それは空中に投げられた石が―――
白い線からの軌道が比較的細い毒の樹を貫く。
バランスを崩した樹が倒れてレイヴの退路を塞いだ。
逃げ道を失ったレイヴは咄嗟に背中の楔剣を抜き、二発目の死の線に備えて構える。
―――地面に落ちるまでの時間の出来事。


「駄目だレイヴ!線に触れるな!」


ナナキの言葉がレイヴの動きを止めた。
イグニットの線が飛んできたのはその直後の事だった。
レイヴは身体を捻り、高跳びの要領で線を避ける。

それを確認したナナキが素早く右手で雲の形を描いて掌を握る。
するとナナキの描いた雲の形が白く濁った煙となって周囲を包んだ。


「ゲホッ!なんすかこれ!?」


「煙幕の望術か……!小賢しい!!コモノ!クオリアをそこらの地面にぶっぱなせ!」


「はい!」


火球が地面に直撃する。その余波が煙幕を吹っ飛ばした。
晴れた視界にはレイヴもナナキも居なかった。


「アイツらどこに……!?」


コモノが戸惑っている間にイグニットは周囲の樹や岩など隠れられそうな場所を貫いていく。


「連中はこの辺りに隠れてる筈だぜ!おめーも隠れられそうな場所撃ってけ!」


「了解っす!」


白い線や火球が無差別に周囲を吹き飛ばしてゆく。それでもレイヴとナナキは健在だった。


「見境なしって感じだね」


「樹の上に隠れてて良かったぜ本当に」


彼らはそこそこ太めの樹の上に隠れていた。
僅かな時間で樹の上に登りきる。イグニットたちの想定を上回る身体能力が彼らを救った。


「ナナキ、さっき俺がアイツのクオリアを避けようとした時、全力で俺に避けるよう言ってたけど、お前アイツの事知ってるのか?」


「うん。あの白い線を見て分かった。ファースタ街を裏から武力で制する三つの勢力、すなわち街三天(アントラグル)の一つのイグニット勢力。その頂点に立つ男。万物を貫くクオリア、通称絶対貫通(ハルバード)を宿す者。それがイグニットだ」


ファースタ街は現在観測されている星々の街の中でも決して小さくない。なおかつ開拓者発祥の自由を掲げる街なので血の気の多く戦い慣れした荒くれと言う名の猛者が跋扈している。その多くの荒くれ共をまとめあげ、街の中でも三本の指に入る裏勢力を作る強者の中の強者こそが現在対峙しているイグニットというわけだ。


「そんなやばい奴だったのか!?とんでもない奴に目ぇ付けられたんだな俺……」


「白い線のクオリアがこの街で彼を最強たらしめているんだ。星の圧力でとことん圧縮して固められた地中の岩盤ですらペンで紙に穴を開けるより簡単に貫いていくからね。
最高クラスの開拓者や最上位の否定審判の対望力じゃないとあの線は防げないと思うよ」


対望力。
望力は例外なく全ての生物の身体を覆っており、自らを脅かすあらゆる脅威から身を守る性質を持つ。
これが強ければ強い程厳しい環境でも活動でき、他者の望力に干渉することが出来る。
対望力の強さは望力の濃度に比例する。


「触れたらマジでヤバいんだな。ナナキ、さっきはありがとな。お前が居なきゃ楔剣ごとぶち抜かれて、あの熊の二の前になってた」


レイヴが改めて礼を言う。ナナキは命の恩人だ。そのナナキは返事代わりに微笑んだ。


「さて、どうするレイヴ。このまま逃げる事も出来るけど」


「俺としてはアイツらとはここで決着付けときたい。ここで放ったらかしにして明日からあの線に怯えて生きなきゃいけなくなるのはゴメンだからな。お前はあいつらに因縁付けられてないから付いてこなくてもいいぞ。むしろ帰った方がいい」


こればっかりはレイヴ一人の問題だ。ナナキは付いてくる理由はない。むしろこんな危ない戦いにナナキを巻き込みたくなかった。、
なのに、ナナキは。


「僕は君に付いていくよ。君の指示で動く」


あっさりと。
言った。
ナナキはいつも通りの日常と変わらない様子で即答した。
イグニットの脅威はレイヴ以上に分かっている筈なのに。
ばち
思わず樹の幹を掴むレイヴの右手の力が強くなる。
歯を食いしばる。


「……お前な、今回は命懸かってんだぞ!?もっとよく考えて―――」


「静かに、気づかれるよ」


声を荒らげるレイヴをナナキが咎めた。
こんな状況に居てなお日常の中に居るようなナナキは浮いていた。レイヴはその様になんでか苛立ちが増してくる
声を抑えたまま、レイヴが言葉を続けた。


「よく聞けナナキ。これは命懸かってんだ。こいつは遊びじゃないって分かってんだろ?無理に俺に合わせる必要はない。お前はお前の得するようにお前の考えで動け」


「その上で僕は君に合わせるし付き合うよ。だって主体的に動くのはつまらない。僕はただ君や誰かの決めたように動き、その先に見える結果を楽しみたいだけ。傍から見てたい気持ちもあるけどけどそれじゃ意味無いしね」


何を、言っている。

レイヴには目の前に立つ友の言葉の意味が理解出来ない。

平坦な言葉、乱れのない呼吸。混ざりけのない白い眼、柔らかい髪やまつ毛、ハリのある唇、きめ細かい肌、細い首、細い腕、華奢な体。スラリとした手と指。

どれをとっても彼が何を考えているのか、どんな感情を抱いているのか読み取れない。
俺は人の皮を被ったエイリアンと会話している、のか……?レイヴはそんな錯覚を覚えずにはいられなかった。


「誰かに選択委ねて、そのせいで死んでもか。それで死に切れるのか」


「ああ、笑って死ねるよ。それもまた面白い」


端末みたいな言葉。
操り人形みたいな仕草。


「そん、なの、おかしい……!誰かに合わせて動くだけの人間がそんな生き生きとしていられる訳が無い……!なんかあったのか、そうなった理由が!」


ばちばちち。
自分の身体を揺さぶりながらレイヴが訴えるように言う。
ナナキは相変わらずいつもの笑顔を貼り付けたままだった。


「強いて言うなら、十数年前この世に生まれ落ちた時」


ようやく。
レイヴは合点がいった。
納得できた。

レイヴ自身覚えがある。
何故望力の扱いがそんなにも下手なのに、星々を巡るために必要な対望力もろくに持ち合わせていないのに開拓者なんか目指すのか。何度も聞いたフレーズ。
壊れたガラクタみたいに繰り返されるテーマ。
天蓋を埋め尽くす星々がなんでこんなにも心をときめかせるのか。誰も知らない場所にどうしてこんなにも行きたいのか。

好きだから。

それ以上の言葉で答えることが出来ない。
そういう物なのだ。生まれついてそう感じるように出来てしまったのだ。いわばそれがレイヴという人間の根っこで、それを抜けばレイヴという人間は音を立てて崩れ落ちてゆく。

ナナキも同じだ。彼にとって自分の考えで動くより与えられた選択に従う事が楽しいのだ。

その考えはひどく歪んでいるように見える。けれど修正など叶わない。それこそがナナキという人間を形作る柱だからだ。それを欠いてはナナキはナナキではなくなるのだ。


「すまん、ナナキ。闇雲にお前を否定しちまった」


湧いて出てきた罪悪感からレイヴは謝らずにはいられなかった。自分が受け続けた批判と同じ事をナナキにしてしまった事をレイヴは悔いていた。


「気にする事はないよ。むしろ楽しかった。君はああいう事で怒るんだって分かったからね。あとそういう君も命が懸かってるんだから誰かを頼りなよ。僕も君に死なれるのは嫌だから」


「えー……そういうの気が引けるんだけど。誰かを危険に晒して生きながらえるってのはなー……」


爽やかな笑顔で言うナナキの言葉にレイヴは苦笑いした。
いつの日か彼の言葉を真に理解できる日は来るのだろうか。


「なんにせよ僕は君についていくよ。まさか却下はないよね?僕の気持ちを少しは分かってくれたのなら」


「む、そう言われると止められねえ」


腑に落ちない表情で渋々レイヴは承諾した。


「決まりだね!ここでイグニットたちと決着をつける。それでいいんだね?」


「ああ、バックアップは任せたぜナナキ!」


こう言うにはあまりにも浅すぎるかもしれないが、因縁に決着を付けるため、レイヴたちは今一度地面に降り立つ決意を固めた。




イグニットとコモノはあらかた辺りに攻撃し尽くしたため攻撃を止め、レイヴとついでにナナキの死体を探していた。


「全然見つかりませんね、逃げられたのかな」


「馬鹿野郎、俺とお前の一斉掃射の前に生きていられる奴がいるか」


「でもイグニットさんはともかく俺なんかの攻撃じゃ……」


コモノは前日の対レイヴですっかりしょげていた。レイヴに対する怒りはあったがそれはそれとしていつも以上に自信を失っていた。
ボソボソと言うコモノにイグニットが言葉を言いかけた時だった。

何かが落ちる音が空気を揺らす。
振り返る。
二人居る。片や黒い髪に黄色い服の男。片や全身真っ白、ちょっぴり黒の入った男。
死んだ筈の奴らがイグニットたちの前に立っている。


「生きていましたね……?」


「たまにはそんな事もあるわ!気にすんな!」


コホンと、咳払いを一つしてイグニットがレイヴたちを見据える。視線が交差する。


「あの短時間で樹の上に登ってやり過ごしたとはな。一本取られたぜ」


「そいつはどうも。なあイグニット、勝っても負けても俺達に絡むのはこれが最後、ってのはどうだ」


「へえ、そりゃつまり俺達に勝つつもりでいるのか。このファースタにおいて最強の一角を担うこの俺と自慢の舎弟に」


「いいから答えろ」


「オーケー、いいだろう。どう転んでもお前を殺すしお前が俺達に勝てる要素はない。お前らはガタガタと震えて俺達をやりすごしゃ良かったんだよ。さあ、自分の馬鹿さ加減を悔やみながら逝け」


イグニットもこの一件を後には引かせないつもりなのは同じようだ。
イグニットが最強の矛を生む手を上げるのとレイヴがただ堅いだけの楔剣を抜くのは同時だった。


僅かに射線から逸れるような軌道でレイヴが駆ける。ギリギリの所で『線』を避ける。
レイヴには既に意識相対加速《エゴアクセラレーション》の望術が掛けられていた。

レイヴはイグニットの線のみならず周囲の樹にも気を配っていた。
コモノやチーターのような飛び道具が主力の敵を相手取る際、樹は盾に出来て便利なものだがイグニットのように規格外の攻撃をしてくる相手ではかえって進路を妨げる障害にしかならない。

しかしやる事は先のチーターとさして変わらない。楔剣で攻撃を弾き飛ばす事が出来ない点は辛い所だが。


ナナキの方はと言うとコモノを適当にあしらっていた。


「ははっ、頑張れ頑張れ」


「ちくしょう!嘗めやがって、この!」


コモノの火球をガムみたいなネバネバした塊を出したり地面を押し上げたり火球を小さくしたりと奇妙な望術の数々でやり過ごすナナキ。望術のパターンがやたら多いのはナナキが器用貧乏たる所以か。


「ダメダメ、そんなんじゃ掠りもしない、もっと工夫しなくちゃ面白くないよ?」


「偉そうに言いやがって……!!殺してやる!!」


コモノの攻撃はあまりにも単調だった。
そこそこ高い火力の自らのクオリアにかまけてただ撃つだけ。ナナキの下準備すらしていない単純な望術でも十分にやり過ごせてしまう。ナナキが純粋なアドバイスと要望として言った言葉がかえってコモノの工夫力を奪っていた。意固地になっているのだ。


「お手本を見せようか」


見かねたナナキがポケットからくしゃくしゃに丸められた紙くずを取り出すとゴミを捨てるような軽い動きでコモノの足元に投げた。
コモノが何だこれと疑問に思った次には紙がひとりでに広がり、紙の表面から大岩のような厳つい悪魔が飛び出した。


「うわぁッ!?」


子供騙しの幻だ。しかしそれで十分だった。唐突の事だったのでコモノがバランスを崩して地面に座りこんでしまった。
ナナキが大きく円を描き中心に拳を置いて一言。


「展開、幻質量の礫」


円を描いた形が拳となり転けたコモノに迫る。


「ああっ!?わああぁぁッ!?」


必死でコモノが横に逸れて拳を避けた。


「よく避けたね。大技というのは敵を牽制してから放つのが基本だよ」


ナナキはチラリとレイヴの方を見た。大分イグニットとの距離は詰めていたが線を避けるレイヴの余裕はもうなさそうだった。
意識相対加速(エゴアクセラレーション)の効果を込みでも避けるのが大変になってきているようだ。


「頃合いだね」


ナナキがイグニットの方へものすごい速度で走り出しあっという間にイグニットの後ろを取った。ナナキのクオリア、『極限』で予め溜めておいた速度を解放したのだ。


「てめえ……!?」


「いくよ、レイヴ!」


唐突の事にイグニットの反応は間に合わない。
速度はそのままにイグニットのシャツを掴むとレイヴに投げた。


「よし来た!」


レイヴがバットを握るように構えをとる。
楔剣の軌道調整は意識を加速させているためバッチリだった。
あとはホームランを打つ意気込みでかっ飛ばすだけだ。
イグニットはクオリアこそ最強だが本体はあくまでもただの人間にすぎない。車並の速度で飛ぶイグニットがレイヴからのフルスイングを喰らえば流石に意識は保てないだろう。
あらかじめナナキが速度と勢いを溜め、レイヴとイグニットとの差が縮まったら隙を見てイグニットをレイヴの方へ投げ飛ばす。それを反応速度の上がったレイヴがイグニットを叩く。それがレイヴが考え、ナナキがアドバイスを加えた作戦だった。


「吹っ飛―――」


楔剣がイグニットの顔面に触れる直前。
レイヴの視界が
爆ぜた。
その次には猛烈な熱さがレイヴの皮膚を焦がした。全身が刺すような痛みを訴える。望術の副作用で感覚が鋭敏になっていたレイヴにとってそれは全身の皮膚を剥がされた痛みに等しかった。

ナナキは見ていた。レイヴの背中に火球が炸裂する瞬間を。
コモノが火球をレイヴに撃ったのだ。


「があああああっっ!!?」


思わぬ刺激にレイヴが倒れ込んだ。
もはやレイヴには苦悶の声を上げのたうち回る事しかできなかった。
投げ飛ばされたイグニットはしばらく地面を転がった後、ゆっくりと立ち上がり悶えるレイヴに掌をかざした。


「ファインプレーだコモノ!流石俺の舎弟だぜ!!」


イグニットが闘志はそのままに笑顔でコモノを褒める。
コモノも得意気に笑った。
こうなるとレイヴはもちろんナナキに出来ることはなかった。不用意に動けばコモノとイグニットの集中砲火を受けるのがオチだ。
しかしその集中砲火を顧みないのであれば……?


「くく、残念だったな。俺達を嘗めるからこうなるんだ。ええっと、誰だっけ……。まあいいや。じゃあな、名前も知らねえクソ野郎」


レイヴは見た。万物を貫く白い矛が風船に穴を開けるように心臓を穿つ様を。
しかしそれはレイヴ本人ではなかった。
レイヴはナナキに蹴飛ばされゆっくりと宙を舞っていた。その次には白い線がナナキの心臓を貫いて、大小様々な赤い雫が写真の一枚みたいに浮遊している。

しばらく時間が止まっていた。
刹那の時間をレイヴは漂っていた。

次に時間が元通りに流れ始めたのはナナキの望術が切れた時だった。