「レイヴ!」


ナナキが叫んだ。
ナナキのすぐ側で、レイヴが首を掴まれ、壁に押し付けられている。


「身の程を弁えろよ末端」


ファースタの都市神は言った。
背骨に沿って首から腰まで氷をぶち込まれたような鋭い殺気。
傍で跪いたままのナナキは息をするのも忘れ、従者であるはずの神官すら冷や汗を滝のように流している。

先程の温和な物言いからは想像も出来ない。まるで一つの身体にいくつも人格があって、唐突に切り替わったような違和感。


「く、あっ」


(こ、殺される……!マジに殺されちまう……!!)


自分の首を掴んでいる男は、本当の本当に都市神ニアルパイオだった。
イグニット勢力を統べるイグニット、学校最強のソロ、他の街三天。全てが束になったとしても決して歯が立たない。不条理じみた強さがあると、レイヴは直感した。
その相手が殺気を放ち自分の首を掴んでいる。
それが死を意味している事は誰の目にも明らかだった。
それでも。


(俺には夢がある……!こんな、事で死んでたまるか!!)


どんな巨大な縄張りを持つ獣であろうとも一目散に逃げ出すような殺気を放つニアルパイオを、真正面から睨み返した。


「おおおおああ!!」


ばりばりばり!!
レイヴの身体から雷光が漏れ出し、ニアルパイオを巻き込んだ。


「ほう?」


悲しいかな、レイヴの雷光を受けてニアルパイオはうんともすんとも言わない。森のマイナスイオンを浴びているようなリラックスした笑みすら浮かべている。


「これしきの望力が、我に通用すると思ったか?」


「っ!!?」


「若さゆえの勢いとやらなのか?あまりに無謀。
だが、我が殺気を受けているにも関わらず、このニアルパイオを睨む精神力は評価せねばなるまい」


ニアルパイオの押しつぶす天井のようなプレッシャーが消えた。それに伴いニアルパイオの手もレイヴから離れる。
尻餅を着いたレイヴを背に、ニアルパイオは存在感を放つ椅子に座った。


「ゲホ!!ゲホゲホ!!」


四つん這いでむせ返るレイヴを一瞥するニアルパイオは先程の威厳と穏やかさを内包した態度に戻っていた。


「これからは礼儀を学ぶのだな。
貴様がファースタの民でなければ、あのまま首を握り潰していた所であったわ」


(噂には聞いていたがこれが都市神なのか……。まさかこれほどまでとは……!)


ナナキは相変わらず口元には薄ら笑いを浮かべているが、滅多に平静を崩さない彼が表情を強ばらせ、肩で息をしている。


「本題に入るとしよう」


脚を組み、椅子にふんぞり返った姿勢でレイヴとナナキと神官を見下し、ニアルパイオは言った。


「単刀直入に言って、我は貴様に神託を告げに来た。手ずから貴様のような末端の所まで来てな!
レイヴとか言う末端、貴様は最近クオリアを発現させたな?」


「ケホッ、えっ?あっはい、確かに一週間前、クオリア使えるようになりましたけど、それが何かあるんです?」


「そうだ。貴様そのものには興味はないが、発現したクオリアには興味がある」


ニアルパイオが右手をかざすと、青白い雷光がバチバチと飛んだ。


「あっ、俺のクオリア!」


「それだけではないぞ」


右手の雷光が引っ込み、代わりに壁のクオリアが現れた。左手もかざすと、そこからは絶対貫通《ハルバード》の白線が生み出された。


「ウィッカにイグニットの……!?流石神様、なんでも出来るんですね!」


「そうだとも。貴様らがこのファースタに居るうちはな」


「どういう事です?」


「何も知らんのだな貴様は。そこは私が説明しよう。ニアルパイオ様、いいですね?」


呆れた様子で神官が言った。
こくりと、ニアルパイオが首を縦に降るのを見て、神官が話し始める。


「ニアルパイオ様を初めとする神と呼ばれる方々は、街に住む生き物から漏れだした望力が集まった存在なのだ。

集まる望力が十人や百人程度なら妖精や精霊程度にしかなり得んが、それも十万、百万となれば規模はそれだけ巨大になる。ニアルパイオ様ら神の偉大な力の正体がなんなのか、分かるだろう」


「塵も積もればなんとやらですね?」


「我が塵の塊と申すか?末端」


軽口を叩いたレイヴをギロリと睨む神の目。
背中に氷をぶち込まれたような殺気に小声ですいません、と呟いた。


「こほん、そして都市神の場合、自らを構成する街の住人全てのクオリアを振るう事が出来るのだ」


「圧倒的な望力量に加えて街の人間全てのクオリアを使う。神様が畏れ敬われる所以だね」


ナナキがしれっと結論をまとめた。


「我が如何なる存在かスポンジのような頭でもある程度は分かっただろう。貴様のクオリアはな、貴重なのだよ」


ニアルパイオが神官と交代した。


「貴重?」


「そうだ、雷光のクオリアは実に強力かつ汎用性の高いもの故に、私はこの能力を欲しいと思っていた。

しかしな、雷光のクオリアを持つ者は珍しいのだ。
雷光のクオリアを持つ者とは、道無き道を切り拓き、人の前を往く者に多く見られる。

そのような性分の人間など滅多に見られぬ。わざわざ道無き道を往くなど頭のネジが数本外れてるとしか思えんような人種故な。

そこに現れたのが貴様という訳だ」


ニアルパイオの目には玩具を手に入れた子供のようなワクワクや高揚感があった。


「貴様は我の大切な資産というわけだ。だから貴様にはもっと自らの望力すなわちクオリアを強化してもらう必要がある」


「ええ、言われなくてもそのつもりです」


「結構、まずは貴様のクオリアに名を付けよう。望力の強化には自らのクオリアがなんであるか定義し、自覚する必要があるからだ。

闇を裂き、先を照らし、道を創り、空を走り、文明を拓く電磁の光。名は『走る雷道《エレグロード》!』」


「エレグロード……。走る雷道《エレグロード》……!」


心に刻みつけるように、
レイヴは神より託された自らのクオリアの名を反芻した。


「くく、我が直々に名付けるなど例外もいい所よ。ありがたく記憶せよ。

して、更に忠告をしておこう。この街に住む者にはくれぐれも気を付けるのだな」


「ええ、ちょっと前までクオリア使えなかったからしょっちゅう襲われましたよ。財布目当てで」


レイヴの返答にニアルパイオはかぶりを振った。


「否、ちょいと歩けば見れるチンピラ風情の話をしているのではない。もっと規模のある組織の事だ。

非合法と呼ばれる組織はファースタの『否定審判』共がろくに機能せず、治安の悪い事を利用し暗躍しているのだ。

貴様のような希少価値の高い末端など容易く付け込まれるであろうよ」


「ご忠告、ありがとうございます。思ったより優しいんですね、ニアルパイオ様」


「当然。このニアルパイオが優しくないはずがなかろう。

……それを抜きにしても、貴様に死なれては困るのだ。だから、万が一貴様が死の際にて諦めぬよう『喝』を貴様に仕込んでおいた」


「それって?」


「先の接触の際、呪望を仕込んだのだよ。貴様が死した場合、魂だけでもファースタに留めておく代物。いわば強制的に地縛霊にするものよ」


「はいい!?ちょ、待ってくださいよ!!?それってどうあがいてもいつか地縛霊になるって事じゃないですか!!」


慌てふためくレイヴを不遜にニアルバイオは笑った。


「そうだ。貴様を永遠に保存しておく。貴様はこのニアルパイオの宝物になれる栄誉を賜るのだ。これが幸福でないはずがない筈だが?」


「そんな!俺は開拓者に―――!」


「くどい、これはむしろ我の慈悲であるぞ。この場で絞め殺してしまった方が手っ取り早いのだからな。

それをしないのは貴様が生涯を掛けて自らを磨き、己が望力を強固にしてもらう必要があるからだ。
死ぬまで精々励め、という事だ、それくらい察せぬか、たわけが」


ニアルパイオはそれだけ言うと途端にレイヴらへの興味を無くした様子で立ち上がった。


「貴様への用はもう無い、行くぞ神官」


「はっ」


神官は立ち上がり、ニアルパイオの元へ行くと、ニアルパイオ共々レイヴたちに背を向けた。


「…ちょっと!」


「ダメだ、止めた方がいいレイヴ。あの方は一度言ったら止まらない」


立ち上がって物申そうとするレイヴをナナキが制した。下手に余計なことを言ってここで死ぬなど、ナナキにとってはつまらない事だったからだ。


「俺の事じゃない、別の事でニアルパイオ様に聞きたい事があるんだ。純粋な疑問ってやつだ」


「ほう?良い、申してみよ」


一度は背を向けたニアルパイオがレイヴの言葉を聞き、レイヴの方へ振り返った。


「陛下は、何故この街の治安を良くしようとしないんですか?治安が悪いと分かっているのに、否定審判をちゃんとファースタに置く事すらしない。これじゃあ陛下が守るべき自分の身体同然の民が傷つくばかりだ」


「ああその事か。我が治安に介入する必要は無い。この街の治安が悪いのは我がそうした。これは人間で言う所の筋力トレーニングと言うヤツよ」


「?」


「ファースタ民がお互いに争えばお互いに強さは増していく。敵に勝つための鍛錬もするだろう。弱者は淘汰され、『強者』だけが残る!この街の平均レベルは底上げされ、我自身も強くなるという訳だ!

お互いに争い、強さを高め合う!それがファースタの方針!強者だけがこの街で生きる資格を持つ!それが好かんのであれば疾くこのファースタから出れば良いだけの事!」


「そんなの、小さな子供とか、ここから出れない人はどうするんだ!」


「貴様、ニアルパイオ様の意向に意見するか!!」


神官が望術の構えを取ったが、その前にニアルパイオが背中で立ちはだかった。


「貴様は何もしなくて良い。我の強さを知りながら不敬を取るなどかえって愉快ではないか」


「……陛下がそう仰るのであれば」


神官は望術の構えを解いた。


「子供が弱いのは当然、死するならそれだけの存在だったにすぎぬ。端数などに一々気など掛けられるか」


レイヴはニアルパイオを睨んでいた。
ニアルパイオとの力量の差は天と地ほどの差があると知っていても、多くの人間を自分一人の為に利用するこの神を放っておけなかった。


「不服であるならば我を超えることだ。万に一つも有り得ぬ事だがな」


力量の差は分かっている。今にも恐怖で屈服しそうだ。そんな思いを押さえ込んで、レイヴはニアルパイオを見据えた。


「ああ、超えてやる、俺は至高の開拓者として、アンタを超えて、この街を変えてみせる」


レイヴの啖呵にニアルパイオは心底愉快に不敵に笑った。


「面白い、精々生き延びて我を超えてみせよ末端」


その次には不敵に笑うニアルパイオと神官の周囲を望術が包み込み、椅子ごと姿を消した。
緊張感は残り香のように依然としてレイヴとナナキを包んだままだった。


「くあーっ!ドキドキした!」


レイヴが言いながらその場に座り込むと、緊張した空気はあっという間に吹っ飛んだ。


「それはこっちの方だよレイヴ!君の事は分かっているつもりだったけどあそこまでの無茶をするとは思わなかったよ!あー、心に刺激」


口では文句を言いながらもジェットコースターを堪能したような満足感のある顔で身体を伸ばしていた。


「わりぃわりぃ、あそこで黙ってはいられなかったんだよ」


「ニアルパイオ様を超えるって、ハッタリじゃないよね?」


「ああ、あれくらい強くならないと太陽の中なんて行けないだろ?
それより学校行こうぜ、遅れちまう」


言って、レイヴは足早とビルの下り階段へ続く建物に入っていった。


「ほんっと、君ってやつは退屈させないね」


ナナキもまた彼の後を追っていく。