辺りはすっかり暗くなり、苔の出す光は地上の月明かり程にまで弱まっていた。ペルテモントの樹へ1km歩けば着く場所にある樹の下で、イグニットの舎弟が二人でレイヴを探していた。
「実際に戦ったヤツらの話じゃレイヴのやつはあのデカい樹の周辺に居るらしいが全然見かけねえな」
口を開いたのは馬面に整えられた顎髭を生やした男だ。
「本当に来てるんかね。正直言って勘弁して欲しいよな。ここマジでやべえ獣がうろちょろしてるし、さっきも俺、危うくミンチになる所だったしよ」
ふっくらした体付き、低めの身長の男が自分の汎用機能望術に送られたレイヴの写真を見ながら愚痴を漏らした。
「なんとか助かったもんな、オレのおかげで。オ、レ、のおかげで。後でちゃんと何か奢れよ」
したり顔で髭面の男が『オレのおかげ』の部分を強調して言う。
「はあ、分かったよ、二千ゴル以内な」
しぶしぶ低身長の男が了承した。
「何だかんだ言って俺ら、イグニットさんに付いてってるよな」
「あの人には世話になってるしな。イグニットさんは帰りたかったら帰っていいって言ってるけど、やっぱ無碍に出来ねえわ。同胞殴られてるし」
「さあて、とっととレイヴを見つけてイグニットさんの元まで引っ張ってやろうぜ。そんでお前に奢ってもらう」
「へいへい」
和気藹々と話す二人だったが、髭面の男がすぐ側にあるの木の上から何か音がすることに気が付いた。音のする方へ面を向けると、木の上からこちらを見つめるメントと楔剣を構えて飛び掛かるレイヴの姿があった。とっさの事だったので髭面の男は対応出来ずにレイヴのフルスイングを喰らい、身体を吹っ飛んだ先にあった木で強く打った。髭面の男はバウンドするように地面を転がるとうめき声をあげ、意識を失った。
「お、お前はレイヴ!」
レイヴの姿を見るなり低身長の男は開いていた汎用機能望術に手を伸ばす。メントは彼が何をしようとしているのかすぐに理解した。
「レイヴ君の位置を他の人に教える気です!」
「させるか!」
レイヴは足元の小石を蹴って低身長の男の汎用機能望術を操る手にぶつけた。
「いって!!この野郎!」
逆上した低身長の男がこちらに手を伸ばすと水の大砲がレイヴへ発射された。レイヴの前にメントが飛び出る。
メントは背中から口腕を出すと手を握るように水の砲弾を食べてしまった。
「は?」
「お返しします」
口腕から水の弾丸が持ち主の低身長の男へ飛び出す。
「がああああ!!!??」
困惑する低身長の男は為す術なく自分のクオリアを喰らい、倒れた。
メントのクオリア、通称『口腕』は背中から現れる望力で構成された腕だ。望力と望力だけで構成された物を喰らい、自分の望力に変えたりそのまま吐き戻す事が出来る。
実体を持つ物は口腕に触れてもホログラフのようにすり抜ける。ただし生き物など望力を帯びたものはすり抜けず、触る事が出来る。
濾過装置のようなものだ。望力という名の不純物だけを取り除く性質を持つのが口腕のクオリアなのだ。
「こいつら、俺達がペルテモントの樹に向かっているって知ってるみたいだな。道理でそこら辺にいっぱいイグニットの舎弟がわんさか居るわけだ」
レイヴが白目を向いて倒れた低身長の男を見下ろす。
通路置換とメントの存在により、スムーズにペルテモントの樹との距離は目と鼻の先にまで縮まっていた。
飛び道具系のクオリアはメントの口腕の望力喰らいで対応し、
獣の群れに囲まれたなら通路置換で天井から生えるさかしまのビルを繋ぐ通路を使ってやりすごす。
レイヴは負担やリスクも以前と比べて一目で分かるほどに減っている事を実感していた。
だがペルテモントの樹の目前にまで来て不自然にイグニットの舎弟達の姿が増えたため木の上に隠れてやりすごしたり奇襲を掛けねばならない状況が増えたのだ。
「となるとイグニットも近くに居ると考えた方がいいですね……」
「案外何とかなるんじゃねえか?メントのカッコイイ口腕のクオリアでイグニットの線を食べちまえばいい」
「そうもいかないみたいです。父さんが口腕でもイグニットの絶対貫通はどうにもならないと言ってましたから」
「そ、そうか……。流石|街三天≪アントラグル≫の一角……。結局見つからないようにするしかないって事か……。いやそんな事気にしてても始まんねえ、行くぞ!」
「はい!!」
二人が再びペルテモントに向かい始めた時の事だった。
「居たぞ!あそこだ!!」
「やっぱりか!あっ、見ろ!!二人やられてるぞ!」
「あいつらの悲鳴でどこに居るか分かったんだ、あの二人に感謝しなきゃな!!」
ペルテモントの樹の方面から掘り当てられた源泉のように続々とイグニットの舎弟が現れる。
「う、嘘だろ!?なんかすげぇいっぱい居るぞ!?200…500…いや……」
総勢1000人。
本当に避けるべき事態は二つだけではない事をレイヴは失念していた。
正にこの状況こそが避けるべき三つ目の最悪の状況だった。いや、他の二つの事態を差し置いて明確に最悪と呼べる状況と言っても過言ではない。
イグニット単騎ではない、全員が揃ってこそのファースタを裏から統べる三大勢力。
真正面から彼らと戦える勢力はこの街だけで考えると他の勢力と、都市神ファズマードとファースタ支部の否定審判くらいのものだろう。
「やっぱりあのクソでかい樹の方に来たか。二時間ぶりだなレイヴ。また会えて嬉しいぜ……!!」
レイヴたちの真正面、一番奥にヤツは居た。
紅葉色のバンダナ、橙色の髪、白いタンクトップ、赤い短パン。絶対貫通《ハルバード》の死神が口を歪ませて言った。
「イグニット……!!」
「……!!」
レイヴもメントも数歩ジリジリと後ろに下がった。あんなにも行きたかった大樹が、ペルテモントの実がすぐそこにあるにも関わらず。
イグニット勢力が間に居るだけで1kmもない距離にある筈のペルテモントの樹が水平線のずっと向こうにあるように思えた。
「くっ……、メント!一旦逆しまのビルに逃げてやりすごすぞ!」
「いえ、イグニットたちが私たちの目的を知ってる以上、時間を無駄にするだけです!」
「じゃあどうすんだよ!イグニットだけでもヤバいってのにあんな大人数は相手に出来ねえぞ!!」
僅かな沈黙があった。
メントは震えだした手を抑えて言った。
「私に策があります……!イグニットたちを倒さなくともレイヴだけがその先に行ければ後は私がなんとかします!」
「お前声も体も震えてんぞ!イグニットを含むあの大人数をどうにか出来るとかとんでもなくやべえリスクがあるんじゃねえのか!?」
「大丈夫、死にはしません。そのとっておきを使ったら私はすぐに逆しまのビルへ逃げますから。確かに彼らを止めておくだけの相応のリスクはありますがナナキさんを救えるのなら安いものです」
メントが強がりの笑みで言う。
レイヴは深く息を吐いた。
「俺はメントもナナキも俺自身も皆が無事に明日を迎えられるのが望みだ。その上でもっかい聞く。本当に、大丈夫なんだな」
「はい」
レイヴが目を閉じる。
メントの返事は覚悟を含んだ重みがあった。
レイヴにはそれが心配だった。
それでも、メントのとっておきに賭けなければレイヴもメントもナナキも全員が笑い合える日は二度と来ないだろう。
故にレイヴにはメントの言葉に嘘偽りが無いと信じる他なかった。
そう。
とことんまでメントを信じる。一縷の疑念も持たない。彼女の全てを受け入れる。
決意を固めたレイヴは目を開いた。
「……分かった。メントの提案に乗る。俺はとにかくあの軍勢の先へ行き事だけを考えればいいんだな」
「ええ、行きましょう。レイヴさん」
レイヴはこくり、とメントに頷いてイグニットの統べるファースタ街の最大勢力を見据える。その眼には迷いも恐怖も無かった。
「うおおおおおお!!!」
雄叫びを上げてレイヴが走り出す。それにメントが続く。
1000人もの軍勢も走り出す。
聳えるイグニットの舎弟の陣から飛び道具の雨が振リ注ぐ。
「任せてください!」
メントが前に出てクオリアの雨を口腕《エンゲラー》で食べ、正面の舎弟達に食べたクオリアを放出する。そこに穴が出来たのをレイヴは見逃さず、突っ込んだ。
激突。
イグニットの舎弟達が水鉄砲を浴びた砂のように蹴散らされていく。
レイヴは舎弟たちを踏み台にして着実に前へ進む。迷いの枷を外したレイヴは数の暴力にも負けないくらい強かった。
メントは口腕で直接舎弟達を薙ぎ払ったり、敵の出したクオリアを掴み取り、蹴散らしながら進む。度々敵の攻撃が当たりはしたが二人ともほとんど 怯まなかった。気迫の猛進で突き進む。
飛び道具の数はめっきり減った。目立った大技も飛んでこなかった。
周囲の仲間を巻き込まないためだろう。
特にレイヴたちの正面、一番奥に立つイグニットのクオリアは全く飛んでこなかった。舎弟を巻き込めば致命傷になりかねないからだ。
皮肉にも仲間意識の強さが枷になっているようだ。ここまでの集団戦闘の経験など無いと言う事はこのお粗末な陣が物語っていた。
この状況にイグニットが眉間にシワを寄せ、貧乏揺すりをしている。
仲間への思いやりの強さは認めるべきだろう。
メントは無鉄砲に突き進むレイヴに放たれた火炎の柱を生む種を食し、適当な場所に放り投げた。程なくしてどこかで火炎の柱がそびえ立ち、悲鳴が上がる。
それを背にメントは少しだけ、思考の海に揺蕩っていた。
これでレイヴへの攻撃を防いだのは何回目だろう。
レイヴがあんなにも我武者羅に突き進めるのは私を信頼しているからなのだろう。
共闘どころかお互いにまともな絡みがあったのは今日が初めてだ。なのにどうしてあの黄色い少年は私の事を信頼出来るのだろう。
そんなレイヴという少年は私の目には輝いて見えた。まるで暗い宇宙《ソラ》を照らし、道を示してくれる恒星のように。
彼は明るくて温かい人で、一緒のクラスに居るのに、あんなにも遠くて。それでもこんなクラスの隅に居るような私を今日一日で簡単に信頼してくれている。
だったら。
私も、私を信頼してくれるあの人を信じたい……!!
陣の最後列のすぐ手前までレイヴたちは来ていた。この陣を守る最後の層は低く構えるガタイの良い男。レイヴがこの男を、すなわちこの陣を抜ければ後はメントがどうにかするという算段だ。
レイヴが楔剣を振りかざし、力いっぱいガタイの良い男に振るった。しかしガタイの良い男はレイヴの楔剣を掴み、後方へ放り投げた。しかし、レイヴは決して楔剣を離さなかった。よってレイヴ自身も後方へ吹っ飛ぶ事になる。
「レイヴさん!」
しかしすぐにメントが飛び上がり、レイヴの体を掴んだ。お陰で5m程度後ろに下がっただけで済んだ。
ここまで来て振り出しに戻ってたらと思うだけで恐ろしい。
「大丈夫ですか!?」
メントがレイヴを降ろす。降ろされたレイヴはメントに手を上げた。メントがその意味を理解するのに時間がかかったがしばらくして分かった。
メントも同じように手を上げ、レイヴとハイタッチをした。
「ああ、アイツ強えな!タイマン張っても勝てないかも……!」
「じゃあ二人で行きましょう!」
「そうだな!よしメント!俺を口腕で力いっぱいぶん投げてくれ!!」
「そんな乱暴な!?せめて私の口腕を足場にして飛んだ方がいいかと!」
「じゃあそうしよう!」
レイヴが高く飛び上がり、メントが口腕でレイヴの足の裏に強く張り手をかました。
「いっけええええ!!」
メントの全霊の張り手にレイヴが自身の蹴りを加える。
二人の思わぬ行動に最後列を守る猛者達も対応できなかった。
ついに疾風の如くレイヴが最大勢力の織り成す陣の上を通り越した。
しかしまだ終わりではなかった。
抜けたそのすぐ先、レイヴの正面下にイグニットが居た。
「数分ぶりィ……」
「ッ……!!」
念には念を。イグニットは予めレイヴらが抜けてくる進路を先読みし、回り込んでいた。
愉快と言った表情でイグニットはレイヴに狙いを定める。
空中に居るレイヴはこれを逃れる事は出来ない。空を自在に動ける望術も存在するが当然ながらレイヴにそんなものを使う知識も技術も望力も無かった。レイヴは今やただの動く的だった。
イグニットの絶対貫通《ハルバード》がレイヴに向かってゆく。
そして、イグニットもレイヴも驚きに目を丸くする事になった。
(もっと、もっと遠くに……!!)
突然、レイヴの体が急激に加速し、絶対貫通《ハルバード》の軌道から外れたのだ。
戦いの最中、メントが食した風のクオリアを彼女はここで放った。それが意図せずレイヴの身を救う事になった。
苔むした地面に不時着したレイヴは後ろも振り返らず走った。
「逃がすか!!」
イグニットもレイヴにクオリアを放ちながら追いかける。絶対貫通がレイヴを捉え、彼の後頭部を撃ち抜かんとした瞬間だった。
「術式展開。用途消失。救いは無し。故にもはや行き場もなし。逃げ場遮られる籠。道は一つなれば。森の主に葬られるのみ。みっともなく無様に惑え。
―――――逃げ回る無用の末路(ファトル・ロック・コロンザス)!」
予め始めていたメントの詠唱が完了した。
ペルテモントの樹を中心とした周囲に四角形の壁が生え、全体を箱のように包んだ。
イグニットの絶対貫通が、壁に遮られ無に消えた。レイヴは現れた箱の中に居た。
「実際に戦ったヤツらの話じゃレイヴのやつはあのデカい樹の周辺に居るらしいが全然見かけねえな」
口を開いたのは馬面に整えられた顎髭を生やした男だ。
「本当に来てるんかね。正直言って勘弁して欲しいよな。ここマジでやべえ獣がうろちょろしてるし、さっきも俺、危うくミンチになる所だったしよ」
ふっくらした体付き、低めの身長の男が自分の汎用機能望術に送られたレイヴの写真を見ながら愚痴を漏らした。
「なんとか助かったもんな、オレのおかげで。オ、レ、のおかげで。後でちゃんと何か奢れよ」
したり顔で髭面の男が『オレのおかげ』の部分を強調して言う。
「はあ、分かったよ、二千ゴル以内な」
しぶしぶ低身長の男が了承した。
「何だかんだ言って俺ら、イグニットさんに付いてってるよな」
「あの人には世話になってるしな。イグニットさんは帰りたかったら帰っていいって言ってるけど、やっぱ無碍に出来ねえわ。同胞殴られてるし」
「さあて、とっととレイヴを見つけてイグニットさんの元まで引っ張ってやろうぜ。そんでお前に奢ってもらう」
「へいへい」
和気藹々と話す二人だったが、髭面の男がすぐ側にあるの木の上から何か音がすることに気が付いた。音のする方へ面を向けると、木の上からこちらを見つめるメントと楔剣を構えて飛び掛かるレイヴの姿があった。とっさの事だったので髭面の男は対応出来ずにレイヴのフルスイングを喰らい、身体を吹っ飛んだ先にあった木で強く打った。髭面の男はバウンドするように地面を転がるとうめき声をあげ、意識を失った。
「お、お前はレイヴ!」
レイヴの姿を見るなり低身長の男は開いていた汎用機能望術に手を伸ばす。メントは彼が何をしようとしているのかすぐに理解した。
「レイヴ君の位置を他の人に教える気です!」
「させるか!」
レイヴは足元の小石を蹴って低身長の男の汎用機能望術を操る手にぶつけた。
「いって!!この野郎!」
逆上した低身長の男がこちらに手を伸ばすと水の大砲がレイヴへ発射された。レイヴの前にメントが飛び出る。
メントは背中から口腕を出すと手を握るように水の砲弾を食べてしまった。
「は?」
「お返しします」
口腕から水の弾丸が持ち主の低身長の男へ飛び出す。
「がああああ!!!??」
困惑する低身長の男は為す術なく自分のクオリアを喰らい、倒れた。
メントのクオリア、通称『口腕』は背中から現れる望力で構成された腕だ。望力と望力だけで構成された物を喰らい、自分の望力に変えたりそのまま吐き戻す事が出来る。
実体を持つ物は口腕に触れてもホログラフのようにすり抜ける。ただし生き物など望力を帯びたものはすり抜けず、触る事が出来る。
濾過装置のようなものだ。望力という名の不純物だけを取り除く性質を持つのが口腕のクオリアなのだ。
「こいつら、俺達がペルテモントの樹に向かっているって知ってるみたいだな。道理でそこら辺にいっぱいイグニットの舎弟がわんさか居るわけだ」
レイヴが白目を向いて倒れた低身長の男を見下ろす。
通路置換とメントの存在により、スムーズにペルテモントの樹との距離は目と鼻の先にまで縮まっていた。
飛び道具系のクオリアはメントの口腕の望力喰らいで対応し、
獣の群れに囲まれたなら通路置換で天井から生えるさかしまのビルを繋ぐ通路を使ってやりすごす。
レイヴは負担やリスクも以前と比べて一目で分かるほどに減っている事を実感していた。
だがペルテモントの樹の目前にまで来て不自然にイグニットの舎弟達の姿が増えたため木の上に隠れてやりすごしたり奇襲を掛けねばならない状況が増えたのだ。
「となるとイグニットも近くに居ると考えた方がいいですね……」
「案外何とかなるんじゃねえか?メントのカッコイイ口腕のクオリアでイグニットの線を食べちまえばいい」
「そうもいかないみたいです。父さんが口腕でもイグニットの絶対貫通はどうにもならないと言ってましたから」
「そ、そうか……。流石|街三天≪アントラグル≫の一角……。結局見つからないようにするしかないって事か……。いやそんな事気にしてても始まんねえ、行くぞ!」
「はい!!」
二人が再びペルテモントに向かい始めた時の事だった。
「居たぞ!あそこだ!!」
「やっぱりか!あっ、見ろ!!二人やられてるぞ!」
「あいつらの悲鳴でどこに居るか分かったんだ、あの二人に感謝しなきゃな!!」
ペルテモントの樹の方面から掘り当てられた源泉のように続々とイグニットの舎弟が現れる。
「う、嘘だろ!?なんかすげぇいっぱい居るぞ!?200…500…いや……」
総勢1000人。
本当に避けるべき事態は二つだけではない事をレイヴは失念していた。
正にこの状況こそが避けるべき三つ目の最悪の状況だった。いや、他の二つの事態を差し置いて明確に最悪と呼べる状況と言っても過言ではない。
イグニット単騎ではない、全員が揃ってこそのファースタを裏から統べる三大勢力。
真正面から彼らと戦える勢力はこの街だけで考えると他の勢力と、都市神ファズマードとファースタ支部の否定審判くらいのものだろう。
「やっぱりあのクソでかい樹の方に来たか。二時間ぶりだなレイヴ。また会えて嬉しいぜ……!!」
レイヴたちの真正面、一番奥にヤツは居た。
紅葉色のバンダナ、橙色の髪、白いタンクトップ、赤い短パン。絶対貫通《ハルバード》の死神が口を歪ませて言った。
「イグニット……!!」
「……!!」
レイヴもメントも数歩ジリジリと後ろに下がった。あんなにも行きたかった大樹が、ペルテモントの実がすぐそこにあるにも関わらず。
イグニット勢力が間に居るだけで1kmもない距離にある筈のペルテモントの樹が水平線のずっと向こうにあるように思えた。
「くっ……、メント!一旦逆しまのビルに逃げてやりすごすぞ!」
「いえ、イグニットたちが私たちの目的を知ってる以上、時間を無駄にするだけです!」
「じゃあどうすんだよ!イグニットだけでもヤバいってのにあんな大人数は相手に出来ねえぞ!!」
僅かな沈黙があった。
メントは震えだした手を抑えて言った。
「私に策があります……!イグニットたちを倒さなくともレイヴだけがその先に行ければ後は私がなんとかします!」
「お前声も体も震えてんぞ!イグニットを含むあの大人数をどうにか出来るとかとんでもなくやべえリスクがあるんじゃねえのか!?」
「大丈夫、死にはしません。そのとっておきを使ったら私はすぐに逆しまのビルへ逃げますから。確かに彼らを止めておくだけの相応のリスクはありますがナナキさんを救えるのなら安いものです」
メントが強がりの笑みで言う。
レイヴは深く息を吐いた。
「俺はメントもナナキも俺自身も皆が無事に明日を迎えられるのが望みだ。その上でもっかい聞く。本当に、大丈夫なんだな」
「はい」
レイヴが目を閉じる。
メントの返事は覚悟を含んだ重みがあった。
レイヴにはそれが心配だった。
それでも、メントのとっておきに賭けなければレイヴもメントもナナキも全員が笑い合える日は二度と来ないだろう。
故にレイヴにはメントの言葉に嘘偽りが無いと信じる他なかった。
そう。
とことんまでメントを信じる。一縷の疑念も持たない。彼女の全てを受け入れる。
決意を固めたレイヴは目を開いた。
「……分かった。メントの提案に乗る。俺はとにかくあの軍勢の先へ行き事だけを考えればいいんだな」
「ええ、行きましょう。レイヴさん」
レイヴはこくり、とメントに頷いてイグニットの統べるファースタ街の最大勢力を見据える。その眼には迷いも恐怖も無かった。
「うおおおおおお!!!」
雄叫びを上げてレイヴが走り出す。それにメントが続く。
1000人もの軍勢も走り出す。
聳えるイグニットの舎弟の陣から飛び道具の雨が振リ注ぐ。
「任せてください!」
メントが前に出てクオリアの雨を口腕《エンゲラー》で食べ、正面の舎弟達に食べたクオリアを放出する。そこに穴が出来たのをレイヴは見逃さず、突っ込んだ。
激突。
イグニットの舎弟達が水鉄砲を浴びた砂のように蹴散らされていく。
レイヴは舎弟たちを踏み台にして着実に前へ進む。迷いの枷を外したレイヴは数の暴力にも負けないくらい強かった。
メントは口腕で直接舎弟達を薙ぎ払ったり、敵の出したクオリアを掴み取り、蹴散らしながら進む。度々敵の攻撃が当たりはしたが二人ともほとんど 怯まなかった。気迫の猛進で突き進む。
飛び道具の数はめっきり減った。目立った大技も飛んでこなかった。
周囲の仲間を巻き込まないためだろう。
特にレイヴたちの正面、一番奥に立つイグニットのクオリアは全く飛んでこなかった。舎弟を巻き込めば致命傷になりかねないからだ。
皮肉にも仲間意識の強さが枷になっているようだ。ここまでの集団戦闘の経験など無いと言う事はこのお粗末な陣が物語っていた。
この状況にイグニットが眉間にシワを寄せ、貧乏揺すりをしている。
仲間への思いやりの強さは認めるべきだろう。
メントは無鉄砲に突き進むレイヴに放たれた火炎の柱を生む種を食し、適当な場所に放り投げた。程なくしてどこかで火炎の柱がそびえ立ち、悲鳴が上がる。
それを背にメントは少しだけ、思考の海に揺蕩っていた。
これでレイヴへの攻撃を防いだのは何回目だろう。
レイヴがあんなにも我武者羅に突き進めるのは私を信頼しているからなのだろう。
共闘どころかお互いにまともな絡みがあったのは今日が初めてだ。なのにどうしてあの黄色い少年は私の事を信頼出来るのだろう。
そんなレイヴという少年は私の目には輝いて見えた。まるで暗い宇宙《ソラ》を照らし、道を示してくれる恒星のように。
彼は明るくて温かい人で、一緒のクラスに居るのに、あんなにも遠くて。それでもこんなクラスの隅に居るような私を今日一日で簡単に信頼してくれている。
だったら。
私も、私を信頼してくれるあの人を信じたい……!!
陣の最後列のすぐ手前までレイヴたちは来ていた。この陣を守る最後の層は低く構えるガタイの良い男。レイヴがこの男を、すなわちこの陣を抜ければ後はメントがどうにかするという算段だ。
レイヴが楔剣を振りかざし、力いっぱいガタイの良い男に振るった。しかしガタイの良い男はレイヴの楔剣を掴み、後方へ放り投げた。しかし、レイヴは決して楔剣を離さなかった。よってレイヴ自身も後方へ吹っ飛ぶ事になる。
「レイヴさん!」
しかしすぐにメントが飛び上がり、レイヴの体を掴んだ。お陰で5m程度後ろに下がっただけで済んだ。
ここまで来て振り出しに戻ってたらと思うだけで恐ろしい。
「大丈夫ですか!?」
メントがレイヴを降ろす。降ろされたレイヴはメントに手を上げた。メントがその意味を理解するのに時間がかかったがしばらくして分かった。
メントも同じように手を上げ、レイヴとハイタッチをした。
「ああ、アイツ強えな!タイマン張っても勝てないかも……!」
「じゃあ二人で行きましょう!」
「そうだな!よしメント!俺を口腕で力いっぱいぶん投げてくれ!!」
「そんな乱暴な!?せめて私の口腕を足場にして飛んだ方がいいかと!」
「じゃあそうしよう!」
レイヴが高く飛び上がり、メントが口腕でレイヴの足の裏に強く張り手をかました。
「いっけええええ!!」
メントの全霊の張り手にレイヴが自身の蹴りを加える。
二人の思わぬ行動に最後列を守る猛者達も対応できなかった。
ついに疾風の如くレイヴが最大勢力の織り成す陣の上を通り越した。
しかしまだ終わりではなかった。
抜けたそのすぐ先、レイヴの正面下にイグニットが居た。
「数分ぶりィ……」
「ッ……!!」
念には念を。イグニットは予めレイヴらが抜けてくる進路を先読みし、回り込んでいた。
愉快と言った表情でイグニットはレイヴに狙いを定める。
空中に居るレイヴはこれを逃れる事は出来ない。空を自在に動ける望術も存在するが当然ながらレイヴにそんなものを使う知識も技術も望力も無かった。レイヴは今やただの動く的だった。
イグニットの絶対貫通《ハルバード》がレイヴに向かってゆく。
そして、イグニットもレイヴも驚きに目を丸くする事になった。
(もっと、もっと遠くに……!!)
突然、レイヴの体が急激に加速し、絶対貫通《ハルバード》の軌道から外れたのだ。
戦いの最中、メントが食した風のクオリアを彼女はここで放った。それが意図せずレイヴの身を救う事になった。
苔むした地面に不時着したレイヴは後ろも振り返らず走った。
「逃がすか!!」
イグニットもレイヴにクオリアを放ちながら追いかける。絶対貫通がレイヴを捉え、彼の後頭部を撃ち抜かんとした瞬間だった。
「術式展開。用途消失。救いは無し。故にもはや行き場もなし。逃げ場遮られる籠。道は一つなれば。森の主に葬られるのみ。みっともなく無様に惑え。
―――――逃げ回る無用の末路(ファトル・ロック・コロンザス)!」
予め始めていたメントの詠唱が完了した。
ペルテモントの樹を中心とした周囲に四角形の壁が生え、全体を箱のように包んだ。
イグニットの絶対貫通が、壁に遮られ無に消えた。レイヴは現れた箱の中に居た。