中学時代のケンジは、一部のおかしな連中から嫌がらせを受けていた。俺達の中学校には、近隣にある四つの小学校から集まるそこそこ巨大な学校だったんだ。全校生徒数が千二百人程度だったはずだよ。一学年に四百人もいるんだ。おかしな連中がいて当然なんだよな。
 もちろんケンジがやられっ放しってはずもなく、おかしな連中は仕返しをされているんだが、奴らは本当に馬鹿だから、やられてもなお威張り腐っていた。そんな奴らをケンジは、それ以上は相手にしていない。俺達にも助けは求めてこなかったから、正直詳細は知らないんだ。ただ俺は、何度かそんな連中が大勢でケンジを囲っていたのを見たことがある。ケンジはまるでそんな連中が見えていないかのような態度をとる。数に任せてケンジに絡んでいるようだが、ケンジが少しでも本気になり睨みつけると、そいつらはまるで十戒の海のように真っ二つにケンジの通り道を割って作っていた。
 陸上部内でのケンジは、とても一生懸命だった。全体練習が終わると、ひたすら飛び続けていたよ。俺は正直、ケンジがなにを目指しているのかが理解できなくなっていた。ほとんど休みのない部活動の合間に、どうやって空を飛ぶんだって思ったよ。走り高跳びで満足しているじゃないかとも感じ始めていた。
 けれどケンジは、確かにそのブレない意思を形にしようとしていたんだ。五時過ぎまでの練習後、一度家に帰ってから自転車で山を駆け登る。土日も部活はある。しかし、それ以外の時間はひたすら自転車を漕いでいた。
 ケンジが本格的に空を目指して動き出したのは、最後の年の県大会が終わってからだった。陸上部の全体としての大会は秋で終わりだが、冬には駅伝が待っている。ヨシオ以外の俺達四人は、半ば引退状態だったんだ。好きなときに来て、練習に参加をする。それが許されていた。
 ケンジは山の頂上に広がる公園で、自転車に羽根とプロペラをつけての練習を始めた。プロぺラは前カゴの前に取り付けてあった。直径で一メートルはあったんじゃなかと思うよ。動力はゴムだが、風の力で回転は増していく。羽根は二組、前カゴから突き出ている大きめの羽根と、後ろの荷台に小さめの羽根が取り付けてある。ケンジは公園内の坂道を、何度も降りてはその角度などの調整をしていた。
 ママチャリを使用していたのは、ケンジなりのこだわりだったようだ。適度な重みとバランスの良さが空を飛ぶにはピッタリだと言っていたよ。
 ケンジの計画では、頂上から一気に駆け下り、中腹の崖から空へと舞い上がる予定になっていた。崖の下には田んぼが広がっていて、その先が川になっている。失敗しても大きな怪我にはならないだろうと笑っていたよ。