東より青龍がやって来る。

「ショー君、この後どっか行こうよ!」



「あ…いや、俺、この後は予定あるから。」


「えぇ~それって私達とより重要なのぉ?」



「ちょっと!ショー君困ってるじゃない。あんた達、離れなさいよ。」



「出た、ミスキャンパス!ちょっと顔が良いからって、ショー君にべたべたしないでくれるかしら?」



とある大学に通う2年生の湾廼炒市(ワンノ ショウイチ)、通称ショーは、所謂爽やかイケメンな容姿でかなりモテる。



ただ、本人とっては好きでもない女子から言い寄られるのは大変迷惑な話で、あしらっても冷たく言っても全くの効果無し。


毎日毎日、勉強以外でも辟易している。



主な原因である3人衆は上から、蕎寡(キョウカ)、莢啝(サヤカ)、蛉葭(レイカ)。



そしてその3人衆を止める、易益見熊(イマタ ミユウ)。


性格は勝ち気であり、同じ講義の炒市に認めて欲しくてミスキャンパスになったようなものだ。



「ブッチー、ジーザスは?」


「あっち。」



4人で言い争っている間を抜け出した疲れ顔の炒市が尋ねた相手は、巨漢の友達、物淵犬申(モノブチ ケンシン)。


通称ブッチーが指差したのは、大学の正門だった。

「ね、誰かと待ち合わせ?あっ、もしかして僕に会いに来てくれたの?」


「あ、いえ……。待ち合わせは確かですけど……」



「何やってんだよ、ジーザス……」



正門でナンパしていた通称ジーザス、絨鮫邃巷(ジュウザメ スイゴウ)は軟派でモテない残念な男。



イケメン炒市、ウザい邃巷、関取犬申の3人は、異色な友達トリオとして、大学ではちょっとした有名人である。



「ショー?」


「杠。」



「え?ショー君の知り合い?」


「待ち人、俺だから。」



驚く邃巷を、炒市はいつものように呆れた目で見る。



「ショー。」


「ん、こっち。」



「…髪、伸びた?」


「そっかな?」



伸ばされた杠の手を炒市は自分の顔に持っていく。



「ちょっとぉ~!ショー君にべたべた触らないでよぉ!」


「あんたショー君の何なのよ!」


「次から次へと邪魔者ばっかり!」



「止めなさいよ、みっともない!」



「…3人………?ん…4人!4人ね。」



「正解。」



炒市を待っていたのは、炒市と同い年の厭侘杠(イトダ ユズリハ)。


杠の右手には、白い杖が握られていた。

「はーい、おまちどおさま~」



杠が案内されたのは、炒市達の行きつけで昼は喫茶店をやっているスナック恋粕(コハク)。


ママの狩芸鞠畭(カゲイ キクヨ)は、自慢のカレーを振る舞う。



「うんっま!」


「うん、いつも通りの味だ!」


「ウマイだろ?」



カレーにパクつく3人に、鞠畭は何か言いたそうだが。



「美味しい。……もしかして、チョコレート、入ってませんか?」


「そうよ!分かってくれる子がいて良かったわ~!」



常連客から貰った海外土産を、隠し味にと使ったらしい。



「まじ?全然分からなかった。」


「見えない分、舌が敏感なんです。後、耳とか鼻とか、手とか。」



杠は目が見えなかった。


生まれつきの弱視だったが、7年前事故に遭い、その時の怪我が原因で全盲となった。



出かける時の頼りは、もっぱらこの白杖だ。



「今は大学生なの?」


「いいえ。クラブとかでピアノ演奏してます。」



「ピアニストなんだ。かっこいい!」



「ありがとう。今度聞きに来て。」


「ほんと?行く行く!」



舞い上がる邃巷を、杠以外の一同は冷ややかな目で見ていた。

「わー凄い!キャバクラなんて初めて来た。」


「なんでいんだよ…」


「僕が呼んだ♪」



炒市と邃巷、そして一緒にいたい邃巷によって誘われた見熊は、杠の言葉に甘え、キャバクラ林残(リンノ)にやって来た。



店の雰囲気は意外に和やかで、炒市達がいても浮きはしなかった。



「ソフトドリンクもあるから、注文あったら言ってね。ユーハちゃんの友達ならサービスするからさ。」


「ありがとうございます。」



店長の蹴茨竺牽捏(ケイバラ アツヒコ)は、チャラ男風の見た目通り軽くウインクして去っていった。



「あ、杠ちゃんだ。」



演奏が始まると会話がほとんど止み、みな杠の奏でる音色に耳を傾ける。



「なぁんだよ~しょんなしーみりちたやつじゃなくてよぉ~もっと盛り上がるやつ弾けよ~」


「………っ!」



クラシックを楽しむ静かな雰囲気を突如ぶち壊したのは、酔っぱらいだ。


しかも相当酔っていて、腕を掴まれ絡まれた杠は、椅子から落ちないように固まるしかない。



「お客様、今は演奏中ですのでお下がりください。」


「あ~?しょの演奏になぁ~文句があーるから、俺は言ってんだーぞー!」

ボーイが杠から引き離すも、酔っぱらいの抗議は収まらない。



「おい!あの酔っぱらい、さっさと追い出せ!ユーハちゃんが困ってるだろうが!」


「まあまあ、落ち着いてくださいな。憑舌さん。」



「そうだそうだ!追い出せ!」



憑舌興業の社長、憑舌鍼蔑(ツジタ シンベツ)を始め次々と野次が飛ぶ。



「ど、どうしよう……」


「なんか怖い…」



邃巷と見熊も雰囲気にのまれ、身を縮こませる。




ジャジャジャ、ジャーン♪



「「っ!!」」



荒ぶる雰囲気を一変させたのは、杠のピアノだった。



「お客様、当店はお客様が求めるような店ではございません。どうぞ他をお当たりください。」



杠のピアノに気が削がれた酔っぱらいに竺牽捏は毅然と対応し、ボーイと共に外へ連れ出した。



「ごめんね、怖がらせちゃったみたいで。でも、あれは珍しいことだから。また来てね。」



「ううん、店長さんも謝ってたけど大丈夫よ。」


「そうそう。確かに怖かったけど、お店は素敵だし、杠ちゃんの演奏だって聞きたいし、また来るよ。」



「こう言ってるし、心配すんな。」



「うん、ありがとう。」

「竺牽捏さん、今日もありがとうございました。」



炒市達を見送った後、杠は竺牽捏の元へと挨拶にやって来た。



「いやいや。ね、さっきのあれって、運命…だっけ。」



「はい。あまり似つかわしくない曲ですが、気を引くのには良いかと思って……」


「ぜっんぜん大丈夫!むしろ助かったから!さすがユーハちゃん!」



竺牽捏は親指を立て、笑顔でグーのポーズをする。



「こちらこそ、そう言ってもらえると助かります。…靱さんまだいますか?」



「ああ、いるよ。多分裏口。連れて来よっか?」


「いえ、行けるので大丈夫です。」



杠は裏口へと向かう。



「靱さん。」


「ユーハちゃん。…こんな所にどうした?」



裏口でゴミ処理をしていた藺媒焚靱(イバタ ジン)は、酔っぱらいを杠から引き離したボーイである。



「さっきは助けてくれてありがとう。お礼、まだ言って無かったから。」


「あ、いや…礼を言われるほどじゃ……というか、礼なら俺の方が言わなきゃならない。結局止めきること出来なくて……。こっちこそ助かった。」



夜の世界には珍しく靱は硬派な性格をしていて、竺牽捏とは真逆だ。

「ううん、引き離してくれたでしょう?」


「そのくらいは……怖い思いさせてごめん。」



「大丈夫。靱さんの声が聞こえたから全然怖く無かったよ。」


「そっか……でもほんと怪我が無くて良かった。」



靱の不器用に笑う顔は見えなくても、杠には声と雰囲気でその優しさは伝わってきて。




‥‥笑い合う2人を、陰から見つめる1つの影。



コスモスで芽生えたのは、似つかわしくない乙女心。


ブーゲンビリアのフィルターで、いつしか君しか見えなくなった。



クロッカスを手に貴女を待っている。


ドクニンジンの様に死も恐れない愛を胸に。



人知れず思いを募らせていく。‥‥




「もう少しで終わるから待っててくれるか?送る。」


「毎回送ってくれなくても今は大丈夫なのに。…でも今日もお願いします。」



酔っぱらいや杠を知らない客引きのせいで、林残に来た頃は大変だった。


今は杠の知名度も上がり酔っぱらい以外は大丈夫なのだが、靱と帰ることが今も習慣になっている。



あまり喋らない靱との穏やかな帰り道が、杠の密かな楽しみになっているのを、きっと靱は知らないだろうなと杠はこっそり思った。

南より朱雀が舞い降りる。

「フラワーフェスティバル?」


「ああ…入場券を貰ったんだ。……ぁーその…、良かったら一緒に行かないか?場所、ちょっと遠いんだけど…」



至極有名な花から珍しい花まで見ることが出来、露店やお土産コーナーもある花祭りのことだ。



「うん、行きたい!私、そういう所行ったことないの。」


「良かった……。家、迎えに行くから。」



嬉しそうにはしゃぐ杠を見て、靱はホッとした。



「どうだった?」


「行きたいって…。ありがとうございます。」



「いやいや~俺、花に全然興味ないし、貰いもんだしさ。ユーハちゃんと楽しんでこいよ。」


「はい。」



嬉しそうにはにかんで開店の準備に戻った靱を、竺牽捏は親のような心境で見る。



人間関係にぶきっちょな靱が杠が来てからというもの、たどたどしくも話し掛けたり家まで送ったりと、その行動はかなり積極的だ。



靱本人は言わないしこちらも聞かないが、杠に特別な感情があることは見てとれる。


杠も迷惑そうにはしてないようだし、寧ろくっつけたくなってしまう。



「手のかかる奴だよな、全く。」



そう言っても、竺牽捏は楽しそうに笑みを浮かべた。

次の休みの日、杠と靱はフラワーフェスティバルへと赴いた。



「うーん、良い匂い!」


「凄いな、もう匂うのか?」



「うん、甘い匂いよ。」



会場である庭園の入口で杠は深呼吸する。


まだ花は見えず靱には全く分からないが、杠には感じるようだ。



「とりあえず順番に回ろうか。」


「そうね。」



季節の花、珍しい花、ビニールハウスには世界各地の花が植えられていたり鉢植えで展示されていた。



靱は花の色や形、説明文を読んだりして杠に解説する。


反対に杠は、靱が感じ取れない花の匂いを身ぶり手振りで表現する。



お互いの情報を重ね合わせながら、咲きほこる様々な花達を五感で感じた。





‥‥桜とサザンカみたいな心の美しいひたむきな愛を込めれば、


ガーベラとカキツバタとすずらんで花束を作った様に、


希望と幸福は必ず訪れる、と言ってくれているみたいだね。‥‥





「買ってくるから待ってて。」


「うん、ありがとう。お願い。」



お昼を挟んで半分ずつ回った後、休憩がてらパラソル付きのガーデンテーブルが並ぶテラスに杠を待たせ、靱はジュースを買いに露店へ向かった。

露店から香ってくる匂いに、どんな食べ物や飲み物だろうかと、楽しく想像しながら待っていると。



「君、可愛いね。一人?」


「俺達と遊ぼうよ!」



セリフが何とも昔チックな軽いナンパ。


声からして2人いるようだ。



「すみません。連れがいますので……。」



「ええー、可愛子ちゃんをこんなとこに一人置き去りー?」


「あり得なくね?そんな薄情な奴放っといてさ、俺達と花、見に行こうぜ?」



杠が優しく断ったが故か、ナンパ男2人は引き下がらない。


弱視だった頃の感覚で声のする方向に向いて話してしまうからか、初対面だと全盲と気付かれないことがある。


ナンパ男2人も、全盲とは気が付いていない口振りだ。



「お前ら、彼女に何か用か?」


「靱さん。」



ナンパ男2人と押し問答をしていると、靱が戻ってきた。


買ったジュースを隣のテーブルに置き、ナンパ男2人に睨みを効かせる。



「え?連れってこいつ?」


「まじで?止めときな。」



「………ナンパなら、他を当たれ。」



「こんな奴より俺達と遊んだ方が楽しいぜ?」


「そうそう。あ、足悪いの?俺が運んでやるよ。」

「えっ…、きゃっ……!」


「危ないっ!!」



白杖をただの杖と勘違いしたナンパ男の1人が、杠の腕を掴み強引に立たせようとした。


触れられると、ましてや引っ張られると思っていなかった杠はバランスを崩す。



「お前ら、警察に……」



「やっべ……!」


「行くぞっ!」




尻餅を付きながらも寸前で杠を抱きとめた靱の怒りのこもった声と目に、ナンパ男2人は足早に逃げて行った。



「……ったくあいつら。ユーハちゃん、怪我してない?」


「うん、大丈……っ!」



「どこか痛い?見た目、血は出てないんだが……」


「足、捻ったみたい。」



バランスを崩した時に捻ったらしい。



「…あいつら探し出して警察に」


「靱さん。軽くだから大丈夫よ。」



それでも気になる靱はフェスティバルのスタッフに事情を話し、貰った湿布を杠の足首に貼る。



「靱さんは心配性ね。」


「捻挫は甘くみない方がいいから。」



「ありがとう。…ジュースぬるくなっちゃったね。ごめんなさい。」


「ユーハちゃんのせいじゃないから。」



全部ナンパ男2人のせいなので、杠が気にすることではない。

「ジュース、何にしてくれたの?」


「ハイビスカスとザクロ。……えっと、どっちがどっちだ…?」



右手がハイビスカスで、左手がザクロだった気がするが、咄嗟にテーブルに置いたので分からない。


しかも同じような赤色なので、余計に見分けがつかない。



「1つ貸して?…………こっちがハイビスカス、そっちがザクロね。」


「匂う…のか?」



「うん。ハイビスカスの匂いはさっき覚えたばっかりだから。」



やはり靱には分からないが、杠には分かるらしい。



「まぁ、匂いより飲み比べた方が早いけれどね。」


「え?飲み比べ…」



「うん。ハイビスカスはともかく、ザクロは食べたことあるから。」



確かに一方を知っていれば簡単に分かるが、それが結果的に間接キスになることなど、杠は気付いていない。



「じ、じゃ食べたことないならハイビスカスにするか?」


「いいの?靱さん一口飲む?」



「え、ぁ…いい、俺はザクロで。」


「でも、靱さんもハイビスカスは食べたことないんじゃ…」



「今日はザクロの気分だから飲んでいい。」


「そう?」



照れる靱の言葉を杠は素直に受け取った。

「美味しい…!」



「そう、良かった………。あの、さっきはごめん。」



珍しいジュースに舌鼓を打っていると、唐突に靱が謝ってきた。



「さっき?」


「咄嗟で、力加減出来なかったから。足首以外に痛いとこないか?」



抱きとめた時のことを言っているようだ。


足首の処置に気を取られていて、突然触れられることに対し当然驚いてしまう杠へ謝るのを忘れてしまっていたと靱は思い出したからだ。



「…………。ないよ。…靱さんは、私を可哀想だと思う?」


「え…?」



痛いところが無いことに安堵するが、杠の質問の意図が分からず困惑した。



「弱視だった頃から『目が見えなくて大変ね』とか『私の目になる』とか言われててね。きっと目が見えないことが、可哀想だと不幸なことだと思ってるんだろうなって、そんな感じがして…。」



不幸のない世界って、幸せなのだろうか?


悲しいことも無くて、怒ることも無くて。



だったら、喜ぶことだけあるのだろうか?


それとも、褒められることだけなのか?



けれど。



何がなかったら、喜びになるのだろうか?


何がなかったら、褒められるのだろうか?

世の中はイラクサの様に残酷で意地悪だ、とでも言わんばかりに何度も。


ゴシアオイを抱いたように、明日には死んでしまいたいみたいな絶望感を漂わせて。



クロユリとマンサクを使ったように、呪文のように出会う人達に可哀想だと輪唱の如く唱えられる。




その度に、杠は思考のループに陥った。



不幸が判らなければ幸せの基準が判らないはずだ。


万人にいつかは必ず訪れる死だってそう思う。



想いを託して死を選んだ人は不幸なの?って。


満足だったって死を受け入れた人は不幸なの?って。



「でも、靱さんも林残のみんなもそんな感じがしないから。私個人やピアニストとして、見てくれてる気がするから。」



神様のお告げみたいに、道端に咲いたタンポポを見付けはしゃぐ幼子が教えてくれた。


幸せ以外が皆無だって、きっと不幸なのだと。



泣けるから笑えて、


悲しみがあるから喜べて、


怒れるから楽しめて。



それが感情でそれが人生なのではないかと。




今の自分に前世の記憶がないから、輪廻転生があるかどうか分からないように。


来世の私に、現世のこの記憶があるという保証はどこにもない。

だからあの時から、より現在-イマ-を生きている。



「………ユーハちゃんはユーハちゃんだから。…まぁ俺も同じようなもんだし。」



硬派な靱が性に合わないボーイをしているのは、肩代わりした多額の借金が原因だ。


田舎で暮らす両親が経営していた小さな商店によるもので、高齢な2人が返せる額ではなかったからだ。



「放って置きたくなかっただけで、俺が自分から言い出したことだし、同情されるようなことではないんだ。」



林残に就くまで職を転々とした。


その度に、『大変だな』『押し付けられたんだ』などと言われた。



そのどれも両親が悪者みたいに聞こえて仕方がなかった。



「借金を肩代わりする程度で、会話をあまりしない俺が孝行息子だったかどうか分からないけどな。」



両親は既に亡くなっている。



借金返済以外で、どんなことをすれば親孝行になったのだろうか?



休息の為に旅行か?


傷んだ店の為に家か?



「店長は…、林残は、今までとは違った。だからこんな俺でも長く続いているのかもしれない。」



竺牽捏は『お~そうか、なら頑張れ。』で終わらせ、それ以上無理に話題にしなかった。

「竺牽捏さんや皆の過去は知らないけど、違うのは分かる。…それに、靱さんは十分親孝行してるよ。」


「え?」



「子供は親より長生きしなきゃ。」



物は嬉しいと思ってくれるのだろうけど、きっと違う。


笑って泣いて、そして何より健康に生きていること。



それが親の願いだと杠は思う。



「弱視に産んでしまったって、私の両親は謝ったの。けど私は滅多に風邪も引かないし、ピアノも弾けて、こうやって靱さんと来れる。これって謝られることじゃない。靱さんのご両親だって同じだよ。」



今だからこそ思うことが出来るのだが、杠には感謝しかない。



借金を背負わせたと後悔する両親と、親孝行出来たかと悩む靱。


そのどちらも相手を思っているのだから、責められるべきことではない。



「そうか…?…そう、だな。」


「うん!」



杠の優しくも重みのある言葉に、靱はそう思うことにした。



「…ごめん、なんか難しい話にしてしまった。」


「ううん、靱さんの話聞けて嬉しかった。私で良ければいつでも話相手になるよ。」



ナンパが発端とはいえこんな場所でする話ではないのに、杠は嫌な顔一つしなかった。

「……ありがと。土産コーナー行くか?」


「うん。」



お礼を言うのが精一杯で、俺も話が聞けて嬉しかった。とは言えなかった。


だが、竺牽捏のアシストがあったとはいえ、勇気を出して誘って良かったと思う。



杠が生き生きと楽しそうで、尚且つ店では出来ない話をたくさんすることが出来たのだから。



「今日はありがとう。凄く楽しかった。あと、これも。」



示した白杖に付いているのは、ストラップ型の匂い袋。


杠が土産コーナーに入ってすぐ見付け、中でも一番気に入った撫子の匂いがするものだ。



ピンクとブルーで色違いをお揃いで購入し、靱のは家の鍵に付いている。



「いや、俺も凄く楽しかった。…また、どこか行こう。」


「うん!」



杠が楽しんでくれそうな場所を、今度からはちゃんと自分で探そうと靱は決めた。



「じゃ、俺は帰るけど戸締まり気を付けてな。おやすみ。」


「今日も送ってくれてありがとう。おやすみなさい。」



いつものようにチェーンのかかる音がしてから、靱は帰路についた。



そして翌日、靱はお礼を兼ねた土産のラベンダージュースを、竺牽捏へとこっそり渡したのだった。

西より白虎が雄叫びをあげる。

「誰だ?こんなとこにこんな物置いたのは?」


「どうかしました?」



ある日杠が林残に行くと、竺牽捏が何やら怒っていた。



「ユーハちゃん!なんだかよく分からない物が置いてあってさ。」


「見せて貰ってもいいですか?」



「ああ、これだよ。ユーハちゃんが演奏するピアノなのに。」



大切なピアノをぞんざいに扱われることを竺牽捏は大変嫌う。



「竺牽捏さん、これはチューニングハンマーですよ。」


「ち、チューニングハンマー?」



聞き慣れない言葉に、竺牽捏は首を傾げる。



「ピアノの調律に使うものです。調律師さん来たんじゃありませんか?」


「ああ、定期点検に。…まさか。」



「忘れ物、ですね。届けてあげてください。大事なものですから。」



杠の為にピアノを調律してくれる人物の忘れ物と分かり、竺牽捏はすぐに連絡を入れるのだった。



「店長、ピアノのことになると熱いからねー。」


「そのくせ知識は全く無いのが玉に瑕なんだよね。」


「まあ私達も聴く専門なんだから店長のこと言えないけど。」



なんとも変わり身の早い竺牽捏を、キャバ嬢達は呆れながら笑って見ていた。

「ユーハちゃん!」


「憑舌さん…!まだ開店前なんですが……」



「店長、分かっているさ。ユーハちゃんにこれをプレゼントしたくてね。」



鍼蔑が差し出したのは、数十本の花束だった。



「ありがとうございます。お花……ですか?」



手渡された形から花束だということは分かるが、何故か花の匂いがしないので疑問系になる。



「ああ、プリザーブドフラワーというんだ。珍しいだろ。今巷じゃ人気らしくてな、少し値が張るんだが、ユーハちゃんの為だと思ったら安いもんだ。」


「それはありがとうございます。竺牽捏さん、せっかくですから飾ってくれませんか?」



「ああ分かった。憑舌さん、貴重なものありがとうございます。」



杠が弾くピアノの横にはプリザーブドフラワーが。


鍼蔑は満足気に帰っていった。



「プリザーブドフラワー?ユーハちゃんにあれは無いわー」


「触れないし、匂いも無いし。憑舌さん、何考えてんのかなー」


「自慢したいだけじゃないの?憑舌さん、ユーハちゃんラブ!だから。」



キャバ嬢達の会話を裏口で聞きながら、それでも自分にはあんな風には出来ないと、靱は羨ましく自嘲した。

「「誕生日おめでとう~!!」」



この日の林残は祝福に溢れる。



「ありがとうございます。」



なにせ、皆のアイドル(と周りが勝手に思っている)杠の誕生日。



「ユーハちゃん!お誕生日おめでとう!」


「憑舌さん、ありがとうございます。…薔薇ですか?」


「ああ!この間は本数が少なかったからね。今日は100本用意した。」



100本というだけあり、花束は両手で抱えきれない程の大きさだ。



「見た目といい、大きさといい、ユーハちゃんの祝いには完璧だな。」



杠は竺牽捏にお願いして生けてもらい、それを見た鍼蔑も満足そうに頷いた。



鍼蔑以外の馴染みの客から源氏香、キャバ嬢達から香り付の泣き砂を貰う。


更に、竺牽捏からのミラクルフルーツに皆で盛り上がった。



「今日はありがとうございました。薔薇の花束も。」


「礼には及ばん、祝えて良かった!また来るよ、ユーハちゃん。」



鍼蔑を始めとした客を、キャバ嬢達と一緒に杠は見送っていく。



「どうした?」


「いえ………、何でもありません……。」



そう言う靱の後ろ手に隠したものが何なのか、竺牽捏は見てしまった。

「そういうのは、見栄えより気持ちだろ?」


「……で、ですが…」



「せっかく選んだんだ。渡さない方が、選んだものに失礼だろ。ユーハちゃんまだいるし、今日は片付けいいから渡してこい、な!」



竺牽捏は強引な理由を捲し立て背を軽く叩き、渋る靱を送り出した。



「う――んっ……。」



客を全員見送って、キャバ嬢達も着替えに戻った後、杠は一人深呼吸をする。




‥‥杠は秋と冬が好きだった。


キャバ嬢達は春、竺牽捏は夏の方が温かく解放的だから好きらしいが。


四季があるのは素晴らしいとは思う。


されど、自分の誕生月が含まれているのを差し引いても、脱いでも涼しくはならない春夏より、着れば多少は温かくなる秋冬の方が、杠は好きだ。‥‥




肌を撫でる夜風と肺に取り込む空気は、少し冷たく気持ちいい。



実は鍼蔑からの薔薇の花束、嬉しかったのは嬉しかったのだが、杠には匂いが強すぎた。


密閉空間である店内に100本もあったのだから、当たり前といえば当たり前なのだが。



ただ、林残の客であるし、悪気がない好意である為、鍼蔑に対して強く言えないのが、杠にとって悩みの種になりつつあった。

「けど、早いなぁー。あれからもう7年になるのね。」



ジャネの法則のように、杠は思い出す。



7年前、ヤンキーに絡まれた自分を守ってくれた1人の不良がいた。


しかし工事現場で偶然見付けた、報復に来たヤンキーと不良の喧嘩。


その時にはずみで倒れてきた鉄パイプの下にいた不良を、咄嗟に庇い頭を怪我したことが視力を失う原因になった。



だが病院へピアノを弾きに来ていた女性と出会い、杠の未来は決まる。


幼少期に習ったピアノは体が覚えていて、1年間休学してしまったが勉強しピアノ専門の高校へと進学出来た。



更に女性の紹介で、林残で弾かせてもらえるようにもなった。



「まさかその女の人が、竺牽捏さんの奥さんだったなんて。凄い偶然よね。」



妻は放浪癖が有り、今は海外でリサイタル公演などをしているらしく、時々各地から手紙や土産が届いている。





‥‥砂に描いた未来への地図。


拒む様に風が吹き消したとしても、見上げた空には弱くも輝く道標。



終わりの無い闇夜を壊して、叫びをかき集めた欠片で繋げる。




絶望なんて役不足で大したこと無いと、



涙を抗う武器へと変えた。‥‥

「ユーハちゃん…。」


「靱さん?もう戻るから大丈夫よ。」



「あ、いや、そうじゃないんだ…」



戻りが遅い自分を呼びに来たと思ったのだが、どうやら違うらしい。



「これを渡したくて……」


「薔薇?」



靱が手渡したのは、1本の薔薇の花。



「去年は店長が盛大に色々考えてくれてプレゼントは皆からってことだっただろ。俺もそれに乗っかったから、今年は何にしたらいいか分からなかったんだ……」




‥‥君が喜んでくれるなら、いくらでも悩もう。‥‥




「花屋の店先通ったら、目に止まって……」



匂いは沢山だとキツいかもしれないし、見えないからたくさんあっても何本か分からなかったら悲しいかもしれない。



だから見た目の華やかさよりも、匂いがよく分かり、部屋でも匂いが籠らず楽しめる1本を選んだ。




‥‥その1本に込めた、ありがとうと大好きが、君に伝わりますように。‥‥




「憑舌さんみたいに本数無いし、見栄えも無いから申し訳ないんだけど…」




‥‥君が産まれた、年に一度だけの特別な日だから。‥‥




「誕生日おめでとう。」




‥‥ぷれぜんとふぉーゆー‥‥

「……ありがとう。凄く嬉しい。」



手から伝わる靱からのあたたかい気持ち。


そして、ふわりと風に乗って仄かに香る薔薇。



「……良かった。喜んでもらえて。」



静寂の中に一瞬現した、短く吐いた息。


そして、目の前には一番見たかった笑顔。



「…今日も一緒に帰れる?」


「…!ああ、待っててくれ。」



珍しく杠から誘い、珍しく靱はお喋りだった。




‥‥君の隣の男がオニユリとメハジキを纏い、嫌悪と憎悪が増す。‥‥



「何故だ…?」



‥‥無視されたら死ぬぐらいの僕の気持ちを、ガマズミの様に伝えたはずなのに。‥‥



「何故伝わらない……?」



‥‥オダマキみたく僕は捨てられた恋人か?‥‥



「何故あいつを選ぶ……?」



‥‥イトスギは絶望をパセリは死の前兆を、僕の元へ運んできて。‥‥



「無理矢理させられてるのか?」



‥‥だったらそんな顔をしなくても大丈夫。僕は僕らを引き裂いたあの男に、アザミみたく復讐なんて望まない。‥‥



「助け出してやる。」



‥‥狂気にまみれた葡萄がアネモネを捲き込み、嫉妬の為に無実の犠牲が生まれた瞬間だった。‥‥