生まれ変わった、という言い方はあながち間違いではないのかもしれない。
世界の見え方が変われば本人は変わるし、本人が変われば周囲も変わるものだ。

レイヴという少年は街三天の一角を統べるイグニットとの戦いでクオリアに目覚めてから『あるもの』の見え方が決定的に違っていた。
それは空だ。
空の色というものはラピスラズリのような深い青ではなく、実の所は透明度の高い海のように冴えたエメラルドグリーンだったのだ。
空の見え方とは不思議なもので、クオリアの発現していない子供には全く同じ色なのだが、クオリアが発現した人間には違った色に見えるらしい。例えばナナキだとファースタの空は白が基調ではあるが青、緑、赤など色々な色が入り乱れたものに見えるそうだ。

しかし本当に衝撃だったのは空の色などではない。くっきりとした光の帯のようなものがこのファースタの街を横断していた事だ。それは地上を薄く照らす満月よりも、星を束ねた天の川よりもずっと濃密な光だった。それは朝昼晩問わずファースタを照らし続けていた。
初めてあの帯を見た時、その異質さ、美しさにレイヴは震えが止まらなかった。聞くところによると、あの帯はこの星を囲うような輪っかの形をしているらしい。
唐突に見えるようになったあの帯が一体何なのか、それは―――。


「望力の塊だよ。簡単に言うとね」


ナナキは朝空に横たわる光帯を見上げるレイヴに言った。晴れやかな一日の始まりを告げるように、街を学生や社会人が忙しなく歩き、車も混雑していた。
今日はレイヴの体が治って初めての登校日だ。
レイヴとナナキはいつも通り学校に登校していた。


「望力の塊?あれが?」


「そう、生き物や植物、それにこの星そのものから少しづつ漏れている望力が集まって形成されたものなんだ。オーブエスト・ディオと呼ばれているものなんだけどね」


「へえ、あれが望力の塊ね。なんだってあんなどデカいモンに気付かなかったんだろうな、俺」


「それはオーブエスト・ディオの密度が薄いからだね。あんまり薄いから、クオリアが発現している人じゃないと分からないんだよ。クオリアを持たないカメラやビデオにも当然写らない」


「あっ!しょっちゅう小学校入る前くらいの子が空を見てはしゃいでいたのはそういう事か!それくらいの頃にクオリアが使えるようになるから!」


「そういうことだね。レイヴ、オーブエスト・ディオって、『星神の果実』とも呼ばれるんだけど、なんで『果実』、なんて言われるか分かるかい」


「『果実』?あの帯が果実だって?……いや、そのまま果実ってわけじゃないよな……。星から生まれたから……?」


レイヴは腕を組み、首を傾げて答えた。


「あながち間違いではないかな。でも『果実』って呼ばれるようになった決定的な理由じゃない。
あれはね、生えているらしいんだ。文字通りね」


得意気に言うナナキにレイヴは目を見開いた。


「えっ、何処ぞのガス惑星みたいに完全に浮いた輪っかじゃないの!?」


「望力地質の学者さんが言うには、この星の何処かには、溶岩を噴き出す火山のように、望力を噴き出す巨大な地点があるんだって。

そこから噴き出した望力は根元の方を見れば定まった形ではあるけど、先に行くにつれて樹のように枝分かれしていくんだとか」


「その枝分かれした部分が束ねられて星を囲っているって事だな!だから『生えている』!」


上ずった声でレイヴが結論を出した。


「そういうこと」


ナナキはレイヴの結論に頷き、続けた。


「しかもオーブエスト・ディオは珍しいもので、宇宙全体を通して見ても、滅多にお目にかかれないそうだよ」


「ラッキーだな、そんなものがこんなくっきり見える街に住んでる俺たちは」


「ただね、これは仮説に過ぎないんだ」


そう言いながら、ナナキは人差し指を上に向けた。


「それって?」


「まだ見つかってないんだ。その望力を噴き出す地点ってものが。いや大体の目星は着いているんだけど、その位置が問題でね。

そこは強い吹雪が吹き荒れる極寒の、極めて厳しい場所で、望力を噴き出す地点を探すどころじゃないんだそうだ」


「へえ、存在すると言われながら未だに見つかってない望力の噴出口か……。良いなそれ。ロマンがある!俺達が開拓者になった暁には一緒に探しに行こうぜ!」


目をキラキラさせながら、レイヴは言った。


「そんな答えを期待して言ったんだ!」


ナナキはそう言い、レイヴとハイタッチした。こんな二人を白い目で見る者も居たが、二人の目には入らなかった。
そうやってはしゃぐレイヴの肩を後ろから叩く手があった。振り返ると背の高い帽子を頭に乗せ、スーツをベースにした法衣を纏った男がいた。


「そこのお前、こっちに来てもらおう」


「どうしたんすか?道に迷ったんですか?道案内なら任せて下さいよ!物知りのナナキも居れば俺たちに行けない場所はないですから!なあナナキ!」


なにやら勝手に観光案内する気満々なレイヴを他所にナナキは怪訝な顔で法衣姿の男を見ていた。



「……貴方、神官様ですか?」


「そうだ。我らがファースタの街を統べる都市神ニアルパイオ様がレイヴとやらに会いたいと仰っておられるのだ」


『都市神』の言葉でレイヴの目は怪しいものを見る目になった。


「神様ぁ〜?途端に胡散臭くなったな。ニアルパイオ様っつったら神殿で政治したり、他の街の神様と外交したりで忙しいんだろ?顔出しも滅多にしないし、それがわざわざ俺みたいな小市民に会いに来るか?」


レイヴという少年は一見すると能天気で簡単に騙されるという印象を持たれやすい。
しかし、それは間違いだ。
彼はこの治安の悪い街で生まれてからずっとクオリアも使えない貧弱な望力を宿し、住んできた。
そんな哀れな『弱者』でしかないレイヴを脅かす魔の手などいくらでもあったし、いくらでも凌いできた。
故にレイヴは慎重であった。
そんなレイヴの態度に、神官を名乗る男は心底『不服』だ、という思いで、答えた。


「ニアルパイオ様の意図は私も存じない。だが私はお前の意志に関係なくお前をニアルパイオ様の元に連れていく次第だ」


「そうかよ」


法衣の男はそう言って静かに戦いの構えを取った。
レイヴも反射的に楔剣に手を掛けた。レイヴに合わせてナナキも臨戦態勢に入る。
そうして生まれた耳の痛くなるような静けさは、忙しなく右へ左へと人々の行き交う街に居ながら別の世界に居るようだった。

どちらかがほんの少しでも動いたなら静寂は激しい戦いへと反転するだろう。

レイヴは緊迫した空気の中、ありえない真似をした。
自らの命を預ける楔剣から手を離したのだ。


「得物から手を離した、という事は私の話を信じてくれたのか?」


「いや、アンタの話はやっぱ胡散臭え。
けど、だからこそ気になるんだ。

アンタが神様だのなんだのって本気で言ってんなら神様に会ってみてえし、俺を騙す気なら、どうやって騙して俺を陥れるのか興味がある」


それはレイヴの性だった。
彼自身が関心を抱いたのなら彼は喜んで飛びつく。それが見え透いた罠であったとしてもだ。
この強い好奇心は開拓者を志すレイヴにとって、あって当然のもの。
イグニット勢力の一件のように厄を呼び込む事も多々あるが、それでもレイヴは自らの好奇心に抗おうとすら思わない。

例え確実に自分へ害を成すものでも『関心』があるのなら『何も知らずに去る』事の方がレイヴにとっては苦痛なのだ。


神官は自分が取り抑えようとしている少年の口から飛び出た言葉に唖然していた。
驚きのあまりしばらく言葉が出なかった。
とりあえず咳払いをしてやっとの事で絞り出された一言は。


「相当頭がイカれているらしいな。お前は」


「まあな。大体、こんな往来で戦うのは如何なものかと思うし」


そう言って腕を少し伸ばせば届くような距離を行き交う人々を見やった。こんな所で戦いだせば近くに居た人は巻き込まれて怪我をしかねない。

そんなやり取りを、いつも通り誰かに求められない限り傍観者しているナナキは楽しそうに笑うだけだった。







レイヴとナナキは神官に連れられ、道路の向かい側にあるビルの一角の屋上への階段を登っていた。


「こんなビルが神殿なのか?」


「貴様、不敬であるぞ。ニアルパイオ様がわざわざ貴様一人の為にここまで来られたのだからその寛大さに咽び泣くがいい」


「ここでもそんなノリって事はやっぱ神様の話はマジなのかな?」


「そうだと信じたいね。そっちのが面白そうだし」


軽口を叩いているうちに、いよいよ屋上への扉が見えてきた。


「貴様ら、ここより先は神殿にあらずともニアルパイオ様の御前である!
既に貴様らにニアルパイオ様へ拝謁する許可は出ているが、くれぐれも粗相の無いよう相応の態度で相対するように!!」


レイヴとナナキは小さく頷いた。
神官は扉を小さく開け、入りますと一言。
僅かにだが『許す、入れ』、と何者かの声が聞こえてきた。

屋上への扉がゆっくりと、しかし大きく開かれる。ただのビルの扉に過ぎないと言うのにまるで王の居城に設置された荘厳なる扉のようだ。


二人の眼前にあったのは、装飾に彩られた椅子だ。
半端な人間が座れば存在感に呑まれる。そう思わせる椅子だったが、それすらも上回る存在感で椅子に座る男が居た。

腰まで届く薄い色の髪をオールバックにし、豪奢な衣服、手には植物をモチーフにした杖を手にした男が、頬杖を突いてレイヴらを見下していたのだ。
神官は即座に、彼に向かって跪いた。


「ここに、連れて参りました。時間が掛かって申し訳ありません」


「ご苦労」


地の底から響くような声で男は答えた。


(これは確かに……)


(只者では無さそうだね……!)


そこに居るだけで威圧感を放つこの男、確かに神と言ってもおかしくはない。
小声でコソコソと喋る二人を、神官が睨め付けた。


「貴様ら、何をボヤボヤしているか!相応の態度をしろと言った筈だぞ、この私は!!」


「え?態度って何が?」


「馬鹿者が!一体どこからニアルパイオ様を見ているか!!」


自分一人怒鳴られて、ナナキの方を見るといつの間にか跪いていた。


「跪いたほうか良いのか?」



「跪かなくてはならんのだ!」


「お前はさがっておれ」


怒鳴りつける神官をニアルパイオが制した。穏やかな声だったが、同時に威厳を感じさせる言葉だった。


「レイヴ、と言ったか……。中々にイキが良いではないか」


瞬間、ニアルパイオの姿がボヤけたように、レイヴは見えた。



「かはっ」


次には息が漏れるような音がした。
自分の息が苦しい事に気が付いてようやく分かった。
自分の首が掴まれ、身体ごとビルの壁に押し付けられている事を。息が漏れるような音は自分のものだったのだと。

レイヴの首を掴んでいるのはついさっきまで椅子に腰掛けていた筈のニアルパイオだった。


「貴様、このニアルパイオを見下ろすなど万死に値する罪と知れ……!」


先程の穏やかさからは想像出来ないような、鬼が如く表情で、地の底まで響くような声で、ニアルパイオはレイヴを見据えていた。