「そこの人、大丈夫か?」


レイヴは楔剣を背中のボディバッグと一体化している鞘に納めながら言った。


「え、ええ。特に何もされていませんし……」


まだ腰を地面に付けたまま震えているスーツの男性を見てレイヴは罪悪感を覚えた。
彼が立ち上がるのを手伝いながらレイヴは言った。


「妙な事に巻き込んですまねえ、それとこの事は内緒にしてもらっていいか?」


「は、はい、あの」


「礼は言わないでくれよ、申し訳ない気持ちになる」


そう言ってスーツの男性が自分のビルに戻る所を見送った。


「さて、早いとこナナキの所に戻らないと。心配してるぞアイツ」


「戻る必要は無いよ」


「うおおっ!?」

レイヴはその場で尻もちを着いてしまった。
なんでナナキが目の前に居る……!!?


「ナナキお前、なんでここに!?」


「丁度コンビニから戻ってきたら君がガラの悪い人達に連れていかれるのを見てね、急いで後を追ってきたんだ。君と彼らの攻防、見応えあって良かったよ。特に最後のコモノとのやり取りとか!」


「そんな事してる暇があったら助けて!?」


「言うほど助けなんかいらなかったでしょ。本当にヤバかったら助けるつもりだったけどね」


このナナキという男、一見すると爽やかで素敵な殿方だがその実人のトラブルを見てニヤニヤしてる腹黒なのである。レイヴとつるむのもレイヴがクオリアすら使えない望力下手という理由でさっきみたいな連中にしょっちゅう絡まれる様を見るのが楽しい、なんてふざけた理由だったりする。


「まあいいや、望力の使い方の練習に戻ろうぜ」


「その前に腕を治そうね」


2人は揃ってビルから飛び降り路地裏に足をつけた。路地裏は丁度2人が並んで歩ける幅だ。
その隅っこでレイヴはナナキから応急処置を受けていた。

ナナキのかざした両手から出た青寄りの緑の光がレイヴの腕を包んでいる。周囲には幾何学模様の円と六芒星が浮かんでいる。

望術とは望力を燃料にして特定の法則性や意味を伴うアプローチを掛ける事でクオリアと異なる超常現象を引き起こす秩序を持った現象である。
望力という名の電気を媒介にして物理法則に働きかけるプログラミングとイメージすれば分かりやすい。
葉、動作、記号、律動……などアプローチの種類は様々でこれを組み合わせれば組み合わせるほど強力な望術となる。もっとも、同時に複雑になるため扱いが難しくなるのだが。


今回レイヴが受けている物は動作と記号を組み合わせた二工程(ダブルサイン)の治癒望術で容易なものだ。


「悪いなナナキ。俺の傷って治しにくいだろ」


「ううん、その程度の傷で済んでいるのも君の体質のおかげだろう?イーブンって奴さ。それに特別望力を喰う訳でもないし、気にしないでいいよ」


「俺の触れた望力は例外なく半分に減衰する、か……。俺が望力を上手く扱えない最大の原因、やれやれ全く厄介な物を持って生まれちまったもんだな。宇宙中を見渡しても前例が全く無いなんてどういう事なんだ」


「何か意味があるのかもしれないよ。僕たちが気づけないような上位存在が君に賜した物とか」


「想像力豊かか。そんなヤツが居たとしても俺なんか砂漠の砂の一粒よりどうでもいいだろ」


レイヴは苦笑いした。その拍子に腕が服に擦れて痛い。


「そうとも限らないかもよ。例えば君が四苦八苦する様を見て楽しんでるのかも」


「俺はおもちゃか!?てかそれお前じゃねえか!」


少しの沈黙を挟んで二人は笑った。ひとしきり笑った後にナナキが袋を見せてきた。


「レイヴ、これ食べる?」


それはオレンジのパッケージのポテトチップスのようだった。
レイヴの表情がパアっと明るくなる。おやつの時間はとっくに過ぎていて、小腹が空いた所だ。


「おっ、コンソメ味じゃん。良いセンスしてるぜナナキ、もらうわ」


片手だけレイヴの腕にかざしたままナナキはポテチの袋に手を伸ばし、中のオレンジ色の薄く切られ、揚げられたジャガイモをレイヴの口の中に運んだ。レイヴの口の中に香ばしい匂いが広がる。その風味は爽やかでまるで柑橘系の匂いが――――――!?
口の中に広がるあまりにもミスマッチな味に幸せそうに綻んだ顔がみるみるうちに歪んでいくレイヴを脇目にナナキが愉快そうな笑顔を浮かべている。


「……ねえナナキさん、ナニコレ。何味なの、ねえ」


「オレンジ味だよ」


ナナキはさも当たり前のように言った。無駄に爽やかな笑顔のままで。


「なんつーもん食わせてくれてんの!?つか、なんつーもん買ってんの!?」


「珍しいものを見つけてついね。酷い味だけどなんか癖になってきたよ」


そんな事を言いつつナナキは柑橘系のポテチを口に運び心底不味そうな顔をしている。その様子はどこか楽しそうなのは気のせいだと思いたい。


「てか、水!!ギブミーサイダー!!」


それより口の中に広がる違和感まみれの後味をどうにかしたいレイヴは頼んだサイダーを求めた。


「ほいよっ」


ナナキはコンビニのビニール袋から透明の液体が入ったペットボトルを取り出すと片手のまま妙に手慣れた仕草で蓋を開けて口先をレイヴに向けた。
レイヴの口先にペットボトルの口が触れる直前。


「ちょい待ち、ラベルを見せなさい」


「疑い深いなぁ」


「さっきの事を忘れたとは言わせんぞ」


ナナキが丁寧に手元のペットボトルのラベルを見せる。
―――よし。正真正銘四ツ谷サイダーだ。
安全確認が取れた。口の中の気持ち悪い余韻が残ったままだったので、我慢ならなかったレイヴは目の前のサイダーを勢いよく口に含む。
口に広がるのは甘味。そして次にあったのはビッグバンだ。口の中で膨れ上がる香りが爆発的に広がる、いや、もはや爆発そのものだった。比喩抜きで。

そしてレイヴは含んだ物を盛大にナナキへぶちまけた。


「く、口の中が弾け、弾け飛……ッッ!!??」


「口の中に入った途端炭酸が10倍の強さになる望術を仕込んでおいた。五工程(クインテットサイン)の仕込み型、増幅望術だよ」


悶絶するレイヴに向かって顔に掛かったサイダーをハンカチで冷静に拭きながらそう言うナナキはすごい満足気だ。具体的に言うと人生の目標をやり遂げ、今生悔いなしという顔、すなわちドヤ顔だった。水も滴る良い男ってか、やかましいわ。


「何を無駄な事に力入れてんだ!!バカ!バカ!ナナキのバーカ!!もう絶対信じない!!」


「無駄じゃないよ」


レイヴの腕をナナキの指が軽く突いた。ヒリヒリとした痛みはもう無い。


「あれ?もう治ってる!?」


「僕の感情を高めて望力を活性化させて治癒効果を高めたのさ。君をからかってね。望力を活性化させればクオリアも望術も効果が上がるのさ」


「サンキュ、でもよ、炭酸望術を仕込むのはあの短時間じゃ無理だろ、誤魔化されんぞ」


「そうだよ、君のケガの有無に関わらずやるつもりだったけどそれが何だというんだい?」


コイツ……、開き直りやがった……ッ!!
なんていうか、レイヴは追及する気がすっかり萎えてしまった。これもナナキの計算の内のような気がするのが恐ろしい。


レイヴにナナキはポテチの袋の口を向けた。どうやら一緒に処理しろという事らしい。見え透いた地雷を買ってくるんじゃない。
レイヴは諦めた様にポテチを口に放り込んだ。
口に広がる味は最初より慣れたがやはり気持ち悪い。
何をどう間違えたらこの味を好めるというのだろうか。


路地裏の影の中でヤモリが人の気配を感じて換気扇の隅に隠れた。程なくして誰かが横切っていく。
その様をレイヴは見逃さなかった。


「なあおいナナキ、今の見たか?」


「?いや何も見てないよ」


「そこの曲がり角からメントがスタタターって走っていったんだ」


ナナキのポテチを貪る手が止まる。あまりの不味さに辟易した訳ではない。


「メントって口腕のクオリアの?」


「そう、そのメント。何だってこんな所に居るか分からないが未知の予感がしないか?」


「……後を尾けるつもりかい?」


「あったりぃ!」


こうして男2人による一人の女性を尾行なんていうデリカシーの欠片もない下手しなくても事案待ったナシの状況が生まれてしまった。
そんな事を考える客観性も本題の筈の望力の鍛錬も好奇心の前に吹き飛んだ。この2人を妨げる物などもはや有りはしなかった。