***


卒業式当日、一人ひとり名前が呼ばれ卒業証書を受け取っていく。校歌を最後に歌い、校長先生の言葉で式を締めくくる。まだ泣いている人はいなかった。

二年生たちが作ってくれた花のアーチをくぐりながら体育館を出ていくと、すすり泣く声が聞こえてくる。胸に桜色の花をつけながら、三年生たちは最後の授業を受けにそれぞれの教室へと向かった。

担任の先生へ贈る卒業アルバムは前日になんとか完成ができたようだった。
卒業式が終わったあとに教室で采花がクラス代表として渡すと、先生は涙を流しながら受けとってくれていた。


「こういうものを貰ったのは初めてだよ。ありがとう」

先生がクラスでの思い出を振り返り、別れの挨拶をすると泣き出す生徒もいた。采花は涙を堪えているようで、背筋を伸ばしてしっかりと先生の言葉を聞いていた。

あたりを見渡すと教室からはいつの間にかみんなの私物は消えていて、掲示物も剥がされている。本当に卒業なのだ。もうみんながここにくることはない。


少ししてカバンを持って教室からクラスメイトたちが出て行く。取り残された私は窓際の一番端っこの自分の席に座って空っぽの教室を眺める。

終わってしまった。もうここへ来ることは二度とない。
センチメンタルな気持ちに浸っていると、足音が聞こえてきてドアの方へと視線を向ける。

卒業おめでとうと書かれている花を胸に付けた瀬川くんが、こちらへ向かって歩いてくる。

瀬川くんはポケットから胸につけられているものと同じ卒業祝いの花を出すと私の机の上に置いた。



「悠理」

名前を呼ばれたのは久しぶりな気がした。照れくさいけれど、心地いい。大好きな人の言葉に耳を傾ける。


「あのとき、追いかけるべきだった」
「……瀬川くん、もういいんだよ」

いつのことを言っているのかわかっている。体育祭の前日に私が告白をして逃げたときのことだ。


「ずっと言えなくてごめん」
「私はもう……」

この先の言葉が出てこない。もう私は言えない。
瀬川くんが謝ることじゃないんだよ。だから、そんなに苦しまないで。そう笑いかけて後悔をなくしてあげたくても、それができなかった。


瀬川くんの大きな手が、机の上に置かれた花に触れる。



「好きだったんだ」

その言葉は優しく私の心に触れて、切なさを残して通り過ぎていった。



「悠理から告白されたとき、驚いたけど嬉しかった。明日返事をすればいいって思ってて、あのとき追わなかった」

あれは逃げてしまった私が悪い。あの場で返事を聞いていたら、一瞬でも私は瀬川くんの彼女になれていたのかな。けれど、采花の顔が浮かぶ。もしも付き合えたとしても、きっと采花とは気まずくなってしまっていた。

自分のことばかりだった。瀬川くんの気持ちや采花の気持ちを考えていなかった。

謝るべきなのは私の方だ。



「体育祭のあとでいい、打ち上げのあとでいい。帰り道で返事をしようって先延ばしにしてた。だから思いもしなかったんだ」

瀬川くんの表情に影が落ちる。その影を今の私には掬い上げることはできない。




「もう二度と会えなくなるなんて」


目の前にいる瀬川くんの瞳には私は映っていない。

瀬川くんだけじゃない、采花もクラスのみんなも、家族でさえも、私の姿をもう見ることはできない。


「後悔したって遅いのに……ごめん、悠理」
「でも今知れたよ。ありがとう、瀬川くん」

彼には届かない私の言葉。

切なくて苦しくて、温かくて。どうしようもなく愛おしい告白。

体育祭の日の放課後で終わった私の短い人生は、今になって思えばとても幸せなものだった。

体育祭のあと、クラスのみんなで打ち上げをすることになっていた。夕方に指定されたお店に集合する約束だったけれど、私だけはお店につくことはなかった。

反転する視界の中で、横断歩道の青い光が点滅するのが見えた。今でも車のブレーキ音と近くにいた誰かの悲鳴が耳の奥に残っている。

この身体ではあの日の事故の痛みは思い出せないけれど、意識が途切れる直前に思い浮かんだのは家族や友達のこと。もちろんその中には瀬川くんも采花もいて、私には心から大事な離れがたい人たちがいたのだと実感した。

それと同時に、三人での関係を壊してしまったことを酷く後悔した。



「悠理……っ」

瀬川くんの髪にそっと触れる。けれど、彼は気づくことなく涙をこぼしていく。


「ごめん、悠理。俺……なんでもっと早く……っ」

もういいよ。大丈夫。私は今聞けたから幸せだよ。空気に溶けて消えていく私の言葉が歯がゆくて、瀬川くんの涙が床に弾けた。

涙を拭ってあげたいのに、拭うことができない。


「泣かないで、瀬川くん」


もう誰からも姿が見えない私は誰のことも救えない。

好きなのに。今でも忘れられないくらい瀬川くんのことが好き。それでも私は瀬川くんの想いを受け止めることも、後悔をなくすこともできない。


けれど、彼を救える人なら他にもいる。


開いていた教室のドアから胸元に花をつけた女子生徒が姿を覗かせた。一瞬怪訝そうな顔で瀬川くんを見たけれど、私の席と瀬川くんの顔を見て、苦々しく微笑んだ。

「みんな校門のところで写真撮ってるよ」
「……あとで行く」
「そっか」

目を赤くして、泣いたばかりだとわかる顔では行けないのだろう。采花は私の席の前まで来ると、机の上に置いてある花をそっと撫でた。


「私たちもう卒業だよ。……悠理」
「そうだね」

言葉を返しても采花の耳には届かない。わかっているけれど、私はずっとふたりの傍から離れることができなかった。



「忘れない」

たった一言。それだけ言うと采花は目にいっぱいの涙をためて、下唇を噛み締めた。

知っているよ。采花が私のことを忘れないでいてくれたこと。先生に頼んで私の席を残していてくれたこと。だから私は幽霊になっても居場所をなくさずにここにいることができたんだ。



「俺だって忘れないよ。……忘れられるわけないだろ」

瀬川くんの言葉に、采花は堰を切ったように声をあげて泣き出した。大粒の涙を流しながら、ブレザーの袖口で何度も拭っていく。


「悠理」と繰り返し私の名前を呼ぶ采花を抱きしめる。
けれど、それが本人に伝わることはない。触れることはできても、本人には触れられている感覚はないようだった。


もっと一緒にいたかったな。一緒に卒業したかった。大人になりたかった。

もしもを考えては羨ましくて悔しい気持ちになる。けれど、それはどう足掻いても叶わないことだから、もう私は終わりにしなくてはいけない。


瀬川くんの想いを聞いて、采花の想いを知って、ふたりが仲直りしてくれて、私の未練はなくなった。


ずっと忘れずにいてくれてありがとう。

苦しませてごめんね。悲しい思いをさせてごめんね。ふたりは私にたくさんのものをくれた。学校生活が楽しかったのはふたりのおかげだったんだよ。私はふたりになにかを残すことはできたのかな。



采花、瀬川くん。大好きだよ。

私、ふたりがいてくれて本当に幸せだった。



最後に姿が視えない私からふたりに贈れるものは、ほんのわずかだ。

ふたりの涙を止められるだろうか。どうか、届きますように。


閉じていた窓の鍵に手をかけて、勢い良く開けた。春の暖かな風が吹き込み、淡い桜の花びらが吹雪のように教室へと降ってくる。

瀬川くんと采花は乱れた髪を直すこともせず、ただ呆然と教室に降り注ぐ桜の花びらを眺めていた。



ふたりの唇が同じ形に動き、名前を呼んだ。



それは私から大好きなふたりへ、最後の贈り物。









「卒業おめでとう」









【花時の贈り物】END