3年生に上がっても、高校に入学しても、卒業しても、一沙は帰ってこなかった。
7月20日の25時。彼は光とともに姿を消した。それは、花火が散るのと同じように輪郭すら残さずに。余韻だけを耳元に残して。
それもそのはず。
一沙は小学6年の夏に死んでしまっているのだから。
あの日までの彼が幻だったと気づいたのは、花火が終わった後だった。思い出して、泣きくれて、毎年この場所に足を運んでいる。
一沙の死因を聞いたのは、中学2年の夏。それまで私は一沙と一緒に過ごしていると思い込んでいたから突然のことに驚いて、泣いて喚いて母にすがって、すべてを聞いた。
私があまりにもショックを受けていて、葬式にも出られなかったから彼の死因を今まで教えることが出来ずにいたという。
「一沙くんね、夜中に湖に行って足を滑らせたの」
膝の上で泣く私に、母は辛そうな声で説明する。
「6年生の夏。あの湖の近くで中学生の子たちがね、ロケット花火を打ち上げてたんですって。それを見に行って足を滑らせたんだろうって。見つかった時は朝方だったから、そのときにはもう……」
彼は、本当にこの世にいないらしい。それがどうにも信じられない私は、彼の遺影を見ても墓参りをしてもその実感を持てずにいた。
体だけ成長して、心は置き去りのまま。中学2年生で止まったまま。それに、小6から中2までの記憶は紛れもなく一沙と一緒にいたことが鮮明に残っている。
私だけ、生きている世界がみんなと違うように思えてしまう。でも、日常は私を待ってくれないし、一沙のいる世界には戻してくれなかった。
7月20日の25時。私はその思い出を確かめるために毎年、彼がいなくなった場所へ向かう。今日でもう何回目だろう。仕事を休んで、昼間に墓参りを済ませて、夜のうだる暑さの中を一人で歩く。あの日に彼と歩いた道を辿るように行く。整備されたから、幼い時にくぐった穴はもう塞がれてある。それを横切って、入り口から湖のある茂みの奥へと足を踏み入れる。
ただ、私は悲しみに浸るがために、この現象に疑問を持つことはなかった。
そう。毎年、彼の言う通りここで花火が上がるのだ。
色とりどりの光を眺めて、終われば帰るのが恒例となっていて、幾度目かの夏にようやくこの不可思議さに気がついた。
花火はどこから上がるのか。どうして一沙は小6の夏に花火を見に行ったのか。足を滑らせて溺れて死んでしまうことも知らず、彼は無我夢中に花火に魅せられてしまった。それはどうして――
25時。
光が夜空を駆ける。閃光が目を奪う。その光を追いかけようと、私の体が動く。気を逸らせ、消え行く光だけを見て。
「っ!」
全身が傾く感覚に怯えた。体の内がヒヤリと冷たいものを巡らせる。つんのめった私は、水面に突っ込む一歩手前で倒れた。
危ない。落ちてしまうところだった。全身から冷や汗が噴き出して、息が荒れる。起き上がって座り込んでおくも、花火はいつまでも夜空を流れている。
『――蓮』
轟音にまぎれて、かすれたような男の子の声が耳をよぎった。振り返るも、彼だと分かるものはない。
「一沙……?」
花火の音はまだ消えない。
「……どうして、死んでしまったの?」
一緒に、大人になりたかったんでしょう?
幻に話しかけるなんて、どうかしている。でも、彼が近くにいるような気がしてしまう。
「何も残らない、わけない。まだ覚えてる。あの十四歳の夜を覚えてるんだから……」
元からいなかったとしても、私の中で彼は十四歳まで生きていた。彼の熱を感じた。いっぱい、いろんな話をした。どこかへ行ってしまう気がして離れたくなくて、彼の指をずっと掴んでいた。
「大人になれない」と、彼がそう言ったことを思い出す。あれは、そういう意味なのか。いや、幻なのだから彼の本当の言葉じゃない。
寂しさに負けて、死の罠にかかってしまったのだろうか。分からない。私はいつまで経っても彼が分からない。
花火が消えていく。答えを教えてくれることはない。あの光もまた私の抱く幻想なのかもしれない。忘れたくなくて、いつまでもすがるように夢想し続けているんだろう。
***
翌日、私は重たい体を引きずって会社に行く。時間が過ぎれば、感傷に浸りつつ日常へと体を慣らしていく。仕事をして、お昼を食べて、また仕事して、夜を待つ。同じことの繰り返しで、とっくに飽きは来ている。こんな大人になってしまったのが本当に腹立たしい。
「ただいま」と呟けば、目の前に母が立っていた。珍しい。出迎えなんて。
「おかえり、蓮。今日、部屋を掃除してたら見つけたんだけど」
言いながら母が差し出してきたのは、少し褪せた水色の文庫本。一沙が読んでいた「25時の光」。
慌ててもぎ取り、礼も言わずに部屋へ駆け上がる。そして、パラパラとページをめくれば、どこか一沙の匂いを感じた。その時――
挟まっていた紙がひらりと床へ落ちた。
「………」
走り書きの薄いシャープペンの文字……そこには『蓮へ』という文字と、
『さようなら』
それだけが記されていた。
一沙は、確かに存在していた。十四歳のあの日まで確かに生きていた。その証拠が私の手にある。
「さようなら……一沙」
ぽつりと呟けば、私の中で火花が弾けるように一沙への思いが消えていった。
《完》
7月20日の25時。彼は光とともに姿を消した。それは、花火が散るのと同じように輪郭すら残さずに。余韻だけを耳元に残して。
それもそのはず。
一沙は小学6年の夏に死んでしまっているのだから。
あの日までの彼が幻だったと気づいたのは、花火が終わった後だった。思い出して、泣きくれて、毎年この場所に足を運んでいる。
一沙の死因を聞いたのは、中学2年の夏。それまで私は一沙と一緒に過ごしていると思い込んでいたから突然のことに驚いて、泣いて喚いて母にすがって、すべてを聞いた。
私があまりにもショックを受けていて、葬式にも出られなかったから彼の死因を今まで教えることが出来ずにいたという。
「一沙くんね、夜中に湖に行って足を滑らせたの」
膝の上で泣く私に、母は辛そうな声で説明する。
「6年生の夏。あの湖の近くで中学生の子たちがね、ロケット花火を打ち上げてたんですって。それを見に行って足を滑らせたんだろうって。見つかった時は朝方だったから、そのときにはもう……」
彼は、本当にこの世にいないらしい。それがどうにも信じられない私は、彼の遺影を見ても墓参りをしてもその実感を持てずにいた。
体だけ成長して、心は置き去りのまま。中学2年生で止まったまま。それに、小6から中2までの記憶は紛れもなく一沙と一緒にいたことが鮮明に残っている。
私だけ、生きている世界がみんなと違うように思えてしまう。でも、日常は私を待ってくれないし、一沙のいる世界には戻してくれなかった。
7月20日の25時。私はその思い出を確かめるために毎年、彼がいなくなった場所へ向かう。今日でもう何回目だろう。仕事を休んで、昼間に墓参りを済ませて、夜のうだる暑さの中を一人で歩く。あの日に彼と歩いた道を辿るように行く。整備されたから、幼い時にくぐった穴はもう塞がれてある。それを横切って、入り口から湖のある茂みの奥へと足を踏み入れる。
ただ、私は悲しみに浸るがために、この現象に疑問を持つことはなかった。
そう。毎年、彼の言う通りここで花火が上がるのだ。
色とりどりの光を眺めて、終われば帰るのが恒例となっていて、幾度目かの夏にようやくこの不可思議さに気がついた。
花火はどこから上がるのか。どうして一沙は小6の夏に花火を見に行ったのか。足を滑らせて溺れて死んでしまうことも知らず、彼は無我夢中に花火に魅せられてしまった。それはどうして――
25時。
光が夜空を駆ける。閃光が目を奪う。その光を追いかけようと、私の体が動く。気を逸らせ、消え行く光だけを見て。
「っ!」
全身が傾く感覚に怯えた。体の内がヒヤリと冷たいものを巡らせる。つんのめった私は、水面に突っ込む一歩手前で倒れた。
危ない。落ちてしまうところだった。全身から冷や汗が噴き出して、息が荒れる。起き上がって座り込んでおくも、花火はいつまでも夜空を流れている。
『――蓮』
轟音にまぎれて、かすれたような男の子の声が耳をよぎった。振り返るも、彼だと分かるものはない。
「一沙……?」
花火の音はまだ消えない。
「……どうして、死んでしまったの?」
一緒に、大人になりたかったんでしょう?
幻に話しかけるなんて、どうかしている。でも、彼が近くにいるような気がしてしまう。
「何も残らない、わけない。まだ覚えてる。あの十四歳の夜を覚えてるんだから……」
元からいなかったとしても、私の中で彼は十四歳まで生きていた。彼の熱を感じた。いっぱい、いろんな話をした。どこかへ行ってしまう気がして離れたくなくて、彼の指をずっと掴んでいた。
「大人になれない」と、彼がそう言ったことを思い出す。あれは、そういう意味なのか。いや、幻なのだから彼の本当の言葉じゃない。
寂しさに負けて、死の罠にかかってしまったのだろうか。分からない。私はいつまで経っても彼が分からない。
花火が消えていく。答えを教えてくれることはない。あの光もまた私の抱く幻想なのかもしれない。忘れたくなくて、いつまでもすがるように夢想し続けているんだろう。
***
翌日、私は重たい体を引きずって会社に行く。時間が過ぎれば、感傷に浸りつつ日常へと体を慣らしていく。仕事をして、お昼を食べて、また仕事して、夜を待つ。同じことの繰り返しで、とっくに飽きは来ている。こんな大人になってしまったのが本当に腹立たしい。
「ただいま」と呟けば、目の前に母が立っていた。珍しい。出迎えなんて。
「おかえり、蓮。今日、部屋を掃除してたら見つけたんだけど」
言いながら母が差し出してきたのは、少し褪せた水色の文庫本。一沙が読んでいた「25時の光」。
慌ててもぎ取り、礼も言わずに部屋へ駆け上がる。そして、パラパラとページをめくれば、どこか一沙の匂いを感じた。その時――
挟まっていた紙がひらりと床へ落ちた。
「………」
走り書きの薄いシャープペンの文字……そこには『蓮へ』という文字と、
『さようなら』
それだけが記されていた。
一沙は、確かに存在していた。十四歳のあの日まで確かに生きていた。その証拠が私の手にある。
「さようなら……一沙」
ぽつりと呟けば、私の中で火花が弾けるように一沙への思いが消えていった。
《完》