そこは紛れもなく森そのものだった。
一般的な森と異なる点は緑の苔かなにかの植物に覆われ、ゴツゴツとした天井が空を覆い、そこから長方形や円柱のビルなどの建物ががちらほら伸びている位か。
何より天井が高い。とても高い。低いところで600m、高い天井は1000m前後はありそうで、てっぺんの方が少し霞んで見える。
ビルはほとんどが地面に着いておらず浮いているが、レイヴたちが入ってきた空っぽの階段のように地面まで伸びているものもあった。
ここは人が住む街なのか、それとも動物の楽園なのか。
少なくともここは決して人がくつろぎゆっくりと生活するような空間ではないというだけだ。
「嘘だろ、ファースタの街の下にこんな森が生い茂ってたなんて」
「これはどういう事?幻惑望術にでも掛けられた?」
ナナキは困惑と期待を、レイヴは驚愕と歓喜の感情を覚えていた。
レイヴが恐る恐る緑の絨毯に足を踏み出す。足から伝わる砂利の擦れる感覚も草の包み込む柔らかさも紛れもなく本物そのものだ。
「そんな感じはしねえ。信じらんねえ、ここは本物だぞ!」
ばち。
上ずった声でレイヴが言う。この地下空間は本物である。それを実感したレイヴの顔は緩み、目を丸くしたまま輝いていた。
「ほらほら、早く探索行くぞナナキ!」
辛抱たまらんと言った様子でレイヴが駆け出した。
「普通なら警戒するところだけど。ふふ、けど君はそうこなくちゃ」
ナナキも何か再確認したように頷いてレイヴの後に続く。
天井、そこより伸びるビルの中からはしゃぐ二人を見つめる視線があった。
「おや、新たなる実験台候補が迷い込んだようだな。まずはこの魔寄いの森を生き延びれるか、拝見しようか」
視線の主は何をする訳でもなく、ただただ二人の少年を見つめているだけだった。
「?なんだこの樹」
レイヴたちが注目したのは樹だった。
ここの森の樹はちらりと見ただけではなんてことの無いただの樹だが、ちゃんと見ると普通の樹とは明らかに異なる面がある事に気付ける。
色だ。
木の根元が毒々しい紫色に染まっていた。
その色は空のグラデーションのように上に行くにつれてレイヴたちのよく知る茶色になっている。
レイヴがしゃがみ、樹の根元に触れようとする。しかしナナキの手がそれを抑えた。
「君の好奇心を止めるのは心惜しいけど流石にこんなあからさまにヤバいものには触らせたくないな」
「ちょっとくらい大丈夫だろ」
レイヴがまた不用心に木の根元へ触りに行くのをやはりナナキが制す。
「ははは、ナイス好奇心。でもこれ、目視でも分かるくらいすごい濃い毒素だよ。触れるだけでも体に害があるタイプ」
「げっ、そんなに?」
レイヴは顔を顰め、イタズラしている所に親が帰ってきた子供みたいな勢いで手を引っ込めた。
「うん。僕の予想でしかないけど、地上の街の汚れを吸い取ってるんじゃないかな、この樹は。ほら、地上のファースタ街って車の交通量が多い割に大気が綺麗でしょ?あれはきっとこの地下に排気ガスとか、汚れが送られてるんだよ。この樹はそうやって送られた汚れを吸い上げ、浄化し地上に返す。そうやってファースタの街の大気を地上と地下で浄化、循環させているんだ。」
「おお、流石ナナキ博士。これだけでここまで分かるのか」
「あくまで仮説だけどね。あの天井から伸びる建物に関してはさっぱり分からないし」
レイヴは立ち上がって言った。
「そこは何度も来て、じっくり解き明かしていこうぜ」
「それは良いけど、開拓者試験の対策はどうする?」
「ん、勿論両立させるぞ。」
がさり。
音があった。
咄嗟に、レイヴは背中の楔剣に手を掛け、ナナキは望術の用意をする。
音のあった方は茂みになっていた。がさり。がさり。不穏な音が続く。何かが茂みの隙間からこちらを見ている。
「ナナキ、あれが敵だったらバックアップ任せた」
「任せて」
レイヴが茂みに対して前に出る。
近接戦闘においてはレイヴの方が上手く立ち回れる。
ナナキのクオリアは溜めが必要になるし、望術も発動するまでにインターバルが必要になるからだ。
レイヴは笑っていた。
レイヴは戦闘狂という訳ではない。彼にとって戦闘は手段だ。面倒な戦いは嫌いだし、出来ることなら戦闘は避けたいと思う。
しかし、だ。
レイヴは『未知』というものが好きだ。大好きだ。
そのカテゴリの中には初見の敵も含まれる。
初見の敵と攻略、これに関してはレイヴの楽しみに含まれていた。
茂みから黒い影が飛び出した。
レイヴが楔剣を抜き、影を受け止める。
楔剣が受け止めたのは爪だった。鋭く、ギラギラと透明に光るソレは触れる物の全てを引き裂く凶器そのものだ。
爪の主が黄色い眼球でレイヴを睨む。
それはチーターだった。しかしチーターにしては色合いが既知の個体とは大きく違っている。
本来なら小麦色の体毛に黒の模様を持つチーターだが、この個体の体毛は黒く、模様は紫の禍々しい、ヒョウモンダコを思わせる輪っか状の形を取っている。
チーターは腹を空かせているのか爪と負けず劣らず鋭い透明の牙を剥いて、唸っている。
「おもしれえ……!」
レイヴの闘志が高まる。チーターの身体を押し返し、小さく跳ぶ。スケートみたいに回転し、その勢いを利用して楔剣による横払いをよろけたままのチーターの土手っ腹に叩き込んだ。
吹っ飛んだチーターは即座に体制を立て直し
右の前足を上げた。お手なんて可愛いものじゃない事は多くの生き物を屠ってきたであろう爪が物語っている。
だがそれでどうなる?レイヴが怪訝な表情を浮かべた。
「レイヴ、クオリアが来るよ!」
チーターの右足に望力が集まっていた事を感知したナナキが叫ぶ。
チーターの爪が4本同時にレイヴ目掛けて射出された。
「ッ!?」
レイヴはその場でリンボーダンスのように身体を翻す。射出された爪のひとつがレイヴの頬の薄皮をかっさらい、紫の木の幹に刺さった。爪から幹へ雫が垂れる。どうやらあの爪は氷で出来ているらしい。
チーターの右足から爪を立てるように再び氷で出来た爪が生えてきた。
「サンキュー、ナナキ!しかし強いなアイツ。特訓のために猛獣と戦ったりするけどここまで強い奴は居なかったぞ」
そう言ってレイヴは自らの頬から垂れる血を拭った。あのチーターは速度もパワーも並じゃない。何より取っ組み合いするとあの氷の爪が飛んでくるのが厄介極まりない。
爆発を浴びたような勢いでチーターがこっちへ向かってくる。
「簡略、我が視線5m先の大気は衝撃そのもの」
ナナキが胸の前で三角を描きながら望力を込めた言葉を淡々と紡ぐ。
|二工程ダブルサインの簡易的な望術がチーターの走る軌道上の大気を衝撃そのものに変生させ、チーターの身体を打つ。あまりにも簡易的が故に大したダメージは無かったがチーターの走る軌道が僅かに曲がる。
「ナイス!」
そこには隙があった。レイヴはチーターを高く蹴り上げ、宙ぶらりんになった襲撃者に勢いよく楔剣のフルスイングを食らわせた。
地面に叩きつけられたチーターが身悶えするがすぐに立ち上がりこちらを睨みながら大きく口を開いた。鋭い透明の牙が光を乱反射してる。
「まさか……」
そのまさかだった。チーターの牙が射出される。犬歯の四本が二人を狙い撃つ。
「くっ!」
レイヴとナナキはそれぞれこの攻撃を避けた。
「そんな小さい飛び道具はダメだって!」
レイヴが小言を言う。さっきまでの笑顔は焦りに塗り替えられていた。
レイヴの楔剣なら弾き飛ばす事も出来るだろうがあの牙を受けるにはレイヴ本人の反応速度と精度が追いついていない。外せば致命傷になりかねないので避ける他なかった。
一息つく束の間すら無かった。
即時チーターの牙が再生し、再び射出される。
今度は前歯も奥歯も歯の全てを、隙間なく、射出される。
無くなった牙はすぐさま装填される。それは絶え間ない凶器の嵐そのものだった。望力という弾が尽きない限り嵐が止むことはない。
「それは生き物離れしすぎちゃいませんか、ってんだ!?」
俊敏な動きでレイヴもナナキもそれぞれ別々の樹の影に隠れる。樹のすぐ側を牙の弾丸が無作為に飛来していく。
幹が毒なのでぴったりと密着できない事が心許ない。
「どうするナナキ、あれじゃ近付けねえぞ!?」
毒の樹ごしにレイヴが叫ぶ。
「望術を使う、君の反応速度を上げるんだ!」
「おいおい、俺じゃあ望術の効果は半減するぞ、それよりこの間の時間を使ってお前のクオリアや望術でぶっ飛ばした方がいいんじゃないか?」
「いや、僕の持ちうる手段じゃ決定打に欠ける。僕は裏方向きの人間でね、こういうのは君みたいな主人公向きの人間が行った方がいい」
「なんだそれ、冗談なんか言ってる場合じゃ……」
ナナキは本気で言っていた。目がそれを語っていた。
ずぶり、とレイヴの隠れる樹を貫いてレイヴのすぐ横から牙が顔を覗かせた。
「時間がないよ、もうその樹も持たない!」
「へっ、お前がそこまで言うなら応えるしかねえな!」
レイヴの表情に笑みが戻る。
ナナキもまた笑う。
「詠唱、行くよ」
指揮者のように指先で何かを描くような仕草をしながらナナキが言葉を紡ぎ始める。|三工程トリプルサインの望術が始まる。
「宣言する。対象、レイヴ。役の名は相対。定義は加速。術式構築開始、川に落ちる岩。人波に倒れる。阻む壁。滲み出た血潮。齎された毒。計算外のアクシデント。溶け出した片栗粉。惰性の会議。落ち行く景色。見上げる星。なんて緩慢な世界
術式名『意識相対加速』展開」
レイヴに望術が掛けられる。
周囲の全てが遅く見える。
ナナキの口も手も言葉も動きも。
絶え間なく飛び交う牙も。
自分が隠れていた樹が牙に貫かれ、倒れる様すらも。
「行ってくっぜ!!」
動きが鈍くなった友に声を掛けて、レイヴはチーターの前に飛び出した。
望術の効果持続時間もそうは続かない。レイヴの場合は尚更だ。一気に決着をつける。
一般的な森と異なる点は緑の苔かなにかの植物に覆われ、ゴツゴツとした天井が空を覆い、そこから長方形や円柱のビルなどの建物ががちらほら伸びている位か。
何より天井が高い。とても高い。低いところで600m、高い天井は1000m前後はありそうで、てっぺんの方が少し霞んで見える。
ビルはほとんどが地面に着いておらず浮いているが、レイヴたちが入ってきた空っぽの階段のように地面まで伸びているものもあった。
ここは人が住む街なのか、それとも動物の楽園なのか。
少なくともここは決して人がくつろぎゆっくりと生活するような空間ではないというだけだ。
「嘘だろ、ファースタの街の下にこんな森が生い茂ってたなんて」
「これはどういう事?幻惑望術にでも掛けられた?」
ナナキは困惑と期待を、レイヴは驚愕と歓喜の感情を覚えていた。
レイヴが恐る恐る緑の絨毯に足を踏み出す。足から伝わる砂利の擦れる感覚も草の包み込む柔らかさも紛れもなく本物そのものだ。
「そんな感じはしねえ。信じらんねえ、ここは本物だぞ!」
ばち。
上ずった声でレイヴが言う。この地下空間は本物である。それを実感したレイヴの顔は緩み、目を丸くしたまま輝いていた。
「ほらほら、早く探索行くぞナナキ!」
辛抱たまらんと言った様子でレイヴが駆け出した。
「普通なら警戒するところだけど。ふふ、けど君はそうこなくちゃ」
ナナキも何か再確認したように頷いてレイヴの後に続く。
天井、そこより伸びるビルの中からはしゃぐ二人を見つめる視線があった。
「おや、新たなる実験台候補が迷い込んだようだな。まずはこの魔寄いの森を生き延びれるか、拝見しようか」
視線の主は何をする訳でもなく、ただただ二人の少年を見つめているだけだった。
「?なんだこの樹」
レイヴたちが注目したのは樹だった。
ここの森の樹はちらりと見ただけではなんてことの無いただの樹だが、ちゃんと見ると普通の樹とは明らかに異なる面がある事に気付ける。
色だ。
木の根元が毒々しい紫色に染まっていた。
その色は空のグラデーションのように上に行くにつれてレイヴたちのよく知る茶色になっている。
レイヴがしゃがみ、樹の根元に触れようとする。しかしナナキの手がそれを抑えた。
「君の好奇心を止めるのは心惜しいけど流石にこんなあからさまにヤバいものには触らせたくないな」
「ちょっとくらい大丈夫だろ」
レイヴがまた不用心に木の根元へ触りに行くのをやはりナナキが制す。
「ははは、ナイス好奇心。でもこれ、目視でも分かるくらいすごい濃い毒素だよ。触れるだけでも体に害があるタイプ」
「げっ、そんなに?」
レイヴは顔を顰め、イタズラしている所に親が帰ってきた子供みたいな勢いで手を引っ込めた。
「うん。僕の予想でしかないけど、地上の街の汚れを吸い取ってるんじゃないかな、この樹は。ほら、地上のファースタ街って車の交通量が多い割に大気が綺麗でしょ?あれはきっとこの地下に排気ガスとか、汚れが送られてるんだよ。この樹はそうやって送られた汚れを吸い上げ、浄化し地上に返す。そうやってファースタの街の大気を地上と地下で浄化、循環させているんだ。」
「おお、流石ナナキ博士。これだけでここまで分かるのか」
「あくまで仮説だけどね。あの天井から伸びる建物に関してはさっぱり分からないし」
レイヴは立ち上がって言った。
「そこは何度も来て、じっくり解き明かしていこうぜ」
「それは良いけど、開拓者試験の対策はどうする?」
「ん、勿論両立させるぞ。」
がさり。
音があった。
咄嗟に、レイヴは背中の楔剣に手を掛け、ナナキは望術の用意をする。
音のあった方は茂みになっていた。がさり。がさり。不穏な音が続く。何かが茂みの隙間からこちらを見ている。
「ナナキ、あれが敵だったらバックアップ任せた」
「任せて」
レイヴが茂みに対して前に出る。
近接戦闘においてはレイヴの方が上手く立ち回れる。
ナナキのクオリアは溜めが必要になるし、望術も発動するまでにインターバルが必要になるからだ。
レイヴは笑っていた。
レイヴは戦闘狂という訳ではない。彼にとって戦闘は手段だ。面倒な戦いは嫌いだし、出来ることなら戦闘は避けたいと思う。
しかし、だ。
レイヴは『未知』というものが好きだ。大好きだ。
そのカテゴリの中には初見の敵も含まれる。
初見の敵と攻略、これに関してはレイヴの楽しみに含まれていた。
茂みから黒い影が飛び出した。
レイヴが楔剣を抜き、影を受け止める。
楔剣が受け止めたのは爪だった。鋭く、ギラギラと透明に光るソレは触れる物の全てを引き裂く凶器そのものだ。
爪の主が黄色い眼球でレイヴを睨む。
それはチーターだった。しかしチーターにしては色合いが既知の個体とは大きく違っている。
本来なら小麦色の体毛に黒の模様を持つチーターだが、この個体の体毛は黒く、模様は紫の禍々しい、ヒョウモンダコを思わせる輪っか状の形を取っている。
チーターは腹を空かせているのか爪と負けず劣らず鋭い透明の牙を剥いて、唸っている。
「おもしれえ……!」
レイヴの闘志が高まる。チーターの身体を押し返し、小さく跳ぶ。スケートみたいに回転し、その勢いを利用して楔剣による横払いをよろけたままのチーターの土手っ腹に叩き込んだ。
吹っ飛んだチーターは即座に体制を立て直し
右の前足を上げた。お手なんて可愛いものじゃない事は多くの生き物を屠ってきたであろう爪が物語っている。
だがそれでどうなる?レイヴが怪訝な表情を浮かべた。
「レイヴ、クオリアが来るよ!」
チーターの右足に望力が集まっていた事を感知したナナキが叫ぶ。
チーターの爪が4本同時にレイヴ目掛けて射出された。
「ッ!?」
レイヴはその場でリンボーダンスのように身体を翻す。射出された爪のひとつがレイヴの頬の薄皮をかっさらい、紫の木の幹に刺さった。爪から幹へ雫が垂れる。どうやらあの爪は氷で出来ているらしい。
チーターの右足から爪を立てるように再び氷で出来た爪が生えてきた。
「サンキュー、ナナキ!しかし強いなアイツ。特訓のために猛獣と戦ったりするけどここまで強い奴は居なかったぞ」
そう言ってレイヴは自らの頬から垂れる血を拭った。あのチーターは速度もパワーも並じゃない。何より取っ組み合いするとあの氷の爪が飛んでくるのが厄介極まりない。
爆発を浴びたような勢いでチーターがこっちへ向かってくる。
「簡略、我が視線5m先の大気は衝撃そのもの」
ナナキが胸の前で三角を描きながら望力を込めた言葉を淡々と紡ぐ。
|二工程ダブルサインの簡易的な望術がチーターの走る軌道上の大気を衝撃そのものに変生させ、チーターの身体を打つ。あまりにも簡易的が故に大したダメージは無かったがチーターの走る軌道が僅かに曲がる。
「ナイス!」
そこには隙があった。レイヴはチーターを高く蹴り上げ、宙ぶらりんになった襲撃者に勢いよく楔剣のフルスイングを食らわせた。
地面に叩きつけられたチーターが身悶えするがすぐに立ち上がりこちらを睨みながら大きく口を開いた。鋭い透明の牙が光を乱反射してる。
「まさか……」
そのまさかだった。チーターの牙が射出される。犬歯の四本が二人を狙い撃つ。
「くっ!」
レイヴとナナキはそれぞれこの攻撃を避けた。
「そんな小さい飛び道具はダメだって!」
レイヴが小言を言う。さっきまでの笑顔は焦りに塗り替えられていた。
レイヴの楔剣なら弾き飛ばす事も出来るだろうがあの牙を受けるにはレイヴ本人の反応速度と精度が追いついていない。外せば致命傷になりかねないので避ける他なかった。
一息つく束の間すら無かった。
即時チーターの牙が再生し、再び射出される。
今度は前歯も奥歯も歯の全てを、隙間なく、射出される。
無くなった牙はすぐさま装填される。それは絶え間ない凶器の嵐そのものだった。望力という弾が尽きない限り嵐が止むことはない。
「それは生き物離れしすぎちゃいませんか、ってんだ!?」
俊敏な動きでレイヴもナナキもそれぞれ別々の樹の影に隠れる。樹のすぐ側を牙の弾丸が無作為に飛来していく。
幹が毒なのでぴったりと密着できない事が心許ない。
「どうするナナキ、あれじゃ近付けねえぞ!?」
毒の樹ごしにレイヴが叫ぶ。
「望術を使う、君の反応速度を上げるんだ!」
「おいおい、俺じゃあ望術の効果は半減するぞ、それよりこの間の時間を使ってお前のクオリアや望術でぶっ飛ばした方がいいんじゃないか?」
「いや、僕の持ちうる手段じゃ決定打に欠ける。僕は裏方向きの人間でね、こういうのは君みたいな主人公向きの人間が行った方がいい」
「なんだそれ、冗談なんか言ってる場合じゃ……」
ナナキは本気で言っていた。目がそれを語っていた。
ずぶり、とレイヴの隠れる樹を貫いてレイヴのすぐ横から牙が顔を覗かせた。
「時間がないよ、もうその樹も持たない!」
「へっ、お前がそこまで言うなら応えるしかねえな!」
レイヴの表情に笑みが戻る。
ナナキもまた笑う。
「詠唱、行くよ」
指揮者のように指先で何かを描くような仕草をしながらナナキが言葉を紡ぎ始める。|三工程トリプルサインの望術が始まる。
「宣言する。対象、レイヴ。役の名は相対。定義は加速。術式構築開始、川に落ちる岩。人波に倒れる。阻む壁。滲み出た血潮。齎された毒。計算外のアクシデント。溶け出した片栗粉。惰性の会議。落ち行く景色。見上げる星。なんて緩慢な世界
術式名『意識相対加速』展開」
レイヴに望術が掛けられる。
周囲の全てが遅く見える。
ナナキの口も手も言葉も動きも。
絶え間なく飛び交う牙も。
自分が隠れていた樹が牙に貫かれ、倒れる様すらも。
「行ってくっぜ!!」
動きが鈍くなった友に声を掛けて、レイヴはチーターの前に飛び出した。
望術の効果持続時間もそうは続かない。レイヴの場合は尚更だ。一気に決着をつける。