スキンヘッドの男は自分が見ている物が現実なのか疑った。
昨日、自分を殴り飛ばした男が、無敵であるはずの兄貴分と戦っている。
あの忌々しいクオリアも使えない男が、自分を殴った棒で兄貴分の無敵のクオリアを弾き飛ばしている。

自分は悪夢を見ているのだろうか。
あの黄色い男はクオリアを持たない訳ではない、兄貴分のクオリアに触れても平気なのがヤツのクオリア。
そんな限定的なクオリアだったからクオリアが使えないとあの男は周囲に思われていた。そうとしか思えなかった。

スキンヘッドの男を含む舎弟たちにとって兄貴分のイグニットは最強のヒーローだ。
どんな困難も兄貴分のクオリアに掛かればあっという間に貫いて道を開いてくれる。
このファースタにおいてイグニットは誰よりも強い。遠くない未来、ファースタの住む者が誰もがそれを認める日が来ると信じて疑わなかった。

なのに。
兄貴分の無敵のクオリアが通用しない相手が居た。
あの黄色い男はここに居る全員で掛かれば倒す程度、訳はないだろう。けれどそんな事は誰一人として出来なかった。
兄貴分は手を出すな、と言った。ならばそれに従わねばならない。

兄貴分は一度は折られた絶対性を取り戻そうとしている。そうする事で自分たちに安心を取り戻そうとしている。この人について行けば絶対に大丈夫だ、と言う確かな信頼を。そこに自分達が割って入る事は兄貴分の面子を潰す事を意味していた。

戦いの行方を固唾を飲んで見守るスキンヘッドの男の元にフラフラと歩いて近付く男の姿があった。


「お、お前!コモノじゃねえか!どうした、ズタボロじゃねえか!」


「へへ、レイヴと戦って負けちまった」


「やけに軽いな」


コモノはまあなと言い、イグニットの戦いに目をやった。そこにはイグニットのクオリアを弾きながら猛進するレイヴが居た。


「レイヴのヤツどうなってんだ!?なんでイグニットさんのクオリアを弾いているんだ!?」


「そうなんだよ、あの野郎色々とおかしいぜ」


「いくらイグニットさんでも流石にマズいんじゃあねえのか……?あの人の最大の強みが封じられちまってんだぜ」


コモノの同胞たちは狼狽えていた。
彼らにとって最大の支えが折られるかもしれない。そんな不安が彼らを包んでいた。


「いいやイグニットさんは負けねえよ。絶対貫通(ハルバード)で貫けないくらいであの人が負けるわけねえ!そうだろ、どんな困難もあの人はクオリア以外でもぶち抜いて来た!今回だって同じに決まってる!」


コモノの言葉はイグニットが負けるかもという予感を否定したいがためではない。
心からの言葉だ。コモノにはイグニットが勝つ確信があった。一度実際にレイヴと戦った為にコモノには分かるのだ。
しかし何か、コモノの心の奥に突っかかる物があった。



レイヴは戦いの中で敵の能力を把握してきた。
イグニットのクオリア、絶対貫通(ハルバード)を一度に出せる数は二発。一度放たれればその軌道を変えることは出来ない。
当たれば恐ろしいが避ける分には問題はなかった。
よってここから生まれる余裕は大胆な行動を可能とする。

白線の弾幕の中でレイヴは後ろに跳び上がり、高いところから木の幹を蹴ってイグニットに向かっていった。


「バカが、空中じゃただの的だぜ」


イグニットがすかさず白線を放つ。
レイヴは楔剣の柄と刀身の端を持ち、白線の上に乗った。
器用にバランスを保ちながらスキーのようにイグニット目掛けて滑り落ちていく。

ぎょっとしたイグニットはすかさず空いた片手からもう一発のクオリアを放った。

それをレイヴはギリギリまで引き付けてから避けて地面に降り立った。白線が左脚を掠めたが気にしなかった。勢いはそのままに胴ががら空きになったイグニットの懐に入る
ばちばちばち!
レイヴの目は見開いていた。それどころか瞳孔すら開いているように見えた。
イグニットに全力のフルスイングをかます。
ナナキと共に戦った際に決められなかった全霊の一撃だ。

イグニットは半ば反射的に身を後方へ逸らした。

楔剣の刀身がイグニットの髪を撫でる。
レイヴは惜しい!という顔をした。それはそれとして体勢を後ろに逸らしたイグニットにストレートの蹴りを浴びせた。イグニットが声を漏らしながら地面を転がる。レイヴは楔剣を両手で掲げて飛び上がり、全体重を乗せて容赦なく倒れ込んだイグニットに楔剣を突き立てた。ズン、と重い音と苦悶の声がした。
レイヴの攻撃は強烈な物だった

鍛錬で元より人並み以上の身体能力を得ていたレイヴだったが、今のレイヴの強さは今までとは異なっていた。
今まではナナキの命を背負い守る戦いだったがその目的は達成された。今のレイヴはイグニットとの戦いを楽しんでいた。何の気兼ねもなく戦いに没頭していた。そこから生じる並々ならぬ集中力で実力の差を埋めていた。

バサバサと鳥が飛び上がった。
ハラハラと木の葉が空を下りた。
ゴクリとイグニットの舎弟が息を呑んだ。

レイヴは呼吸を荒らげながらも一時たりともイグニットから目を離さなかった。イグニットの意識がまだ残っているのか否か、判断が着かなかった。

レイヴの不意を突く形でイグニットの手が開かれた。
白線がレイヴを目指す。
だがレイヴの姿が消え、白線は木の枝をへし折るだけに終わった。
イグニットの目が見開かれる。四つん這いのイグニットの側にレイヴの影が現れ、イグニットの横っ腹を蹴りつけた。イグニットは空き缶のように空中を10m跳び、その先の木に叩きつけられた。


「あぐぐ……」


イグニットは腹の鈍い痛みに悶える中で、レイヴに違和感を感じていた。レイヴは動きに迷いが無さすぎる。
ゆっくりとイグニットは立ち上がった。そしてレイヴに問いを投げた。


「テメエはなんでそんなに迷いが無いんだ……!?頭沸いてんのか!?」


「アンタとの戦いを楽しんでるだけだ」


「うっかり死んだとしてもか?」


「その時はそれまでの人間だったってだけさ」


それが世界の法則であるように黄色い少年は言った。
コイツ異常だ。自分の死を全く恐れちゃいない。生物として欠陥と自分で言ったが想像以上だ。死ぬ事を恐れないなど生物として破綻している。
あの男はイカれてやがる。

ふとイグニットは背中に何かが当たったと思ったら肌が焼け付くような痛みを覚えた。
背中には自分が叩きつけられた木があった。

無意識に一歩、二歩とレイヴからじわじわ距離を取った為だった。
それは恐れだ。自らがレイヴより劣っていると認めた証左だ。

ショックだった。
舎弟たちの前でなんたるザマ。オマエはオマエの舎弟を自らの強さで以てまとめあげる男だろう。その強さをここで、いくらイカれていると言ってもクオリアを使えない馬の骨に折られてどうする。

こちらのクオリアが通用しない?それがどうした。オマエはこの場で最強でなくてはならない。でなければ舎弟たちに示しが付かない。
証明しろ、己の強さを。ここにいる全てに知らしめろ。


「情けねえ、情けねえなオイ……!!」


指を揃えた右手を左の手の平に当てた。
そして一言。


無還手刀(カータナ・イルフバート)……!」


白線が左の手の平を貫いた。
イグニットが苦痛の声を漏らす。


「な、何を!?」


レイヴが驚きと困惑に包まれる。それはイグニットの舎弟も同じだった。


「コイツはテメエをクオリアも使えない欠陥生物と侮り、勝手にビビった自分への戒めだ。
認めてやる、テメエはこと白兵戦においてこのオレが戦ってきた中でも五本の指に入る強さだ。たがそんなもんでこのオレの強さを砕く事は出来ねえ。ソイツをここで証明してやる」



右手から伸びる白線は短かった。ナイフほどの長さしかない。だが白線の伸びるイグニットの二の腕は力こぶを作りプルプルと震えていた。


「テメエの射程距離(リーチ)で戦ってやるよ。その上でテメエを貫く。それがこのオレの強さを知らしめる方法だ」


「サービス良いな。それで負けても後悔するなよ」


「お互いにな」


楔剣と無還手刀がぶつかり擦れ合う。
黒い稲妻が飛び散る。バリバリと音を立てるソレは空間のヒビだ。絶対に貫く絶対貫通()と絶対に傷つかない楔剣()の板挟みになる事で空間に亀裂が走り即座に元に戻る。その際に生じるのが黒い稲妻と紙を裂くような爆音だ。


(重……っ!)


レイヴの楔剣が弾かれた。無抵抗になったレイヴの胸に無還手刀が迫る。
レイヴは身を翻して躱し、ついでに回転の勢いを利用してイグニットを蹴り飛ばす。
イグニットは地面を踏みしめ、衝撃を殺すと同時に距離を縮め、白線のナイフを振り下ろす。

レイヴは真っ向から受ければまた弾かれると判断した。
イグニットの右手の肘を自分の拳で叩き、楔剣の長さを活かして薙ぎ払う。イグニットはこれを跳んで避けた。

見た目通りに考えれば楔剣の方が重く、無還手刀が弾かれるが実際には逆だ。挙句、刃先が小さいので楔剣より無還手刀の方が小回りが利く。
レイヴの独壇場であったはずの距離はイグニットのステージとなった。

イグニットが掲げた白線の右手を振り下ろす。レイヴが楔剣で受け止める。
レイヴの足が地面にめり込む。衝撃で周囲の地面が巻き上がる。


「おオォッ!!」


イグニットが更に力を込める。圧を受けレイヴが20m吹っ飛んだ。今度はレイヴが木に叩きつけられる番だった。
叩きつけられた木は音を立てて倒れ始める。
ばりばりばり!
へし折られた木はあろう事か距離を飛び越えイグニット目掛けて倒れていく。

レイヴがぶん投げたのだ。
自らを押し潰さんと迫る木をイグニットは白い手刀で煙を払うように両断した。

二つに分かれる木の陰からレイヴが現れた。
投げた木は陽動だ。
振り払ったばかりで隙の出来たイグニットを殴る算段だ。

実際に丸腰になったイグニットに楔剣が迫る。
それを、ありえざる白線のナイフが弾いた。


「……っ!?」


イグニットが自ら貫いた筈の左手から右手と同じ白線が伸びていた。


「両刀……!?」


左手から滴る血も気にせずイグニットはレイヴの懐に入り込み、レイヴを真っ二つにせんと振り払った。
レイヴは楔剣を盾にして受け止めるが、不意の一撃ではその程度が精一杯で体勢を大きく崩された。
生まれた隙は致命的だった。

二対の無還手刀が襲いかかる。


「リ、通路置換(リバーグラウン)……!」


レイヴの詠唱の方が一瞬早かった。
無還手刀(カータナ・イルフバート)は空を切るに終わった。

イグニットは舌打ちし、周囲を警戒する。また背後に現れたならヤツの楔剣に殴られるより早く無還手刀(カータナ・イルフバート)で貫いてやる腹積もりだ。


「ズルいぜあの野郎。なんだって絶対貫通(ハルバード)で傷つかないようなブツの癖にあんな軽々と振るえるんだ。こちとらもう手がガタガタだってのに」


無還手刀(カータナ・イルフバート)と言う技は負担が大きい。絶対貫通(ハルバード)は全てを問答無用で貫く。だがその分、白線の密度が大きいため、伸びた白線は重すぎてまず動かせない。そんな白線を限りなく短くする事でなんとか白線を出したままでも動かせるようにした技だ。
それでも非常に重く、それを振り回すとなると腕への負担は計り知れない。






逆しまのビルへ瞬間移動したレイヴがホッと息をつく。
何度負けようとも生きてさえいれば勝てる。そんな考えからなる一時逃走だった。


「な、なんとか間に合ったか、今度こそ貫かれ―――」


レイヴは言い終わらなかった。
ドロリとしたナニかが腹から込み上げてきて、レイヴの言葉塗りつぶした。
次に口全体に鉄の味が広がる。ドロリとした物は口から溢れ逆しまのビル通路を赤く汚した。