建物の隙間と隙間、いわゆる路地裏にレイヴは居る。
とは言っても好きでこんなジメジメと埃っぽい場所にいるわけではない。
なんでか知らないが怪しい、というか厳つい典型的なヤンキー三人組に連れてこられたのだ。


モヒカン曰く「無事に帰りたければ有り金全部置いていけ。クオリアが使えないお前じゃ俺達3人には敵わない。一番賢いの行動が何か分かるだろ?」


この状況は言うなれば森の中に一人で丸腰のまま腹ぺこの狼3頭に囲まれているようなものだ。クオリアを使えないくらいに貧弱な望力しか持ちえないレイヴでは正面から戦って勝てる筈も無い。バッグの中の食料を囮にしてそれに狼が夢中になっている内に逃げるしかないのだ。つまり財布を置いていく。レイヴがここから逃げられる唯一の手段と言うわけだ。
よって。


「財布を置いていけば本当に帰してくれるんだな?」


「もちろんだ、約束は守るんだぜ、俺達は」


「へへっ……そりゃありがてえ。なんであれ健康第一だもんな」


「言えてるぜ、分かってんじゃねえかアンタ」



レイヴは徐ろに自らの全財産の入った財布を取り出した。モヒカンが手を差し出しその上に財布が乗せられる、その間際のことだ。


モヒカンの首に棒状のモノが突き立てられていた。声にならない声を上げてモヒカンが喘いでいる。
レイヴが差し出したのは財布じゃない、背中に差していた剣だ。
レイヴは更に剣を差し込みモヒカンの意識を稲のように刈り取った。


「一番賢いのは油断させてこの場をやり過ごす事だ!」


この場で卑怯と叫ぶなどナンセンスの極みだ。複数人で脅迫を掛ける時点でこれはルール無用の喧嘩となっている。
ならば。
レイヴもこの場では自分の流儀に反しない範囲ならなんだってやってみせる。


「なっ」


「テメエ!!」


反抗の意志を見せたレイヴに対してスキンヘッドの男が掌から液体を出す。
レイヴはこれを跳躍してかわした。
液体で濡れた地面やビルの壁が煙を上げて溶ける。


「酸のクオリアか、あっぶねえ」


「馬鹿め、空中じゃただの的だぜッ!!」


酸のクオリアがレイヴを呑み込まんと身体を広げて迫りくる。
今度こそ万事休すか。

否。
酸のクオリアは空振りし、ビルの壁を濡らすに留まった。


「なにぃ!?」


「ウッソだろ!!」


レイヴは壁を蹴り酸をかわしたのだ。それどころか勢いを保持したまま向かいの壁を更に蹴る。これを繰り返しあっという間にビルの屋上まで蹴り上がってしまった。そしてくるっと回って下の二人にあっかんべーをして去っていった。


「あの野郎、コケにしやがって……!おい、どういう事だ、ヤツはクオリアが使えねえんじゃなかったのかコモノ!!」


コモノはブンブン首と両手を振って答えた。


「ひっ、いやレイヴがクオリアを使えない事は間違いないはずです!」


「クオリア抜きであんな動きが出来るか!!」


「そ、それよりレイヴに逃げられますよ!!」


スキンヘッドとコモノがやっとの思いでビルの屋上まで登り上がる。
スキンヘッドの男が真っ先にビルの塀を越えて屋上に着地する。その時に気が付いた。塀の隅にレイヴが潜んでい事を。

スキンヘッドを見るなりレイヴは立ち上がり未だ宙に居る無防備のスキンヘッドに向かってフルスイングをかます。

剣の一振りを受けてスキンヘッドは向かいのビルまでホームラン、とまでは行かないが発泡スチロールがごとく勢いで吹っ飛んでそれっきり動かなくなった。
コモノは呆気に取られる他なかった。


「あっ、先輩!?」


「ようし、これでタイマンに持ち込めたな……」


ようやくまともに戦える。コモノならクオリアが使えなくともどうにかなる。
残った最後の一人、コモノに視線をやる。


「さあタイマンと行こうか、コモノ」


「レ、レイヴてめえ、汚ねえぞ!不意討ちに加えて先輩を容赦無く斬り捨てやがって!」


クオリアを使えない奴を相手に大人数で財布を集っているのに汚いもクソもあるんだろうか。


「ちょっと弁明させて。まず俺はお前の先輩とやらは斬ってねえ」


その証拠にレイヴは手に持った剣の刃先を指でなぞってみせた。
なぞった指からは血が漏れていない。


「コイツは楔剣って言って護身用の刃が無いただ“堅い”だけの棒さ。かっこいい方がいいから剣っぽくしたけど」


「それともう一つ、俺は相変わらずクオリアは使えない。俺の動きを見てクオリアだと思ったんならそりゃ間違いだ。ただ鍛えて出来るようになっただけ」


「ク、クオリア無しであんな身軽にこのビルを登った……?いやいや……」


「こんな街じゃクオリアが使えないと致命的だからさ。鍛錬しなきゃ安心して表も歩けやしない。それに開拓者になるならこれくらい出来ないとな」


「まさかテメエ、俺1人なら勝てるって思ったのか!?」


「どうかな。ただアンタら3人の中じゃ一番どうにか出来そうだと思った」


そう、あの三人組の中で彼だけが口ばっかりだったり、必要以上に威張り倒してたり自信の無さが現れていたように見えたのだ。
教室で一人レイヴに突っかかっていったのもレイヴが逆上して襲いかかる事をしないと知っていたからだ。見た目の派手さも自分に自信の無さを隠すためだろう。


「ぐっ、んぬぬぬぬぬぬ!!」


よっぽど屈辱だったのかコモノの顔を歪んでいく。


「言いやがったなこの野郎!!」


コモノの手の中から野球ボールサイズの火球が生まれレイヴ目掛けて投げ飛ばされる。
レイヴはその場で軽く楔剣を振るい簡単に火球を吹っ飛ばしてしまった。


「なっ……!」


コモノの動きが一瞬驚きで硬直するがその事実を否定するように首を振り、今度は両手から火球を生成しヤケクソ気味に投げまくる。狙いの定まらない火球の嵐の中レイヴは的確に自らを狙う物だけを弾き飛ばしていった。


「そ、そんな……!!」


「もう分かったろ、お前じゃ俺には通用しない」


目の前の確かな壁を見せつけられてコモノが震える。自分の攻撃が通用しない事に恐怖を覚えていた。
レイヴはクオリアを使えない。だからそれを補う為に弛まぬ努力によってそこいらのクオリア使いにも負けない強さを得た。
それは自衛の為だけだけではなく開拓者になる為に培った物だ。虎の威を借る狐でしかないコモノではレイヴに勝てない事は明白だったのだった。


がちゃり、と
屋上の扉が開いた。
現れたのはスーツを着た至って普通のサラリーマンだ。このビルで働いている人のようだ。屋上が騒がしいので様子を見に来たらしい。
それを見るなりコモノが飛び出しスーツの男性に掴みかかる。コモノはこれみよがしにレイヴへ男を見せつけるように、或いはレイヴからスーツ姿の男に隠れるように見せつけた。
男性の表情は酷く引きつっていて小刻みに震えていた。唐突の事に混乱と恐怖のど真ん中にある。無理もない事だった。
コモノは空いた右手から火球を生成するとスーツの男性に向け、下衆な笑みを浮かべた。


「動くなよレイヴ、そのまま右手のブツを放せ。お前みたいなバカは見知らぬオッサンでも傷つくのを見るってのは辛いんだろ!?」




ぱち。
レイヴの表情が消えた。無関心、無感動。こめかみ一つ動かなかった。動きがあるとすれば瞬きくらいだった。
命令を受けた機械みたいに右手を離すと楔剣は乾いた音を立てて地面に転がった。
自分より強いレイヴが自分に従順である事にコモノの心が満たされた。屈服させたという事実が心地よい。


「大人しく言う事聞いて良い子だお前は!!」


コモノはスーツの男に向けた火球をレイヴに向けた。






望術で強化加工されたフェンスに叩きつけられ、コモノがむせ返る。それを見下すは憤怒の炎に燃えるレイヴの双眼。


「お前……ッ!無関係の人間を巻き込んでんじゃあ、ねえぞッ!!」


ぱちぱち。
右の拳で再度コモノの顔を殴る。コモノが小さく悲鳴を上げた。
縁も因縁も無い人間を自分の勝手な都合で貶める事はレイヴにとってなにより許せない事なのだ。
正義とか信念なんていう大仰なものじゃない。寝る前に歯を磨かないと我慢ならないように、耳元で羽虫が飛んでいたら払うように、彼にとっては当たり前の事でしかない。


得物を持たない人間以下の雑魚の拳でガタガタにされた。その事実がコモノの心を抉る。彼の中にあるのは屈辱と怒りと恐怖だった。
コモノが震える手でレイヴ目掛けて火球を放つ。レイヴは避けようとしたが止めた。後ろでまだスーツの男が震えている。だから代わりに胸の前で腕を交差し火球を受け止める。
腕から皮膚の焦げる音と黒煙が上がる。ヒリヒリとした痛みに顔をしかめた。

煙が晴れて次にコモノが視界に入った時にはコモノは隣のビルに移っていた。
コモノの顔がショックを受けたような、屈辱に満ちた顔をしていた。
レイヴに正面から自らのクオリアを食らわせたのにピンピンしている……!という所か。


「ち、ちくしょう覚えてろ!!オレはイグニットさんの派閥に入ってんだ!その俺の先輩を倒したお前はイグニットさんにぶち殺される!ざまぁ見ろ!!」


とっても素敵な捨て台詞を置いてコモノは倒された自分の先輩の事など意にも介さず屋上から飛び降りてしまった。なんか凄いエグさの音と、いってえ!なんて悲鳴が聞こえたが大丈夫だろうか。少しレイヴは心配になった。追う気はない。もうレイヴの気は済んでいた。

―――レイヴにはもっと他に心配するべき事があっただろうに。