその紙は、麻衣夏の家で段ボールから剥がした送り状だった。
これだけ近くの町に住んでいたのであれば、幼い頃に見かけたのかもしれない。あのカレンという子を。
麻衣夏にだって会っているの可能性はあった。
爽平は一度、頭の中を整理する。
カレンはたしか実家に住んでいると言っていた。
彼も今実家にいる。彼女に会うのに、それほど苦労はないだろう。
もう一度会えないか? 彼はそう願う。
思い出さなければならないことはまだわからない。だが、その方向はわかってきた。
幼い頃に何かがあったことだけは確かなのだから。
「こんにちは」
「失礼ですけど、どちら様で?」
呼び鈴を押して玄関から出てきたのは二十代くらいの女性だった。麻衣夏よりもずっと大人っぽく、口元だけがうっすらと彼女に似ているかもしれない。まさか母親ということはないのだから、二、三才くらい年上の姉だろうか。
心証を良くするために、彼は爽やかな笑顔を演出する。
「あ、私はその麻衣夏さんとお付き合いをさせていただいております嘉島崎と申します」
「ああ、麻衣夏のカレシさんね。話はよく聞きますよ」
人懐っこい笑顔をこちらへ向けてくれる。
「ええ、それで麻衣夏さんの双子のお姉さんであるカレンさんともちょっとした知り合いでして、実家にお住まいと聞いて近くに来たので顔を出そうと思いまして……もしご在宅でないのならまた改めて参ります。たいした用事ではありませんから」
「あ、あの……どういう事でしょうか?」
女性の顔が訝しげに曇る。それは予想外のことだった。
「いらっしゃいませんか?」
爽平はなんとか笑顔を崩さないように、もう一度聞き直した。
「えっとですね。何か勘違いをなさっているようですけど」
「はい?」
なにか嫌な予感。そして鼓動がは高まる。
「麻衣夏の双子の姉というのは私のことなんですが」
「え?」
目の前の女性は、確かに麻衣夏に似ている箇所もある。だが、それは部分的なものであって、全体的にはそっくりとは言い難い。
でも、双子だと麻衣夏の友達は言った。
「私が麻衣夏の双子の姉のレイカと申します。双子なのに似てないとはよく言われます。なにしろ二卵性ですから」
そう聞いてはっとする。
「レイカ……って、まさか、カレー」
「あらら、そんな事まであの子は教えたんだ。いやいや、お恥ずかしい」
「そんな……」
カレン=カレー、と結びつけていたのは爽平自身の先入観からだ。だから、麻衣夏の友人は嘘を言っていたわけではない。
「それでカレンとお会いになったことがあるというのはどういう事でしょうか? もし嘉島崎さんの仰るカレンが麻衣夏や私の姉であるならば、それはあり得ないことなのです」
「どうして?」
「姉のカレンは十三年前に亡くなりました」
ハンマーで殴られたような衝撃だった。
目眩がする。自分の中で、それは有り得ないことだ。
「だいじょうぶですか?」
自分が見たカレンは何者なのだろうか。麻衣夏でないことは確かだった。それは爽平が一番よくわかっている。
「あの、他に姉妹はおられますか?」
最後の可能性を考え、倒れそうになりながらも言葉を絞り出す。
「いえ、二人だけの姉妹です」
「……」
決定的だった。積み上げたものがすべて崩されていく。
「あの、だいじょうぶですか? 顔色悪いですよ」
レイカは爽平を気遣ったように声をかけてくる。
「いえ、おかまいなく。ありがとうございました。ちょっとした勘違いだと思います。ご迷惑をおかけしました」