レイヴが目を開くと、薄暗い天井が目に入った。目を凝らして見ると木製の家のようだ。レイヴは壁際のベッドで眠っていた。

首を右に回すと大小、形の様々なペンダントや装飾の凝った紫の鏡、理解不可能の記号で埋め尽くされた紙切れなど、様々な怪しい物が机や床に散乱している様が見えた。壁の証明が紫色の得体のしれない明かりで部屋を照らしている。樹の扉はその周囲だけ物が無いのでかえってよく目立つ。

しかしこの家、何故か窓がない。イグニットに捕まって閉じ込められたのだろうか。
いや、そんな事より。


「ナナキ!!」


レイヴが勢いよく起き上がった。同時に全身が悲鳴を上げ、顔をしかめた。
そこへ低い女の声がした。


「無理はするな、処置はしたが治りは完璧ではない。しかしこの私の望術の効き目が薄いとはどういう事やら」


それは壁から透けるようにぬるりと現れた。それは女だった。
染め上げたみたいに黒く腰まで伸びた、くせっけのある髪。ゆったりとしたローブ。ナナキにも負けないくらい白い肌。薄く笑う口元。穴のように黒く吸い込まれそうな鋭い目。恐ろしく端正な顔立ち。
レイヴは彼女が壁から出てきた事や醸し出す胡散臭さもあって警戒していたが同時に興味もあった。この女の姿形に何故かどうしようもないデジャブを感じていたからだ。


「俺はレイヴ!アンタ何者だ!?それとナナキはどうした!?あれからどれ程時間が経った!?ここはどこだ!?」


名乗りは適当に、目の前の女へ問うた。すぐにでもこの既視感の正体を暴きたくて仕方がなかった。それはそれとしてナナキがどうなったかも知りたかった。
それと時間や場所も。レイヴは焦っていた。


「中々に威勢の良い名乗りだが、質問が多いな」


「いいから全部答えろ」


女はベットの上で高圧的に言うレイヴに顔と顔がくっつきそうなくらい近づいて言った。


「私はプルトー、ここで望術専門店を開いているしがない望術師だよ。そして貴様のお友達は無事だ。今の所はな」


「今の所……?今の所ってどういう事だよ!?」


自らをプルトーと名乗った怪しい女にレイヴは声を荒らげた。


「はは、まるで私が何か良からぬ事をした態度。私はそんなに胡散臭いかね。」


プルトーは茶化すような大きい手振りで私は何もしていませんよとアピールをした。
レイヴには真剣な自分との温度差を感じ、それが不快に感じた。


「馬鹿な事言ってないでナナキに会わせろ、容態も言え」


「注文が多いねえ。私もお前に聞きたいことは山ほどあるんだが、そこはお前の事情を優先して大人の余裕というものを見せてやろうじゃないか」


軽口を叩いてプルトーはレイヴをナナキの元へ案内し始めた。


廊下の壁や床、天井までみっちり謎の記号や望術の記された紙切れで埋め尽くされていた。それらが何を意味する術式かは皆目見当も付かない。


「お前達が我が工房に迷い込んだのは二時間前の事だ」


「に、二時間!?本当にナナキは生きているのか……!?」


「だから生きてはいると言っているだろう。実際生きているのを見せてやると言っているのだから待て」


「そ、そっか。あんたはすげえ怪しいけど、これだけは言っとく。俺達を助けてくれてありがとう」


「よく言えました。客人が訪ねるなど久しぶりで私も柄にもなくテンションが上がってしまったのだよ。何せ生の人間の実験体など久しいからな」


あっさりかつはっきりと倫理的にアウトな言葉を吐いたプルトーに向かってレイヴが距離を取り楔剣を向けた。やっぱりコイツはヤバいやつだ。


「そう身構えるな。今の私のマイブームは物を直す、あるいは作る事。壊すのは単調すぎてとうの昔に飽きた。というわけで余計な心配などする必要はないぞ」


「本当だろうな……?」


あまりにも怪しい。認めたくないがナナキがまだ生きている事すら疑わしくあった。心臓を失った人間が二時間も生き続けるなど聞いたこともない。

思案している内にプルトーがなんて事のない扉の前で歩みを止めた。


「ここにご所望の友人が居る。これで非生産的な疑いも晴れよう」


扉の先には確かにナナキが部屋の中心の寝台で眠っていた。貫かれた心臓の部分は宙に浮かぶ文字や幾何学模様が幾重にも重なって書き殴った落書きのようになっていた。


「このぐっちゃぐちゃな望術でナナキの命を保ってんのか」


「そうとも。私がその臓器生成術式を考案したのだが良い実験台が居なかった。表に出てきて誰かを攫ってくるのも良かったのだが、あまり目立ちたくない。そこでどうしたものかと考えあぐねていた所にお前やこの少年が私の工房に落ちてきたのだ」


「ツッコミいいか?」


「どうぞ、ご自由に」


「一つ、本当にこれはナナキなんだろうな?俺は岩みたいな大熊が心臓をぶち抜かれて即死した所を見た事があるぞ。言葉にしたくないがあのまま放っといたらナナキは間違いなく死んでいた……」


レイヴの言葉がフェードアウトするように小さくなって聞こえなくなる。そしてしばらく沈黙があった。

プルトーが一瞬、頬を膨らませたかと思うと次には身体を曲げて。


「く、はははははは!!!それは本気で言っているのか!?ははは!人間とただの畜生を同列に語るとか!はははは!!!ただの小僧と思ったがその実、道化であったか!!」


いっそ気持ち良いくらいの爆笑だった。
レイヴは突然の事に目を白黒される事しか出来なかった。
一頻り笑い、落ち着くとプルトーは指を鳴らした。すると天井からコップ一杯分の水が滴り落ちる。落ちた水はプルトーの顔の高さまで留まった。プルトーはそれに口を付けるとストローを吸うような感覚で飲み、あっという間に水は無くなってしまった。

なんで笑われたのか理解できないレイヴはとりあえずプルトーを睨む事にした。とんでもない凄腕それに気付いたプルトーはこう言った。


「ああ、お前も何か口に入れる物を欲していたか。気がついてやれなくてすまんな」


その次には樹の床がせり上がり二つの椅子とテーブルになった。出来上がったテーブルの上には何故か既に箸と皿があって、その上には肉と野菜の炒め物と香ばしい香りのスープ、それにチョコレートの塗られた食パンが用意されていた。
プルトーは出来上がった椅子に座り、パンをかじった。


「話も長くなりそうだし座れ、テーブルの上の物は遠慮なく食べるといい。」


レイヴはプルトーを睨むのを止めていることにすら気が付かなかった。


「なんだなんだお前のクオリア、机だけならともかくなんだって料理の載った皿まで出てくんだ!?」


「私がいつクオリアを使った?」


プルトーが怪訝な表情で言う。
レイヴもそれを聞いて顔をしかめた。
何の準備もなしに望術を使った?


「じゃあなにか?それも望術だってのか!?儀式なしで!?」


「そうなるな。私程の凄腕望術使いになるとクオリアを行使するように望術を扱えるのだ。術式の簡略化も極めればクオリア同然に放てる」


レイヴには納得できなかった。
ありえない。望術とは世界に望力を絡めたアプローチで物理法則を歪める事だ。アプローチ抜きで望術を行使する事など矛盾している。それはクオリアと呼ばれるはずの現象だ
一工程《シングルサイン》で出来ることなどたかが知れている。だのに零工程?そんなものは聞いたことがない。だが目の前でプルトーは実際にやってのけた。どれほど正確でも未だに実行されていない理論よりもあまりにも常識離れしていようとも現実の方が説得力がある。


「それじゃあアンタのクオリアって何なんだ」


「語るに値しないつまらんクオリアだよ。こうやってわざわざ望術を作り、使った方がよっぽど有意義な程度にはな。ところでさっきから何を突っ立っている。遠慮なく腰掛けテーブルの上の物は遠慮なく食べて良いと言ったはずだ」


「すぐ隣で手術してんのに食えるか!!」


「ああそこ気にするんだ」


プルトーは意外そうな顔をして言った。


「倫理観と言うものは人と人が繋がるには便利だが、技術や知識の追求の妨げとなる物だ。気にしすぎてはお前も停滞するぞ」


「嫌だ、人としてそれは駄目な気が」


言いかけた所でレイヴの腹が鳴った。


「そら食え。しのごを言わず食え。いくら綺麗事を並べようが腹は減るものだ。それにお前は怪我人、壊れた身体を治す材料は多ければ多いほど良い」


「ぐぬぬ……」


返す言葉が見つからなかったレイヴは観念して椅子に座った。そして並べられた料理を観察していた。床から生えてきた料理とか怪しすぎる。


「これ人の肉とかそんなオチは無いだろうな……」


「案ずるな、ただの豚肉だ」


プルトー曰く豚肉と野菜をセットでつまみ、恐る恐るレイヴは口に運ぶ。
こんな変人女が作った料理だ、タダの料理では終わるまい、と覚悟してたのだが…….。


「普通に美味い」


拍子抜けだった。こういうのは極端に不味いか美味いみたいなイメージがあった。しかし飛び抜けているわけではないがそれなりに美味かった。奥ゆかしく深みのある味付け、甘みのある肉と野菜のコンビネーション。本当に何の変哲もない料理だ。変わった事があるとすればなんでか妙に懐かしい気分に襲われる事か。


「ほほう、それは何より。口元が緩んでいるな。懐かしさを感じリラックスできるよう調整してみたがお前でも効果ありらしい。良かった良かった」


レイヴのほっこりしている様を見てプルトーはニヤニヤしてる。なんだか手玉に取られているような……。レイヴはムスッとした顔で話を戻した。


「そ、そんな事より本題だ本題!えっと、なんで熊の話で笑ったんだよ」


「ああ、お前の無知っぷりに思わずな。お前には色々と教授してやれねばなるまい」


プルトーは机に突っ伏し、なんだかんだ言って野菜炒めにがっつくレイヴに言った。


「お前の友人の、ナナキだったか?アレが心臓を失ってなお生きていたのは魂と肉体の結び付きが強かったが故だ。この結び付きというのは自我《エゴ》の強さに比例する。知性が高ければ高いほど自我は高くなる傾向にあって、まあ例外はあるが―――」


「長い、シンプルに」


スープに手を付け始めたレイヴが言った。この人は望力とか、望術の事になるととんでもなく話が長くなる気がしたのだ。


「つまりナナキとやらは失われた心臓の機能を自らの望力で代用したのだ。自我、すなわち自分が何者かという定義が正確に出来ていればいるほど代用にかかる望力は減る。大したものだよ、心臓を失って二時間も生存しているなど人間でも極稀だ」


私の処置あっての事だが、と自慢げにプルトーは付け加えた。


「なるほど、次、ナナキは『今の所』大丈夫ってのはどういう事だ」


プルトーは現在進行形で治療を受けているナナキに視線をやった。


「そこで稼働している私の臓器生成望術は実を言うと未完成なのだ。そのためにナナキの心臓を再生させる最後の一手が打てずにいる。心臓を代替している望力の消費は緩やかだが、確実に失われている。」


レイヴの頬を冷や汗が流れた。
望力が極端に減れば魂は肉体との結び付きを保てずに肉体を離れてしまう。つまりそれは死を意味する。


「流石に望力の極端な減少による死については知っていたか」


プルトーが身体を起こし、人差し指を上に向けて言った。


「そこで取引だレイヴ。私の望術を完成させるために最後のピースを回収しに行くつもりはないか?お前はお前の大事な友達を失われずに済み、私は望術を完成させられる。この関係はウィンウィンというやつだ、悪くはないだろう?」


レイヴが野菜炒めとスープを腹に納め、自分の分のチョコ塗り食パンを食べる。


「そのピースとやらは俺なんかよりアンタが取りに行った方がいいんじゃないか?なんかすごい望術でパパーッとさ」


「それは無理なのだ。私はここで未だ完成に至らぬ望術の様子を見ておかねばならん。この臓器生成望術が何らかの不具合を吐いた際にお前で対処できるなら話は別だが」


「ああそっか、そういう事なら俺が取りに行くしかねえな」


「交渉成立だな。お前達がほんの二時間前まで居た魔寄いの森だよ。そこにあるペルテモントという巨木があるのだがそれに成る実が必要なのだ」


「オッケー、デカい樹を探せばいいんだな。早速行ってくる」


空っぽになった皿に向かって手を合わせるとレイヴは立ち上がり、部屋を後にしようと扉へ飛び出した。しかし部屋の入口は周囲の空間ごと収縮し、人が出られないほどに狭まってしまった。


「待て待て、行くのはいいが私の工房に戻ってこれまい。私の工房の場所の特定は難しいのだ。それに目的のブツがどんなものかも知らんだろう」

プルトーがレイヴに歩み寄る。


「どうするんだ?」


「汎用機能望術を出したまえ、流石にお前でも持ち合わせているだろう」


「分かった」


レイヴが掌をプルトーに向け、ロック解除、と呟くと淡い光を帯びた八面体と文字が浮かび上がった。
それを見たプルトーは一歩引いて


「うわ、画面見にくいな!?どんな望力の扱いをしたらこうなるのだ!?」


「うっせえ!やりたい事があるなら早くしろよ」


レイヴが口をとんがらせて言った。


「では気を取り直して」


プルトーが右手をレイヴの汎用機能望術に翳し、ピアノを弾くように右手を踊らせ、最後に空気を入れた袋みたいに手を大きく広げた。


「私の工房の位置情報とペルテモントの実の画像、それに物質転送術式を送っておいた。これを参考に探し、実を手に入れたらこの転送術式で私の所に送るといい」


レイヴが改めてプルトーより送られた工房の位置情報と画像をチェックする。必要となる木の実は赤黒く、魔寄いの森の樹の幹とはまた違った意味で毒々しい。これついて一言物申したかったがきっとそれは無駄な抗議に終わると思うので止めた。


「えっと、ここの出口は?」


「ああ、見送りがてら案内しよう」