その日の帰り、レイヴとナナキは学校帰りにメントを尾行していた。今度は見失わない様にあまり高くないビルの上を通ってメントを追っている。今日は陽射しが強く少しばかり暑さを感じられる。
自分が見られているとは露知らず金髪を揺らし、メントは進入禁止と書かれた看板を無視して例の空き地の土地まで入っていった。


「やっぱあの空き地に入ったね」


「ああ、ところでさっきからすんごい匂いがしてんだけど今度は何食べてるんだ」


ナナキは手元のプラスチック小袋をこちらに見せてきた。それは何の変哲もないグミだった。ただし出汁つゆ風味なんてあまりにもミスマッチな文字が刻印されている。ドス黒い茶色が禍々しい。思わず顔を顰めたレイヴにナナキはいつもの爽やかスマイルを浮かべて


「食べる?」


「いらん!!」


下らないやり取りをして目を離した隙の事だった。
メントがもう居ない。肝心の居なくなった瞬間を見逃した。
我ながら自分の間抜けっぷりに思わず肩を落とすレイヴだった。


「あの空き地に何かがある事は間違いないみたいだね」


ナナキがゲテモノグミをしまう。
メントがあの空き地で居なくなったのなら十中八九そこに何かがある事を示していた。


「よし、探してみるか」


2人は空き地に降り立った。
何か怪しい物が無いか地面をほじくり返したり望術の痕跡を探してみたりする。


「全然無いね。地面を弄ったような跡すら見当たらない」


「ああ、けど絶対ここにある筈なん―――ッ!?」


レイヴの声が消えた。
いや、姿ごと消えた。
それは蟻地獄に落ちたように。忽然と姿を晦ましてしまった。

思わずナナキがレイヴの名前を叫ぶ。
一瞬取り乱したがナナキは如何なる状況に置かれようとも冷静でいられる男だ。

ナナキは何者にも執着しない。どれ程状況が変動しようとも今現在、ここにある手札だけで戦う。
命より大切な物であろうとも失ったのなら即座に受け入れ次にすべき行動に移る。

その在り方は機械的とも取れるが違う。プログラミングコードに少しでも不具合があればエラーを吐くだけのコンピュータに対してナナキはエラーに自ら対応する。

彼の感情、精神構造は一般的な人間のソレとは異なるのかもしれない。少なくとも焦りという言葉はこの少年にはないという事は確かだ。

何かの襲撃を受けた。レイヴの消息は不明。ナナキは事実だけを受け入れ臨戦態勢を取る。
左腕を上下に振り、速度を溜める。
いつ敵が来ようとも構わないよう迎撃の準備を整える。敵を捕まえてレイヴを救い出す。
望術でも悪くないがそれはクオリアで敵を怯ませてからの方が効果がある。


吹き出すような笑い声があった。
それは背後の地面から。
ナナキが眼を光らせ身体を捻り、腰を下げ、速度を溜めた掌底を叩き込む。

そこは地面の筈だった。なのに掌底はすり抜け、それどころか勢い余ってナナキの腕が、肩が、胴体が、そして足の先が、すっぽり地面を突き抜け、更に地面の中にあったもう一つの地面に身体を激しく打ち付けた。


「あれ?」


ナナキは自分が気の抜けた声を出している事に気づきもしなかった。
階段を転がり落ちたらしい。五段程度しか無かったので大した怪我は無い。
その階段の先には閉ざされた両開きの扉が鎮座している。
痛む身体を庇いながら起き上がると笑い声の主、レイヴが腹を抱えて転げ回っていた。


「あっははははは!!!すんげえ真剣だったなナナキ!!」


「うえ?レイヴ?一体何が」


何が起こったか分からずナナキはキョトンしていた。ひとしきり笑うとレイヴが状況を説明する。


「偽装望術みたいだ。ここの外にいる人間にはここが見えないようになってたっぽい。一度分かっちまえば簡単な事だったな」


マジックミラーの様なものだ。外からはただの空き地でしかないが偽りの地面の下から外の様子はくっきり見えるのだ。
種が分かった途端にレイヴの隠蔽望術への興味は次の餌を求める獣のように目の前の両開きの扉へ移った。

扉は無骨な鉄で、片面の形は長方形。長い間雨風に晒されたのかドアノブの先まですっかり錆びており、不用意に触れれば朽ちて茶色くなった鉄の錆で肌を切りそうだ。


「ここがメントの家か。やけに古臭いな。インターホンも無いなんてよ」


好き放題言いつつウキウキした様子を隠しもしないでレイヴは扉を叩く。
しかしいくら待っても応答がない。再度叩くがやはり何も起こらない。
ドアノブに手を掛け押したり引いたりしてみたが扉はうんともすんとも言わない。


「おっかしいな、なんも起こらねえ」


「望術によるロックが掛かっているようだね」


じっとしてても仕方がないと判断したナナキが扉に手の平を置く。


「このロックなら簡単に解除できる」


ナナキは目を閉じた。手の平は扉の上。自らの望力と扉の望術に流れる望力が繋がる。紫がかった幾何学的な模様が扉全体に浮かび上がった。そのラインはまるで扉の開閉を拒むかのように開閉口をリボン結びが如く縛っているように見えた。これが扉のロックの正体だ。ナナキの口が静かに開かれる。


「宣言する」


言葉があった。


――――――汝役はここに放棄される。


それは望力の込められた言葉だった。


――――――汝全てを許容する。


ナナキが言葉を紡ぐごとに紫光の糸の結び目が緩む。


―――なれば汝扉より己が解放を望む。


もはや我慢ならないと結び目が解け始める。


「以上」


たったの三言の一工程(ソロサイン)
それだけで扉を縛る紫光のリボンは容易く解けて、風に乗り空中で光の粒子に霧散してしまった。
流れるような一連の出来事にレイヴが歓声の声を上げた。


「さっすがナナキ!つか、割と強固そうだったのにあっさりロックを解除するとかお前実はテストで手抜いてたりしてないか?」


「さあどうかな?少なくとも僕にそんな事をする理由は無いけどね」


意味深な笑みを浮かべてナナキが扉を開ける。
扉は重く、大分厚みがあるようでかなりの重さを感じた。なので二人で体重を乗せて扉を開く。開かれた扉を横から見ると50cmくらいの厚さがあった。ここまで厚い扉では物理的にはどうやっても無理やりこじ開ける事は出来なかっただろう。
ナナキが居て良かった。レイヴはそう思わずには居られなかった。

扉の先の光景は予想と異なるものだった。
淀んだ空気、足場の悪い床、薄暗い空間、そして底が見えないくらいに深い吹き抜けの螺旋階段のみ。人が住んでいるとは到底思えなかった。


「随分と広い玄関だな。リビングとかどんだけ広いんだこりゃ」


「ああレイヴはそう解釈するんだ」


ナナキがおもちゃを見つけた子供のようにクスリと笑った。


「ワクワクしてきた!正直この街には飽き飽きしてたけどまだこんな面白い所があるなんてよ、この街“ファースタ”も捨てたもんじゃねえな!!」


陰気な場所とは対照的にレイヴは胸が高鳴っていた。こんな身近な場所に秘密基地みたいな場所を見つけた事に興奮を隠せないでいた。それはナナキも同じ事だった。


レイヴたちは薄暗い松明の照明を頼りに劣悪な足場を降りてゆく。そこかしこに蜘蛛の巣が張られ、羽を持つ虫たちが絡め取られている。ネズミが壁を這い蜘蛛を食べる不気味な生命の讃歌が繰り広げられている。
しかしレイヴたちの足取りは軽やかだ。もしメントやその家族に見つかっても正直に言えばきっと許してくれる。そんな楽観的思考の権化たるレイヴを阻む物はない。ナナキは何も言わずただただレイヴに着いていくだけだ。
道中、ナナキが何気なくゲテモノグミの小袋を取り出した。


「グミ食べる?」


「おうくれ!」


テンション上がり放題でアッパラパーなレイヴは躊躇うことなくそのグミを口の中に放り込んだ。ぐにっとした食感のゼラチンの塊からだしつゆの風味が口全体を包む。うーん、ミスマッチ。


「うへー!まじぃ!!」


言葉とは裏腹にレイヴは良い笑顔だ。階段を降りていく2人はどこまでも気分上々だった。




とうとう階段は途切れ、底無しみたいに深かった地面は底を見せた。隅には虫やネズミ、ヤモリなどの死骸が散らばっておりそれを他の虫達がこぞって貪っている。
レイヴらに待ち受けていたのはまたしても両開きの扉だ。


「またロックが掛かっているのか?見てくれナナキ」


「……そんなことも無いね。ロックなんて全く掛かってない」


レイヴは一度は拍子抜けしたがすぐ様納得した。


「玄関から部屋に入るドアに鍵が掛かっているなんて聞いた事ないもんな」


そう言ってレイヴが扉に体重を掛ける。
さっきの扉と同じように見えた為、きっとこの扉も重いと思ったのだ。


「おわっ!?」


それに反して扉は無抵抗にレイヴを迎え入れた。あまりにも抵抗が無かったため勢い余って扉の先に転がりこんでしまった。


レイヴが部屋に転がり込むと同時に薄暗い深玄関へ光が差し込む。明度の差にナナキの目が眩んだ。


玄関を抜けた。今度こそメントの恐ろしく広い地下大豪邸をお目に掛かかれる時が来たのだ。


明度の変化に慣れたナナキと顔を上げたレイヴの目に飛び込んできたそれは想像を絶するモノだった。あまりにも予想外で衝撃的だった為、二人はしばらく固まっていた。それだけ頭が理解を要するのに時間が必要だったのだ。故に時間の概念が消し飛んだ。2人にとってそれは永遠であり刹那でもある時間となった。
ばちばち。


「―――なんだよ、これ」


それはあまりにも広い部屋だった。
全体的に少しばかり薄暗い。家の照明よりずっと明るい光を放つ緑の天井があった。天井は地上で見られる高層ビルの高さと同じくらい遠く感じた。そこから無機質な光を反射させながら細長く分厚い円柱や長方形の巨大な装飾が伸びている。壁は遥か遠くにあるらしく確認できない。
空気は澄んでいて美味しく、絨毯は緑で大きな観賞植物が大量に、無造作に敷き詰められていて、ざあざあと葉を擦る音の演奏が行われていた。
そう。
ここはまるで。


「―――これじゃあまるで森じゃねえか!?」