教室に入ると窓際の私の席から桜が見えた。
最近開花して、卒業式あたりでは満開が予想されていると朝のホームルームのときに先生が話していたのを思い出す。
今年の桜は例年よりも早く満開を迎えるらしい。
懐かしいと顔を綻ばせながら桜を眺める。
ちょうどこの一つ上の階が二年生のときの私たちの教室だった。
***
二年生の修了式の日、教室で私たち三人は居残りをしていた。
「もー、やだ。無理! こんなに持って帰れないんだけど!」
采花が半泣きになりながら嘆き、必死に荷物をまとめている。けれど、どうみても教科書の山と書道道具やジャージ、学祭で使った景品のオモチャなどをひとりで持って帰るのは大変そうだ。
「お前が今日まで持って帰らなかったのが悪いんだろー」
「だってさぁ、別に私ら卒業じゃないじゃん!」
「それにしてもこれは溜め込みすぎ」
「ひとつ上の階に持っていけると思ってたの! それくらいいいじゃん。本当先生ケチ」
どうやら采花は荷物をそのまま三年生の教室に持っていけると思っていたようだったけれど、クラス発表は四月なので荷物は全て持って帰るようにと先生に言われてしまったらしい。
机に広げられた景品の残りのオモチャで瀬川くんが遊んでいると、采花が不貞腐れたようにオモチャを指先で弾いた。
「それ全部あげる」
「いらねー。責任もって持って帰れ」
持って帰ってもあまり使うことがなさそうなオモチャたち。指人形やスーパーボールなんて久しぶりに見た。確か誰も景品の余りを持って帰りたがる人がいなくて、采花が引き受けてくれたのだ。
「これ、私も半分くらい持って帰ろうか?」
采花に押し付けてしまったのは申し訳なくて、今更だけど私も引き取って持って帰ろう。今日は修了式だけだったのでカバンの中身はほとんど空っぽだ。
「悠理がスーパーボールで遊ぶのとか想像できねぇな」
「いや待って、私だってスーパーボールで遊ばないけど!」
「お前なら違和感ない」
「はあ?」
いつもどおりふざけ合いながら口喧嘩をするふたりに私は笑ってしまう。この時間がたまらなく好きだった。
「そうだ!」
ある案を閃いて大きな声を上げるとふたりが口論をやめて不思議そうに振り向いた。
「書道の道具とか、三年生でまた使うものは部室に置かせてもらうのはどうかな」
采花はバスケ部で一階の今は使われていない第一準備室を部室として使っていたはずだ。そこなら先生もチェックをしに来ないだろう。
「悠理、天才! それ採用!」
「采花に影響されて悠理が悪い思考になってきてんな」
「私に似た柔軟性を身につけたってことだね」
早速置いていくものと、持って帰るものに分け始める。それにしても驚くくらい荷物が多い。
授業で使うものよりも、遊び道具の方がある気がする。漫画本やバドミントンのセット、大きなシャボン玉を作る道具や水鉄砲。どれも一緒に遊んだ記憶があるものばかりだ。
二年生の教科書はさすがに置いていくのは厳しいので采花のカバンは膨れ上がっていた。
「うわー、重っ! 絶対明日肩痛くなる!」
「頑張れ、それは俺も手伝えねぇ」
「わかってるけどさー。でも書道の道具とか置いていけるならまだマシだー」
持って帰るものと置いていくものの仕分けが終わり、一息つく。けれど、これから運ぶのも一苦労だろう。
席を立ち、窓際からすぐそばの淡く色づいている桜を眺める。花びらが風に吹かれて散っていく光景が綺麗だった。今日は学校全体が部活は休みなので人もほとんどいなくて静かだ。
徐に鍵に手をかけて窓を開けると、春の暖かな風が私の髪を攫うように吹き抜ける。
目が回るほどの勢いで通り過ぎていくのは風に乗った雪のような桜の花びらたち。手を伸ばして花びらをつかもうとしたけれど、早すぎて手の中からすり抜けていった。
「う、わっ!」
采花の声が聞こえて、振り返ると教室に桜の花びらがはらはらと舞っている。采花も瀬川くんも唖然としていて、言葉を交わすことなく三人でこの光景を眺めていた。
陽だまりの匂いに教室に舞う桜の花びら。
私たちを包み込むような春の風。
三人だけの放課後のひととき。
この瞬間を忘れたくないと目に焼き付ける。
「ちょ、悠理! 早く閉めて!」
采花の声に我に返って慌てて窓を閉めた。床に散らばったたくさんの花びらに顔が引きつる。私が窓を開けてしまったから、かなり散らかしてしまった。
「ご、ごめん……すぐ片付けるね」
慌てて掃除箱からホウキとちりとりを持って、花びらをかき集める。口を閉ざしていた瀬川くんが沈黙を破るように吹き出した。
「時々悠理って驚かせることするよな」
「そーそー、悠理ってそういうとこおもしろくて好き」
つられるように采花も笑い出す。驚かせるつもりはなかったんだけどと困惑していると、笑っていたふたりも花びらを集めるのを手伝ってくれた。
「先生に見つかる前に片付けちゃおう」
「采花も先生に見つかる前に荷物避難しないとな。知られたら説教確定だし」
「それは困る」
私たちは変わらない。ずっとこのまま一緒に居られる。そう信じて疑わなかった。
かき集められた淡く色づく桜の花びら。一度散ってしまったら、もう戻ることはできない。ほんのひとときの美しさだからこそ、儚くて尊いものに感じる。
この時間がどうしようもなく愛おしかったのだと、過ぎてから思い知る。
采花と瀬川くんと私。
同じ学年の人たちなら、きっとほとんどの人が知っていた仲のいい三人組。そのくらい一緒に行動することが多かった。
でも、その三人の関係を最初に壊したのは————私だ。