全てを貫くはずの白線が突然現れた薄く光る半透明の壁に阻まれた。


「なんだこの壁は!!オレのクオリアでぶち抜けねえってどうなってやがる!!」


「無駄ですよ。その中には何者も入る事は出来ないし中から外に出ることも叶わない。この壁の中は異界へと完全に遮断された隔離空間となりましたから」


哀れ逃げ回る無用の末路(ファトル・ロック・コロンザス) 』とはペルテモントの樹周辺の空間を外の空間から遮断する大望術である。
イメージするなら防御ではなく回避。
通路置換(リバーグラウン)』と同様に魔寄いの森と逆しまのビル郡全体を使って予め構築された術式であるため、望力消費の心配はない。

本来の用途はペルテモントの樹に住む魔寄いの森の主と敵を同じ空間に追いやり、魔寄いの森の主に始末させる事。
邪魔者など秘密裏に処分したい人間を『事故』として葬る際に使用する望術だ。

だが使いようによってはあらゆる敵から身を守るシェルターにもなる。


「空間術式!?ありえねぇだろ!一つ作るのに国を買える代物だぞ!?」


空間に干渉する望術の構成方法はかつては存在したが今では一から組み立てられる設計者が存在しない。半ばロストテクノロジーと化した技術である。

今でも現存している術式をコピー、ペーストを駆使して作る事は出来るがあまりの膨大な情報量に手間と時間と費用がかかる。その額は国を買える程だ。
故に基本的に星から星をワープする際に使われる交易用を除けば作られる事はない。


「ご安心なく。この程度ならそこまで掛からないはずです」


「だからって、どんだけしょうもなくてもこれは空間術式だ!まともじゃねえ金がいる!」


「そうでしょうか?大都会の地下にこんな巨大な森を作れる程の財力があっても?」


「そうか……!テメエこの森を作ったヤツの家族か!」


「ええ。私はこの土地を管理する血族。貴方達の出入りは許可していない。よって今すぐここを立ち去ってもらいます」


「俺達はいくらでも強奪してきたしその為なら不法侵入なんていくらでもやった。とりあえずお前を捕まえて拷問にかけ、あの壁を取り除いてもらう。そしてレイヴの命、頂くぜ」


イグニットが手を伸ばす。絶対貫通(ハルバード)を生む望力が練られる。イグニットの舎弟達が距離を作る。近くに居てはイグニットのクオリアに巻き込まれるからだ。


「そんな事、させる訳がないでしょう」


メントが口腕(エンゲラー)を出す。
メントはここから逃げる訳にはいかなかった。ここを逃げてはレイヴがいつまで経っても遮断された空間から出られない。
一見すると気丈に見えるプルトーだったが足はガクガクと震え、酷く怯えていた。
イグニットは怖い。だが怖いのはそれだけではなかった。

お父さんの許可も無く勝手に処刑用の術式を使ってしまった。常識を外れてしまった。私はいけない子だ。お父さんはきっとすごく怒る。
けれど。

メントは自分の思いを訂正するように頭を振った。

これで良かったのだ。
お父さんに怒られるのは怖いけど代わりにクラスメイトが助かるのだからお釣りが来るくらいだ。
次の日に教室でナナキが死んだと告げられる悲しみを思えばこんな事は屁でもない。
昨日まで、お父さんの定めた常識に囚われてきた自分では決して考えられない事だ。
ナナキが心臓を貫かれるのを見て、何かが私の中で変わった。
自分が自分じゃなくなったみたいで不思議な気分だった。

メントは足の震えを止め、イグニットを見据えた。
口腕(エンゲラー)では絶対貫通(エンゲラー)に勝てない。それでもレイヴが実を手に入れるまでの時間くらいは稼いでみせる。


臨戦態勢に入り、睨み合うイグニットとメント。


「戦う前に一ついい事を教えてやろうか?」


口を開いたのはイグニットだった。


「多分、俺の舎弟が一人あの壁の中に居るぜ」


「なっ……!?」


メントが動揺を見せた瞬間、絶対貫通(ハルバード)が発動した。


――――――――――――――――


レイヴは走り続けた。振り返る事すらしなかった。
メントの話通りなら彼女はとっくに逆しまのビルに逃げ込んだ筈だ。けれど、もしそうでなかったら。イグニットたちと今も戦っているのなら、もたもたなんてしてられなかった。


乾いた音があった。運動会で馴染みのある音が遮断された空間内に響いた。
レイヴの体が、ぶれた。

レイヴが地面を転がる。
左の背中が熱い。無意識に右手で抑える。
ドロリとしたイヤな触り心地。地面に赤いモノがボタボタと落ちる。

ペルテモントの樹を映すレイヴの視界の左側から誰かが現れる。
オカッパ頭にボーダーのシャツ、昨日と違って首に巻かれたマフラー。そして右手に持つ黒い鉄のL字型をしたシルエット。


時間は僅かに遡る。
コモノは一人でペルテモントの樹周辺をさまよっていた。
レイヴがこの森で一番大きな樹に向かっていると同胞から連絡が入ってからイグニットと共にペルテモントの樹の麓に居た。
しかしレイヴの詳しい現在地の連絡が入って、そこに向かう途中でイグニットとはぐれてしまったのだ。


「イグニットさん速すぎ……すっかりはぐれちまった……獣に襲われたらどうしよう……」


コモノは子鹿のように震えて近くにあったなんでもない岩の側でうずくまっていた。


「一人で何かするなんてオレには無理だ……。クオリアも使えない人間に負けるんだぞ、できてサポートが精一杯に決まってる」


コモノの頭の中でイグニットの一人で何かやってみろ、という言葉が反芻されていた。


「今なら多少は何とかなるとは思うが」


ズボン後ろのポケットに手を突っ込む。そこから取り出したのは一丁の拳銃だった。


「はあ、コイツをあの時にぶち込んでやれたならこんな事にはならなかったってのに。ああそうだ、こうなったのはアイツのせいだ。オレがこんなに自信を失ったのも、こんな所でうずくまってんのも、こんなにも気持ちが晴れねえのも全部レイヴが悪いんだ!!」


そう考えると無性に腹が立ってきた。ムシャクシャしたついでに近くの木へ銃弾を撃ち込もうとした時だった。

視界の端に動くものがあった。何か来る。獣かもしれない。怯えながら咄嗟に岩陰に隠れて何者か確認する。
黄色い服、黒い髪。昨日から何度も見た忌々しい顔が遠くから走ってくる。
レイヴの走る方を見る。例の大樹があった。
そこからは早かった。
コモノは拳銃を構え、レイヴが自分の方にもっとも近くへ来たタイミングで引き金を引いた。

銃弾はレイヴの左側の背中に当たった。


「はは」


レイヴが地面を転がった。


「ははっ!はははははははははっ!!」


コモノは笑っていた。
レイヴが地面を転がるのを見て心が踊った。溜まりに溜まったドス黒い気持ちが晴れていく感覚が気持ちよかった。

コモノが軽やかなステップでレイヴの前に出る。そして右手の拳銃をレイヴに見せつけるように突き出した


「この弾丸効いたか!?効いたよなァ!?ハァー!!たまんねえ!昨日からずっとこうしてやりたかったんだ!!ほら泣き叫べよ!!うずくまってるだけじゃつまんねえだろ!!?俺様に苦しんでる顔見せろやオイ!!」


レイヴが声も無く顔を上げる。理想通りの苦痛に歪んだ表情だ。しかし同時に軽蔑と哀れみが混ざっていた。
レイヴ自身はそれを隠したつもりで


「お前さ、悪い事言わないから早くここから出た方がいいぞ。……訂正。今ここから出られないから、しばらく隠れた方がいいぞ」


脂汗を垂らしながら、あろう事かコモノの心配をした。
それが酷くコモノの癪に障った。


「なんだよその顔は!?素直に苦しめ!!オレをイラつかせんなよ!!」


コモノがレイヴの顔に引き金を引く。
それより一瞬速くレイヴが右手を柱にして跳ね起き、後方へ跳んだ。


「やるしかねえか」


楔剣を抜き、左手を揺らしながらコモノへ向かって真正面に走り出した。だがその目はコモノよりずっと先、ペルテモントの樹を見ている事にコモノは気付きもしなかった。


「バカが!この銃弾はオレのクオリアより小さくなによりずっと速い!!受けきれねえぞ!」


狙いを定めてコモノはまずレイヴの右足を狙った。ヤツの足を奪って抵抗出来なくしたらその時に初めて自分のクオリアで嬲り殺しにする。
そういう算段だった。
なのにレイヴは容易く拳銃を弾いてコモノの懐に入り、コモノを上空へ殴り飛ばした。
しばらくして、コモノはぐしゃり、と地面に落ちた。


レイヴは成長していた。限られた時間の中で幾度も飛び道具を使う敵と死闘を演じ続け、何処に攻撃が来るか正確に見切れるようになっていた。

そのレイヴも流石に銃弾を背中に浴びたのは応えたのかその場で膝を着いた。
レイヴはコモノに背を向けたままボディバッグから応急処置用の望術が込められた札を取り出し、弾の直撃した部位に札を当てた。
それだけで緑色の光が札から漏れる。
しばらくすると血が止まった。
力を失い、応急処置用の望術がただの紙っぺらになる。レイヴはそれを趣に捨てるとコモノの事など居なかったように歩き出そうとした。


「待てよ」


コモノが呼び止める。


「なんで、反応出来た」


レイヴは踏み出そうとした足を止めさえしたが、振り返らなかった。


「お前の撃つのが遅かったから目線を見てどこ狙ってくるか予想できた。もしイグニットに撃たれてたら反応出来なかったと思う。俺は銃なんて使った事ないけど、もうちっと自信持って俺を見据えて撃てばよかったんじゃねえか?そもそも、銃なんか使った時点でお前は俺に勝てかった」


そう言うとレイヴは再び走り出した。
イグニットは地面の土を抉り、握りしめていた。


「自信自信ってなんだよ……!なんでお前がイグニットさんと同じ事言うんだよ……!!自信ってなんだよ!そんなのねえよ!くそっ!俺にはなんにも無いんだ!唯一の自信だったクオリアもクオリアすら使えない奴に通用しなかった!こんな俺の何処に自信を持てってんだよ!ちくしょう!!」


コモノが泣くように叫ぶ。あるいは本当に泣いていたのかもしれない。けれど慟哭は誰にも届かない。
いや。
届いた者は居るには居た。けれどその言葉を受け止める能力の無い者だった。

コモノは顔から地面に突っ込んだ。
後ろから何かの足で抑え込まれた。唸る声がする。
涎が顔のすぐ側に落ちる。酷い獣の臭いがした。
顔を抑え込まれたので目線だけを獣の方へ向ける。視界の端に映ったのはワニの顔だ。ワニと言うには随分と足が長い。シルエットは馬に近いと言えるかもしれない。顎は見るからに強靭。ここに来るまでに幾度の物を噛み砕いてきたと分かる。


「あ、ああッ!!?離せ!離せよ!嫌だ!!死にたくないッ!!」


じろりとワニ面の馬が顔を近づける。ホッチキスみたいな口を開き、顔を近づけた。
立ち上がろうと必死にもがくが、ビクともしなかった。それがコモノの冷静さを奪い、絶望に落とし入れた。


「助け、助けて!!先輩!先輩ッ!!俺はここに、こかに居るんだ!!」



鳥よけみたいな歯が迫る。上顎と下顎にコモノの顔が挟まれかける。
コモノには半狂乱で助けを求める事しか出来なかった。それでも不思議な事に、この状況を後ろから眺める冷静な自分が居た。
何が悪かったのだろう。
魔寄いの森にはイグニットさんが居る時しか行かなかったのに。一人じゃこうなる事が分かっていたのに。レイヴに下らない執着を拗らせたから?自信がなんなのか分からないから?
自分を信じるってなんだ?自尊心は人一倍あるはずなのに、自信が無いと言われるのはなんでだろう。
……どうでもいいか。
どうせコモノという人間には何も無いんだから。