「まだ腹痛え、ソロのヤツ思いきりやってくれやがって……」
「傍から見てて笑ったよ。レイヴには悪いけど」
「だからソロには関わらない方が良いって言ったんですよ」
「だって聞きたいことがあったんだもん」
ソロを中心にした騒動から午後の授業は何も起こらず終わった。
放課後に突入したレイヴ、ナナキ、メントはファースタの街を歩いていた。
「ところで何で私の方に来てるんですか二人とも。帰り道は逆でしたよね。まさか魔寄いの森に行くんじゃ」
「いや魔寄いの森に行くんだぞ」
「僕も同じく」
レイヴもナナキも即答だった。
「いやいや駄目ですよそんな!二人とも一歩間違えたら死ぬところだったんですよ!?」
「大丈夫だって、俺たちが死にかけたのは大体イグニット勢力のせいだし。前は全然探索出来なかったから今度こそ謎を探すんだ。魔寄いの森が存在する理由をさ」
レイヴとナナキは数日前にメントの住む魔寄いの森をひょんな事から見つけ、好奇心の向くままに探索しようとした。
しかしそれは叶わなかった。魔寄いの森を根城にしていた街三天の一つ、イグニット勢力に因縁を付けられたからだ。
彼らとの戦いの中で死にかけたナナキを救うべくイグニット勢力に追われつつもレイヴはメントの補助を受けながら魔寄いの森を奔走した。
結果的にナナキは救えたがレイヴもまた瀕死の重症を負ったために探索をしている余裕が無かったのだ。
「そら、もう魔寄いの森の入口まですぐそこだ」
三人は路地裏に入っていった。
人気の無さはここではない異界への入口を思わせた。ここから先に行けば二度と元の場所には帰れないような感覚。しかしそれはただの錯覚に過ぎない。
好奇心に浮かされた二人を止める術を、何だかんだで控えめなメントは持たなかった。
「やっぱり行くべきじゃないですよ!獣はもう敵じゃないと思っているようですがそういう慢心が危ないんです!それにイグニット勢力も度々ここに現れる!それだけじゃない、お父さんが……。あ……」
説得するメントの言葉が、止まった。
うんうんと頷くだけの二人の注意がメントに向かった。
「お前の父さんがどうしたって?」
「いえ……何でも、ないです。
とにかく魔寄いの森には行くべきじゃない!貴方たちの為にも!回れ右するべきです!」
誤魔化すように首を振って、メントはひたすら反対した。しかし無情にも一行は歩を進めていき、魔寄いの森の入口のある空き地が見えてきてしまった。
「……本当に止めてください。もう魔寄いの森には行ってはいけないんです」
その場に居る誰もが空気が強張り侵食していく感覚を味わった。―――と言っても二人だけだが。
メントは俯いて、自分の身体を抱くようにしていた。
俯いた背中からは口腕《エンゲル》のクオリアが出ている。
「やはり、学校の風紀を守る者として、二人の友達として、ここを通すわけには行きません」
「力ずくでも行かせたくないのか」
レイヴの問いにメントは静かに頷く。
「僕達が危険な目に遭うから?」
「そうです。死にかけた時よりもずっと危険な事が起こります、確実に」
「だって?どうするレイヴ。このまま引き下がる?」
ナナキがわざとらしく首を傾げてレイヴに視線を向ける。
「危険か。上等だ。開拓者ってのは危険の連続、ここで経験を積むのも悪くねえ。魔寄いの森の謎を解く」
「そのために死んだとしても、ですか?」
「構わねえ。悔いを残して生きるくらいなら危ない橋を渡って死んでやる」
自信に満ち溢れた目が眩しくてメントはつい視線を逸らしそうになる。
死ぬ気なんて毛頭ないけどな。とレイヴは付け加えた。
「レイヴが暴走しそうな時は僕が止めるし、危ないことにならないように支援する。だから安心して」
ナナキが自分の胸に手を置いて続ける。
「………………………そこまで、言うのなら。」
何かを期待するように、メントは言葉を絞り出した。
「うしっ!!サンキューメント!」
「ただし無茶だけはしないでくださいよ。少しでも危なくなったら即!脱出してもらいますからね!」
二人に釘を刺すメント。そんな彼女をナナキが押し倒した。
倒れる二人を掠めるのは鋭い牙。
「……ッ!?」
レイヴは見た。
ソイツは脚がなく、身体は紫で地面を這っている。口先からチロチロと舌を覗かせている。目を見張るのは全身を走る毒々しい緑のライン。
「蛇!?しかもコイツのこの異様な殺気は魔寄いの森出身なんじゃねえか!?」
レイヴが咄嗟に楔剣を抜く。
「まずいね、こんな狭い場所じゃ上手く立ち回れない」
ナナキは立ち上がり、クオリアの用意をする。
「とにかく絶対に噛まれてはいけません!並の毒じゃありませんから!!」
メントが口腕を構える。
「ああ、よく味わったから分かるぜ!来るぞ!!」
蛇が流れる川みたいに鮮やかな動きでコンクリートを這う。最初に狙いを付けたのはメントの方だった。
メントは口腕で蛇の身体を掴もうとするがヌルリとすり抜け、自分の身体をバネにしてメントの左腕に飛び掛かる。
メントは咄嗟に半身をずらして蛇の牙を避けた。
蛇の牙から液が空き地に茂る雑草に垂れると灰のような粉になって風となり消えてしまった。少しでも触れればどうなるか想像もしたくない。
「ナナキさん!そっちに行きました!」
蛇は近くに居たナナキへ流れるように距離を詰め首筋を狙う。
しかし、蛇の首をナナキは容易く掴んだ。
「問題ない。既に『意識相対加速』は僕に掛かっている」
意識相対加速、その名を冠する望術の効果は単純に言えば反応速度を上げる。全てのものが遅く見えるようになり精密な動きが出来るようになるものだ。
「動きは止めた、僕のクオリアでとどめをさす」
あくまでも冷静に。
空いた右腕を大きく振り回す。
『自らの動作を溜める』それが彼の能力の一端。この場合、腕を振り回した分だけ運動量が溜まり任意で解放できる。
「終わりだ」
運動量を解放したナナキの手刀が苦しそうにキュウキュウ鳴く蛇の頭を捉える。
が。
それより一瞬早く蛇の尾がナナキの顔を叩いた。
「自分の身体をしならせて鞭のように……!?」
怯んで首を離したナナキに今度こそ牙を突き立てるべく蛇が口を開いた。
「ナナキ!!」
レイヴがナナキを突き飛ばす。レイヴの腕を蛇の牙が掠める。
「うっ?くそっ!!」
左腕から血を垂れ流すレイヴは、慌てて地面を這う蛇を踏みつけようとするが、蛇は身体をしならせひらひらと空中の紙のようにレイヴの足を避ける。シャアッと鳴き、がら空きになったレイヴの首筋目掛けて飛び掛かった。
あっ、と声を漏らした次には頸動脈から毒が流し込まれる。
筈だったのだが。
レイヴの足先ギリギリに壁が降ってきた。
それは丁度蛇の首を巻き込み、切断してしまった。
首から下を失ったというのにシャアッ、と威嚇している蛇の頭を、上から降りてきた少女が遠くに蹴り飛ばした。
ラピスラズリみたいに蒼い髪。レイヴたちのクラスの優等生の一人。壁ガール、ウィッカだ。
「あれが魔寄いの森の獣ってやつ?大したことないわね」
ウィッカは肩を竦めて言った。
「お前、何でここに居るんだ……?」
「私も行くからよ?魔寄いの森」
「そんな、ウィッカさんも来るんですか!?危ないですよ!?」
メントが悲鳴をあげるみたいに言う
「大丈夫、レイヴとナナキのヘッポココンビが生きて帰ってこれるくらいに安全って事でしょ?なら安心して街の地下に茂る森を見れる。
私も気になってたんだ、魔寄いの森。
それよりレイヴ、アンタ蛇の毒食らったでしょ。解毒してあげるから見せなさい」
「おおっ?」
そう言うやいなやウィッカは蛇に噛まれたレイヴの腕をずいっと、自分の方へ引き寄せた。
「この毒、望力を帯びてる。クオリアか何かかな?命拾いしたわねアンタ。あの毒を作り出したのが蛇の体質だったら抗望力が働かずに腕が丸ごと死んでた所よ」
蛇が残したコンクリートの噛み跡は水に付けた綿あめみたいに溶けている。強い酸性の毒だったようだ。それに対してレイヴの傷は少し紫がかっているだけだった。痛みもあまり無い。『抗望力』というあらゆる生命が持つ望力に対する抵抗力のおかげだった。
「そうなのか?前にもっと沢山の毒を浴びたけどなんとか生きてられたぞ、俺」
「いいから、毒抜きするからじっとして」
レイヴの傷跡の周囲に何か文字の刻まれた半透明の壁が現れ、規則正しく並ぶと、レーザーのようなものを傷に照射した。
望術。
望力を様々な要素を用いて調理することで、物理法則ともクオリアとも異なる事象を引き起こす術。
「ん、これで終わり。蛇も死んでたし、望力による毒を殺すのは簡単だったわ」
「サンキュ。てかあれで終わり?もっと大仰な儀式でもするのかと思った」
あんまりあっさりしていてレイヴは拍子抜けした。本当に終わったのかと、実感が追いつかない。
「いやいや、凄いことだよ。少ない記述で大きな効果を上げられるものが望術として優れているんだから。流石ウィッカだね」
ナナキが関心したようで言う。
望術とは身振り、記号、音、時間、形、配置……など様々な要素を正しく組み立て、『儀式』を行い『意味』を表現する事で発動するものだ。
優れた望術とは、無駄を省き、最低限の表現で発動できるもの。手間も時間も望力も掛からないからだ。
「へえー!流石優等生だな!すっごい!」
「凡人でも分かる私の凄さ!ふふふー、もっと褒めていいのよ?」
得意気に胸へ手をやり、誇らしげに笑うウィッカ。レイヴとナナキはそんな彼女を平伏しつつ女王様女神様〜とか言って崇め奉っている。
それを端で見るメントは怪訝な顔をしていた。
(魔寄いの森の獣がこんな所に居るなんて、常識的に考えておかしい。お父さん、どういう事ですか。一体どんな『常識』なのですか)
―――人を傷つけてはならない『常識』は?
「おーい、行くぞメント、お前の家、すなわち魔寄いの森に」
呼ぶレイヴの声でメントは現実に引き戻された。
「えっ、はい!本ッ当にくれぐれも無茶しないでくださいよ!」
レイヴたちは既に魔寄いの森へ続く地下への階段に足を掛けていた。―――三人とも地面に肩から下を埋められているシュールな絵面だったが、これは魔寄いの森の入口を見つけられないようにするためのカモフラージュ望術によるものだ。―――
メントは彼らの元へ小走りで駆けてゆく。