嫌だ。嫌だ。嫌だ。
死にたくない。
けれど、何故?
俺には何も無いじゃないか。この先生き長らえて何になる?何も無い。俺は何も持ちえていない。だからきっと、イグニットさんは俺を置いて行ったのだろう。
じゃあいいか。死んだって。


結論を出したコモノの瞳は虚ろだった。
ぼんやりと自分を噛み砕こうとするワニ面の獣を眺めていた。その視界の端に黄色い何かが見えたのは気のせいだろうか。


コモノはゴッ、という音を聞いた。その次には自分の頭にのしかかっていた重みが消えた。起き上がる。そして自分の目を疑った。この場から去ったはずのレイヴがワニ面の獣に楔剣を何度も振り下ろしていた。しばらくしてワニ面の獣は動かなくなった。それを確認したレイヴはコモノに駆け寄り、手を差し伸べた。


「大丈夫かコモノ!!立てるか!?」


コモノはそれを振り払った。


「何をやっているんだお前は。オレはお前を撃ったしお前のダチを殺した一人だぞ!!それを助けるとか頭湧いてんじゃねえの!?」


「そういう事なら心配いらないぞ。ナナキはまだ辛うじて生きてる。俺はナナキを完全に救うために急いであのでけぇ樹に生える実を取らなきゃなんねえんだ」


「そんな事を聞いてんじゃ……てか急いでるのにオレを助けたってのか!?尚更分かんねえよ!!」


「何で助かったのに怒ってんだよ。そっちがわかんねえぞ」


「いいから言えよ!オレを助けた理由を!!こんな何も無いクズを!」


レイヴは困った顔で顎に手を置いた。


「なんで、って言われても……。目の前でお前がヤバかったから。俺と同じクラスの一員だし。それにイグニットの勢力の一人でもある。お前が死んだら悲しまれるだろ。少なくとも俺は気分良くねえ」


「オレは死んで悲しまれる人間なんかじゃない。何も無いんだよ。唯一の取り柄だったクオリアもお前みたいな欠陥人間にすら通用しねえ。イグニットさんにも見捨てられた。オレは居てもいなくても変わんねえんだよ!」


「そうは思えないけど」


「は?」


「イグニットはお前を見捨ててなんかいない。本当にお前の事をどうでもいいと思ってんなら勢力総出で俺一人を付け狙わねえし、ナナキやメントも巻き込まれるような事態にはならねえ。そして昨日の今日でお前を見捨てたりはしねえ」


「じゃあ、今オレが置かれたこの状況はなんだってんだよ」


「さあな、けど、なんか理由があるんじゃねえか?なにかお前に変わってほしい。そんな望みがあるんじゃねえか?でなきゃ大事な舎弟を厳しい状況に置いたりしねえ」


「こんなオレのどこに期待される所があるってんだ。オレには何も無いんだぞ!?食べ終わった空の袋!!ゴミ箱に捨てられたペットボトル!!それがコモノって人間なんだよ!!」


「何も無いなら作ればいい。どんなものであれ価値ってのは作れるんだよ。コモノ、お前は一体何者だ?」


コモノは黙り込んだ。
レイヴはそんなコモノを見て踵を返した。


「時間がねえ、俺はもう行く」


そう言うとレイヴは大樹の元へ走り出した。
コモノは土の空を見ていた。
何者か?オレはファースタ街の住人で、レイヴのクラスメイトで、そしてイグニットさんの勢力の―――。



―――――――――――――――



レイヴは自分の後ろで発砲音を聞いた。
レイヴは首だけ振り返る。
音の発信源はコモノが構えた拳銃からだった。
コモノが拳銃を構えてこちらを見ていた。銃口からは煙を出していた。


「レイヴ、オレが何者かと聞いたな」


コモノが鋭い目でレイヴを睨んでいた。
覚悟を含んだ目。


「オレはイグニット勢力の一人、コモノだ。そしてお前はオレの先輩、同胞をぶん殴った」


瞬間、コモノの手から火が吹き出た。火は拳銃を融かし、あっという間に使い物にならなくなる。ただの鉄くずとなった拳銃が地面に転がる。拳銃を握っていたコモノの手に残ったのは炎。コモノは炎をレイヴに向けて言う。


「だからお前を殺す。オレの譲れないもののために死ねレイヴ」


レイヴは体を翻しコモノに向き直った。
レイヴにとって、今コモノと戦う事にはなんの意味もなかった。それどころか迫る時間の中ではリスクしかない。それでも戦う理由はある。
だってあんな覚悟に満ちた目を見てしまったら背は向けられない。彼の信念と覚悟、それに挑戦を受け止めなくてはならない。
だからレイヴは楔剣を抜いた。
レイヴとコモノ。お互いに譲れないもののために、再び相見える。


レイヴが地面を蹴るのとコモノの炎が飛び出すのは同時だった。


レイヴの足元手前に火球が着弾し煙を巻き上げた。レイヴの足を止めると同時に視界を封じる。
素早くレイヴが横っ跳びで煙の中から出る。


「そこか!かあああああ!!!」


「おぉっ!?」


レイヴを視認したコモノは即座に広げた両手の手首を合わせ、ガトリングガンのように大量の火球を撃ち放つ。濃密な熱と熱がぶつかり合いまるで熱線のようになる。今までより濃密かつ正確な弾幕がレイヴを焦がさんと迫る。

レイヴは臆さない。
楔剣を構え、弾幕に突っ込む。


「だだだだだだだだだっ!!!」


目にも止まらぬ早業で楔剣を振るい弾幕を蹴散らす。楔剣だけでは足りなかったので左手も使い進む。左手が、熱いが気にしない。あっという間に距離を詰めたレイヴは楔剣でコモノの顔面を狙う。

コモノはこれを左腕を盾にして受け止めた。腕からミシミシと嫌な音がする。顔の筋肉が歪む。それでも体勢は崩さなかった。
レイヴの目が見開いた。この機を逃すまいとすかさずコモノが右手に火球を作りレイヴの腹部に叩きつけた。


「うわああああ!!」


火球が炸裂しレイヴが地面に転がり悶える。内臓への衝撃かそれとも焼かれたものか区別のつかないような鈍痛がレイヴの腹を突く。


「そこだ!」


好機と見たコモノが両手で大皿のように大きな火球を作り放つ。
レイヴは腹の痛みを我慢して立膝の体勢で楔剣を盾にして受け止める。コモノは反動で隙があった。レイヴは距離を詰める。


「はぁっ!!」


レイヴはコモノの腹に左の拳を食い込ませた。コモノの腹の底から声が漏れる。
レイヴはこれ以上距離を取らせまいと小さく確かなパンチと蹴りの連撃を叩き込む。

その間にもコモノは次の一手を考えていた。
コモノは殴られながらも手の中に火球を生成し、その場で炸裂させた。余波でレイヴと距離が生まれる。

レイヴが焦り気味にまた距離を詰めようとする。コモノはレイヴの手前の地面へ冷静に火球を撃ち込み煙を巻き上げた。


レイヴは熱くて濃密で無機質で嫌な臭いの煙の中に居た。次々と無差別に飛んでくる火球がレイヴを掠めていく。
煙が晴れ、火球がどこを狙ってくるのか掴めるようになった。同時に火球の狙いも正確になる。
レイヴがこちらをはっきりと狙って飛んでくる火球をバッティングの要領でコモノに打ち返そうとしたら時だった。
頭が、
くらりとした。
目眩がした。平衡感覚が無くなった。火球への対応が遅れ、火球がレイヴの顔面で炸裂した。


「が、あ……っ……!?」


レイヴは地面を捨てられたゴミみたいに転がった。煙を吸いすぎた為に血液が酸素を失い言うことを聞かない。


コモノが直接火球を叩き込まんと無防備になったレイヴに迫る。
だが、
レイヴが動けないのも一時的なものだった。
レイヴの体を循環するのは血液だけではない。僅かながら望力もある。
その望力がレイヴの体の酸素を代替し、再起動させた。

勝利を確信し、油断したコモノの腹に起き上がりざまの蹴りをかますと近くの木の陰に隠れた。


「ぐふっ、隠れたつもりか……!?」


コモノが熱線が如く弾幕を木に撃つ。


(熱に屈して出てきた所を狙い撃ってやる……!)


(……とか考えてるのは想像つくから動けねえ……)


レイヴは肩で息をしながら毒の木の幹に触れるギリキリの所で木の陰に隠れていた。何度も木に火球が直撃しているために空気が熱く、汗が噴き出してくる。このままでは今度こそ本当に一酸化炭素中毒になりかねない。


(し、しかし、強え……!こんな化けるとは正直思ってなかった……!このままじゃ勝てねえぞ、どうする!?)


火球を浴び続けるレイヴの反対側の木の幹は見えないが何度も弾幕を浴びた木の幹は痩せ細り今にも倒れそうになっている様が想像が出来た。この木の幹がレイヴの生命線だ。これが倒れた時、レイヴは炭にされる。
その生命線は正に切れる直前だった。


「オレの勝ちだ!」


コモノは勝利を確信した。
あと僅かで木の幹は焼き切れる。
レイヴに残された道は火球を浴びて死ぬか、肺を煙に侵されて死ぬかだった。
だが、それを嘲笑うかのように木の後ろ側からズン、と重い音がした。
次には木がコモノの方へ倒れだした。


「なっ!?」


木に押し倒されないようにコモノはギリギリの所で左にズレる。
その時だった。倒れゆく木に茂る葉っぱから楔剣を両手で上に構えたレイヴが飛び出した。
コモノが咄嗟に右手に作った火球で迎撃しようとする。
が、既に遅い。


振り下ろされた楔剣はコモノの脳天を撃った。勢いの付いたレイヴは受身を取りながら地面を転がり、落ち着いた所で素早く立ち上がり、肩で息をしながらコモノを見た。
コモノの体の軸がぶれて、背中側から大の字に倒れた。右手の火球は霧のように空へ消えた。


倒れたコモノとレイヴの間には余韻があった。


コモノは単純な事を忘れていた。
真正面から木を抉れば自分に倒れるのは必然だった事を。
レイヴはそれを思いつき木が倒れる直前で木に登っておいたのだ。レイヴ自身、コモノがあんなに簡単に引っかかってくれるとは思いもしなかったが。


コモノがレイヴに降伏の手を上げた。


「ナイスファイト」


レイヴはサムズアップをコモノに送り、ペルテモントの樹へ走った。


残されたコモノは苔とビルの天蓋を見つめていた。


「オレは、負けたのか。悔しいなぁ。」


コモノは屈託のない笑顔を浮かべていた。不思議と心地よかった。それは自分の持てるありったけの全力を出し切ったからだと言うことをコモノはまだ知らない。