レイヴが目を覚ますと、見慣れない清潔な白天井があった。窓からは柔らかな光が差し込む。
どうやら病院のようだ。
壁に掛けられた時計は朝の八時を指し示していた。


「あれ……?イグニットに勝ったのはいいけど、その後ぶっ倒れたはず……」


てっきりイグニット勢力に捕まって酷い拷問に合うかそのまま野垂れ死にかと思っていたので拍子抜けだった。
魔寄いの森のど真ん中に倒れたはずなのに病院に戻っている理由が全く分からない。あの時点で俺は一人だったはずなのに。


「痛っ……」


とりあえず立ち上がってみようとすると身体の節々が傷んだ。腹に至っては熱いと錯覚するような鋭い痛みを訴えていた。


「起き上がらないの方が良いみたいだよ。
身体に穴が空いたり、毒に冒されたりでしばらく死に体だったらしいからね」


聞き覚えのある中性的な声がした。
透き通るような白い髪と白い肌、シャツの下にタートルネックを腕に通した少年。
魔寄いの森で自分を助けて心臓を貫かれた友人がピンピンとした様子で部屋の前に立っていた。


「ナナキ!!」


「うん」


「良かったぁぁぁ!!助かったんだな!」


思わず傍に駆け寄ろうとして、全身が酷く傷んだ。あまりにも痛いのでベッドを転がり回った転がり回るとさらに痛くてもっと転がり回った。
その拍子にベッドから転がり落ちてしまった。


「あいたぁ!?」


「あっ、大丈夫!?」


そう言ってレイヴの身体をナナキは慎重に抱え、ベッドに戻してくれた。

自分の身体を調べると全身が包帯でぐるぐる巻きにされていた。顔も一歩間違えればミイラ男だ。
ナナキの方は携帯望術で誰かに連絡をしているようだ。


「さ、サンキュ。こんな包帯巻きにされたのは久しぶりだ」


「あれから君は三日寝込んでいたらしいからね」


「らしい?」


「僕も昨日の昼に起きたばかりなんだ」


「話はサヴァイヴさんとフィレアさんから聞いたよ。そして、君がイグニットを倒して気を失った後の事も聞いている」


「サヴァイヴとフィレア!?」


「うん。君が至高の開拓者と知り合いって事に驚いたけどね。とりあえず林檎食べる?」


「もらうわ」


ナナキはどこからともなく取り出した林檎をどこからともなく取り出した包丁で剥きながら、いつも通りの飄々とした様子でそれからの事を語った。
それを聞いたレイヴは腑に落ちない様子だ。


「そうか……。サヴァイヴとフィレアが……」


「なんだかスッキリしない表情だね。あれだけ待ち望んだクオリアが覚醒したし、この街で五本の指に入る強敵イグニットに勝てたと言うのに」


「その事は嬉しいさ。嬉しいけど悔しいんだ」


「というと?」


ナナキが弾むような声色でレイヴに歩み寄った。


「開拓ってのはさ、自分の足で家に帰って初めて成功なんだ。そういう意味じゃ俺はぶっ倒れた時点でアウト。なのにサヴァイヴたちが来ちまった」


そこまで言ってレイヴの手は悔しさで震え始めた。


「あの二人は反則みたいなもんなんだ。至高の開拓者が出払ったらどんな問題も瞬く間に解決するに決まってる。

ならぶっ倒れた時点で自分はその程度だったと死んだ方がマシだった」


ナナキは震えるレイヴの肩に手を置いた。


「死んだ方がマシだなんて言わないでくれよ」


レイヴはハッとしてナナキの方を見た。
ナナキは悲しそうな顔をしていた。


「すまん、命を賭して助けてくれたのに失言だった」


「君が自分でやり遂げたいって性格なのは分かっているよ。それが死んだ方がマシって言うくらい強い気持ちだと思わなかったけどね」


ナナキはいつもの爽やかな笑顔で言った。嫌味ではない。その意外性が面白いと言った表情だ。


「冷静に考えたらあの魔寄いの森の事を、俺たち全然分かっていなかったな……ガチで死んでたら気になって化けて出るハメになってたかも」


「君って結構執念深いもんね」


「てなわけで、また魔寄いの森に行くか!あそこの獣たちなら修行相手にもってこいだし、誰も知らない土地について調べるのも開拓者がやる事だからな!」


そう言ってレイヴは上に向かって人差し指をピーンと伸ばした。その拍子にまたも全身に痛みが走って悶絶する。


「そう来なくちゃ。僕もあの森について色々調べてみるよ」


「頼んだぜナナキ」


自分達がどんな目にあったのか忘れたような張り切りっぷり。当然、忘れたわけではない。彼らの好奇心は一度死にかけた程度で止められるようなチャチなものではない。
しかし、わざわざ危険を冒すことを良しとしない人間は当然居るわけで。
例えば、そう―――。


「レイヴ!!」


勢いよくレイヴの部屋の扉が開け放たれるやいなや、男が飛び出してきた。
一目散にレイヴに駆け寄るその男をひらりとナナキがかわした。


「と、父さん!」


「レイヴ、生きているんだな!もう大丈夫なんだな!?」


駆け寄ってきた父に肩をブンブン揺さぶられながら、レイヴは父を引き離した。


「だ、大丈夫だから落ち着け父さん!」


レイヴか父と呼んだ男は黒い制服に身を包んでいた。制服と言っても学生が着るようなものではなく、肩のワッペンや腰に取り付けられた物々しい望術の数々から法務部隊、すなわち否定審判という事が分かる。

ナナキは部屋の隅の壁にもたれかかった。二人の親子の様子を黙って見守る事に決めたようだ。

レイヴの父ことアルターナーは一息着いて、レイヴの顔を見据えた。


「お前、また危険な所に行っていたそうじゃないか。まだ開拓者になんかなろうと考えているのか」


「当たり前だ、諦める気なんかねえよ。俺は開拓者になる」


「なんでだ、こんな死に目にあっておきながらどうして開拓者にこだわるんだ!」


「だから!死ぬ怖さなんか凌ぐくらい開拓がしたいんだってば!それに俺はクオリアを使えるようになったんだぜ、もう心配はいらないんだよ」


「それはサヴァイヴから聞いている。俺がお前の心配しているのはクオリアが使えないからじゃない!開拓は危険なんだ!実際に母さんは―――!」


「それは俺が勝手に父さんたちの開拓に着いて行ったからだろ!」


「違う!お前が悪いんじゃない、責めるべきは誰かを平気で殺せる外道の方だ!そして分かっているだろう、開拓とはあの手の外道に出会いやすい事を!もうお前に危険な目にあってほしくないんだ!」


十年前の忌まわしき事件。それはかつて開拓者だったアルターナーが否定審判の道を行くきっかけとなった事件だ。
開拓先で出会ったあの男達は、自分の息子の命を脅かし、妻を亡くすきっかけになった。
そして男達は未だに捕まっていない。平気で人を殺せる人間を、特に家族を脅かした外道共をアルターナーは許す事が出来なかった。
それはレイヴも理解していた。


「ああ分かったよ、父さんの俺を心配する気持ちはよく分かった。けど、父さんも俺の思いは分かってくれてんじゃねえのか。もう話し合いなんかしても無駄だって分かったんじゃねえのか」


「だったらどうすると言うんだ」


レイヴは深呼吸を一つした。一拍置いて口を開く。


「十ヶ月後、二月にやる開拓者試験を受けさせてくれ。そこでダメなら俺は開拓者をさっぱり諦める」


「へえ……」


傍観者に徹していたナナキの口角が上がった。


「ぬう……」


アルターナーは腕を組んで俯いた。思わぬレイヴの提案に決断を決めかねているようだ。


「良いんじゃないか?その提案」


「うんうん。見てるこっちがもぞかしくなるくらい進展が無かったもんね、レイヴの将来の話は」


窓の方から声がした。
三人の視線が集中する。そこにはサヴァイヴとフィレアが窓から病室に入ってくる所だった。


「ようレイヴ。目が覚めたってナナキ君から聞いたんで飛んできたが、思ったより元気そうでなによりだ」


「傍に居てやれなくてゴメンね?開拓すっぽかした後始末をしてたからさ」


サヴァイヴがベッドのレイヴの頭をくしゃくしゃ撫でた。レイヴはナナキが見ている前で恥ずかしいから止めろ、そんな思いでサヴァイヴの手を払う。

二人がわざわざ窓から入り込むには訳がある。
表から入ると周囲の人間がほっとかないのだ。彼らがあまりにも有名人が故に騒ぎになる。


「アルターナーお前、実の所迷っているんだろう?言葉ではレイヴの身を案じて徹底的に反対しているがその裏でレイヴの望むように生きて欲しいとも思っている」


「その葛藤を晴らせるとしたらそれは君の妻、ミカドちゃんしか居ない。けどそれは無理。ここで八方塞がりになるのならレイヴの話に乗った方が良いと思うけどね、私は」


サヴァイヴとフィレアの説得。
かつての恩師達からのアドバイスでもアルターナーは答えを決めかねているようだ。妻から託された一人息子。解かれぬ重荷がアルターナーの決断を鈍らせている。


「しかし……」


「僕からもお願いします。レイヴが何処へ行き着くのか僕はそれを見届けたい」


ナナキすらもアルターナーに頭を下げて懇願し始めた。


「ナナキ……お前……。……父さん!頼む、首を縦に振ってくれ!でなきゃ俺は一生悔やむしアンタを恨む!」


「レイヴ、お前そこまで……」


アルターナーの右手が俯いた己の顔を抑える。指の隙間からは苦悩する男の顔が覗いていた。
耳が痛くなるような沈黙があった。
数時間のような数秒の沈黙を超えて、アルターナーは頭を上げた。


「……分かった。お前がそこまで言うのなら条件を呑もう」


「本当か!?やったあ!!」


レイヴは身を屈め、両手で全力のガッツポーズを決めた。全身に走る痛みすらも嬉しい。


「良かったねレイヴ!」


「ああ!」


自分の事のように喜ぶナナキと力強いハイタッチを決めた。
そこにフィレアが乱入し、また三人でハイタッチをした。
はしゃぐ三人を遠巻きに見ながら、サヴァイヴはアルターナーに口を開いた。


「不安か?」


「ええ、今にも心臓が飛び出しそうだ」


サヴァイヴの顔は僅かに青ざめ、手は震えていた。心配で心配で仕方がなかった。


「その心配は杞憂だぞ。なにせあの子は俺たちの弟子の子だ。それが開拓者として優秀でないはずがない」


それは口から出任せでなく、本気で言った言葉だった。自信に満ち溢れ、確信めいた言葉。それはアルターナーの手の震えを止めた。アルターナーの心に勇気を灯し、不安を照らす光となった。


「そうですね。こうなったら信じるしかない。俺とミカドの子を。レイヴを信じてやるしか」

幾分かリラックスした様子でアルターナーが言った。
途端、サヴァイヴの右手が光り、振動し始めた。
右手を顔の前に翳すと文字の羅列がサヴァイヴの目に入った。
それを読むなりサヴァイヴは立ち上がった。


「ここまでか。開拓の催促が来た、もう俺たちは行くよ」


「それは残念です。もっと話したいこともあったのですが仕方ない……。ちょうどいいタイミングだし、俺も仕事残ってるんで帰ります」


そう言うとアルターナーは立ち上がり、部屋の出口に向かった。


「レイヴ!くれぐれも無茶はするんじゃないぞ!」


「分かってる!」


アルターナーは微笑むと、病室を後にした。


「おいフィレア、俺達ももう行くぞ!皆が待ってる」


「ええー?もう少しここに居たいのに」


「ダメだ。俺たち開拓をすっぽかしてるんだぞ。まだまだ案件が残ってるしこれ以上開拓先や仲間に迷惑は掛けられない」


「分かったわよ……。二人ともまた会おうね!」


名残惜しそうにフィレアが立ち上がる。
レイヴとナナキもそれぞれ一言さよならの言葉を返した。
サヴァイヴはまた窓から出ようと脚を掛けた。


「ちょっと待った!」


止める声の主はレイヴだった。


「俺はもう二人に頼らない!自分のケツは自分で拭く!そしていつか、アンタらを超える開拓者になる!!」


「俺達を超える、か」


サヴァイヴが噛み締めるように、レイヴの言葉を反芻する。そして、ニッと、歯茎を剥き出しにして笑った。


「楽しみだ!高み《至高》へ必ず来い!レイヴ!!」


「ええ、本当に楽しみ……。ナナキ君、レイヴは知っての通り無茶な奴だから君が支えてやってね!」


「任せて、面白おかしくフォローさせてもらいますよ」


至高の開拓者たちは身体を翻し、窓から飛び降りた。
その際に見えた二人の背中は何よりも大きかった。