「ううっ、何ここ。薄暗いし埃っぽいしジメジメしてるし最悪!!しかも底がさっぱり見えないし!これどこまで続くのよ!ほんっと、無駄に広いッ!
いやっ、なんか踏んだ!」


喚き散らすウィッカの文句が円筒の中を反響する。
コンクリートで出来た空間。その内側から絡みつくように付けられた螺旋階段をレイヴたちは下っている。
照明は螺旋階段に沿って壁に規則正しく取り付けられた物だけしかないため、薄暗い。そのため円筒空間は吹き抜けにも関わらず底が見えない。


「お前、人《メント》の家の玄関にめっちゃケチ付けるな」


「別に魔寄いの森で暮らしているわけじゃないんですが」


メントが困惑した様子でレイヴのツッコミの上から更にツッコミを入れる。


「ちょっとメント、もう少しここ快適にするようお父さんに頼んでよ。こんな空間が作れるならエレベーター付けるくらい簡単でしょ」


「それが難しいんです。
本来、魔寄いの森に行くには地上のビルから地下へ行き、『通路置換《リバーグラウン》』という専用の望術を使って魔寄いの森へ行き来するようになっているんです。

この階段はいわば複数ある裏口の一つで、何かトラブルがあった時にしか使わない。

ろくにお金も掛けずに作られたから環境の悪さもこのせいで、しかもちゃんと整備されずにこの始末……ごめんなさい」


そう言ってメントは頭を深々と下げた。


「ちょ、そんな頭を下げないでよ。メントは悪くないし、私が悪いみたいだし!うう、分かった!魔寄いの森に行くまで我慢する!」


それっきりウィッカが文句垂れる事は無かった。ナナキが楽しそうに笑う。それをウィッカの紅目がジロリ、と睨んだ。


「何がおかしいのよ」


「君って普段は不遜に過ごしてるのに意外と律儀だなって思って」


「私はどこぞの学校最強みたいに誰も彼も見下してるわけじゃないわ。能力を持つ人には相応の敬意を表します。私が不遜に見えるって事はアンタが大したことないって事」


ナナキに指を指してウィッカはきっぱりと言い放つ。


「それは手厳しい事で」


いつもの飄々とした調子でナナキは言う。
やっぱりじゃじゃ馬だ、と口から溢れそうになるのをレイヴは抑えた。


「そういや、あの森はなんで天井からビルが生えてんだ?」


「その辺りの事情なら調べてきたよ、レイヴが寝ている間にね」


レイヴの問にナナキが口を開いた。


「あれは何かトラブルがあった時にいち早く見つけられるようあんな構造になってるんだよ」


「上から見張ってるってのか。魔寄いの森の獣が暴れたとか、部外者が入ってきたとか?」


「それもあるけど、森がちゃんと汚れを吸っているかを確かめるのがメインだ。そもそも魔寄いの森っていうのはね、街の空気清浄機の役目を担っているんだ。排気ガスとか、空気の汚れをこの魔寄いの森が吸い、浄化している。
吸われたガスは木や地面に溜まっていく。木の幹が毒を含んでいるのはそういう事だろう」


「ああ、父さんの会社のサイトに載っている情報ですね」


メントが口を挟む。


「魔寄いの森については一切書いていなかったけどね。君の父さんが社長でこの森を運営している事には驚いたよ」


この事や魔寄いの森への入口が隠れている事からメントの父は森の存在を知られたくないようだ。


「へえ、この森の事を沢山の人に知られるのがそんなに嫌なのかな。観光スポットなんかにすれば人気出そうなのに。『天井に生えるビルから魔寄いの森を見よう!珍獣も居るよ!』みたいにさ。きっと人がいっぱい来るぜ」


レイヴが身振り手振りで語る。


「無理でしょ、あのビルはあくまでオフィスビルなんでしょ。仕事に支障が出るじゃない」


「ははっ、真相はメントの父さんに聞きゃ分かるだろうさ。長い玄関口はもう終わりだ」


ご機嫌にレイヴは指を指す。
その先には重々しい扉から薄く光が漏れていた。


――――――――――――



扉を抜ける。一行の眼前に広がるは野原に生え並ぶ紫の木の幹。ビル郡がさかしまに聳え立った剥き出しの光る岩天蓋は圧迫感を覚える。
レイヴとナナキがここに来るのは二度目だがやはり情報量の多い光景だ。
初めて来たウィッカに至っては異質な世界観に圧倒されている。


「話には聞いていたけど、実際見てみると、とんでもない景色ね。一体どんな発想したらこんな所に森生やしてビル建てる気になったのかしら」


「そいつを知るのが今回の目的だぜ。今度はヤバいやつに因縁つけられるような事はしてないし、じっくり調べられるはずだ」


「しかし万が一、獣やまたイグニット勢力に襲われたら大変です。しっかり警戒しましょう。ホント、無理だけはしないでくださいね」


気張った様子のメントがレイヴらに注意を促す。彼女は以前のイグニット勢力との一件が後を引いているらしい。


「そう言うことなら探知術式を使おう。ウィッカ、壁を借りるよ」


そう言ってウィッカの腰にスカートの如く巻かれた望力の壁を一枚剥ぎ取った。
唐突の事にウィッカは小さく悲鳴をあげた。


「いきなり何すんのよ!!」


反射的に放たれた平手打ちがナナキの頬を打ち、気持ちの良い音が響く。いつになく森がざわめいているのは気のせいだろうか。


「うん、手頃な所に便利な壁があったからつい手が伸びたんだ。壁の一枚や二枚また作れるだろう?」


ジンジンと痛みを訴える頬など気にも止めずにナナキはニコニコ顔で剥ぎ取った壁に望力を仕込んでいく。


「そういう問題じゃない!!乙女のスカートをいきなり剥ぎ取るとかどういう神経してるわけ!?信じられない!!」


「ウィッカ、お前の壁スカートの下はただの短パンだし、そもそもそのスカート透けてるじゃねえか。気にする事ないって」


「ナナキさん、レイヴさん。そもそも女の子の服を剥ぐとか捲るのがアウトなんですよ。風紀委員としても一人の女子としても許し難い行為です」


服を捲ってはならない議題。
女子にとっては下にちゃんと服を着ていようとも捲られたり剥ぎ取られるのは実に不快なのだが、繊細さの欠片のない男共には理解できない。
あまりにも不毛。
男と女の決して分かり合えない悲しき議論であった。


「さて探知術式、出来たよ」


無意味な論争を終わらせたのはナナキの一言だった。
壁の上を光る線が中心を軸にして円を描き、一周する度に壁の上に示された点が移動している。


「ふうん、壁の上に望力回路を通して即席レーダーを作ったのか。私、アンタに壁で望術形成の補助ができるって言ってないし見せてないよね。よく一回で思いついたものね」


落ち着きを取り戻したウィッカが関心した様子で言う。
彼女が優等生と言われる理由の一つは自身の壁のクオリアのおかげで人より望術との距離が近かったからだ。
身近だったからこそ自然と望術構成に触れる機会が多く、クオリア使いとしても望術使いとしても優秀な実力を身に付ける事が出来たのだ。


「真ん中の四つの点は私たちですね。他の点で大きな反応は1、2、3……13個ありますね。範囲はどれくらいなんですか?」


「半径300mだよ。そこそこ大きなサイズのものを対象にしてみた」


女子二人の間からナナキのレーダーを覗き込んだレイヴの表情が怪訝なものへと変わる。


「なあ、このレーダー大丈夫か?周りの点、みんな同じ方向に向かって流れてはじめてるぞ」


反応がレーダーの端から現れては反対側の端り流れて消えてゆく。どれもが一方向に向かって不自然に流れている。


「即席で作ったからミスったんじゃないの?私に言えばもっと精度の良いやつを作ったのに。人のスカート《壁》を剥いでこの程度とかホンット……」


腕を組んで指で貧乏揺すりのウィッカがジト目でナナキに抗議の視線を送る。ナナキは周囲の様子を注意深く探っていた。
獣の声が聞こえる。


「前に来た時この森はもっと静かだった。本当に術式の不具合なのかな」


鳥の羽ばたく音が聞こえる。


「潔く失敗を認めた方がいいわよ。そっちのがアンタの株が下がらないから」


「いえ、確かにいつもより森が騒がしいです。何か嫌な予感がするような……」


木々や草が盛んに擦れ合う音がする。
眉間にしわを寄せ口元に手をやり、レーダーを見るメントが言った。
それを機にウィッカの不機嫌はじわじわと警戒に変わる。
メントにとってこの森は家の庭も同然。彼女の感じる違和感を無視する事はできない。

おい、と言ってレイヴはレーダーを指差した。


「点が一個こっちに来てるぞ。これで術式の不具合か、森の異変かはっきりする」


一行は注意深く点が向かってくる方向を見る。リズミカルに草を踏む音が近付いている。草葉の擦れる音が騒がしい。


「何か、来る」


木々を縫って勢いよく現れたのは軽自動車だ。軽自動車がこちらへ突っ込んでくる。

目を丸くしたウィッカは反射的にクオリアで2m程の壁を盾として展開し、レイヴらは彼女の後ろに隠れた。

軽自動車は壁にぶつかる直前、地面を蹴って『跳んだ』。しかし慌てていたせいなのか壁に後脚を引っ掛け、勢いよく回転しながら弧を描き、木に叩きつけられた。

倒れた『ソレ』は木に叩きつけられた事実など無かったかのように立ち上がる。

ヌーだ。
歪曲した角。逞しい四肢、長い顔。頭からうなじにかけて生える鬣。そして魔寄いの森の生物特有の紫の身体に毒々しい蛍光色の緑の筋。
戦闘の予感があった。
魔寄いの森の獣の共通点は紫の身体に緑のラインだけではない。人間に対する並々ならぬ殺気だ。食事中だろうと寝起きだろうと縄張り争いの最中だろうと彼らは何故か問答無用で襲いかかってくる。


「ナナキのレーダーはおかしくなかった!」


レイヴは勢いよく楔剣を抜き、腰を深くして構える。


「ナナキごめんね!」


やけくそ気味に言いながらウィッカが続く。


「いいよ!」


ナナキが臨戦態勢に入る。


「いえ、待ってください。ヌーの様子が……」


ヌーはこちらをチラリと見た後、慌てた様子で走り去って行った。
その目にあるのは殺気には程遠い『怯え』だ。何かから逃げようとしている逃亡者の恐れだ。


「えっ、何今の。アイツすごい臆病じゃん。聞いてた話と違うんだけど。」


ウィッカは顔にかかる髪を払い、訝しんだ。


「魔寄いの森の生き物が、僕達《人間》から逃げた?」


「違う。それは違いますよナナキさん……!ヌーは私たちを見て逃げたんじゃない!もっと別の……」


風が強く吹いている。あまりにも不自然な風が。


「来るぞ、とんでもねえヤツが―――!!」


強風に目を細めながら、ヌーの見ていた方向を見る。視線の先は上空。巨大な影がレイヴらの若干後方に勢いよく着地した。
あまりの暴風に目は開けられず、各自吹き飛ばされないように踏ん張るので精一杯だ。




『ソイツ』は、口にヌーを咥えていた。既にヌーの息は途絶えていて、ソイツの口から腹にかけて血に濡れている。ソイツは口の中のヌーをいとも容易く噛み砕き、飲み込んでしまった。


「折角の食事が台無しだ。追い払ったはずの人間がまだ残っているなど」


魂にまで響く声で、ソイツは言葉を使う。
毒々しいまでに暗い紫の鱗。蛍光色の双角。タンクローリーのように大きな体躯。鋭い眼光を放つ血走った眼。空気を掌握する重々しき威圧感。他の獣と一線を画す並々ならぬ殺気。
それは魔寄いの森における生態系の突き抜けた頂点。
かつてイグニット勢力を壊滅直前まで追い詰めた怪物。街三天のトップに比肩する災厄。


「何よコイツ!こんなヤバそうなヤツが居るとか聞いてない!!しかもなんでか因縁付けられてるし!!」


取り乱し、誰になく責めるウィッカ。


「僕も実物を見るのは初めてだ。レーダーの反応があまりにも大きい!!」


一瞥されただけでいつもの余裕を失うナナキ。


「俺は見たぜ、遠目から小さくだが確かに見た!魔寄いの森の主!」


震える腕でレイヴは楔剣を構えた。


「最悪です……。まさかこんな早く出くわすとは……。魔寄いの森の主、ベノム・ディーゴ!!」


メントの震える声がソイツの名を叫んだ。